第20話 妻に着せるのに、野暮ったいものは……
「ついひと月前に結婚をいたしました。妻の
眼鏡越しに冷淡に女性たちを睥睨する。
「私どもも驚いていたところですのよ、瀧川様」
一番年配の女性が目を細める。
「ご連絡もないのだもの」
「仕事にかまけていまして、申し訳ありません」
「まあ、お仕事が忙しいのは良いことですわねぇ。ですが、妻選びは慎重になさったらどうです? おうちの品位にかかることですから」
周囲に目配せをすると、一斉に女性たちが頷く。
「本当にそうですね」
薄い唇に笑みを乗せ、慶一郎はゆるく頷く。
取り囲む女性たちは、初めてみせる慶一郎の笑みに、ぽかんと見惚れたようだが。
志乃の心は、はかなく砕け散る。
やはり、自分は見劣りがするのだろう。
俯きかけた時、ぐい、と腰を抱かれて引き寄せられる。
「わたしの妻は、人前で夫婦の閨のことを口にするような、そんなはしたない女ではなくてよかった」
真っ直ぐにひとりの女性を見据え、慶一郎が言い放つ。
それまで、ぽう、と上気した顔で見ていた彼女は、瞬時に蒼白になった。
「仕事柄どうしても、家を空けることが多いですし、目の不自由な祖母もいますが、彼女が家にいてくれるおかげで、わたしは安心して仕事に取り組むことができます。本当によい妻に出会えました」
冴え冴えとした笑みを浮かべて慶一郎が言う。
「ですが、そのように女学校も出ていない娘を迎えるなんて」
吐き捨てるように年かさの女が言う。
「出てなくてよかったですよ。出ていたら、ほら」
ふふ、と眼鏡の奥で鳶色の瞳を細める。
「こうやって、群れて悪さを覚えるんですから」
「まあ……っ。だいたい、このような場に着物で妻を連れてくるなんて! あなたも常識がないのではなくて!?」
ぱちり、と扇を閉じて叱りつける。
「お上からのお達しで、今は上流階級から西洋化を推し進めているのですよ!?」
「なにしろ、このパーティーに招かれるのが急だったもので……」
慶一郎は志乃と目を合わせる。
「妻に着せる最新式のドレスが、船便で間に合いませんでした」
くすり、と色素の薄い瞳で、ふたりを取り囲む女たちを見やる。
「みなさんのように、数十年前のドレスでよければ、あれでしょうが。……妻に着せるのに、そんな野暮ったいものは……」
ぐ、と女たちの誰もが息を呑む。
ようやく、志乃は外国人たちとこの国の女たちの違いに気づいた。
型が、違うのだ。
アメリアたちが来ているのが最新式で、この国の女たちが身に着けているものは、相当古いのだろう。
それはそうだ。
取り寄せるにしても船便で何カ月もかかる。
容易に手に入らないのだ。
「皆様、ドレスの仕入れ先に苦労なさっておいでのようだ。ご用命の場合は、遠慮なく仰ってください。最新のものを最短で取り寄せますので。それでは」
慶一郎は返事も待たず、志乃に腕を差し出す。
おずおずと志乃は彼の肘をとらえた。
女たちを蹴散らすように慶一郎は歩き、志乃はわずかに目礼して女性たちの前から立ち去る。
「アメリアめ。余計なことを言いに来るんじゃなくて、側にいてくれないと困るじゃないかっ」
会場の中央に歩を進めながら、慶一郎が舌打ちする。
慶一郎とて、このような状況になることは予想されたのだろう。
だから、アメリアを側につけていた。
現に、異国人である彼女がいるときは、絶対に近寄ってこなかったのだから。
「あの……。私がお邪魔でしたら、どうぞ、その……。あ。馬車ででも待っています」
慌てて申し出るが、首を横に振られる。
「気になって仕方ない。隣にいろ。最速で仕事を終わらせる。あと、数人会って話をすればいいだけだ」
きょろきょろと会場を見回しながら慶一郎が言う。
だが、ふと、志乃を見下ろした。
「……アメリアが変なことを言わなかったか……?」
「いえ、特に」
きょとんと志乃が首を横に振ると、がっくりと肩を落とす。「よかった」と呟くから、なんだろう、と首を傾げたが。
「あの、旦那様」
そっと声をかける。
「なんだ」
「アメリアさんから、外国語を教わってはいけませんか?」
そっと申し出ると、眼鏡の向こうで目を見開かれた。
「ちゃんと家事もしますし、お食事も手は抜きません。千代様のお世話も一生懸命させていただきます。あの……」
「どうしてそんなことを?」
必死に訴える志乃を遮り、慶一郎が尋ねる。
「アメリアさん。探検家になって、見聞録を出版したいのだそうです」
「ぶっ」
慶一郎は吹き出し、それから、あいつらしい、と苦笑いした。
「私、アメリアさんと話していると、自分のいろんな気持ちに気づきますし、元気になるんです。そんな人がいることを、この国の方にたくさん知っていただきたくて……。
アメリアさんに直接会うことは難しいでしょう? でも、それらが文字になっていれば、いつでも彼女の言葉に触れたり、出会えたりすることができます。本を開けばいいんですから」
気づけばふたりは足を止め、向き合っていた。
「翻訳を……、してみたいんです」
語尾が次第に小さくなるが、志乃は決して俯かなかった。
顎を上げ、慶一郎を見上げて、彼の返事を待つ。
「いいんじゃないか。あとで、アメリアに頼んでやろう」
自然に顔がほころんだが、慶一郎は渋い顔だ。
「だが、無理だけはするなよ。お前は環境が変わったんだし……。いろいろと重労働を押し付けているんだからな」
「はい! 家事はおろそかにしませんから!」
「……いや、だからな……」
更に眉根を寄せたが、嬉しそうな志乃の顔を見て、慶一郎も苦笑いを浮かべる。
「辞書やノートを用意してやろう。使うといい」
ぽん、と大きな手が志乃の頭に載せられる。
幼い子にされるようで恥ずかしかったが、志乃は笑顔のまま頷いた。
「ありがとうございます」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます