第22話 わたしは試されているのか?

◇◇◇◇


 パーティーから二週間が経ち、だんだんと日々の生活に慣れて来た日のことだ。


「最近、お祖母様の体調はどうだ」

 玄関まで見送りに行った志乃しのに、慶一郎けいいちろうが不意に尋ねた。


「少しのことで疲れることはおありです」

 眉を下げ、志乃は率直に答える。


 ふと、気づいて千代を見ると、脇息にもたれかかり、ほう、と吐息をつく姿をよく目にしていた。


 口にはされないが、具合は悪いのだろう。


「そうか……。手間をかけるが、よく見てやってほしい。わたしにとっては、たったひとりの肉親だ」

 長いまつげを伏せ、慶一郎はぼそりと呟いた。


「本来なら女中を雇って世話をさせるのだが……。できずに、申し訳ない」


「とんでもありません。旦那様が外でお仕事をされている間、精一杯私がお世話させていただきます」


 ぶんぶんと首を横に振る。

 だいたい、世話、というほどのものではないのだ。

 志乃の様子を眺め、慶一郎はひとつ頷いた。それからおもむろに尋ねる。


「ああ、そうだ。明日の予定なんだが、空いているか?」


「は、い……」

 志乃は目をまたたかせる。


 結局パーティーでも親しい交友関係は出来上がらなかったので、家事と千代の手伝い、それから外国語の勉強以外、特に何もない。


「友人が喫茶店を開いたのだそうだ。どこから聞きつけたのか……。わたしが結婚したことを知ったらしい。妻を連れて来い、と昨日手紙をよこしてきた」


「喫茶店、ですか」

 雪宮の屋敷から滅多に出たことがない志乃は、それがどんなところなのか、いつも想像するだけだ。


「明日、一緒に行こう。昼の数時間、家を空けるぐらいなら、お祖母様も大丈夫だろう。お前から、伝えておいてくれ」


「かしこまりました」

 ぺこり、と頭を下げた。


 たたきに慶一郎が立ち、上がり框に志乃が立つと、ようやくふたりの視線は同じになる。


「……どうしました?」

 自分を見つめる目が、どこか不安そうで、志乃は小首を傾げた。


「いや……」

 慶一郎は眼鏡を擦り上げた。


「この家に来て、ひと月が経つが……。特になにもないか?」

 なんのことだろう、と、ぽかんと慶一郎を見つめたが、ふるふると首を横に振った。


「何もございません」


「別にお前を信用していないわけではないが……」

 ふ、と息を吐き、それから真顔で言う。


「二階には上がっていないな?」

「はい」


「夜、廊下にも出ていないな?」

「……はい……」

 そういえば、来た直後にも同じことを言われたな、と目をまたたかせると。


 慶一郎の手が伸びて、頭の後ろに回る。

 そのまま引き寄せられ、唇を重ねられた。


「……あの」

 すい、と唇が離れた瞬間に志乃が呼びかける。


「なに」


「その……。いったい、いつになったら私はこういうことに慣れるのでしょう……。他の人は、いったい、どうなさっているのでしょうか。私が変なのでしょうか」


 耳どころか、首まで真っ赤になって志乃は言う。

 恥ずかしくて震えそうだ。


「な、何度もこうやって、旦那様としていれば、慣れるのでしょうか。でしたら、たくさん、した方がいいんでしょうか」

 言いながら、もう、顔も首も熱い。冷ますために、両頬を手で覆う。


「旦那様の意に沿えるようになりたいのですが……」

 結局まだ、同衾もできていない。


「……………くそっ。わたしは試されているのか、これは、試されているのか。誘われてるのか? どうなんだ……っ」

 言うなり、背を向けて慶一郎が玄関を出る。


「行ってくる!!」

「行ってらっしゃいませ……?」


 荒々しく扉が閉められ、志乃はしょぼん、と肩を落とした。


 さっき問いかけられたふたつの質問。

 二階にあがっていないか。夜、廊下に出ていないか。

 やはり、慶一郎は、自分を疑っているのだろうか。約束を破るような女だ、と。


「志乃さん、志乃さん」

 廊下の奥から千代の声が聞こえ、志乃は慌てて気を引き締めた。


「はい、今すぐ」

 失礼にならない程度の小走りで、彼女の居室に向かった。


「ごめんなさいね。ちょっと、裁縫の準備をしてくださるかしら」

 脇息にもたれかかった千代が、優しく微笑んでいる。


 その隣に、当然のようにいるのは水雪だ。


 今日も青い半纏を着せられている。

 もう、三月に入り、暖かい日も増えたのだが、この猫は本当に寒がりらしい。ふふ、と笑うと、「なあ」と鳴かれた。


「かしこまりました」

 志乃は表情を引き締め、返事をする。部屋の隅の裁縫箱や、昨日まで手を入れていた布を取り出した。


 このところ千代が作っているのは、着物の端切れを使って作る髪飾りだ。寄せて縫ったり、綿を入れたり、糊でぱりっと表面を固めたりして、器用に椿を作り上げていた。


「あの、旦那様が……。私に、明日一緒に喫茶店に行こう、と。旦那様のお友達が始めたお店のようです」

 千代に作業中の小物を手渡し、どこに何があるかを伝えた後、そう切り出す。


「まあ、そう。きっと、和織かずおりさんのお店ね」


「和織さま、ですか」

 聞いたことのない名前だった。


「ご実家は、千寿堂よ」

 言われて、まあ、と志乃は声を上げる。


 老舗ではないが、和菓子では有名なお店だ。


 帝都にも店を構え、菓子をお上に献上したこともある、とか。

 宝石のような美しさに、皇后ともどもいたくお気に召された、ということで、その琥珀糖こはくとうは、毎日飛ぶように売れているという。


「和織さんは、その千寿堂さんの三男でね」

「三男、ですか」


「三男って言っても、五人きょうだいの末っ子でねぇ。甘やかされたわけではないのでしょうけど、これがもう、わんぱく坊主で」

 くすくすと千代が可笑しそうに笑う。


「慶一郎さんとは気が合うようで、学生時代はいつも一緒にいたのだけど……。『慶一郎さんの爪の垢を煎じて飲ませたい』と、お父様の伊織さまが、ほとほと困っておられたわ」

 あの慶一郎と仲がいい、というだけで、がぜん志乃は興味がわいた。


「ご実家は和菓子屋なのに、和織さまは、喫茶店を経営なさっているのですか。なんだか、不思議ですね」


「そうねぇ。千寿堂の本店はご長男が継がれるのでしょうし……。帝都の方は、長女さんが継がれるようよ。三男の身としては、余所に店を構えるしかないんでしょうね」

 ふう、と千代は息を吐く。


「伊織さんだって、本当は和菓子職人にしたかったのでしょうけど。

まぁ、大きな声では言えないけれど。伊織さん自身、実は呉須ごす家の出らしくて……。それなのに、和菓子職人として、こう……。有名になったわけでしょう。だから、強く反対もできないのじゃないかしら。ご自身だって、随分破天荒な人生ですからねぇ」


 呉須家といえば、さかのぼればお上とも血縁関係のある名家中の名家だ。


(その方が、どうしてお菓子職人なんて……)

 ふと、そんなことを思う。


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