2-2 角くんは大抵どんなゲームでも「簡単」って言う

 空気が冷たい。息をすると、喉の奥まで凍りつくみたいだ。もこもことしたフードを被って、顔の周りには白い毛がふわふわとしている。息を吐くと、白い呼気がフードについた毛に付着して凍り付く。

 体ももこもことした分厚い毛皮の服を着ていた。上着はとても長くて、足首まである。その下に履いているズボンもふわふわと暖かい。手袋も、靴も、全てもこもこだ。

 そのもこもこの手袋で、片手に釣竿を持っている。もう片手には赤いバケツをぶら下げている。バケツの中には、ピッケルが入っていた。

 隣を見ると、かどくんも同じようにもこもこの服を着ていた。


「すごい、氷の上だ」


 角くんが、自分の足元を見て楽しそうに笑った。白い息が吐き出されるのがはっきりと見えた。

 足元を見れば、確かにそこは氷の上みたいだった。ひょっとして、この氷が割れたら、この下は冷たい海なのだろうか。すっと体が冷えた気がして、怖くなって一歩、角くんに近付いてしまった。


「このゲームでは、海に落ちるような要素はないから、多分割れる心配はしなくて良いと思うよ」

「そんなにわかりやすい顔してた?」

「ちょっとね。あとは、大須だいすさんのことだから、怖がってるかなと思って」


 そう言って、角くんは首を傾けた。なんだかちょっと悔しくなって、わたしは俯いた。角くんがふふっと笑う声だけが聞こえる。


「じゃあ、インストしようか」


 インスト、というのはルール説明のことだ。インストラクション──教えるという意味の単語らしい。なんでボードゲームのルール説明をインストと言うのかはわからないけど、角くんはいつも「インスト」と呼んでいる。

 全身がもこもこなので身動きが取りにくいのだけれど、それでも頷いて角くんを見上げると、角くんは説明を続けた。


「このゲームは、氷に穴を開けて、その穴に釣り糸を垂らして魚を釣る。魚がたくさん釣れた人の勝ち。簡単でしょ?」


 角くんは大抵、どんなゲームでも「簡単」って言ってくる。わたしはもう騙されないぞ、という気持ちで聞いている。


「どうやって穴を開けて、どうやって魚を釣るの?」


 わたしの声に、角くんがちょっと言葉を止めて瞬きをする。それから、穏やかにのほほんと微笑んだ。


「サイコロを振って、出た目の通りにやるだけだよ。このゲーム、子供向けの、本当に単純なゲームなんだ。まあもちろん、どこに狙いを定めるかとか、どこに穴を開けるかとか、そういう要素もあるけど、そんなに難しいことはないよ、本当に」


 今度はわたしの方が瞬きをする。わたしが黙っている間に、角くんは言葉を続ける。


「サイコロが、どこかにあると思うんだけど、バケツの中かな。釣竿を持ってるから、探してみて」


 言われて、わたしは角くんに釣竿を渡す。バケツの中に入っていたピッケルも渡す。さらに、黄色いルールブックと、コピー用紙のような紙──こっちのぺらぺらとした紙も、どうやらルールが書いてあるみたいだった。それから、小さい丸がたくさん並んだ紙──こっちはきっとゲームボードだ。

 そして、それらを取り出した最後、バケツの底には白いサイコロが転がっていた。


「サイコロは一個だけ?」

「そうみたい」


 分厚い手袋でサイコロを持ち上げる。指先の感覚とサイコロの間が遠くて、きちんと掴めているか、ちょっと不安になる。


「青いサイコロの方は追加ルールだからかな。それとも、コンポーネントが足りないせいかも」

「何か足りないの?」


 角くんは、黄色い表紙のルールブックを見て、ちょっと拗ねたように口元を曲げた。


「小さい頃に買ってもらったゲームなんだ。それで一人でも遊んでるくらい好きだったんだけど、追加ルールで使うコンポーネントをいくつか失くしちゃって……俺の管理が悪かったんだから仕方ないんだけどね。今はコンポーネント管理、めちゃくちゃ気を遣ってるけど、当時はまだそういうこともわかってなかったから」

「追加のルールなんだから、なくても遊べるんでしょ?」

「それはそうなんだけど」


 そう言って、角くんは溜息をついた。


「あんなに好きでさ、遊んでたのに、俺はちゃんと大事にできていなかったんだなって思って」

「好きでたくさん遊んでいたから、失くしちゃったんじゃないの?」


 わたしがそう言えば、角くんは顔を上げてわたしを見た。戸惑うような顔で、わたしを見下す。


「どうだろうね」

「わたしは、小さい頃の角くんはこのゲームが好きだったんだなって、思ったけど」


 角くんは何度か瞬きをした後に、笑顔になった。とても嬉しそうで──綺麗な笑顔だった。




「で、このゲームはさっきも言ったけど、すごく単純なんだ。サイコロを振って、その指示に従って魚を釣るだけ。サイコロの出目は大きく四種類。一つ目は、人の顔が書かれたマーク。この出目が出た時は、自分の駒……今回は大須だいすさん自身かな、が移動する。ゲームボードだと、穴がマスの代わりになっていてその上を移動していくんだけど」


 かどくんはそう言って足元を見る。


「多分、この青い丸がマスの代わりかな。ゲームボード上だとここだね」


 角くんが、ゲームボードが描かれた紙を示す。指し示しているのだろうけど、もこもことした手袋でどこを指しているのかがわからない。それでも、その先に赤い服を着た人の絵が描かれていて、きっとそれが現在位置なんだと思った。


「ここから、隣のマスへ移動して一歩。三歩移動なら、こんな感じでまっすぐ進んでも良いし、こうやって戻ってきても良い。ただし、他の人がいるマスには入れないよ」

「わかった」


 どうやら、角くんが言う通りにとてもシンプルなゲームみたいだということが、わたしにもわかってきていた。わたしは頷いて、角くんに先を促した。


「ピッケルのマークの出目は、氷に穴を開ける。三つなら三ヶ所。穴を開けることができるのは、自分が立っているマスの隣のマスだけ。自分や他の人が立っているマスには穴を開けられない」


 わたしは、角くんが持っているゲームボードの絵を見る。今はボードの端っこなので、隣り合うマスは二つしかなかった。


「今だったら、二ヶ所しか選べないってこと?」

「そうそう、ここかここだけ。で、魚のマークの出目が出たら、いよいよ魚釣りができる。出目の一つ毎に、一ヶ所で一回の釣り。『釣り糸を穴に垂らして持ち上げる』で、一回。これも、できるのは隣のマスだけ。自分や他の人が立っているマスも駄目」

「もし、隣のマスで、氷に穴が開いてなかったらどうなるの?」

「残念ながら、釣りはできない」

「なるほど」


 わたしは、手袋に乗っかったサイコロを眺める。


「移動と、穴を開けるのと、魚釣りがちょうど良い順番で出ないと、魚が釣れない?」

「そういうこと。魚が釣れるかどうかは出目次第」


 角くんはにいっと笑って、また言葉を続けた。


「もう一種類は、ハテナのマーク。これは、出目の数だけ好きなことができる。ハテナの三が出たら、例えば移動を一回やって、穴を一つ開けて、魚釣りを一回する、ということをしても良い」

「そんな便利な出目があるんだ」


 わたしはほっと白い息を吐く。ある程度自由に動けそうで、安心した。


「自分の手番になったら、サイコロを振って、その出目の通りに行動して、終わったら次の人の番。これを繰り返して、マスの全部に穴が開いたらゲーム終了。小さい魚が一点で大きい魚が二点、その合計の点数が高い人が勝ち。ね、本当に簡単なゲームでしょ」

「うん、わかりやすかった。難しくはなさそう」


 わたしの言葉に、角くんはいつもの穏やかな笑顔を浮かべた。


「小さい頃にずっと遊んで……好きなゲームなんだ、本当に」


 そうやって、ゲームは始まった。





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