1-2 きっと明るくて賑やかな街に
カフェのようなテーブルセットが近くにあることに気付いて、わたしたちはそこに座っている。もしかしたら、ゲームを進めやすいように現れたものかもしれない。
頭上にある四つの青い月が照明のようにテーブルの上を照らす中、テーブルの上に地図とルールブックを広げて、
ゲームの最初はいつも、角くんの説明の言葉もよくわからない。
「このゲームは、大きく前半と後半に別れてる。前半は、ボード上に敷石タイルを並べて敷き詰めることと、後半で建てるための建物タイルの獲得。後半は前半に獲得した建物タイルを実際に敷石の上に配置することと、それからアクション──このポストカードの効果を使用する。ここまで大丈夫?」
だから実のところその説明を聞いても何をやるのかあまりイメージできていなかったのだけど、今はわからなくてもそのタイミングになればまた角くんは説明してくれる。それでわたしは曖昧なまま頷いた。
角くんはきっと、わたしがわかってないのがわかっているんだと思う。ちょっと考えてから、言葉を付け足した。
「最初に建物を建てる準備をして、実際に建物を建てるのはその後ってイメージ」
「そのくらいで良いならわかる、かも」
わたしの言葉に角くんは頷いて、説明を再開する。
「最終的な得点はいくつかあるけど、基本になるのは、自分の建物タイル一つに対して照らしている街路灯の数と、その建物タイルの大きさの掛け算。四マス分の建物タイルを照らしている街路灯が一つなら四点、二つなら八点、三つなら十二点」
「あんまりぴんとこないけど」
わたしが眉を寄せると、角くんも困ったように眉を寄せた。
「得点取るのが目的だから、これ知ってないと配置が難しいんだよね。とりあえずざっくりだけ聞いててもらえたら良いから」
「うーん……街路灯が点数になるってことで大丈夫?」
自分が理解できたところを伝えたら、角くんはほっとしたように笑った。
「そうそう、自分の建物タイルの隣の街路灯が点数。今はそれで大丈夫」
大丈夫と言われて、わたしもほっとする。頷くと角くんは説明を進めた。
「で、次の得点は、一番大きく繋がった自分の建物タイルの大きさの合計。四マスの建物タイル二つと三マスの建物タイル一つが繋がっていたら、四と四と三で合計十一点」
「自分の建物をできるだけ繋げて大きくした方が良いってことか、それはわかった」
「ばっちり。それから、あとはアクションカードの効果の点数。最初に言った『考える人』みたいなやつ」
角くんがポストカードを広げる。その中の一枚が『考える人』だった。その絵を見てわたしが頷くと、角くんは白い手袋をした人差し指をぴんと立てて、顔の前に置く。
「最後にすごく大事なルール。前半で獲得した建物タイルを後半で建てることができずに終わってしまった場合、置けなかった建物タイル一つにつきマイナス三点」
「建物を置けないことがあるの?」
「状況によるけどね。だから、前半でどの建物タイルを獲得するかはよく考える必要がある」
ここまでのルールを頭の中で整理して、そうか、と思う。
「建物は大きくした方が良いんだから、建物タイルもたくさんあった方が良いってことだよね。でも、建物タイルをたくさん獲得し過ぎると置けないかもしれなくて、そうすると結局マイナスになっちゃうってことか」
整理した考えをそのまま口にすれば、角くんはなんだかやたらと嬉しそうな顔になった。
「そう、もう、ばっちり。
最近はなぜか角くんとこうして遊ぶことになっているけど、子供の頃に入り込んでしまった時のことはトラウマで、わたしは基本的にゲームを避けて生きてきたし──どちらかと言えば好きじゃない。少なくとも、角くんと一緒に遊ぶようになるまでは楽しいと思ったこともなかった。
「で、あとは肝心の建物を建てる時のルールだけど」
角くんはわたしの微妙な表情を気にした様子もなく、話を続けた。手元のルールブックをめくって、そこに描かれた絵を指し示す。
「敷石タイルってこんな風に、オレンジか青か紫、あとは灰色の街路灯に塗り分けられてるんだけど、大須さんのプレイヤーカラーは青だから敷石タイルのこの青い部分は大須さん専用のスペースってこと。この色の場所には、大須さんが好きに建物を建てることができる」
「オレンジの方は太陽のスペースってこと?」
「そう、オレンジのところには大須さんは建物を置けない」
「紫は?」
「共有スペース。早い者勝ちで建物を置くことができる」
「早い者勝ちって、取り合いになるってこと?」
「建物の大きさと形と、あとは周囲の敷石の色によってはね」
それで建てることができない建物タイルができてしまうのかと気付いて、わたしは頷いた。
「灰色背景には街路灯の絵が描かれていて、これが建物を照らす街路灯。街路灯の上には建物は配置できない。点数のところで言った通り、この隣に建物を配置できれば点数になる。ただし、光の届く範囲は上下左右に隣り合ったところだけ」
「斜めは駄目なんだ」
「そう、気を付けてね」
角くんはふふっと笑って、ルールブックを閉じてテーブルに置いた。
「最初に知っておいた方が良いことはこのくらいかな。細かいところはゲームしながら説明するから」
「わかった、と思う」
こうやってルール説明を聞いていると、段々と自信がなくなってくる。それでも頷いてみせたのだけど、表情に不安が出ていたのかもしれない。角くんが「大丈夫だよ」と言って穏やかに笑った。
「悩ましいゲームだけどね。ルール自体は簡単で、やることは単純だし、覚えないといけないこともそんなにないから。少し遊んだら、すぐわかると思うよ」
角くんはいつも、こうやって言ってくれる。例えば「やることは少ないから難しくないよ」とか「シンプルなルールで簡単だよ」とか、そういう言葉。それを何度も聞いているうちに、わたしには一つわかったことがある。
ゲームが始まって最初はわたしの順番だった。
ハンドバッグから手のひらに乗るくらいの『敷石タイル』が出てきた。格子状に斜めに配置された二つの青いマス。オレンジのマスが一つと、街路灯のマスが一つ。そんな『敷石タイル』を手に、わたしは悩む。
悩んで長時間手が止まることを「長考」と呼ぶらしい。わたしはその長考というものをしていると思う。
正直に言えば、自分が何をすれば良いのかわからない。
選択肢は二つ、今わたしの手にある『敷石タイル』をボード上に置くか『建物タイル』を獲得するか。
獲得できる『建物タイル』は、ゲームボードの正方形の隣に並んで描かれている。いろんな形があるけど、それをゲームボードに置くところがイメージできなくて、選べない。
わたしがあまりに悩んでいたら、
「悩んでるようだからヒントを言うけど、『敷石タイル』がいくつか置かれてきたらどんな『建物タイル』が置けそうかわかってくると思う。そうなってから悩んでも大丈夫だと思うよ。ただ『敷石タイル』が全部置かれちゃうと前半が終わりで後半になっちゃうから、そこだけ気を付けて。そうなる前に『建物タイル』を三つか四つくらいは持っておいた方が良いかな」
角くんの言葉を頭の中で繰り返して整理する。今はまだ『建物タイル』を獲得しないで『敷石タイル』を置いた方が良いってことなんだと理解した。
ただ、それでも自分の『敷石タイル』をどう置いたら良いかはやっぱりわからない。ちらりと正面に座った角くんを見れば、角くんは頬杖をついてにこにこしていた。
「初手って悩むよね、わかる」
角くんはそれ以上の具体的なことを言ってくれるつもりはないらしい。角くんはよく「俺が全部考えたら
溜息をついて手の中の敷石タイルを見る。全部自分の色じゃないなんて、そう思った時にふと気付いた。
「この、オレンジ色の敷石って相手の専用なんだよね? 一マスの建物ってないから、これを隅っこに置いたら、ここって誰も何も建てられないんじゃない?」
見上げると、角くんはにいっと笑った。
「そういうこと。自分のスペースはできるだけくっつけて、街路灯の隣に。相手のスペースは街路灯から離して細切れに。そうやって配置していくのが基本。ただし、それは当然相手も狙ってくるからね」
「そうか。ちょっとわかったかも」
自分で気付いたことが嬉しくなって、笑ってしまった。
さて、どう置くかは決まったけど、このボードゲームの世界でどうやって置くかがわからない。困っていたら、角くんが顔を覗き込んできた。
「置く場所、決まった?」
「ここの、隅っこに置こうと思ってるんだけど……このタイル、どうしたら良いのかな」
角くんは立ち上がって、テーブルの上のルールブックとゲームボードの紙をまとめて持ち上げた。
「その場所に行ってみよう」
行ってどうなるんだろうとは思ったけれど、このまま座って悩んでいても仕方なさそうなので、わたしも『敷石タイル』を握り締めて立ち上がった。
ゲームボードの隅っこはすぐそこだった。何もない空間はどこまでも続いているように見えるのに、その先に行けない。まるで見えない壁があるみたいだ。
その様子に、ここはボードゲームの中だったんだと改めて思ってしまう。
「ここに置くので良い?」
「そう。オレンジ色がこっちの
角くんが首を傾けてわたしの手元を覗き込む。
その時だった。わたしと角くんの目の前に、筆で引いたみたいな黒い線がすっと現れた。その線は、地面からするりと生えていって、頭上高くで止まった。その先端に今度は白い色が置かれる。
見えない筆が絵を描いているみたいだった。絵の具が置かれるように、その黒い線の厚みがどんどん増して、それは気付けば立体感を伴って街路灯になった。
今度はその足元に、灰色の敷石が塗られてゆく。敷石が広がって四角い範囲が出来上がったとき、わたしの手のひらの上の『敷石タイル』が消えて、その途端にあたりがぱっと明るくなる。目の前に描かれただけだった街路灯に、光が灯っていた。
「すごい。こんなふうに街ができてくんだ」
現実ではあり得ない光景に、角くんがはしゃいだ声をあげた。わたしはぼんやりとその灯りを見上げて、何も言葉が出なかった。
そうやってしばらく二人で街路灯の光を見上げていたけど、そのうちに角くんが柔らかに微笑んでわたしを見下ろした。
「これで今回の
灯りに照らされた角くんの目には、ゲームが終わった時の賑やかな街が見えているのかもしれない。今はまだ街路灯が一つあるっきりの空っぽの空間の中で、角くんはそれはそれは楽しそうに笑った。
わたしはもう一度、ぼんやりと柔らかな光を放つ街路灯を見上げた。角くんの言う通り、きっと明るい街になるんだろうな、と思う。
それは、完成した街を見てみたいと期待するくらいには、綺麗な灯りだった。
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