第29話 今度は、途中でやめないからな
「……え?」
「あの
だけど、嫁や婿に来た者には悪さができるにゃ。……で、その者どもを食らっていったら、どうなるとおもうにゃ?」
「どうなるって……」
志乃が戸惑うと、水雪が目を細めた。
「子が、続かにゃいのさ。
妻や婿がどんどん、子をなさずに死んでいくばかり。だったら、と、瀧川の者同士で結婚し続けるにも、限りがあるにゃ。血が濃くなりすぎて、それはそれで害が出るにゃ」
琥珀色の瞳が、志乃をとらえる。
「あの福子は、瀧川の家にカネをもたらすと同時に、瀧川の血を継ごうとするものの命を、喰らってきたにゃ。あの福子は、そうやって、自分を閉じ込めた瀧川の家に復讐してるのにゃ」
「え……。でも、みんながみんな、直ぐに死ぬのではないのでしょう?」
確かに、千代は分家が無くなり、徐々に血縁が途絶えて行った、と言っていたが、それでも千代の伴侶も、慶一郎の両親も、子はなしている。
「あの福子は、瀧川の血の者には、害がなせん。まぁ、最近は呪いが深すぎて、どんどん瀧川の者も短命になっているのだけどにゃ。……いやいや、それでも、直接命を奪うようなことはできにゃいのさ。あの福子は、瀧川の家の者を裕福にせねばならんからにゃあ」
きょろり、と琥珀色の瞳が細まる。
「だから、瀧川の当主は、自分の伴侶に、気配をつけるのにゃ。体液であったり、呼気であったり。そうして、『この者は瀧川の血筋の者ですよ』と、偽装し、ごまかし、生かし続けてきたんだにゃ」
(……千代様もおっしゃっていた……)
朝晩、口づけを。
慶一郎がそう言っていたのは、西洋式でも何でもなく、初夜が迎えられなかった自分を守るためのものだったのだ。
「迎えたのが嫁だったら、こりゃ、話は早いにゃ。さっさと交尾して、瀧川の血を受け継ぐ子を腹に入れてしまえば、いいにゃ。だって、腹に常にいるのは、瀧川の血を引く子にゃ。福子の歯牙にはかからにゃい。だが、産後がいかんにゃ。すぐに持っていかれて、殺されてしまうのにゃ」
ばりばりと水雪は頭をかきむしり、それからまた、福子を見やる。
「わっしは、七代のご当主に可愛がられたにゃ。わっしの、背中の模様が、ものすごく、芸術的じゃ、言うてにゃ。
かのひとから、『瀧川を守ってやってくれ』と言われたんで……。こうやって、頑張っているにゃが……。さっぱりダメで、こんな感じにゃ」
しょぼん、と二股の尻尾が垂れる。
「おお。また、福子が近づいてきた。志乃ちゃん、こっち……。慶一郎―……。はやく、志乃ちゃんをそっちに連れて行ってくれにゃあ」
情けなく、水雪は言葉をこぼした。
そんな彼の隣で、志乃は福子を見る。
自分を探し、ただただ、蜘蛛のように両手を伸ばす少女を。
(……お可哀そうに……)
閉じ込められ、視覚を奪われ。
人とも出会えず、学ぶ喜びも知らない。
それは。
少し前の、自分だ。
「……あっ。慶一郎が、志乃ちゃんを取り戻しに来たにゃ」
突然水雪が声を上げる。
なんだろうとまばたきをすると。
ぐるり、とまた視界が反転する。
眩暈にきつく目を閉じると。
ふ、と唇に柔らかい何かが触れて目を開く。
「……志乃?」
睫毛が触れ合う距離で問いかけられた。慶一郎だ。
「すまん。今晩はしてなかったな……」
眉根を寄せて慶一郎が詫びた。
そういえば、外出だ指輪だと志乃もふわふわしていて、そんなこと、すっかり忘れていた。
「ここ……」
手をつき、上半身を起こすと、慶一郎が身を引いてくれた。
どうやら、慶一郎の部屋で布団に寝かされていたらしい。
「いきなり倒れたから、持っていかれたのかと思った」
布団の脇に座り、肩を落とす。
「もう、戻ってこないのか、と……」
片手で顔を覆い、深い息を吐いた。
「……その、福子さんに会いました」
そんな慶一郎に、そっと志乃は声をかけた。
「会った? 何もされなかったのか?」
途端に、目を見開く。鳶色の瞳に、ランプの光が入り、虹彩が不思議な色合いを宿していた。
「水雪が守ってくれていて……」
志乃は慌てて無事だった、ということを伝えた。
「では、我が家のことも、水雪から聞いたか?」
「はい。旦那様がなぜ、朝晩口づけを、とおっしゃっていたのか。二階に上がってはならん、とおっしゃっていたのか」
それに、と志乃は思う。
女中や下男が続かぬ理由も。
「厭な家だと思っただろう」
顔を背けて言う慶一郎に、志乃は首を横に振る。
「驚きはしましたが……。旦那様や奥様は、これまで大変な苦労や寂しい思いをされたのだろうな、と」
だが、慶一郎から返事はない。
どうしたのか、と困惑していると、慶一郎は居住まいをただし、真正面から志乃を見る。
「もっと早く我が家のことを伝えるべきだった。それは本心だ。だが」
ぎゅ、と慶一郎は唇を噛み、それから苦し気に声をしぼりだした。
「何もかもを知られて、志乃に家を出て行かれるのが怖かった」
「……旦那様……」
ぽかん、と志乃は口を開く。しばらく無言で互いに見つめあっていたが、先に口を開いたのは、慶一郎だ。
「離縁したい、というのなら応じる」
はっきりと言われ、呆気にとられる。
「一生苦労しないよう、今後生活の援助はする。離縁の原因は、わたしだ、と周囲には知らせるし、雪宮の家にも謝罪に行く。幸か不幸か……。お前はまだ、
「あの」
これ以上聞きたくなくて、志乃は言葉を差し挟んだ。その後の言葉なんて、考えていない。
「……あの。……あの……。あ……、の」
意味もなく同じ言葉を繰り返すたび、慶一郎の顔がまた、自分から逸れ、うなだれていく。
まるで。
志乃の口から放たれる言葉に、耐えるように。
だから。
さんざん、ためらった末、慶一郎の手を、そっと握った。
「あの……」
ごくり、と息を呑む。するり、と慶一郎の目が自分を見た。
「私はもう、瀧川の人間です。旦那様の妻です。この家の何を知ろうと、そうなんです。旦那様のお手つきでなくても、妻のつもりだったんです。でも……、その、旦那様が、そんな風におもっておられたのなら……。私のことを、まだ誰のものでもない
言いながら、どんどん耳が熱くなってくる。多分、今、自分は全身真っ赤なことだろう。
「だから、その……。本当の……、その、妻に……、なりたくて」
それでも、沈黙は続く。
どうしよう、やはり自分はとてつもなく、恥ずかしいことを口にしたのでは。
火照った身体が、今度は急速に冷えてゆく。
思わず、慶一郎から手を離したのだが。
今度は彼に、ぎゅっと握られた。
ぐい、と引き寄せられ、彼に抱きしめられる。
「今度は、途中でやめないからな」
耳元で囁かれ、志乃はおずおずと首を縦に振る。
その夜。
志乃の身体に、くまなく慶一郎の唇が触れ。
彼の指は、志乃の奥深くまで優しく撫でた。
さわられるたび、なでられるたび、口づけられるたび。
さざ波のような歓びに身体が満たされていく。
慶一郎の名を呼び、慶一郎も志乃の名をいとおしそうに口にしたあと。
ふわり、と大きな波のような快感に包まれる。
なんだかそれが恐ろしく、思わず慶一郎の背中にしがみついて、こわい、と震える。
わたしがいる、と耳朶に口づけられ、途端に、志乃は温かいものに満たされて声を上げた。
愉悦に包まれ、息ができず、何度も身もだえる。
逃れ出ようとしても、慶一郎の腕がやさしく拘束し、背中に唇をはわされて、また震えた。
必死に声を漏らすまいと思うのに。
唇からは甘い吐息と共に声がこぼれ出る。
はしたない、ごめんなさい、きらいにならないで、と言うと。
あやまるな、きれいだ、きらいになどなるか、と言われた。
もう、幾度も幾度もそんなことが繰り返され。
意識が遠のくかと思ったときに、破瓜の痛みが襲ってきた。
だが、それも、ほんのわずかな間だった。
なだめるように撫でられ、優しく身体がほどかれていき。
そうしてまた、志乃の意識は大きな悦びの中に沈んでいく。
朝が。
慶一郎の部屋に訪れるまで。
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