7-7 兄さんを疑う角くんと角くんを疑う兄さん
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真っ黒だった空間が、突然押し潰されるように、白い色に塗り替えられてゆく。絵も、額縁も、何もかもが真っ白になる。
「え、何?」
「『驚きの展開』ってことだろ」
兄さんが溜息混じりに──悔しそうに、そう言った。
真っ白な空間に放り出されたみたいな気分だ。真っ白な服を着て、真っ白な中で、それぞれ顔を見合わせる。
「あの、最初に
「そうですね。それが公平な気がします」
「大須さんは、俺といかさん、どっちがダニーだと思う?」
「え、わたしが決めるの?」
「まだ決めないよ。いまのところ、どっちが怪しいと思っているか、聞かせて欲しいだけ」
目の前の角くんの微笑みを見て、その向こうの兄さんのむすっとした顔を見る。
わたし以外のどちらかがダニーなんだ。でも、二人とも怪しいところなんてあっただろうか。そうやって考え込んでしまったわたしに、兄さんは溜息をついた。
「
兄さんの提案に、角くんはちらりとわたしの方を見た。わたしは、何を言って良いかわからなくて、俯く。それで角くんも諦めたみたいだった。
「そうですね、先にこっちで話した方がイメージしやすいかも。まあどうせ、いかさんは俺がダニーだって言うんですよね」
「カドさんも、俺がダニーだって思ってますよね」
「それは、まあ……そうなりますよね」
二人の会話を聞いて、わたしは二人がお互いを疑い合っていることに気付いた。それはつまり、わたしが疑われていないってことなんじゃないかって気付いて──わたしは二人の会話に割って入る。
「ちょっと待って。二人とも、わたしがダニーだとは思ってないの?」
わたしの言葉に、二人はきょとんとした顔でわたしを見る。
「
「瑠々はないだろ」
ほぼ同時に、否定されてしまった。実際にわたしはダニーじゃないんだからその通りなんだけど、あまりにも疑われていないっていうのもなんだか気に入らない気がする。
「瑠々はカドさんとゲーム遊んでるって言っても、この手のゲームは初めてだろ。経験もないのに、いきなり『ダニーです正体隠してください』って言われたらもっと動揺して態度に出ると思って。まあ、メタい理由だけど」
「俺も、大須さんがダニーになったら、もっと怖がって泣きそうな顔するかなって思ってたから」
兄さんと角くんが、口々にそんなことを言う。
「何それ」
「じゃあ、瑠々はダニーなのか?」
「え、それは違うけど」
角くんがふふっと笑う。
「大須さん、ダニーじゃないよ、どう考えても。これで大須さんがダニーなら、もう負けても仕方ないってレベル」
「それは……そうかもしれないけど。なんか最初っから選択肢に入らないのって、それはそれで悔しいんだけど」
「あのな、正体隠匿系は疑われない方が良いんだよ」
兄さんにそう言われて、わたしは唇を尖らせる。
角くんがわたしと兄さんのやりとりにちょっと苦笑して、わたしの顔を覗き込んでくる。
「それよりも、まだゲームは終わってないからね、覚えてる?」
「ダニーを見付けるんでしょ、覚えてるけど」
「俺といかさんはお互いがダニーだと思っているから、投票のときにはお互いに入れる。だから、
角くんは少し不安そうな視線で「大丈夫?」と言った。わたしは、ぽかんと口を開いて──だって、それって、わたしの選択で決まっちゃうってことだ。
「瑠々を味方にできた方の勝ちってことだな」
「いかさん、そういう言い方だと、大須さんは怖くなっちゃうんですよ、多分」
角くんの言葉に、兄さんはじっとわたしを見て、それからまた角くんの方を見て「じゃあ、任せる」と言った。
角くんはいつものように穏やかに微笑んで「ありがとうございます」と言って、改めてわたしの方を見た。
「あのね、大須さん。今から、俺といかさんがそれぞれ『どうして相手がダニーだと思うか』を言い合うから、大須さんはそれを聞いて、最後にどっちがダニーだと思うかを言って。それでゲームが終わるから」
「でも、それでゲームの勝ち負けが決まっちゃうんでしょ。わたしの選択で決まっちゃって、角くんと兄さんはそれでも良いの?」
「良いも悪いも、そういうゲームなんだよ、これは。誰かを疑ったり、信用したり……信用させたりするゲーム。でも、それもゲームの中のことなんだ。それで勝ったら嬉しいけど、負けても悔しいってだけで……だから、そんなに心配しなくても大丈夫」
角くんにもう一度「大丈夫?」と聞かれたけど、わたしは頷くことができなかった。それで角くんはちょっと困ったように眉を寄せて、わたしを見ていた。
■□
どうやら、本気でわたしが「面白そう」って思うボードゲームを選んでいるらしい。
「棚のゲームも見ますか?」
兄さんの言葉に、角くんはちょっと考えてから口を開いた。
「どうしようかな。この中だと、『エバーデル』は好きだと思うんですよね。ただちょっと重いかな、と思って」
「うーん、まあ、遊びやすくても
「じゃあ、とりあえず見てもらって、それで駄目なら棚のゲームも見てみます」
角くんはわたしの方を見てにっこりと笑うと、積んであるボードゲームの箱を三箱くらいまとめて持ち上げた。そしてそれを脇に置く。
その脇に取り置かれた一番上の白い箱は、他の箱より小さめだった。窓か何かだろうか、穴から誰かが覗いている。そしてその上に、震えるような歪んだ文字で『DANY』と書かれている。その下に、小さなカタカナで『ダニー』と添えられていた。
そのとき、耳の奥で誰かの声が聞こえた。
「黙れ!」「もうたくさんだ!」「消えてしまえ!」
その声の語気の荒さに、わたしは怖くなってしまって──でも、そのときにはもう、そのボードゲームの中に入ってしまっていた。
□■
「まあ、俺視点からだと消去法ではあるんだけど」
そう言って、兄さんは腕を組む。
「一番気になってるのは、『悪夢』のときに判断を俺に委ねたことだな。意思決定役なのに」
「だってあれは、本当にわからなかったから」
「それに、俺が発現人格だったときも、全面的に
「あれは
「それでも、自分から結論を出すのを放棄してるように見えてたし、俺からは『正解でも不正解でもどっちでも良い』って態度に見えましたよ」
「それは考え過ぎだと思いますよ。割と、自分の意見は言っていたつもりです」
「まあ、それを判断するのは瑠々だからな」
そう言って、兄さんは角くんに順番を明け渡した。
角くんは口元に手を当てて、ちょっと考え込んでから話し始めた。
「消去法ってのは、俺も大差ないんだけど。でもまあ、俺はもうちょっとはっきりいかさんのことを疑っていて」
角くんが人差し指と中指の二本の指を立てて、顔の前に持ってきた。
「いかさんのお題、二回とも、あまりに紛らわし過ぎたと思うんです。両方ともどれとも言い難い絵で、答えにくくて……もしかしたら、わざとかもしれないって気がして」
「あれ、すごく頑張ったから、それで疑われるの納得いかないんだけど」
「すみません。でも、俺からだとそう見えるんですよ。それに、俺が発現人格のときも、割とぐいぐいと話を進めてましたよね。それこそ、誘導してたんじゃないですか?」
「あのときは、最後には瑠々の『ヘリコプター』を受け入れて、正解してますよ」
「あれ以上粘ったら怪しいですもんね。一回不正解した後だから、正解しても問題ないって判断もできたはずだし」
「それこそ、考え過ぎですよ」
「まあ、そこもあとは
角くんと兄さんは二人で顔を見合わせて、急に堪えきれないみたいな感じで笑い出した。
その姿を見て、二人にとってはこの言い合いもゲームなんだってことがわかった。この言い合いも嘘をつくことも、二人は楽しんでいるのかもしれない。
こうやって「疑う」のもゲームの一部で、自分の正体を隠すのもゲームの一部。相手よりも先にタイルが置けたとか、財宝を見付けたとか、そういうのと同じことなんだろうか。
負けても面白かったって言えるみたいに、嘘をついたり騙されたりしても楽しいって思うことができるんだろうか。
二人がわたしの方を向く。
「さ、
そう言って微笑む角くんの顔を見上げる。
角くんは静かに人差し指を兄さんの方に向けた。
「俺は、いかさんに」
「俺はカドさんに」
兄さんが、同じように角くんを指差す。
ここまでのお題と、そのときに話したことを思い出す。こうやってゆっくりと思い返せば、あのとき二人は何を考えていたんだろうって、そんなことを考える余裕もあった。
お題を当ててもらえなくて悔しがっていた兄さんは、角くんが言うみたいに、本当は当てさせないようにしていたんだろうか。
いつもみたいにわたしに選ばせてくれていた角くんは、兄さんが言うみたいに、本当は当たらなくても良いって思っていたんだろうか。
それに、そう、わたしが発現人格になったあのとき、なんで──。
これで決まってしまう。その緊張の中、わたしは手を持ち上げる。
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