game 3:ミスティック・ベール

3-1 『獣の兄弟』『波の護り手』『夜明けの探索者』『命の管理者』

 ひび割れた地面。そこに枯れた木が立ち、倒木が乾いて転がっている。梢に葉っぱはないし、地面は草も生えていない。乾いた地面のところどころには、嫌なにおいの水溜りがあって、見通しは良いというのに空気が淀んで、薄暗く感じる。

 周囲を見回せば、後ろの方に心地よい緑色が見えた。風に草が揺れる野原と空に向かって枝を張り出して葉を茂らせる木、透き通った水の青は、空から差し込む光を受けてきらきらと輝いている。そして、その景色の中を素早く動く生き物の影。

 手にしていた本の表紙にある、赤い渦巻きの模様がぼんやりと光ってわたしの手番を知らせる。


大須だいすさん、やり方はもう大丈夫?」


 隣に立っていたかどくんがわたしの顔を覗き込んでくる。大きなフード付きのマントを身に着けていて、でも今はフードを外しているから表情が良く見える。角くんのマントには、わたしが持っている本の表紙にあるのと同じ模様が赤い糸で刺繍されていた。

 ファンタジーなお話に出てくる旅人みたいだと思ったりする。角くんは背が高くて、大抵の格好が様になって見えるので、なんだかちょっとずるいなとも思う。


「多分。赤い腐敗のマークが三つまでなら大丈夫なんだよね」


 角くんに応えるわたしだって、角くんのことをとやかくは言えない程度には、ファンタジー世界の登場人物のような格好になっていた。ゆったりとした白いワンピースは、袖はないけど裾の方は引きずるほどのロングスカートで、不思議な模様の腕輪だとか首飾りとか──足にも何か装飾品が巻きついているみたいだった。両耳の脇に、自分の髪の毛よりも長い蔦と花の髪飾りが編み込まれていて、視界の端で揺れる。

 


「それだけわかっていれば大丈夫」


 角くんの声に、わたしは手にしていた本の表紙に手をかける。周囲には花やエルフや狼や鳥の姿が見える。その体は透き通っていて、ゆらゆらと陽炎のように揺らめいてこちらの様子を伺っている。これは、この場所に昔からいた精霊たち。わたしはこの精霊たちの力を借りる必要がある。そのためには、マナを生み出して精霊たちにマナを与えなければならない。

 表紙を開いてさらにページをめくると、赤い光と青い光がそのページから飛び上がってくる。この赤い光は腐敗の呪い、青い光がマナ。もっとページをめくらないといけないというのに、わたしはぼんやりとその光を見上げてしまった。


「大丈夫? 何かわからないことある?」


 角くんの声に首を振ってみせると、わたしはまた本のページに手をかける。

 ここは『生命の谷』──精霊たちが生まれる豊かな土地。でも、今は呪いのせいで荒れ果ててしまった。この土地を元の通りに豊かにするのが、このボードゲームの目的で──つまりここは、『ミスティック・ベール』というボードゲームの世界の中だった。




 ボドゲ部(仮)カッコカリの部員であるわたしと、その部長であるかどくんは、いつものように仮の部室である第三資料室で活動をしていた。ボドゲ部の活動というのはつまり、ボードゲームで遊ぶことだ。

 今日、角くんがその大きなリュック──カホンバッグから取り出したのは、『ミスティック・ベール』というゲームだった。曲がりくねった杖を手にした、耳の尖った女の人の姿が描かれている。これはいわゆるエルフというものだろうか。その服装も、なかなかにファンタジーな雰囲気だ。


「面白いゲームだよ。うーん、なんて説明したら良いかな」


 いつもだいたいすぱっと説明してくれる角くんが、珍しく言い淀んだ。


「難しいゲーム?」

「いや、ルールがわかってしまうと難しくない。というか、特定のゲームを遊んだことがある人なら『あんな感じ』で伝わって遊べちゃうくらいには簡単」


 それは「簡単」というのだろうか、と思いはしたけど口には出さなかった。


「舞台になっている谷を緑豊かな土地にするのが、ゲームの目的。そのために、精霊が生み出す力を使うと、森が復活して──つまりは勝利点が手に入る。強い精霊の力を手に入れるために、まずは自分のカードを強くしていく。みたいな感じで伝わる?」

「あんまりぴんとこないかも」

「まあ、そうだよね。実際に遊べばすぐにわかると思うんだけど」


 そう言って、角くんは首を傾けてわたしを見た。期待するような眼差しに、わたしは仕方ないなと頷く。


「良いよ、このゲームで」

「面白いゲームだから、それは安心して」


 わたしが不安に思っているのは、別にそこじゃないんだけどな。それでも、角くんが嬉しそうに箱の蓋を持ち上げるので、わたしは何も言わなかった。

 箱の中からは、透明なプラスチックのカードが出てきた。その透明なカードの一部分にだけ、絵が印刷されている。


「何、これ。これがカードなの?」


 透明なカードを使うゲームは、初めてだ。もしかしたら他にもこういうゲームがあるのかもしれないけど。わたしが知っているボードゲームなんか、多分ほんの少しだけだろうし。

 角くんは、わたしの言葉に嬉しそうな顔のまま、さらに目を細めて笑った。


「そう。面白いよね。順番に説明するから、ちょっと待ってね」


 角くんの手が、箱の中からカードを出して並べてゆく。透明じゃないカードもあって、それには大きな木だとか、滝だとか、動物だとか、茸の森だとかの綺麗な絵が描かれていた。


「色は、何色が良い? 赤と、青と、黄色と緑。区別用だから、どの色を選んでも差はないよ」


 そう言って見せてくれたカードは、透明な袋──「カードスリーブ」というものらしい──に入っていた。四色の色と、それぞれ違う模様。緑はぐるぐるとした渦巻きが葉っぱの形になって、青は渦巻きが三つ繋がっている。黄色と赤もぐるぐるとした渦巻きが使われていたけど、緑以外はなんの形かはわからなかった。


「一応、『獣の兄弟』『波の護り手』『夜明けの探索者』『命の管理者』って名前がついてるけど、まあ雰囲気だけだから、好きな色を選んじゃって良いよ」


 角くんはそう言いながら、赤青黄緑と指差してゆく。その言葉を聞いたら、赤い渦巻きのマークが、何かの動物の足跡のように見えてきた。わたしは、それを指差す。


「じゃあ、赤にする」

「はい」


 角くんに赤いカードの束を渡された。カードは、わたしの手にはちょっと大きめのサイズで、しかもカードスリーブのせいでつるつると滑って持ちにくかった。赤い裏面の表側には、絵が描いてあるものもあったし、何も描かれていない白紙のカードもあった。


「これがこのゲームの面白いところなんだけど、このカード」


 角くんはそう言って、透明なプラスチックのカードを一枚持ち上げた。そして、わたしが持っているカードの束から一枚抜き取ると、その透明なカードをカードスリーブの中に差し込んだ。


「こうやって、入れるんだよ。こうやって、自分のカードを強くしていくんだ」


 透明なカードを差し込んで、少しだけ厚みが増えたそのカードを角くんはわたしの目の前に差し出した。差し込まれたカードには『月狼』と書かれていて、月を背景にした黒い狼の姿があった。狼の姿は真っ黒だけど、体には青い文字のような模様が浮き出ていて、その体全体がぼんやりと青白く光っている。

 あおーんと、狼の遠吠えが耳の奥に聞こえた。そして、その次の瞬間、わたしと角くんはいつものように、そのゲームの世界の中に入り込んでしまったのだった。





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