7-3 いつもの角くんといつものわたし

 ■■


 最初にお題を出す役──発現人格になったのは兄さんだった。発現人格になると、この空間から姿が消える、らしい。

 黒い空間の中、額縁の白いフレームが並ぶ前で、兄さんの姿が搔き消えて見えなくなった時は、本当に怖くて泣きそうだった。


「兄さん?」


 体を固くしたわたしを、かどくんが心配そうに覗き込んでくる。


「大丈夫だよ、きっと。いかさんが発現人格で、きっと今頃お題を見て絵を組み立ててるんだと思う」

「割と怖いんだけど、このゲーム」

「雰囲気はね。でも、やることはただのお題当てゲームだし、これ以上怖いことは起こらないと思うよ、大丈夫」


 角くんはわたしを落ち着かせるように大丈夫と言ってくれるけど、それでもわたしは安心できなかった。わたしは手を伸ばして、角くんの服の裾を掴む。そうしてないと、角くんまで消えてしまうんじゃないかと思って、怖かったのだ。

 角くんは、わたしの手を見下ろして何か言いかけてやっぱり口を閉じて、結局はいつもみたいに何も言わないでいてくれた。


 少しして、並んでいた白い額縁が二枚消えた。それから、目の前にぼんやりと何かが浮かび上がる。

 浮かび上がってきたものをじっと見ていると、人の顔に見えてきた。ひどく縦長に描かれたひたいに釘が刺さって、そこに絵がかけられている。その視線の先には、四角い積み木のようなものを持った手。その手の下には丸と三角の穴が空いていて、その穴に四角い積み木を嵌め込もうとしているように見える。

 そこまではっきりと浮かび上がると、それを囲む額縁が現れて、その光景は一枚の絵画のようにそこに収まった。その額縁は、周囲にたくさん並んでいる白い額縁とは違って、細かな模様が彫り込んである、随分と手の込んだ額縁だった。

 ばらばら、と音を立てて足元に何かが落ちる。文字が書かれた四角いプレートだった。ちょうど、絵の額縁の下に置いたら、題名になりそうな雰囲気の白いプレート。

 プレートは全部で5枚あって、それぞれ「意見」「宗教」「創造」「住宅」「内気」と書かれている。


「これが、お題の選択肢だね、きっと。目の前のこの額縁の絵が、この中のどれかを表現したもので、それを当てるんだ」


 角くんの言葉に、地面に落ちている五つの言葉を眺める。顔を上げてもう一度、目の前に浮かんでいる額縁の中身を眺める。

 ひたいに絵をぶら下げた人が、ぼんやりとした表情で積み木を持った手を見ている。それしかわからない。

 わたしは困って角くんを見る。


「え、これ、難しくない?」

「どう解釈して良いのかわからない絵ばっかりなんだ。でもまあ……」


 角くんはちょっと黙って、足元のプレートを見下ろす。


「そうだな、俺は『住宅』ではなさそうな気がするんだけど、どう思う?」

「言われれば、確かに家っぽい要素はないような気がする、かも?」

大須だいすさんは? 何か気付いたことある?」

「気付いたことって言われても……」


 わたしはじっと目の前の額縁の中を見る。他の言葉も全て曖昧で──例えば「意見」は、もしかしたらあのひたいの絵がそれを表現してるのかもしれないって気がする。一方で、言いたいことを言えないという表現のようにも見えて、だったら「内気」の方じゃないかって気もした。

 積み木を持った手はもしかしたら「創造」してるのかもしれない、なんて思えてもくる。


「わからないけど、『住宅』以外でこの中のどれかって言ったら『宗教』は違うんじゃないかって、気がする」


 角くんはわたしの言葉に、しばらく考え込むように額縁を見詰めた。


「そうだね、あんまり『宗教』っぽくはないかも。じゃあ、『住宅』と『宗教』は選択肢から外そう。残りは『意見』と『創造』と『内気』か。んー……みんなそれっぽいな」

ひたいにかかっている絵が、何か言いたいことがある感じ、とか?」

「それは俺も思った。でも、それだったら、この手と積み木に何の意味があるのかってずっと悩んでる」

「積み木で何か『創造』してるのかもって思ったけど……無理矢理感ある?」

「俺はひたいにかかってる絵が、もしかしたら『創造』をイメージしてるって可能性もあるなって、ちょっと考えてはいたんだけど」


 どれもそう見えるし、どれも無理があるように感じられてしまう。兄さんがこの絵で何を伝えようとしているのか、ちっともわからない。


「ねえ、これ、決まらなかったらどうなるの?」

「決めないといけないね。なんにせよ選択肢は決まってるんだから、自信があってもなくても、どれかを選ぶだけ、かな」

「でも……せっかくなら、当てたいよね」


 角くんはふふっと笑って、同意してくれた。


「そうだね」


 ■□


 かどくんと二人でお寺に──御朱印をいただきに行った帰り道。それをバイト帰りの兄さんが見ていたらしい。

 兄さんは、見覚えのある二人が並んで歩いているのを見て、どういう接点かと疑問に思ったけれど、その場で声をかけるのは遠慮してくれたのだそうだ。

 その日の夕飯時、兄さんはわたしに「出かけてたのか?」と聞いた。わたしはそれに頷きを返し、兄さんはさらに「どこへ?」と聞いた。わたしは「関係ないでしょ」と返した、らしい。言われてみれば、確かにそんな会話をしたかもしれない。

 それで次に角くんに会ったときに何気なく話を振ったら、角くんはその相手──つまりわたしだけど──をボドゲ部の部員だと言った。

 ボドゲ部で『御朱印あつめ』を遊んで、それで本物の御朱印を見たくなって一緒に参拝に行ったんです──と。きっといつもの雰囲気でそう言ったんだろうなと、なんとなくその姿が想像できた。


 わたしは家ではゲームに近付かないし、兄さんがたまに「一緒に遊ぼう」と言ってきても、嫌な顔をして絶対に遊ばない。そのわたしがボドゲ部で一緒にボードゲームを遊んでいるというのが、兄さんには信じられなかったらしい。


「それで……ボードゲームを譲るからって餌で角くんを家に呼んだ?」

大須だいすさん、餌って……あの、俺からは否定しにくいんだけど、言い方」

「もともとボドゲを譲る話はあったんだよ」


 角くんとボードゲームを遊んでいたのだって、御朱印をいただきに行ったのだって、別に後ろめたいことをしていたわけじゃないし、それを家族に言わなかったのだって──とりたてて話す理由がなかっただけ、だと思う。

 それでもなんだか、兄さんにこんなふうにされて──騙し討ちみたいに感じられて、わたしはちょっと嫌な気分になっていた。


「別に、普通に聞いてくれたら良かったんじゃない? こんなことしなくても」

「えーだってお前、俺が聞いても『関係ない』しか言わないだろ」


 兄さんの言葉に、ちょっと考え込んでしまう。確かにそうかもしれない。いやでも、兄さんの聞き方の問題じゃないだろうか。でももし、あの時点で角くんの名前が出てきてたら、わたしはなんて答えていただろうか。

 なんにしても、ボードゲームで遊んでることなんて、兄さんにはきっと言わなかっただろうなという気がした。


「それに、カドさんも……ボドゲ会の間に話したら、そのあとのボドゲに差し障りそうだし。俺が混乱してたってのもあるけど」

「いやまあ、確かにあの場で言われてたら、めちゃくちゃ動揺してたとは思いますけど」


 角くんはそう返事をした後、溜息をついた。


「それに一番気になってたのは、瑠々るるの体質のことなんだ」


 兄さんの声に、わたしと角くんは顔を見合わせた。それから兄さんの方を向いたら、兄さんは思いの外、真面目な顔をしていた。


 □■


 発現人格以外のプレイヤーの中から一人、意思決定役が決まるのだそうだ。本来のルールだと、発現人格の右隣の人。今回はわたしだった。

 かどくんと二人で話して「創造」を選択肢から外した。それで残ったのは「意見」と「内気」。どちらもありそうで──悩みに悩んで、わたしは「内気」のプレートを手に取った。


「決めた?」


 角くんの声に頷く。


「自信があるわけじゃないんだけど。こっちの積み木の手に向かって、言いたいんだけど言えないって感じがして……だからこっちにする」

「良いと思うよ」


 角くんの声に押されて、わたしはそのプレートを題名のように絵の下に置く。そうしたら、その額縁の中の絵に、引き裂くようなバツ印が描かれた。絵の下に置いたプレートは、真っ黒になっている。

 そして、額縁の隣に、ふわりと兄さんの姿が現れた。途端に大声で叫ぶ。


「お前ら! なんで! 最後! そっち選ぶんだよ!!」

「え、あっ『意見』の方でした? ひょっとして?」


 角くんの声に、兄さんが大袈裟に溜息をつく。


「あの手札でかなり頑張ったんだぞ」

「惜しいとこまでは伝わってましたよ。最後の最後なんで」

「全然わからなかった」

「いや、だって、あそこまで絞り込んだだろ。わかれよ」

「わかるわけないでしょ」

「いや、あの、惜しかったですよ、本当に。最後かなり悩んだんで」


 慰めるような角くんの声に、兄さんはまた溜息をついて、そしてバツ印が書かれた額縁を眺めた。


「まあ、なんにせよ、不正解は不正解だな。これで、あと二回不正解したら『驚きの展開』でダニー当て」

「誰がダニーか当てるってこと?」

「そう。それで、誰がダニーかわかれば副人格たちの勝ち。ダニーが当てられなければ、ダニーの一人勝ち。あとは、記憶カードの山札……今だとこの額縁がなくなっても『驚きの展開』。そうなる前に六回正解したら副人格たちの勝ちだ」

「これを六回正解って……できる気がしないんだけど」


 ゲームが始まる前は「選択肢があるなら簡単」なんて言ってしまったけど、思っていたよりもずっと難しいってことがわかった。

 兄さんはわたしの顔をじっと見て、それから隣の角くんを見た。角くんは兄さんと顔を見合わせた後に、わたしを見た。


「まあ、だったら、ダニーを見付けるしかないね」


 そうだった。忘れかけていたけど、角くんか兄さんのどちらかがダニーなんだった。

 わたしは角くんをじっと見上げるけれど、やっぱりいつもの角くんだなとしか思えない。さっきだって別に、いつも遊んでいるときと違ったようには思えなかった。いつもみたいに、わたしに選ばせてくれた。

 角くんはわたしの視線に戸惑ったように笑って、それからふと顔をあげた。


「次は俺の番だから、行ってくるね」


 そう言い終わるかどうかというくらいに、角くんの姿が掻き消えた。


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