2-3 移動して氷に穴を開けて釣り糸を垂らすだけ

 わたしたちの他に、プレイヤーは三人いた。うち一人は、ゲームボードの真ん中の方を目指しているみたいだった。もう二人も、少しずつ動いて順調に魚を釣っているように見える。

 わたしはと言えば、まだ動けずにいた。


 最初の出目は、ピッケルのマークだった。自分の立っている端っこの隣のマス二つに穴を開ける。氷にはうっすらと青い丸が描かれていて、そこをピッケルで叩くと、きんきんと高く澄んだ音がして、不思議なことにぐるりと綺麗な丸い穴が開いた。その様子を見て、ここが現実世界じゃないということを思い知る。

 次の出目は魚だった。釣竿を手に持って、長い釣り糸をそっと穴の中に垂らす。かちりと、何かがくっつくような手応えがあった。魚釣りと呼ぶには不思議な手応えだけれど、とにかくそっと持ち上げる。その釣り糸の先に魚が四匹もくっついていた。


「釣れた!」


 思わずはしゃいだら釣竿が揺れて、うちの一匹がするりと落っこちて穴の中に消えた。


「あ……」

「急いでバケツの中に入れて、落とさないように」


 かどくんに言われて、釣り糸を持ち上げてバケツの中に入れる。角くんはしゃがみこむと、バケツの中に手を入れて、魚を釣り糸から外す。するりと外れた魚は、バケツの中で大人しくなった。


「油断すると落ちちゃうんだよね、魚。まあでも、三匹だ。みんな小さい魚だから、これで三点」

「でもまだ、あと二回釣りできるんでしょ。出目が三だったから」

「できるね。同じ穴を使っても良いし、もう一つの方でやっても良い。同じ穴に釣り糸を垂らせば、さっき逃げた一匹が捕まるかも」

「でも、もう一つの方を先にやってみる」


 わたしは、釣竿とバケツを持ってもう一つの穴に向かった。角くんが後から付いてきてくれる。

 そうやって、もう一つの方では二匹、またさっきの穴に戻って一匹を釣り上げて、釣り上げた魚は六匹になった。順調だと思っていた。

 けれど、その後に出た目は、またピッケルのマークだった。隣のマスは二マスしかなくて、穴はもう開いている。わたしは完全に、一回の行動を無駄にしてしまった。


「サイコロだからね、こういうこともあるよ」


 角くんがそう言って慰めてくれたけど、次の出目は今度は魚のマーク。ピッケルよりはマシだと思って、一応と釣り糸を垂らしたけど、魚は釣れなかった。


「さっきので、この辺りの魚は全部釣り上げちゃったみたいだね」


 角くんが、眉を寄せて困ったように笑ってそう言った。他のプレイヤーは、みんな順調そうに見える。わたしだけが、スタート位置から動けていない。もう二回も、何もできてない。


「他の魚、みんな釣られちゃわない?」

「うーん……こればっかりは出目だからなあ。でも、まだゲームは始まったばっかりだし、これからだよ」


 角くんは穏やかにそう言ってくれたけど、角くんを見上げたわたしは、きっと拗ねた顔をしていただろうと思う。角くんはわたしの表情を見て、何度か瞬きをした後に、口元に手を当てて困ったようにちょっと目を逸らした。

 角くんは悪くないのに、申し訳ないことをしてしまった。




 その後、ようやくハテナマークの出目が出た。一歩だけだったけど。とにかく、これで進むことができた。

 氷の上に転がったサイコロの出目を見て、嬉しさのあまりぴょんと飛び跳ねてしまってから、ここが氷の上だったと思い出して、怖くなってしまう。ゲームだから大丈夫だと思っていても、その景色の中に入り込んでしまうと、やっぱり怖い。


「移動するんでしょ?」


 かどくんの言葉に大きく頷いた。


「それはもちろん」

「どっちに行く?」


 バケツは角くんが持ってくれた。わたしは長い釣竿を抱えて、進行方向を指差す。


「こっち!」


 移動する、穴を開ける、釣り糸を垂らす。やるのはその繰り返しだけだったけど、でも、どこに魚がいるかなといくつかの穴を覗き込んで悩んだり──穴の奥で泳いでいる魚の影を見ることがあった──釣り糸を垂らした後にそっと持ち上げて、そこに何匹もの魚が食い付いているのを見るのは、なんだか楽しかった。

 そうやって辿り着いた先は、すでに誰かが通り過ぎて穴だらけの場所。ここを越えればその向こうにまだ少しだけ、穴の開いてない場所があるんだけど、そこで出たのは魚のマークだった。


「もう誰かが釣りをした場所ってことでしょ? 魚、まだいるかな?」

「いや」


 角くんがゲームボードの紙を見せてくれた。


「この辺りは確か、穴を開けた後釣りをしないで移動してたはず……こっち側のマスかな」

「穴を開けたのに釣りをしないで?」

「多分、移動の出目が出ちゃったんじゃないかな。なんだか、このあたりでやたらと動き回るなって思った覚えがあるから」

「そっか、そういうこともあるのか」


 わたしが動けないとヤキモキしたのと同じように、釣りしてないのにって思いながら通り過ぎていったりしたのかもしれない。その様子を想像して、わたしは少し笑ってしまった。そうなった時の気持ちはよくわかる。


「じゃあ、もしかしたら、まだ魚がいるかも?」

「もともと魚がいない可能性もあるから、もしかしたら、だけどね」

「じゅうぶん」


 わたしは、釣竿を持って近くの穴を覗き込む。


「記憶だと、釣りをしてないのは確か、ここか、ここだけど」


 角くんが指し示す穴を両方見比べて、魚の影を見たような気がして、だけどどちらも何度も覗き込んでいるうちに魚の影なのかなんなのかわからなくなってきて、最後にはえいやで決めた。


「こっちにする」


 そして、その穴にそっと釣り糸を垂らす。糸を通して、かすかに、カチリと何かがくっつく手応えを感じた。


「あ、かかったかも」

「いけそう?」

「うん……いくね」


 せっかく食い付いた魚を落とさないように、そっと、釣竿の先を持ち上げてゆく。そっと、そっと。

 そうして持ち上げた先には、大きな魚が二匹もくっついていた。

 はしゃぎたくなる気持ちを堪えて、落とさないようにそっと、釣り糸を角くんが持っているバケツの方に動かす。角くんがバケツを動かして魚を受け止めてくれて、ほっと息を吐いた。


「大漁だ」


 角くんがバケツの中を覗き込んで、それからわたしに向かって手のひらを差し出してくる。わたしはちょっと戸惑ってから、自分も同じように手のひらを出して、タッチした。二人とももこもこの手袋をしていたので、ハイタッチのようなぱちんという音は出なくて、ぽふりという感触が伝わっただけだった。






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