game 7:DANY(ダニー)

7-1 ボードゲーム嫌いのわたしとボードゲームを遊ぶ角くん

 わたしはかどくんと一緒にボードゲームを遊ぶようになって──気付けばずいぶんと親しくなったような気がしてたけど、それはかど八降やつふるという人のほんの一面だ。

 例えば、角くんが普段どんなボードゲームを遊んでいるのか、そこで一緒に遊んでいるのはどんな人たちなのか、どんなふうに遊んでいるのか、そういうことをわたしは知らない。あるいは、ボードゲーム以外にどんなものが好きなのか、とか。

 もちろん角くんだってそれは同じで、角くんが知っているのはボドゲ部(仮)カッコカリにいるときのわたし──ボードゲームを遊んでいる間の大須だいす瑠々るるだけなんだと思う。


 □■


 真っ黒い空間に、額縁が並んでいる。

 どの額縁も、中は真っ黒で何も見えない。簡素な白いフレームの四角形が、ただ黒い空間の中でずらりと並んでいる光景は、距離感と遠近感を狂わせる。

 自分の足元ですら、あやふやだ。ただの黒い空間にしか見えない。それでもわたしのはだしの足は、その黒い空間の中で確かに何かを踏みしめる感触を感じ取っていた。

 わたしの他には、かどくんと、それから兄さんがいる。みんな同じような長袖の白いシャツとくるぶしまである白いズボン、足ははだし。黒い中に白い姿がぼんやりと浮き上がっている。

 みんな同じ格好をしている中で、兄さんだけが眼鏡をかけていた。そのアンダーリムの眼鏡は、兄さんがいつも着けているものと同じに見える。


 わたしの前に白い表紙のアルバム──卒業アルバムみたいなあれが現れる。表紙には、震えるような歪んだ文字で「DANY」と書かれている。

 宙に浮かんでいるそのアルバムを手にとって開くと、それがルールブックだった。

 角くんが、わたしが手にしたルールブックの表紙をちらりと見ると、眉を寄せた。


「なんでこのゲーム……」


 溜息混じりにそう呟いて、心配そうにわたしを見る。

 角くんのその声と表情に、わたしはますます怖くなる。この黒い空間。みんなの白い服。ただでさえ怖いのに。それに、ゲームの中に入り込むときに耳の奥で聞こえたあの声。


「これ、ひょっとして、怖いゲーム?」

「ゲーム自体はそんなに。お化けとかも出ないし。でも……」


 角くんが口ごもるものだから、わたしは顔をしかめてしまう。角くんは眉を寄せたまま言葉の続きを言った。


「雰囲気がちょっと怖いかも。シュールというか、サイコというか」

「ちょっとじゃないよ、これ」


 周囲の白い額縁を眺める。無機質なものが並んでいるというだけで、もう怖いような気がしてくる。


「直接的に怖がらせるようなゲームじゃないから、そこは安心して良い、と思う」

「うん……」


 角くんは「安心して良い」と言ったけど、少し自信なさそうだった。それでも、わたしを気遣っての言葉だと思って、なんとか頷いてみせる。

 角くんはちょっと笑って──でもまだ心配そうな視線をわたしに向けてから、兄さんの方を見た。


いか・・さん、インストします?」

「これ『DANYダニー』ですよね、ならやりますよ」

「じゃあ、お願いします。俺も多分、できるとは思うんですけど」

「まあ、俺のゲームなんで。カドさんはこないだ遊んでたし、ルールだいたい大丈夫ですよね」


 角くんと兄さんがお互いに敬語で話しているのを眺めるのは、なんだか奇妙な気分だった。

 二人の敬語は奇妙な距離感で、よそよそしさはこれっぽっちもなく、かえって親しげに聞こえる。本名を知らないまま何度も一緒にボードゲームを遊んで、それで仲良くなったというのが、わたしにはぴんとこない。

 兄さんが敬語で話している姿というのも見慣れないし、角くんが兄さんのことを「いかさん」と呼ぶのもなんだか落ち着かない。

 けれど、わたしは二人の会話に割って入ることもできず、ただ二人が妙にわかりあっているふうに話しているのを瞬きして見ているだけだった。


 兄さんは、角くんとの会話を切り上げて、わたしの方を向く。


「じゃあ、インストは瑠々るる向けだな。インストって意味はわかるか?」


 兄さんの声に、わたしは頷く。


「前に角くんに聞いた。遊ぶ前のルール説明のことでしょ?」


 兄さんは言葉を止めて、じっとわたしを見た。わたしは眉を寄せて睨み上げる。


「何?」

「いや、本当に遊んでるんだな、ボドゲ」

「だから何」

「いや、だって、お前、俺が遊んでくれって言っても遊んでくれないのに」

「兄さんとは遊ばないってだけだよ」


 ふいと横を向くと、角くんが困ったような顔でわたしと兄さんを見下ろしていた。


「あの、ゲームが始まらないので……」

「すみません、ちょっと身内だと思ってつい……インスト始めます」


 兄さんは角くん相手にころりと態度を変えたけど、そんなに器用に不機嫌をやめられないわたしを許してほしい。

 だって──だって、そうでもしてないと怖いから。


 ■□


 土曜日の午後。両親はどこかに出かけていて、兄さんはバイト。家にはわたし一人。部屋着のまま部屋を出て階段を降りて、台所に行ってお茶を飲んだ。

 丈の長いパーカーと、ショートパンツ。部屋着としては特に問題ない格好だと思っていた。

 台所から廊下に出たところで、玄関のドアが開いた。兄さんが帰ってきたのかな、と思ったのだけれど、そこにいたのはカホンバッグを背負ったかどくん──クラスメートでボドゲ部(仮)カッコカリの、あの角くんだった。

 想定外のことが起こると、とっさに動けない。ただぽかんと、わたしは玄関に立っている角くんを見ていた。角くんも、ぽかんと口を開けてわたしを見ている。

 そのまま、わたしと角くんは動きを止めて、見詰めあってしまった。「なんでここに?」と頭の中が疑問符でいっぱいになる。

 兄さんが角くんの後から入ってきて、当たり前のように靴を脱いで上がってくる。いや、兄さんの家なんだから当たり前なんだけど。

 角くんの視線が下がってわたしの全身を眺めたのがわかって、それでわたしは自分が部屋着姿だったことを思い出して、階段を駆け登ろうとして──兄さんに腕を掴まれた。


「離して!」

「待てって。ちょっと、瑠々るるにも話があるんだ。カドさんも、上がってください」

「え、いや、でも……」


 玄関にぼんやりと突っ立っていた角くんは、兄さんに声をかけられて、頬を染めて視線を揺らした。靴を脱いで良いのかどうか、迷っているみたいだった。

 兄さんはわたしの腕を離さずに、「上がってください。でないとずっとこのままなんで」と言った。それで角くんはようやく、靴を脱ぎ始めた。


 □■


 多重人格者の心の中で、プレイヤーは副人格の一つになってコミュニケーションをとるゲームなのだそうだ。ちっとも意味がわからなかった。


「基本的には、単純なお題当てゲームだ。誰か一人が出題者になって、ダニーの記憶を組み合わせてお題を表現する。他のプレイヤーは話し合ってそのお題を当てる。これを繰り返して、お題を六つ当てることができれば副人格全員の勝ち」

「ダニーの記憶って何?」

「実際にはカードに描かれた絵だな。記憶カードっていうのがあって、それを組み合わせてお題を表現するんだ」

「カードを並べたりするってこと?」

「ひっくり返したり、重ねたり、な」


 うまくイメージできなかったけれど、思っていたよりも怖くなさそうな内容だったので、わたしは少しほっとして頷いた。

 そこまで大人しく兄さんにルール説明を任せていたかどくんが、不意に口を開く。


「多分だけど、その記憶カードって、この額縁じゃないかな」


 そう言って、真っ黒な空間にたくさん並んでいる額縁の一つに角くんはそっと触れた。額縁の中は相変わらず真っ黒で、何も見えない。


「ああ、そっか。記憶カードの裏のデザインは額縁だったな」

大須だいすさんと一緒にボドゲの中に入ると、カードに描かれたものがそのものとして出てくることは多いから、もしかしたらって思って」

「遊び方がイメージできないんだけど」


 角くんは真面目な顔で額縁を見詰めて、それから首を振った。


「俺もちょっと想像がつかないけど、でもまあ、遊び始めたらなんとかなると思う」

「そういうもの?」

「これまでも、そうだったよね。きっと、大丈夫なようにできてるんだよ、大須さんの世界は」

「わたしの世界じゃなくて、ボードゲームの世界ね」


 わたしの言葉に、角くんは「同じじゃないかな、それ」と小さく呟いた。わたしが「同じじゃない」と言う前に、兄さんが気を取り直したように声を出した。


「ともかくカードの前提で説明するぞ」


 そう前置きをした後、兄さんは少し早口で説明を進める。


「お題を出す人を発現はつげん人格と呼ぶ。多重人格症状で、その時点で表に出ている人のことだな。発現人格のプレイヤーは、思考カードを一枚公開する。思考カードには五つの単語が書かれている。これは、全員が見て確認する。この五つの単語のどれかが、今回表現するお題になる」

「お題はどれでも良いの?」


 わたしの言葉に、兄さんはちょっとびっくりしたように目を見開いた。


「いや、どれをお題にするかは、選択肢カードによって決まるんだ。発現人格のプレイヤーだけが、選択肢カードを一枚ランダムに引いて、自分だけ確認する。そこに書かれた数字が、今回のお題のワードを示している」

「単語は五つ出てて、その中の一つがお題ってことだよね。それって、当てる方は選択肢が決まってる中から正解を選ぶってことでしょ。そんなに難しくないんじゃない?」


 兄さんが言葉を止めて角くんを見る。その視線に釣られてわたしも角くんを見上げる。急に視線を集めてしまった角くんは、意味がわからないというように、わたしと兄さんを交互に見た。


「え、なんですか、急に」

「いや……瑠々るるが思ったよりゲーム慣れしてたから、どう仕込んだんだと思って」


 角くんがわたしを見て、目が合うと頬を染めてぱっと横を向いた。


「仕込むって、別に、普通に遊んでただけですってば。大須さん、きっと勘が良いんですよ、元々」


 わたしは眉を寄せて、兄さんを見る。


「なんだか、褒められてる気がしないんだけど」

「いや、別に褒めてないぞ、ただの感想だ」

「俺は褒めてたからね」


 角くんの声が思いがけず必死だったので、わたしも別に褒められたかったわけではないのだけど、「ありがとう」と言っておいた。


 ■■

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