第28話 二階の主
広い。
とにかく広い、畳の間だ。
両壁際には、和箪笥や道具箱がぎっちりと並び、床には、手毬やお手玉、紙風船や人形などが乱雑に散っている。
「……え」
ここは、どこ。
尋ねようとした矢先、背後から伸びた手が口を塞ぐ。ひ、と悲鳴ごと息を呑みこんだ。
「しぃ。静かにするにゃ」
聞き覚えのない少年の声。
そろそろと目だけ動かして、背後を伺う。
声だけではない。姿も全く知らない。
琥珀色の瞳に、真っ白な髪。年は志乃より少し下に見えた。
十代後半の男の子。
「誰だかわからないにゃ?」
小声で尋ねるから、ゆっくりと頷く。
「この目と、これに、見覚えがにゃい?」
男は右手で自分の目を指さし、左手で自分の来ている青い半纏を摘まんで見せる。
咄嗟に頭に浮かんだのは、千代の側にいる白猫。
「……え。水雪……?」
「そうにゃ」
水雪が言うと、なんだか志乃の足元が、さわさわする。
視線を向けて驚いた。
水雪の腰から二股になった白い尾が伸びているのだ。
それが拍子をつけて左右に揺れるから、志乃の足首に触れたらしい。
「わっしは、猫又にゃ」
なんのこともないように、水雪が言い、志乃は呆気に取られて言葉も出ない。
「志乃ちゃんは、引っ張られたにゃ」
水雪は言うと、やはり白い指で前方を指さした。
つられて志乃はそちらを見る。
室内は、いったいどれほどの広さがあるのか。
その東西の端同士に自分と女の子はいた。
ちょうど、自分と対角にいる。
それはあの、女の子だった。
数日前に廊下で見たあの子。
顔は端正なのだが、いかんせん、黒い布で目隠しをされているので、よくわからない。
艶やかに伸びる長い黒髪を広げ、一心に女の子は右手を伸ばし、ゆっくりと歩き出す。
やはり、左手がない。
そして。
しばらくその場で立ち止まり、また伺うように、右手を周囲に延ばして探る。
目隠し鬼。
なんとなく、そう思った。
「あ、あの方は……?」
身に着けているのは振袖だ。遠目にも、かなり値が張りそうな刺繍や意匠だと気づく。高貴な方だろう。
だが、どうしたことか、伊達締めだけで、肝心の帯がない。
は、と気づく。
あの、袋帯。
きっとそうだ。深い紅色の振袖に、あの金色はよく映るだろう。
「帯を探してらっしゃるのかしら」
「いんにゃ」
水雪は首を横に振る。
「
「……私を?」
いぶかしむと、水雪は深く息を吐き、腕を組んだ。
「あの
貴いお方。どこかで聞いたことがある。
千代だ。
千代が言っていたのではないか。
「名前なんて、もう、だあれも覚えていないにゃ。いや、最初からなかったのかもにゃあ。ここに連れてこられた時から、福子と呼ばれていたにゃ」
「福子、さま、ではないの?」
「福子は、名前じゃにゃいよ。呼び名にゃ」
「呼び名?」
オウム返しに問うと、ざらり、と畳を足袋がすべる音がする。ちらりと見やると、目隠しをされた少女が、さらにこちらに近づいてきた。
「あの御姫さんは、生まれた時から左手が無くてにゃあ。貧乏な家なら
普通とは違う容姿や事柄は、そのときどきによって、吉兆だと思われたり、不幸の始まりだと恐れられたりした。
「普通とは違う姿を神から特別に与えられた子だ、福子だ、と御姫さんのご両親は大層大事に育てられたんにゃが……。
ある日、戦に飲まれて、両親は殺されたにゃ……。あの御姫さんは、褒美として瀧川の家に与えられたのにゃ」
琥珀色の瞳が悲し気によどむ。
そういえば、そんなことを、千代が言っていた気がする。
「当時のご当主は、そりゃあそりゃあ、大事にしたそうにゃ……。自分の子どもと同じぐらいの年にゃろうに……。溺愛したそうにゃ……。
そしたら、間が悪いというか、なんというか……」
ぽりぽり、と水雪が頬を掻く。
「瀧川家は大出世をして、そりゃあ、裕福になったにゃ。いや、こりゃあもう、偶然だったり、ご当主の才覚のためだったんにゃろうがなぁ」
「ご当主は、そう思わなかった……?」
そっと尋ねると、水雪は頷くと同時に深く息を吐いた。
「もう少し、こっちに来るにゃ。福子が近づいてきたにゃ」
水雪は志乃の手を引き、壁伝いに移動する。
途端に、ぴたり、と振袖の女の子が動きを止めた。
「そこね」
静かに告げる。
「慶一郎の気配が薄まっているから、志乃ちゃんのことが、良く見えてるにゃ」
ふうううう、と水雪がうなる。
「あの福子さんは……。でも、ご当主に大事にされたのでしょう?」
志乃が小声で水雪に尋ねる。途端に、顔をしかめた。
「大事と言えば、大事にしたにゃあ。『なにもかも、あの福子のおかげ』と思い込んでいた、というか……。結果的に、奪われないようにしにゃくては、と。座敷に閉じ込めたにゃ」
窓のない二階。
漆喰で埋められた扉。
『ご先祖様は、二階に大切なものを
千代の言葉を思い出し、志乃は茫然と言葉を失う。
「自分以外の誰かを見て、福子が好意を抱いては大変だ、と目隠しをして……」
「そんな……」
愕然と呟く。
さらに、視界まで奪われた子。
褒美としてもらわれた貴い姫君。
その子は。
勇敢な男性と、生涯を共にした。
それは。
〝そうして、幸せに暮らしましたとさ〟という物語ではなかったのか。
「福子は、瀧川の家に来て、数年で死んでしまったにゃ。もともと、身体が弱かったところに来て、環境の変化が追い打ちをかけたんだろうにゃあぁ。あっけなく、亡くなってしまわれたにゃ……」
水雪は悲しげな瞳を福子に向ける。
女の子はまた、周囲に手を伸ばしながら、ずるり、と一歩を踏み出す。
「ご当主は福子を家から出すことを禁じて、座敷ごと漆喰で閉じてしもうたのにゃ。だから、福子は、何百年経っても、こっから出られにゃい。ただただ、瀧川の家に富をもたらす呪いをかけられて、ここにいらっしゃるにゃ」
ずるり、と女の子がまた、歩く。
「その……。そんな方が、どうして私を……?」
探しているのだろう、と志乃は水雪に尋ねる。
「あんたが、瀧川の家のものじゃないからにゃ」
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