7-5 いつもの兄さんと妹のわたし

 ■■


 落ちる姿で「失敗」を伝えられるかもしれない。

 思い付きだけど、でもできるような気がして、そのイメージで額縁の絵を見返す。両手を上げて落ちる人が、一番「失敗」っぽい気がした。

 これをどうしたら良いんだろうかと思いながら額縁に手をかけると、ふわりとその中から絵が浮かび上がってきた。そして、そのままかどくんと兄さんの前にある空っぽの額縁まで飛んでいって、そこに収まってしまう。

 わたしが手をかけていた額縁は、そのまま消えてしまった。


 お題の額縁の前に立つ。両手を上げて落ちている人は良いけど、この上の下半身が邪魔な気がする。こっちはなんだか、落ちているというよりも覗き込んでいるように見えてしまって、「失敗」って感じがしない。


「何かで隠せたら良いんだけど」


 そう呟いてから、そういえばさっき角くんがそんなことを言ってなかったっけ、と思い出す。裏返すとか、隠しても良いとか。


「裏返すって、絵を裏返すの?」


 わたしは並んだ白い額縁の前まで戻って、ぐるりと後ろに回ってみた。額縁の裏側は真っ黒だ。


「これで、絵を隠せるってこと?」


 そっと目の前の真っ黒な額縁に触れると、その真っ黒な色が浮かび上がって飛んでゆく。そして、わたしが触った額縁はやっぱり消えてしまった。

 お題の額縁の前に戻る。今度はさっきの絵のほとんどが塗り潰されてしまっていて、何も見えなくなってしまっていた。


「上の方だけで良かったんだけど」


 角くんの「触れば動かせる」という言葉を思い出して、恐る恐る絵に触れる。そのまま手のひらを動かせば、触れている部分がタッチパネルのようにわたしの手にくっついてくるのがわかった。それでわたしは黒く塗り潰されたところを動かして、絵の上側の下半身の部分だけを隠すようにする。


 なんとか、両手を上げて穴に落ちている人だけが見えるようになって、わたしはほっと溜息をつく。それから、どうしたら良いのかと自分が持っている「失敗」のネームプレートを見る。

 これは絵の題名なんだから、題名をつけたら完成になったりするだろうか。

 そう考えて、ネームプレートを額縁の下に置いた。そうしたら、その「失敗」のネームプレートと、まだ頭上にあったネームプレートが、地面に落っこちた。

 無事にお題当てが始まったことがわかって、ぐったりとその場に座り込んでしまう。


 座り込んでいるわたしの前で、角くんも兄さんもわたしの方を見もしないで、二人でネームプレートと目の前の額縁を交互に眺めている。


「微妙な絵だな」


 兄さんがぼそっと呟いたのが聞こえて、少しむっとする。こんなに頑張ったのに。でも、本当は自分でもそう思ってはいる。うまくできた、という気持ちにはなれない。


「うーん……まあ『超越』は違いそうですかね」


 角くんは絵とネームプレートの間で視線を行き来させて、自信なさそうにそう言った。それに応える兄さんの声も、自信がなさそうだった。


「『覗き』も……いや、わかんないか」

「いや、俺も違うような気がします。選択肢減らさないと難しいんで、減らしましょう」

「まあ、それもそうですね。残りは『悪夢』『苦痛』『失敗』か。正直どれもありそうだな」


 兄さんの声に、はっとする。

 他の選択肢を気にしていなかったことに、今更、気付いてしまった。自分が作った絵を振り返る。

 黒く塗り潰された下で両手を上げて穴に落ちている人の絵。何を言われてもそう見えてしまう絵になっている気がする。伝わって、と祈るように角くんを見上げる。


「穴に落ちる……うーん……『失敗』?」


 角くんが小さく呟くのが聞こえて、伝わったのが嬉しくて、見えてないのはわかってるけど大きく頷く。わたしが「ヘリコプター」を当てたとき、角くんがあんなに喜んではしゃいでいた気持ちが、今ならわかる。


「いや、でも……この真っ黒い部分が」


 兄さんが、絵の一部を隠してる黒い部分を指差した。


「これって『悪夢』っぽく見えません?」

「違う!」


 思わず叫んでしまったけど、兄さんには届かない。もちろん角くんにも。わたしははらはらと二人を交互に見る。


「『悪夢』……まあ、言われると確かに。頭の上にあって、夢っぽく見えますね」

「いや、でもまあ『失敗』も言われたら……いや、でも、これだけで『失敗』はないだろ」

「そんなこと言ったって!」


 どれだけ叫んでも、わたしの声はただの独り言にしかならない。伝わらなくてもどかしい。


「『苦痛』はどう思います?」

「うーん……いや、俺にはもう『悪夢』にしか見えないわ。俺は『苦痛』もないと思いますね。『悪夢』だと思います」


 兄さんの声に、角くんは黙り込んでしまう。じっと、絵を見て考え込んでいる。


大須だいすさんなんだよね……」


 角くんは小さな声でそう呟いて、それから、ちょっと溜息をついて苦笑いした。


「すみません、俺には絞り込めませんでした。いかさんが『悪夢』推しなら、今回は『悪夢』にしようと思うんですけど、良いですか?」

「意思決定役はカドさんでしょ。カドさんが決定したなら、それで」

「じゃあ」


 角くんは床に手を伸ばす。座り込んでいるわたしの目の前で、角くんの手が『悪夢』のプレートを持ち上げる。そして、それを額縁の下に置いてしまった。


 ■□


「話をまとめると、カドさんが瑠々るるをボドゲ部に誘って、瑠々は誘われてボドゲを遊んでると。瑠々の体質は保育園の頃から変わってないから、毎回ボドゲの中に入っている」


 兄さんは、信じられないと言いたげな口調でそう言って、わたしを見た。


「そうだよ。でも別に、それこそ兄さんに関係ないよね。わたしがどこで何してようが」

「いや、まあ……でもさ、カドさんからボドゲ部でボドゲ遊んだ話聞いた後に、その相手が瑠々だって知って……俺がどれだけ混乱したか考えてくれよ。俺はてっきりいつの間にか瑠々の体質が失くなったか、でなければカドさんが瑠々と遊ぶ妄想でもしてるのかと」

「え、それ俺に対して酷くないですか?」

「だって瑠々がボドゲ遊ぶとは思えなかったし、だとするとカドさんが嘘付いてるって話になるし、でも嘘付いてるようにも見えないから、となると残りの選択肢はガチで妄想を真実だと思い込んでる系だろ。でもそういう感じにも見えないし、二人で歩いてたのは確かだし、ほんとなんなんだよって思ってたんだよ」


 兄さんはそう言って、両手を床に付けて顔を天井に向けた。

 そうか、兄さんからはそう見えてたのか。わたしは隣のかどくんを見る。角くんは納得いかなげに口を曲げていて──角くんのこういう表情も珍しいなと思う。

 角くんはわたしの視線に気付いて、居心地悪そうに目を伏せた。


「あの、大須だいすさん……俺はいかさんに妄想を語ったりとかしてないからね」

「え、妄想だとは思ってないけど」

「本当に遊んだよね」

「ボドゲ部で二人で遊んだのはちゃんと覚えてるよ」

「あれが妄想だったら立ち直れない」


 変なふうにショックを受けてしまったらしい角くんは、恨めしそうな視線を兄さんの方に向けた。それもやっぱりわたしには見慣れない表情で──思わず笑ってしまったわたしを許して欲しい。


 □■


 切り裂かれるようなバツ印を見て、兄さんが「まじか」と呻く。

 床に座り込んだままのわたしはかどくんと目が合って、それでもう自分の姿が見えていることに気付いた。

 目が合って、角くんはさっと目を伏せた。それからわたしの前まで来ると、申し訳なさそうに眉を寄せて、手を差し出してくる。


「ごめん、大須だいすさん。正解できなかった」


 わたしは首を振って、その手を借りて立ち上がる。


「ううん。わたしがうまくできなかったから」


 それで、バツ印に切り裂かれた自分の絵を見る。伝わらなかったけど、じゃあどうやったら伝わっただろうか、というのは考えてもわからない。


「『悪夢』じゃなきゃ、答えなんだったんだよ」


 兄さんの責めるような声に、わたしも少しむっとして答えてしまった。


「『失敗』」

「え? じゃあ、この黒いのは?」

「その下の絵が邪魔だから隠したかっただけ。別に意味はないよ」

「はあ? 情報量少なすぎるだろ」

「だって、どうして良いかわからなくて!」


 声がだいぶ尖りはじめていた兄さんとわたしの間に、角くんが割って入ってくれる。


「いかさん、あの、これ以上の言い合いはゲームの範疇を超えると思うので……身内だから大丈夫なのかもしれないけど」


 兄さんは、それで少し気まずそうに口を閉じて、わたしと角くんを交互に見て、溜息をつくとわたしを真っ直ぐに見た。


「悪い。身内だと思って、少しきつく言いすぎた」


 そして今度は、角くんの方を見る。


「カドさんに止めてもらえて良かったです。ありがとうございます、気を付けますね」


 角くんは小さく首を振る。


「いえ、俺は大丈夫ですけど。本当に、いかさんと大須だいすさんて兄妹なんですね。なんだかちょっと新鮮です」


 角くんのその言葉に、わたしはさっきまでの言い合いを思い出す。それで、兄さんの謝罪に対して何も返してないことに気付いてしまった。兄さんに対等に意見できる角くんに比べて、わたしはなんだかずいぶんと子供っぽいような気がする。

 黙って俯いてしまったわたしをどう思ったのか、角くんがわたしの顔を覗き込んできた。


「あの……俺は『失敗』も選択肢に入れてたから、すごく駄目だったわけじゃないと思うよ。決め手がなかっただけで」


 角くんの言葉は優しくて、でも今のわたしにはちょっとずれていた。それでも角くんが慰めてくれてるんだっていうのはわかって、それは嬉しかった。

 だからわたしは少し顔をあげて、角くんを見る。目が合うと、角くんはちょっとほっとしたように微笑んだ。


「議論系のゲームって、ぎすぎすすることもあるんだけど、でもゲームだから大丈夫だよ。そうじゃないゲームでも、仲の良い人と遊んでると軽く煽り合ったりとか……いつもってわけじゃないけど」


 角くんの言葉に、なんて返事をすれば良いかわからなくて、わたしはただ角くんを見上げていた。

 角くんが「ゲームだから大丈夫」って言うのはどういう意味なんだろうか。


「それに、いかさんて普段のボドゲ会だと丁寧で落ち着いてるんだよ。優しいし」

「え、兄さんが?」

大須だいすさん相手だと、かえって距離感がわからないのかもね、家族だから」

「そういう話は本人のいないところでやれよ」


 角くんの言葉を兄さんが遮る。遮られた角くんは、あははと笑った。


「いかさんのこういうラフな感じ、ほんと新鮮ですよ」


 それで、角くんはわたしの方を見て首を傾ける。


「ほんと、丁寧なんだよ。コンポーネントの扱いも、インストも丁寧だし。他の人のプレイもよく見てるし、褒めるし。明らかに年下の俺にも敬語だし」

「本人の目の前でやるなよ、だからさ」


 わたしは兄さんの方を見る。兄さんは不機嫌そうな顔で──多分照れているみたいだった。角くんと話している兄さんは、確かにいつもと雰囲気が違うな、と思う。

 それに、それは、角くんだってそうだ。

 兄さん相手に敬語で話す角くん。敬語だけど対等な感じで、親しげで──受け答えも表情も、わたしと話しているときとはちょっと違う雰囲気で。


大須だいすさんもね」

「え、わたし?」


 ぼんやりと角くんを見上げていたら、突然わたしの話になって、わたしはただ瞬きを返す。


「いかさんと話してる大須さん、いつもとちょっと雰囲気が違って新鮮」

「えー……そんなに違う?」


 きっとわたしは、眉を寄せて嫌そうな顔をしていたと思う。角くんは穏やかにふふっと笑って、それはいつもの角くんぽいな、と思った。


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