第25話 ほら、あーん

(あら……。お酒が過ぎたのでしょうか)


 ぱちぱちと目をまたたかせたとき、すぐ側で和織かずおりが絶叫する。


「くそおおおおおお!!! なんだよ、お前!! 良い嫁貰いやがって!!」


「いたいっ! 殴るなっ! いたっ!」


「許せん! かくなる上は、太らせてやる!! で、見捨てられるがいい!」


 芝居の悪役のように和織は言い放ち、ぱちり、と指を鳴らす。

 それを合図に現れたのは、ギャルソン姿の数人の男たちだ。


 彼等は銀盆の上にとりどりの皿を乗せ、カウンターの上に並べていく。


 パンケーキ、果物が添えられたプリン、ウエハースが飾られたアイスクリーム、粉砂糖がまぶしてあるワッフルなどが、きらびやかなガラス容器や白磁の皿に盛られていた。


「この時間なら、もう昼は食ってきたんだろう? だったら、スイーツで腹をぱんぱんにして、太らせ、『旦那様なんて大嫌い作戦』を実行してやる!」

 ふはははは、と高笑いをする和織に、ギャルソンたちが苦笑している。


「無視してお召し上がりください」

「うちの店長、こんなですけど、腕は一流ですから」

 それぞれ志乃しのに耳打ちしてくれる。


「こんな、ってなんだ、こんな、って!」

「それでは、失礼いたします」「どうぞ、ごゆっくり」

「聞こえたぞ、こらっ」


 立ち去るギャルソンたちを追って、和織が、がうがう、とがなりながら立ち去っていった。


「……まぁ、あんなやつだが」

 ごほり、と慶一郎けいいちろうが咳払いをする。視線を向けると、もういつもの慶一郎の顔色だ。


「さっきのギャルソンたちも言っていたが腕は一流だ。あの伊織いおりおじさんが店を持つことを許したんだから」

 そう言って、目の前のスイーツたちを掌で示す。


「召し上がれ」


「……いただいてよろしいのですか?」


 おずおずと尋ねる。

 聞いたことはあっても、見たことがない食べ物たちだ。


「好きなだけどうぞ」


 興味なげに言うので、志乃は銀のスプーンを持ち上げ、散々迷った結果、少し溶け始めているアイスクリームから食べることにする。


 淡黄色した半円を崩し、口に含む。


 甘いより先に、冷たいことに驚いた。とろりとした中にある、しゃりしゃりとした舌触りは、すぐに溶けてなくなったが、鼻の奥にはバニラの香りがしっかりと残った。


 おもわず、もう一口ぱくりと口に含み、ついでに登頂旗のように傾ぐウエハースもぱりぱりと食べる。こちらも甘さはそこまで感じない。


(この、黒いの、なにかしら……)


 なめらかな見た目とは裏腹に、スプーンで押すと、砕けたので驚いた。アイスクリームと一緒に口に含むと、やけに甘い。


「そのチョコレート、甘いだろう」

 慶一郎に言われて、この黒いものがチョコレートだと知る。


「この国の味覚に合うように、だいぶん甘くしてある。今後、人気が出るんじゃないか? 国も輸入を後押ししているようだしな」


「そうなんですか……」


 自分の知らないことはたくさんあるものだ、と添えてある果物もぺろりと平らげ、プリンに手を伸ばす。


 ぷるぷると儚げな様子なのに、口に入れるとしっかり甘い。しかも、押し返すようなちゃんとした弾力もあり、なんだかさっきのアイスクリームと対極だ。


「甘い」


 それだけでうれしくて、志乃はスプーンを握ったまま、子どものように慶一郎に笑いかける。


 一瞬、戸惑ったような顔を慶一郎はしたが、それでも柔らかい笑みを口の端に乗せ、わずかに頷いた。


「政策として、開拓地で推し進めていた砂糖作りが軌道に乗ってきたらしい。これからどんどん、砂糖の値段が下がる。需要が出てきて、市場にも出回るようになるだろう」


「でしたら、みんながこんな美味しいものを口にできるようになるのでしょうか。そうなると、いいなぁ」


 ほう、と志乃はため息をついた。

 干した果物の甘さも嫌いではないが、この甘さは別格だ。


「旦那様もこのような商品を扱われているのですか?」

 ふと、志乃は慶一郎に尋ねる。


「まぁな。生産地が内地とはだいぶん離れているから、どうしても船便が必要になる。そういった手配もしているし……」


「でしたら、ぜひ、お仕事がんばって、この国のすみずみにまで、かように美味しいものを広めてくださいませ」

 熱心に訴えると、ぷ、と噴き出された。


「そうだな。この国が豊かになって、流通が発達して。

 貧富など関係なく、廉価な商品でうまくて甘いものが、いつでも、どこでも買える。

 そんな時代が来るといいな」


 ふふ、と笑ってそう言われたが、それは別に馬鹿にした笑いではなく、そんな時代を作ってみたい、という色が滲んでいた。


 志乃はそんな慶一郎の夢の一端に触れ、自分まで幸せな気持ちになりながら、プリンを堪能する。


(……旦那様は召し上がらないのかしら……)


 よく考えたら、自分ばかり食べてる。

 だが、慶一郎がナイフとフォークを取り上げた。


 流麗な手つきでパンケーキを切り、ははぁ、あれはあのようにするのか、と見ている先で、たっぷりのメープルシロップをかけた。


 鼈甲色のその液体は、とろりとパンケーキの中に吸い込まれてなお、ふんわりと柔らかそうだった。


「ほら」

 一口大に切り分けられたパンケーキをフォークで刺し、慶一郎が志乃に向ける。


「え……、と」


 どうするのだろう。

 受け取るのだろうか。

 まごまごしていたら、慶一郎が「口を開けろ」と言うので、仰天する。


「え。いや……、あの」


 きょろきょろと周囲を見回す。

 幸いなことに、ビリヤードの客も、喫茶スペースの客も会話に集中している。


「シロップが垂れる。ほら」


 さらに促されて、志乃は意を決する。


 ひぃ、恥ずかしい、と、耳まで真っ赤になって、そっと口を開いた。ぱくり、とパンケーキをんだ途端、シロップが口内に広がる。


 砂糖とはまた違った風味と香りに、目をぱちぱちさせていたら、慶一郎がにこりとほほ笑んだ。


「もう一口、どうだ」


 即座に頷き、あーん、とばかりに口を開くと、慶一郎が笑ってまた食べさせてくれた。


 おいしい、と目を細めていたら。

 鋭い視線を感じて、はた、と振り返る。


「慶一郎を太らせようと思ったのに、志乃ちゃんが餌付けされている……。このままでは、素敵に肉感的になっちゃうじゃないかっ! 慶一郎め! もう、帰れ!」


 店の隅から和織が、こちらを睨み、ギャルソンエプロンに噛みつき、きぃ、となっている。


「お前が呼ぶから来てやったのに、とんだ言いざまだな」

「うるさい、うるさい、うるさいっ!」


「店長、営業迷惑です」

「お客様がいらっしゃいました。ご案内を」


「くそう! いらっしゃいませぇえええええ!」


 大声を張り上げて入り口に向かう和織に志乃は吹き出し、慶一郎は呆れて、グラスを傾けた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る