第39話 瀧川家のその後

「カラクリ?」


「瀧川の者の不幸を、金運に換えていたのだ。瀧川が不幸になればなるほど、カネが入り、仕事がうまくいくようにな」


 慶一郎けいいちろうだけではなく、その場の全員が黙って綾子あやこの言葉を聞いていた。


「綾子はここを去り、お父様とお母様の所に行くが……。カラクリは残していこうと思う」


「残す……?」

 慶一郎が繰り返す。綾子は頷いた。


「千代が詫びたがゆえ、綾子は瀧川を許そうと思う。だが、今度、腹に据えかねているのは、雪宮だ。あの者どもは、志乃に対してひどいことをし続けて来た。反吐が出る」


 綾子は、目隠しされた顔のまま、志乃に向き合う。


「志乃は、綾子に似ている」

 それは、志乃も感じていたことだった。


「だから、雪宮の運が、瀧川に回るように、カラクリの中身を換えてやろう」


「で、ですが……」

 志乃は思わず、声を上げた。


「それは、あまりにも……。その……。あの人達は、そういう価値感で生きてきたのです。善悪ではなく、あの人達は……」


 志乃のような女を、ただの「もの」としてしか見られないのだ。


 いや。

 同じ人間だ、という観点がそもそもないのだろう。


 おそらく、綾子は懲罰という意味で、このような提案をしたのだろうが。

 その理論自体が成り立たない。


「志乃は優しいのだな……」

 綾子は、小さなため息をこぼした。


「では、志乃に免じて、このカラクリに追加を。もし、雪宮の人間が、千代のように志乃に心底謝るのなら、このカラクリを解体し、すべてを無に返そう」

 ほ、と志乃は息を吐く。


「ありがとうございます」 


 頭を下げるが、慶一郎の態度は冷淡だ。

 そんな日は、訪れないであろう、と、彼は知っている。


「志乃」

 綾子が名を呼ぶ。


「はい」


「その腹にいる子。その子は、大事にせよ」


 綾子が自分の腹部を指さしており、志乃は呆気にとられる。

 慶一郎も目を見開いた。


「腹……、の、子……?」


 自覚は全くない。

 だが、そういえば、月のものが遅れている。


「将来、一国を担う子になる。そして、次に生まれる女児」


「は、はい」 

 志乃は慌てて頷いた。


「その娘は、この国で初めて、女ながらにその仕事をするだろう。案ずるな。無事、勤める」


「……はい」

「そして、三人目。この息子は……」

 そこで初めて綾子は言い淀んだ。

 

「よく、わからぬ。だが、とてつもなく大きな事を成す。瀧川は安泰だ」

 はい、と頷くより先に、慶一郎が声を上げた。


「無事なのですか!?」

 彼からは聞いたことも無い大声に、志乃はぎょっとした。


「三人も子を産んで……。志乃はその後、無事なのですか!」

 怒鳴るような大声に、志乃は目を見張る。


「わたしの母は、わたしを生んで死んだ。そのようなことになるのなら、瀧川の安泰などいらぬ。今ここで、消してくれ。なにもかも」


 はっきりと慶一郎が明言し、きつく綾子を見る。


 ふ、と。

 綾子は表情を緩めた。


「無事だ。もう、綾子の障りはない。いずれの子も、独り立ちするまで見守ることだろう」

 聞くなり、慶一郎は額に手を当て、深い息を吐いた。


「慶一郎様。志乃様。末永く、お幸せににゃ」

 水雪が言祝ぐ。そして。


「では、みなみなさま」

 大きく、声を張った。


「おさらばにゃ」

 その一言を最後に、水雪と綾子は姿を消した。


 廊下には、綾子の目を塞いでいた黒い布だけが、落ちている。


「……無事、ご両親にお目にかかれますように」

 志乃が両掌を合わせて瞑目したとき。


「志乃さんって……。なんて可愛らしい方なんでしょう。慶一郎と並ぶと、まるで男雛と女雛みたい」


 千代が歓声を上げる。


 咄嗟に目を開いた。


 千代を見る。


 彼女の目。


 双眸は、大きく見開かれている。


 だが。

 白濁していない。


 黒瞳は志乃をしっかりと見、それから慶一郎を見た。


「大きくなって……。いやだ、あなた……。旦那様にも、息子にも似ているのねぇ」

 大粒の涙が千代の目から溢れ出す。


「お祖母様、目が……」

 呆気にとられたように慶一郎が呟く。


「千代様。見えておられるのですか」

 駆け寄り、志乃はその手を取る。


「ええ、ええ。しっかりと。まぁ。本当に、綺麗なお嬢さん」

 ぼろぼろと涙を流し、ぎゅ、と千代は志乃を抱きしめた。


「初めまして。そして、今後とも宜しくお願いいたします」





 その後の瀧川家は。

 綾子が予言したとおりだ。


 長男は宰相として君臨し、君主を支え、国を戦争から遠ざけた。


 長女は女性初の外交官として活躍する。 


 そうして。

 綾子が案じ、志乃と慶一郎を最後まで悩ませた、次男の摩訶不思議で奇想天外な一生については。


 ここで語るには文字がたりない。


 また、章をあらためよう。


 さて。

 これにて完結。


 瀧川家と、彼らに触れた皆様に幸あれ。



                             了


 

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