第6話 猫

◇◇◇◇


 押し入れから布団を取り出し、そっと畳に広げた。


 今まで使用人部屋を使っていたのだが、ここは普通に一部屋を与えてくれるらしい。


(さっき、家族って言ってくれたし……)


 気づけば、頬が緩む。

 しまい湯とはいえ、風呂まで毎日使っていいとは。


 志乃はまだぬくもりが残る身体で布団に滑り込む。


 灯りなどないが、障子を月光が濡らし、随分と明るい。

 仰向けに寝転がり、耳を澄ます。


 襖を隔てた向こうにいる千代の異変は感じられなかった。


(何かあれば、声をかけてくださるでしょう)

 ふう、と志乃は深く息を吐く。


 風呂に入る前に、一度千代には声をかけている。いつでも呼んでほしい、と。


『あなたも。何か気になることがあれば、いつでもわたしを呼んでね。お隣なんだから』

 そう返されたから、まごついた。まさかそんなことを言われるとは思わなかった。


 千代はその時、まだ縫物をしていた。

 人形にでも着せるのか。彼女が仕立てているのは、青地の半纏はんてんだった。


『可愛らしいですね』

 思わずそういうと、うふふ、と千代は笑う。


『気に入ってくれるといいのだけど。寒がりなのよ』

 千代の言葉を思い返し、志乃は首を傾げる。


(一体、なにが寒がりなのだろう……)


 気に入るとは誰が。


 そんなことを思いながら目を閉じる。

 頭の奥では、とろりとした眠気がやって来た。


 明日の朝、洗ってざるに上げた米を炊き、味噌汁を作って……、それから、そうだ、弁当の準備を、と段取りを考えていたら。


「なあああう」


 庭から、そんな声が聞こえて来た。

 とん、と廊下に何かが飛び乗る。


 反射的に障子へと顔を向けた。

 月光を受け、まろやかに浮かび上がる障子。


 そこに、影が映った。


(猫、かしら)


 のしのし、と。

 その四つ足の影は廊下を進む。


 ふと、午前中に庭で見かけた猫を思い出した。

 背中に大きなブチのある白猫。残雪と間違えた、あの猫。


「ふなあああう」

 影は志乃の部屋の前を素通りし、どうやら千代の部屋で止まったようだ。呼ぶように鳴いている。


「あら。水雪みずゆき。今日は遅かったのねぇ」

 眠気で朧な千代の声が聞こえ、その後、敷居を障子が滑る音がする。どうやら、猫を招き入れたようだ。


(なにか、おっしゃるかしら)


 片手をついて上半身を起こす。襖を見た。

 だが、志乃への指示はない。


 代わりに聞こえてくるのは、千代が室内を歩いているような音と、何かを取り出したような音。


「ね? 素敵でしょう。もう少しで出来上がるから。……あら、寝ちゃうのね。はいはい」

 苦笑いを多分に含んだ千代の声だった。


 志乃はゆっくりと身体を布団に横たえる。


 目だけ移動させて、欄間を見た。

 灯りをつけたような明るさはない。


(猫を招き入れただけのようね)


 目を閉じると、どろりとした眠気に意識が絡めとられた。

 千代の声を夢うつつに聞きながら、志乃はそのまま、深い眠りに落ちていった。

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