第35話 迎えに行くから

◇◇◇◇


「そんなに悩むことないわよ」

 アメリアのあきれ顔に、志乃しのは肩を落とす。


「アメリアさんは、そうおっしゃいますが……」


 手に持っているカップを見遣る。


 なみなみと入れられている紅茶の表面に映るのは、コロニアルスタイルのボンネットを被った自分の顔だ。随分としょぼくれている。


 ちなみに今、志乃が着せられているのは、アメリアが子どもの頃に着ていたとか言う、ドレスだった。


 白地に薄いブルーのストライプが入っており、レースを多用した白いエプロンを上から着せられていた。ブーツまで履かせられ、メイド達も入ってきて、「これはどうでしょう」「あちらも良いですね」と、さながら人形遊びの様相だった。


 最終的に、〝開拓民の女の子スタイル〟ということで、この形で落ち着いたが、服装に疎い志乃でさえも、「これは童女の恰好では」と気づいている。


「慶一郎があなた以外を妻に迎えることなんて、あるもんですか」


 アメリアは、ふたりがけソファにのんびりと座り、肘掛けにもたれかかって、苦笑いしている。彼女が手に持っているのはワイングラスだ。


 今日は、郁代いくよが『新婚ごっこ』に来た日だった。


 朝八時に、女中と下男を伴ってやって来た郁代は、完全に妻の風格を漂わせて、家の中に入ってきた。


『迎えに行くから、アメリアのところに行っていなさい』


 慶一郎からは人力車を呼ばれ、そう命じられた。


 志乃は千代と慶一郎に別れを告げ、こうやってアメリアの屋敷で、一日を過ごしている。


(もう、夜になった……)


 レースのカーテンが引かれた窓を見る。

 とっぷりと日が暮れ、月が出ていた。


 慶一郎からは、何時に迎えに来る、とは言われていない。

 いや、そもそも、「今日中に」迎えに行く、と言われたわけではないのだ。


(まさか、明日の朝というわけではないでしょうけど……)


 自分の代わりに慶一郎の閨に郁代がいることを想像し、志乃は慌ててかぶりを振る。


「そんなに、外ばかり見ないの」


 気づけば、アメリアが側に居た。

 腰を曲げ、なだめるように微笑む。


「慶一郎は迎えに来るわよ」

「……来なかったら……?」


 今日が、最後の別れだったらどうしよう。

 そう思うだけで、ぽろりと涙がこぼれた。


「あらあら。志乃さま!」「まあ、大変!」

 アメリアだけではなく、メイド達まで志乃を取り囲み、大騒ぎだ。


「可哀想に。お寂しいのですね」「すぐにお迎えがいらっしゃいますよ」

 二十歳の人妻だというのに、メイド達はまるで幼女のように扱う。


「もし、慶一郎が迎えに来なかったら、わたくしとあなたで、ぶん殴ってやりましょう」

 ワインを飲み干し、猫足のテーブルにグラスを置く。


「住むところも仕事も紹介してあげる」

「仕事、ですか……」

 自分に何かできるのだろうか、とメイドたちに涙を拭かれながら思う。


「いやだ。これだけあなた、外国語が堪能なのよ? 引く手あまたよ。通訳の仕事をなさいな」


 この屋敷での会話はすべて外国語だった。

 訛りのない言葉だからだろう、志乃でもすんなり耳に入ってくる。


「通訳……」


 なるほど、それがあったか、と思い、そうして仕事をしている自分を想像してみる。


 だが。


「……私は、瀧川の家に住んで、みんなで暮らしたいです」


 また、ぽろりと涙が流れる。


 アメリアが提案する仕事は素敵だ。

 いつか翻訳業だってしてみたい。


 通訳をしながら、働く女性を実現出来たらきっと素敵だろう。


 だが、その未来に「自分だけ」しかいないのでは、意味がない。


 慶一郎がいて、千代がいて。

 そうして、あの家で、自分が暮らしていなくては。


「まあ、まあ。志乃は泣き虫ね。さあ、夕飯を一緒に食べましょう。今日は、パパがいないから、のんびりゆっくり。ね?」

 アメリアの言葉に、メイド達も、力づけるように頷いた。


「何がお好きかしら」「今からコックに注文いたしましょう」

 青い目や緑の目にのぞき込まれ、志乃は慌てて首を横に振った。


「どうぞ、お構いなく」


「まあ、やはりこの国の方は遠慮深い」

 くすくすと笑われる。


「元気をお出しになって」「泣いたりしたら、可愛いお顔が台無しですわ」


 メイド達が甲斐甲斐しく世話をするのをアメリアが苦笑いで見ながら、窓に近づく。


「お嬢様も、昔は本当に愛らしくて」「今じゃ、本当に跳ね返り」


「あなたがた、聞こえていてよ。あら」

 レースのカーテンを薄く開け、アメリアが声を上げた。


「馬車だわ。慶一郎が来たのね」

 言われて、ぴょこん、と飛び上がる。


 メイド達はそんな志乃の手からカップを取り上げ、それから慌てて志乃の服装を直し始めた。


「リボンを締め直さねば」「ほら、志乃様。こちらを向いて下さいませ。お化粧を」


 扉を見たいのに、メイド達が忙しく立ち働くため、全く見えない。

 そもそも、あちらの国は、女性でも背が高いのだ。うろうろと上半身を揺らしてみたが、全く見えない。


 アメリアは声を立てて笑っていたが、その語尾にノックの音が重なる。


「はい」

 澄んだ声でアメリアが返事をする。


 彼女のメイド達は優秀だった。

 手早く、そして完璧に志乃を整えると、壁際に控える。


「瀧川様がお見えです」


「通して」


 執事の言葉に素早く返す。

 がちゃり、と金属音がしたかと思うと、高齢の執事と慶一郎が姿を現した。


「すまなかった、アメリア。急に志乃を任せて」


「遅かったのね、慶一郎。志乃が待ちくたびれていてよ」

 詫びた慶一郎だが、志乃の姿を見てぎょっとする。


「なんで、子どもの恰好をしているんだ」


「わかりません……」

 ふるふると首を横に振ると、ボンネットのレース紐が、顎元でゆらゆら揺れた。

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