第21話 目障りな娘、穢したい娘

◇◇◇◇


「ねぇ、お父様」

 郁代いくよは、高齢の男性に囲まれ、真剣に、「ほうほう」と頷いている父親の弥太郎やたろうに声をかけた。


「おお、どうした、郁代」

 振り返り、それから周囲の男性たちに笑いかける。


「わたしの掌中の珠です。挨拶を」

「郁代と申します」


 ぺこりと頭を下げるといくつもの視線が向けられた。

 いずれも値踏みするような眼だ。


「これはこれは……。おきれいだ」「雪宮さんが大事になさるのもわかる」「彼女を手にすることのできる男は、三国一の幸せ者だな」


 口々にほめそやされ、郁代はにっこりと微笑んで見せた。


「ありがとうございます」

 当然だ。自分は良い男を見つけ、自分に惚れさせるために着飾っているのだから。


「あの、お父様」

 そ、と耳打ちすると、弥太郎は周囲の男性に頭を下げて、輪から離れた。


「あそこに、志乃しのが」

 壁際に移動しながら、郁代が指をさす。


「志乃? 今日、瀧川家も呼ばれている、と言っていたが……。あの娘も来ているのか?」

 郁代に促され、弥太郎が目を動かす。


 会場の中央だ。

 慶一郎の肘を取り、つつましく立つ志乃は、異国人と夫のやりとりを熱心に見ていた。


「ほう。ありゃ、化けたな。いや、確かにあれの母は大層きれいだったからなぁ」


 父の口が歪む。

 その顔に、郁代の心にさざ波が立った。


 郁代は、志乃が初めて雪宮に来た時のことを、今でも覚えている。


 その日は寒く、郁代も弟も、かいまきだなんだ、と着ぶくれさせられていた。

 まるで、雀だ、と女中たちと笑ったのを覚えている。


 そんな時、やってきたまだ、十歳の少女は。


 凛、としていた。


 薄着だが、子ども心に、「鶴の子は、幼くても鶴なのだ」と思った覚えがある。


 長じるにつれ、父や弟が性的な目で志乃を見ていることも知っていた。


 好色の父が志乃に手を出さなかったのは、娘だからではない。

 商品価値が下がることを恐れたからだ。


 弟が志乃に手を出さない理由。

 それは、いつも馬鹿にしている娘に懸想しているなど、決して認めたくなかったからだ。


 志乃は、雪宮の家で籠の鳥として過ごし、駒だ、と蔑まれ、卑しい子、と貶められて育ったというのに。


 決して、美しさを損なわない子だった。


 だからだろう。

 女中も、母も、そして自分も。


 必死に、志乃を汚そうとした。


 泥の中に放り込んでやろうと思った。


 お前など、私たちの足元にも及ばないのだ、と身をもって思い知らせてやった。


 彼女は雪宮の家に来てから逆らったことなど一度もないのに。

 周囲の女たちは、寄ってたかって、彼女を追い詰めた。


 いらいらしたのだ。


 自分たちが、「妾の子」と下に見ているというのに、どんどん美しくなる彼女が。


 そうして。

 最悪な家に嫁がせて、ほっとしたと思ったのに。


 見なくて済んだと思ったのに。


 あの女は、本来の穢れなき美しさを誇って、ここにいる。


「瀧川のおうちは、貧乏ではなかったの? 女中もいないのでしょう?」


 郁代が尋ねる。

 志乃が来ている振袖、髪形、化粧。いずれも一級品だ。とても困窮しているようには見えない。

 弥太郎は驚いたように目を剥く。


「まさか。あそこには、うなるほど金がある。使っても使っても沸いて出る、と噂されるほどだ。あそこに女中がいつかないのは、代々の当主に難がある、と聞くなぁ」

 そこで、うひひひ、と下卑た笑いを浮かべる。


「きっと、次々手を出すんだろう。いい男だからな、あの瀧川慶一郎という男は」


 そういえば、志乃を送り出した女中が言っていたではないか。

 人の目の前でいきなり接吻するような、破廉恥な男だった、と。


(だけど)

 ふふ、と郁代は笑う。


(あの男なら、嫌ではないわ)


「ねぇ、お父様。私、瀧川家に嫁に行きたいわ」

「はあ? いまさら何を……」

 あきれて弥太郎は言う。


「お前には今、長谷川卿がどうだろう、と話をしてきたところだぞ?」

「あんなおじいちゃん、いや」


「すぐに死ぬ。あとは、遺産だけがっぽり貰ってこい」

「いや。そんなこと、志乃にさせて」

 強情に言い張る郁代に、弥太郎は、ふうむ、と鼻から息を抜く。


「金をかけずに嫁に出して……。子が出来たら、家ごと乗っ取ってやろうと志乃を瀧川家にやったんだが……。まあ、いいか」

 にっこりと、娘に笑いかけた。


「あとは、お父様に任せておけ」

「うれしい。ありがとう、お父様」


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