7-3 いつもの角くんといつものわたし
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最初にお題を出す役──発現人格になったのは兄さんだった。発現人格になると、この空間から姿が消える、らしい。
黒い空間の中、額縁の白いフレームが並ぶ前で、兄さんの姿が搔き消えて見えなくなった時は、本当に怖くて泣きそうだった。
「兄さん?」
体を固くしたわたしを、
「大丈夫だよ、きっと。いかさんが発現人格で、きっと今頃お題を見て絵を組み立ててるんだと思う」
「割と怖いんだけど、このゲーム」
「雰囲気はね。でも、やることはただのお題当てゲームだし、これ以上怖いことは起こらないと思うよ、大丈夫」
角くんはわたしを落ち着かせるように大丈夫と言ってくれるけど、それでもわたしは安心できなかった。わたしは手を伸ばして、角くんの服の裾を掴む。そうしてないと、角くんまで消えてしまうんじゃないかと思って、怖かったのだ。
角くんは、わたしの手を見下ろして何か言いかけてやっぱり口を閉じて、結局はいつもみたいに何も言わないでいてくれた。
少しして、並んでいた白い額縁が二枚消えた。それから、目の前にぼんやりと何かが浮かび上がる。
浮かび上がってきたものをじっと見ていると、人の顔に見えてきた。ひどく縦長に描かれた
そこまではっきりと浮かび上がると、それを囲む額縁が現れて、その光景は一枚の絵画のようにそこに収まった。その額縁は、周囲にたくさん並んでいる白い額縁とは違って、細かな模様が彫り込んである、随分と手の込んだ額縁だった。
ばらばら、と音を立てて足元に何かが落ちる。文字が書かれた四角いプレートだった。ちょうど、絵の額縁の下に置いたら、題名になりそうな雰囲気の白いプレート。
プレートは全部で5枚あって、それぞれ「意見」「宗教」「創造」「住宅」「内気」と書かれている。
「これが、お題の選択肢だね、きっと。目の前のこの額縁の絵が、この中のどれかを表現したもので、それを当てるんだ」
角くんの言葉に、地面に落ちている五つの言葉を眺める。顔を上げてもう一度、目の前に浮かんでいる額縁の中身を眺める。
わたしは困って角くんを見る。
「え、これ、難しくない?」
「どう解釈して良いのかわからない絵ばっかりなんだ。でもまあ……」
角くんはちょっと黙って、足元のプレートを見下ろす。
「そうだな、俺は『住宅』ではなさそうな気がするんだけど、どう思う?」
「言われれば、確かに家っぽい要素はないような気がする、かも?」
「
「気付いたことって言われても……」
わたしはじっと目の前の額縁の中を見る。他の言葉も全て曖昧で──例えば「意見」は、もしかしたらあの
積み木を持った手はもしかしたら「創造」してるのかもしれない、なんて思えてもくる。
「わからないけど、『住宅』以外でこの中のどれかって言ったら『宗教』は違うんじゃないかって、気がする」
角くんはわたしの言葉に、しばらく考え込むように額縁を見詰めた。
「そうだね、あんまり『宗教』っぽくはないかも。じゃあ、『住宅』と『宗教』は選択肢から外そう。残りは『意見』と『創造』と『内気』か。んー……みんなそれっぽいな」
「
「それは俺も思った。でも、それだったら、この手と積み木に何の意味があるのかってずっと悩んでる」
「積み木で何か『創造』してるのかもって思ったけど……無理矢理感ある?」
「俺は
どれもそう見えるし、どれも無理があるように感じられてしまう。兄さんがこの絵で何を伝えようとしているのか、ちっともわからない。
「ねえ、これ、決まらなかったらどうなるの?」
「決めないといけないね。なんにせよ選択肢は決まってるんだから、自信があってもなくても、どれかを選ぶだけ、かな」
「でも……せっかくなら、当てたいよね」
角くんはふふっと笑って、同意してくれた。
「そうだね」
■□
兄さんは、見覚えのある二人が並んで歩いているのを見て、どういう接点かと疑問に思ったけれど、その場で声をかけるのは遠慮してくれたのだそうだ。
その日の夕飯時、兄さんはわたしに「出かけてたのか?」と聞いた。わたしはそれに頷きを返し、兄さんはさらに「どこへ?」と聞いた。わたしは「関係ないでしょ」と返した、らしい。言われてみれば、確かにそんな会話をしたかもしれない。
それで次に角くんに会ったときに何気なく話を振ったら、角くんはその相手──つまりわたしだけど──をボドゲ部の部員だと言った。
ボドゲ部で『御朱印あつめ』を遊んで、それで本物の御朱印を見たくなって一緒に参拝に行ったんです──と。きっといつもの雰囲気でそう言ったんだろうなと、なんとなくその姿が想像できた。
わたしは家ではゲームに近付かないし、兄さんがたまに「一緒に遊ぼう」と言ってきても、嫌な顔をして絶対に遊ばない。そのわたしがボドゲ部で一緒にボードゲームを遊んでいるというのが、兄さんには信じられなかったらしい。
「それで……ボードゲームを譲るからって餌で角くんを家に呼んだ?」
「
「もともとボドゲを譲る話はあったんだよ」
角くんとボードゲームを遊んでいたのだって、御朱印をいただきに行ったのだって、別に後ろめたいことをしていたわけじゃないし、それを家族に言わなかったのだって──とりたてて話す理由がなかっただけ、だと思う。
それでもなんだか、兄さんにこんなふうにされて──騙し討ちみたいに感じられて、わたしはちょっと嫌な気分になっていた。
「別に、普通に聞いてくれたら良かったんじゃない? こんなことしなくても」
「えーだってお前、俺が聞いても『関係ない』しか言わないだろ」
兄さんの言葉に、ちょっと考え込んでしまう。確かにそうかもしれない。いやでも、兄さんの聞き方の問題じゃないだろうか。でももし、あの時点で角くんの名前が出てきてたら、わたしはなんて答えていただろうか。
なんにしても、ボードゲームで遊んでることなんて、兄さんにはきっと言わなかっただろうなという気がした。
「それに、カドさんも……ボドゲ会の間に話したら、そのあとのボドゲに差し障りそうだし。俺が混乱してたってのもあるけど」
「いやまあ、確かにあの場で言われてたら、めちゃくちゃ動揺してたとは思いますけど」
角くんはそう返事をした後、溜息をついた。
「それに一番気になってたのは、
兄さんの声に、わたしと角くんは顔を見合わせた。それから兄さんの方を向いたら、兄さんは思いの外、真面目な顔をしていた。
□■
発現人格以外のプレイヤーの中から一人、意思決定役が決まるのだそうだ。本来のルールだと、発現人格の右隣の人。今回はわたしだった。
「決めた?」
角くんの声に頷く。
「自信があるわけじゃないんだけど。こっちの積み木の手に向かって、言いたいんだけど言えないって感じがして……だからこっちにする」
「良いと思うよ」
角くんの声に押されて、わたしはそのプレートを題名のように絵の下に置く。そうしたら、その額縁の中の絵に、引き裂くようなバツ印が描かれた。絵の下に置いたプレートは、真っ黒になっている。
そして、額縁の隣に、ふわりと兄さんの姿が現れた。途端に大声で叫ぶ。
「お前ら! なんで! 最後! そっち選ぶんだよ!!」
「え、あっ『意見』の方でした? ひょっとして?」
角くんの声に、兄さんが大袈裟に溜息をつく。
「あの手札でかなり頑張ったんだぞ」
「惜しいとこまでは伝わってましたよ。最後の最後なんで」
「全然わからなかった」
「いや、だって、あそこまで絞り込んだだろ。わかれよ」
「わかるわけないでしょ」
「いや、あの、惜しかったですよ、本当に。最後かなり悩んだんで」
慰めるような角くんの声に、兄さんはまた溜息をついて、そしてバツ印が書かれた額縁を眺めた。
「まあ、なんにせよ、不正解は不正解だな。これで、あと二回不正解したら『驚きの展開』でダニー当て」
「誰がダニーか当てるってこと?」
「そう。それで、誰がダニーかわかれば副人格たちの勝ち。ダニーが当てられなければ、ダニーの一人勝ち。あとは、記憶カードの山札……今だとこの額縁がなくなっても『驚きの展開』。そうなる前に六回正解したら副人格たちの勝ちだ」
「これを六回正解って……できる気がしないんだけど」
ゲームが始まる前は「選択肢があるなら簡単」なんて言ってしまったけど、思っていたよりもずっと難しいってことがわかった。
兄さんはわたしの顔をじっと見て、それから隣の角くんを見た。角くんは兄さんと顔を見合わせた後に、わたしを見た。
「まあ、だったら、ダニーを見付けるしかないね」
そうだった。忘れかけていたけど、角くんか兄さんのどちらかがダニーなんだった。
わたしは角くんをじっと見上げるけれど、やっぱりいつもの角くんだなとしか思えない。さっきだって別に、いつも遊んでいるときと違ったようには思えなかった。いつもみたいに、わたしに選ばせてくれた。
角くんはわたしの視線に戸惑ったように笑って、それからふと顔をあげた。
「次は俺の番だから、行ってくるね」
そう言い終わるかどうかというくらいに、角くんの姿が掻き消えた。
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