⑮異世界に逝ってみたい!(終) 副題:百花の誘惑
裕司の、自宅とミシェルが待つ異世界の国との往復生活が始まって二週間が経過していた。引きこもらずに定刻になれば外出するようになった裕司について、両親は最初こそ驚いたものの特に深く追求する事は無かった。裕司も子供部屋おじさんと言えども既に三十路手前である。大人の行動に口出しすべきではないと両親は思っていたのだろう。
それに何より裕司は表向き「仕事」に向かっているという事になっていた。現に彼は稼いだ現金の多くを両親に渡し、残りを愛鳥の餌代等に充てていた。向こうの異世界にはモンスターに相当する存在がいたのだが、これを斃す事により得られるアイテムを、現世で通用する金品に変換する機構を知ったためだ。
モンスターの有効性のほかに、異世界の決まりや住人たちの事も薄々解ってきた。
その中で、ミシェルと同い年であるはずのシェーブルが長らく幼い姿のままだったのかも知った次第である。異世界の生物は、人であれ獣人であれモンスターであれそれぞれレベルと言う概念に縛られているらしい。シェーブルや王宮の一部の侍従たちなどの獣人は、寿命が長い反面レベルが一定以上ないと成長できないのだという。成長、すなわちレベルアップの鍵はやはり戦闘や鍛錬になるのだが、シェーブルはそれが不足していただけなのだ。シェーブル自身は争いを好まない穏和な性質であるし、それ以上に王子として国王をはじめとする多くの大人たちから保護されて育ってきていた。
もっとも、シェーブルが幼い半獣人に過ぎなかったのはもはや過去の話である。裕司は自分を兄と慕い懐くシェーブルと共にモンスター狩りを敢行する事を繰り返していた。勇者である裕司の前では、いかなるモンスターも敵ではなかった。角を生やしただけの大人しい野兎も、群れの連携と額に生えた鋭利な刃物が特徴の狼も、豚頭の屯田兵のようなオークも、裕司が軽く攻撃するだけでいずれも死んでしまった。裕司はつたないながらもシェーブルにも狩りを教えた。心優しい彼は、モンスターを斃す事に始め戸惑っていたが……レベルが上がり自身が成長する事を知ると、そのためらいも戸惑いも何処かへ消え去っていた。
「ユウジ様、お見えになるのを今か今かと待っていたのですよ」
王宮の手前でシェーブルは待っていた。初めて出会った時のあどけない面影は、もはやきらめく翠の瞳だけだった。彼はこの二週間でグングンと成長し、今では裕司よりも頭一つ分背の高い、たくましい山羊の青年に育っていた。その衣装も簡素なローブなどではない。くつろぐときは国王が身に着けているような法衣をまとい、狩りの時は王国専属の騎士団や近衛兵がまとう鎧姿となっていた。毛皮は明るい銀色に輝き、かつては小さなこぶとして存在を示していた二つの角も、彼だけの王冠だと言わんばかりに雄々しく鋭く伸びていた。
「君はいつも気が早いな、シェーブル」
「そりゃあもう、狩りの楽しさを教えてくださったんですから……」
裕司はこのシェーブル王子だけには砕けた口調で話しかけるのが常だった。今では王女と王子の賓客や友として扱われている裕司である。多少の無礼も侍従や国王たちも目をつぶってくれていた。
それに急に大人になったからと言って、シェーブルに敬語を使うのには若干の違和感もあったのだ。たくましく勇ましく育ったシェーブルだったが、裕司の中では初めて出会った幼げな容姿の印象が強い。それにシェーブル自身の言動も、見た目に反して幼げであるし。
「ねぇユウジ様。そろそろミシェルに願い事を仰っても良いのではないですか?」
「いやぁ……どうしようかな」
無邪気な中学生よろしく顔を覗き込むシェーブルに対し、裕司は頭を掻いて誤魔化した。
願い事が無い訳ではない。実は裕司にはきちんとした願いがあった。裕司が欲しているのはミシェルそのものだった。王宮に立ち寄った際には主にシェーブルと行動を共にする事が多い裕司であるが、ミシェルとももちろん友誼を深めていた。その間に裕司は、彼女を求めている事に気付いていた。いや違う。初めから裕司はミシェルを欲していたのだ。
しかしそれも叶わぬ願いであろうと裕司は思っていた。理由は二つある。まず裕司には既に恋人と言うか情欲を交わす相手が既にできていた。相手はミシェルやシェーブルの世話係のメイドだった。裕司と彼女との関係は、恋愛と言うよりもむしろ打算と欲で結ばれた絆だと言った方が良いであろう。メイドは王子や王女の友人となった裕司と関係がある方が後々有利だと女心に思ったらしい。裕司の方はもっと単純だった。ミシェルに似ていて、尚且つ色香のある娘とのやり取りを愉しんでいたのである。恋愛感情とは異なるにしろ、関係を持った相手がいるのだから、妙に気難しいミシェル王女とは結ばれないだろうと半ばあきらめていたのだ。
だがそれ以上に、裕司はシェーブルがミシェルを心底愛している事を薄々感じ取っていた。幼くフワフワとしていたシェーブルが力とたくましさを欲したのは、ひとえにミシェルの役に立つためだったのだ。ミシェルは今は独身だが、いずれはシェーブルが夫になるのではないかと裕司は思っていた。義理のきょうだいゆえに互いに恋愛感情があるかは不明だが、夫婦になるには似つかわしい存在であると、部外者である裕司に思わしめるようなものがあった。
ともあれ、願い事について裕司はそんな事を考えていた。無論口には出せない。説明を求められたらどうしようかとも考えあぐねていた。
そんな時、シェーブルの視線が滑り、裕司の左手首に注がれる。
「あれ、ユウジ様。それはいったい何でしょう」
肉球を具えた手指が裕司の手首を指し示した。裕司は気取って左手首をゆする。
「腕時計ってやつさ。こっちの世界には無いみたいだけど……ちょっとばかりおしゃれをしても良いかなって思ってね」
「腕時計……これって良いですね」
シェーブルの関心は、もういつの間にか腕時計に向けられていた。
※
異世界と現世の往復生活はなおも続いた。裕司はずっと良い気分のままだった。自分よりもうんとたくましくなった、山羊の化け物みたいなシェーブルは相変わらず自分を慕ってくれている。モンスターは狩っても狩っても湧いて出てくるから、二人ともレベルアップを際限なく続けられる。
相変わらずミシェルへの想いを払拭できずにいたが、近づいてくる娘たちの数も日増しに多くなっていた。いつの間にか裕司は、一番目に情を交わしたメイドだけではなく、複数の娘らと逢瀬を重ねる事にも慣れてしまっていた。彼女らは裕司の眼から見ても淑女ぞろいだった。愛人が他にもいる事を糾弾しないし、ミシェルやシェーブルにも秘密の関係がバレないように心を配ってくれている。都合の良い相手たちだった。
異世界で充実した暮らしを行う一方で、現世に留まる時間は短くなっていた。アスファルトに舗装された道も、人間たちに巧みにコントロールされた植物たちにも興味を失っていたのだ。
それに現世に戻るとひどく身体が疲れた感覚に襲われるし、食事も美味しく感じられなかった。無関心だったはずの両親の顔色が変わったのもそれからだった。
「あんた病院に行ったほうが良いよ」
「仕事だかなんだか知らないが……少しは休め。そうまでして行く必要はない」
「オネガイ……逝カナイデ……」
――全く何なんだ。大人だからって大目に見てくれていたのに、今さらになって干渉してくるなんて
何故かインコにまで心配される身分となった裕司だったが、それはそれで不愉快だった。確かに現世では疲れるが、別に体調不良であるとは思わなかった。異世界への門をくぐったとたんに元気溌剌となり、向こうで出される植物羊や人の形に何となく似た人参果などを美味しく平らげているのだから。
ただそれでも、新調したばかりの腕時計のメタルバンドが緩くなっている事は彼も気になってはいた。値の張る腕時計を、手首の太さに合うように調整してもらったと思っていたから。
「ユウジ様、大切なお話があるのです」
今日も今日とてハイテンションで異世界に向かうと、シェーブルに呼び止められた。彼の角や毛皮は銀色を通り越していぶし銀のようなくすんだ色味になっていた。自分が持つ異世界への鍵や腕時計のくすみ具合と似ているなどと裕司はのんきに思っただけだったが。
既に裕司よりも体格も膂力も増しているシェーブルは、半ば裕司を引きずるような形で王宮の一室に連行した。最初に裕司が王宮を訪れた時に通された部屋ではなかった。
そこには普段以上に着飾ったミシェルがいた。彼女だけではなく、ミシェルに仕える若いメイドたちも居並んでいた。身分や仕事内容はまちまちであるが、彼女らには一つの共通点があった。裕司たちの愛人であるという事だ。
「ありがとうシェーブル」
「いえ、ミシェルの為だから……」
シェーブルはミシェルと言葉を交わしたのち、一礼して部屋を去っていった。女たちの、ミシェルの視線は裕司に等しく注がれている。
「あの……ミシェル様……この度は一体どのようなご用件でしょうか」
「ねぇユウジ様。あなたはその……私と結婚したいのですよね」
ミシェルの声は途中からしりすぼみになり、最後には蚊の鳴くようなか細さになっていた。見れば彼女は目を伏せ、赤面している。
「シェーブルからも言われました。自分が私の傍にいて護りたいけれど、自分が夫にならずともその役目はできると。それよりも相応しい相手はユウジ様であると」
「ですが……しかし……」
ミシェルに見つめられ、他の娘たちの視線にさらされ、裕司は冷や汗を垂らしていた。いくら何でも王女殿下は裕司の不貞は認めないだろう、と。
「別に彼女らとの関係については責めません」
ミシェルは至極あっさりとした口調で言い切った。心持ち、娘らも安堵したように裕司には見えた。
「王族たるもの血を遺す事が大切ですからね。彼女らは側室として扱うのであれば、別に問題はないでしょう。ですが、私の事を愛して下さるかどうか、それはいかがでしょうか」
ミシェルは言いながらふらふらと裕司に近付いた。半ば倒れ込むような形でしなだれかかる彼女の身体を、裕司は強く抱きしめた。甘い花の香りが漂ってくる。
「君がそこまで思ってくれるのなら、僕も幸せだよ……」
裕司は何かがパキパキと割れていく音と共に拍手の音が聞こえるのを感じた。それから強い多幸感満足感と共に、眠気を抱き始めていた。
※
○○市 ※※公園。先日一人の男性(二十代 無職)が行方不明になったというニュースは、そう大きくは報道されなかった。事件性は特になかったためだ。
今や子供も大人も怖いもの知らずのチンピラ小僧も近付かない※※公園の奥には、一本の見事な藤が繁茂していた。この藤は季節を問わず赤紫の花が咲き誇っている事で有名なのだが……地域住民はあえて近づく事は無かった。「この藤は人を喰う」と言う迷信がまことしやかにささやかれているからだ。真偽はさておき、その迷信を彼らが強く信じている事は、廃屋近辺に張られたしめ縄が古ぼけて朽ちない所からも明らかであろう。
しめ縄の一端は今は鋭利な刃物で断ち切られている。その先も植物が茂っているのだが、一本だけ道が出来ていた。何者かが、いや誰かが歩いて踏み固めたのだと言わんばかりに。
その道は、人喰い藤の手前で止まっていた。柔らかな腐葉土が豊富だが、藤の根元付近の土は妙に白っぽい。その周囲にはナメクジやダンゴムシやワラジムシが大挙して集まり、何かをむさぼっていた。
植物たち、特に藤が茂って天をふさいでいるように見えるが、それでも陽光が隙間を縫って地面を照らし出す。
そのわずかな陽光を鋭く反射するのは、真新しいメタルバンドの腕時計だった。
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