⑭異世界に逝ってみたい!(下) 副題:百花の誘惑

「ここが……異世界の扉なのか……?」


 さてハッカンの言葉を受けて異世界の扉へと向かった裕司だったが、到着した場所を見て首をひねるばかりだった。彼が辿り着いたのは公園の外れだった。先程松姫やハッカンと遭遇した公園とは場所も雰囲気も異なっている。

 先程の公園は柄の悪い輩がいたものの、あずまやがあり植木もある程度刈り込まれていた。いうなれば管理人か自治体の職員たちが手入れしている気配があったのだ。

 こちらの公園にはそのような気配は皆無だ。真夏の最も植物たちが成長する時期である事を差し引いても、雑草やつる草や樹木たちは野放図に枝葉を伸ばし、互いを互いに押しのけるかのように鬱蒼と繁茂していた。その緑の濃さは、真夏の日差しの許にいるというのに場所によっては濃ゆい闇を感じ取るほどである。

 さらに異様だったのは、この公園の片隅に小さな家屋がある事だろう。裕司は半ば吸い寄せられるようにそちらに向かっていた。だが家屋の様相を見ているうちに渋面を浮かべていた。

 公園に申し訳程度に据え付けられた公衆トイレ程度の体積しかないそれは、何処からどう見ても立派な廃屋だった。ねずみ色の壁につたかずらが這っているのは言うまでもないが、曇り切って今にも砕け散りそうなガラス窓やつたや草木に陣取られて動く気配のなさそうな引き戸などが、この小さな家屋に頽廃的な気配を付加させていた。その上生温い風が吹くたびに草いきれと腐りかけた花のような奇妙な香りが混ざり合った空気が裕司の鼻先をくすぐるのだ。

 だが異世界へ向かう扉がすぐ傍にある事を裕司は確信していた。ハッカンから貰った銀色の鍵から反応があったためだ。手のひらにすっぽりと収まるような、見た所種も仕掛けもなさそうなその鍵は、今では着信を受けたスマホのようにぶるぶると震えていた。その存在と何かを報せるかのように。


「お……」


 用心深く廃屋の周辺を歩んでいた裕司は、廃屋の扉を見つけた。見つけてしまった。銀色の鍵の震えが一層強まった気がしたが、扉自体には怪しい所は特に見当たらない。強いて言うならば廃屋の外観とマッチし、外れてはいないがやはり貧相な雰囲気に見えるという位であろう。

 ズボンに手を突っ込み、銀の鍵を取り出した。掴んだ時には鍵は震えるのを止めていた。震え続けていたら持ちにくいだろうと思っていたからこれはありがたかった。

 裕司は銀の鍵と扉とを交互に見やった。壮麗で重厚な銀の鍵が、果たして本当にこの貧相な扉を開く役割を担っているのだろうか? 至極当然な疑問を抱いていた裕司だったが、その疑問もあっさりと、実にあっけなく解消した。裕司が鍵を取り出した二秒後には、何もせずとも扉がひとりでに開いたからだ。

 廃屋の中に向かう扉であるはずなのに、その向こう側から見えていたのはセルリアンブルーの青空とイエローグリーンの草原だった。土曜日の朝に放映される子供向けアニメのような空間を目の当たりにした裕司だったが、その心には疑問は一片たりともなかった。

――やはりここは異世界の扉だったんだ。俺の冒険はここから始まるんだ!

 疑問がないどころか、意気揚々と裕司は扉をくぐった。

その様は、甘い蜜の色香に誘われ、ウツボカズラのウツボの中に飛び込む羽虫のそれに酷似していた。



 草原広がるその場所を、裕司は着の身着のままの状態で歩き続けていた。異世界の空気は現世よりもひんやりとしていたが、太陽(現世の太陽と同一か否かは解らないが、ひとまずそう呼ぶ事としよう)の光が下界を優しく柔らかく照らしていたので寒くはなかった。むしろ薄着の裕司にしてみれば、春か秋のような空気と気温は心地よいくらいである。

 ある程度歩いていると、草原の質が変化していた。降り立った時には明るい黄緑の葉色が目立つ芝生のような草原だったのだが、だんだんと生えている草花たちの種類も豊富になっていた。

 黄金色の花弁が美しい花が群生して花畑を作り、かと思えば低木につるを這わせ、赤や青、紫などの鮮やかな花を咲き誇るものもある。所々、羊のようなものがいるのも裕司は見た。黄緑がかった黄金色の毛皮という、珍しくも派手な色合いだ。頭を下げて周囲の草を食んでいるようだったが、奇妙な事に彼らは一歩たりともその場から動こうとしない。奇妙に思って遠くから目を凝らすと、羊には動物としての肢が無かった。胴の下部から生えているのは樹木の幹や枝を思わせるような組織である。それが羊の胴を支え、尚且つ地面に突き刺さっているという塩梅なのだ。


「ああ……やっぱりここは異世界なんだなぁ」


 半分植物の羊を見た裕司は、異世界が異世界たるゆえんを感じた気がした。

 しかしその事で気後れしたり、恐怖を感じたわけではない。むしろワクワクドキドキと言うような、小学生が抱くような期待と喜びが胸を満たしていた。迫りくるおのれの状況を素直に受け入れていると言えば聞こえは良いのかもしれない。

 だから脳裏に新手の飛蚊症よろしく顕現するステータス画面にも何ら疑問は抱かなかった。ステイタスの低さが気になったが、それは自分がニートだったからだろうと思う事にした。それよりもジョブが既に「勇者」になっている事の方が重要だった。

 何も行っていない自分が何故勇者なのか。無論そのような疑問を抱いたわけではない。単純に良い気になっていただけに過ぎない。


「勇者様、私のシェーブルを助けてくださりありがとうございます……」


 異世界に降り立って小一時間後。裕司は宮殿の中に招き入れられていた。彼の対面には、一人の少女が向き合っている。国の名前世界の名前は不詳だが、百花草木がモチーフになっている事だけは裕司も把握できた。宮殿の周りは裕司が見知らぬ草花と樹木が外壁の代わりをなしていたし、宮殿じたいもその壁や屋根、柱や床のタイルに至るまで植物の葉や花、果実などの意匠が至る所に施されていたからだ。雑多な花柄の模様を見ているうちに、監視されているような気がして軽い目眩を感じたのは裕司だけの秘密だ。

 それでもふらついたり倒れたりという醜態を見せる事は無かった。宮殿に招かれた裕司の傍らには物々しい様子の従者たちが用心深く様子を窺っていたし、それ以外にも裕司が宮殿に招かれるきっかけとなった、半獣人の少年がいたのだから。


 話は小一時間前に遡る。気ままにブラブラと異世界の道なき道を歩んでいた裕司は、倒れ伏している子供を発見したのだ。その子供は何処となく山羊を想起させるような白い毛皮と垂れた柔らかそうな耳が特徴的な半獣の異形だった。直立した獣に服を着せたような異形度合いだったが、既に植物にて異世界の洗礼を受けていた裕司はそれほど驚きはしなかった。むしろ、異形の子の足首に噛みついた罠と、翠の瞳に涙を浮かべながら泣きじゃくる様子の方が気になったくらいだ。

 要するに、山羊の子を放ってはおけないと思った訳である。漫画の世界でしか見た事のないトラバサミと、山羊の子の足首から流れる黄緑色の体液に面食らった裕司だったが、どうにかしてトラバサミを外そうと奮起した。とはいえ厳密に言えば、彼が行ったのはトラバサミと鎖の間に指を添えただけである。ただそれだけのアクションで、奇妙な事にトラバサミは弾け、山羊の子は解放されたのだ。

 黄緑の血を流す山羊の子は確かに痛がる素振りを見せていたが、それも最初のわずかな間だけだった。手当をと思って裕司が指を伸ばすと、山羊の子の傷は癒えていた。


「ありがとう勇者様! せっかくだからぼくのおうちに案内するね。助けてくれたお礼がしたいんだ」


 若葉のような色合いの澄んだ瞳をまっすぐに向けて、シェーブルと名乗る山羊の子は裕司にそう言った。シェーブルの誘いを断るという考えはなかった。若葉のような瞳と声変わりの終わっていないボーイソプラノからして、彼が何か悪心を抱いているようには思えなかったのだ。

 それによく見ればシェーブルは異形と言えども、可愛らしいバスケットに可憐な花や美味しそうな果実を摘んで採取していただけらしい。きっとこの子は山羊のママと暮らしていて、野イチゴやパイが並ぶような素朴なおもてなしを受けるだけだろう。裕司はそんな風に考え、ある意味高をくくっていたのである。

 だからこそ、シェーブルが立派な王宮に臆せず足を運んだ時には、さすがの裕司も驚いてしまったのである。


 さて話を戻そう。無邪気なシェーブルと裕司に視線を向けるのは十五、六くらいの少女だった。単なる少女ではない事は、その衣装の上品なきらびやかさや、彼女自身の立ち振る舞い、そして周囲に控える侍従たちの態度からして明らかだった。


「初めまして、私はミシェルと申します。※※王国の第一王女です」


 ミシェルと名乗った少女は恭しく一礼し、それからシェーブルにちらと視線を向けた。


「シェーブルは私が幼い頃から一緒に寝食を共にする、いわばきょうだいのような存在なのです」


 そう言うとミシェルは何処からともなくアクセサリーの一つを取り出した。丸い懐中時計に似ている。指で側面を押すと、ばね仕掛けのおもちゃのように蓋の外側が開いた。

 アクセサリーの内部にしまわれていたのは小さな写真であった。二人の幼子が花束を抱えて微笑む、実に牧歌的な写真である。一方がシェーブルである事は明らかだった。となると、隣に立つ童女はミシェルその人という事であろう。今の今まで、彼女が大切に持っていたのだから。


「見ての通り、シェーブルと私は違う種族です。しかし、種族も血縁も関係ないのです。母も父もシェーブルを息子だと思っております。それは私も同じなのです」


 シェーブルはこの国の王子そのものなのだ。ミシェルはきっぱりと言い放った。シェーブルはというと俯いて指をもじもじさせたり、フード付きのローブの裾の辺りを握ったり離したりを繰り返している。


「ですから勇者様。私のきょうだいであり我が国の王子であるシェーブルを助けてくださった、その行為に対するお礼を行いたいのです。何がお望みでしょうか?」

「ミシェル殿下! いくら何でも性急すぎませんか?」

「相手は勇者と言えども、異界より現れたどこの馬の骨とも知らぬ輩ですよ?」

「いやいや待ちたまえ。ユウジ殿にはシェーブル殿下を助け出したという功績があるのだぞ。やはり我が国の王子を助けたという事に敬意を表するのが筋というものではないかと……」


 ミシェルの言葉に侍従や臣下たちはうろたえているらしかった。国王や王妃ほどではないにしろ、王女とて国内での発言権は大きいはずだ。その彼女が見ず知らずの男に望む物を差し出すと言っているのだ。侍従たちの動揺も無理からぬ話であろう。

 もっとも、裕司本人もミシェルの言葉に驚いた一人だったので、そこまで深く考察などしていなかったのだが。


「ねぇみんな、ミシェルの言うとおりにしてあげようよ!」


 ざわめく中で声をあげたのは、誰あろうシェーブル王子その人だった。毛皮に覆われた肌なのに、うっすらと顔を赤らめている事が裕司には何となく判った。


「ミシェルはぼくに優しいけれど、本物の王女様として色々と我慢をして、ワガママを言わない人だってみんなは知ってるでしょ? ミシェルが勇者のユウジ様にお礼がしたいって言ったのは、ぼくがヘマをしちゃって、それをユウジ様が助けてくれたからだし……」


 シェーブル王子の声には無邪気さが多分に含まれていた。しかしだからこそ力強くもあったのだ。


「だからぼくからもお願いしたいんだ。ユウジ様に、望む物をお返ししたいって」


 翠の瞳に決意の光をたぎらせシェーブルが熱弁する中、周囲はもう静まり返っていた。侍従たちの表情に微妙なものを感じ取りつつも、今度は視線がおのれに向けられていく事に裕司は気付いた。

 ミシェルは目が合うと、裕司にニコリと微笑みかける。この時裕司は、彼女がエルフのお姫様だと言っても遜色ない程に美しい事に気付いた。少女と言うにはやや中性的だが、それがまた魅力的でもあった。


「さぁユウジ様。望む物を何でも仰ってください。宝でも地位でも名声でも領土でも何でも構いませんわ。もちろん私の裁量の範囲内にはなるでしょうけれど……ですがもしあなたも王子を望むのであれば、それくらいは快諾いたします」


 始終笑顔のミシェルに問われ、裕司は内心へどもどしていた。隣のシェーブルは無邪気な表情でこちらを窺うのみである。宝、富、名声、そして王女の婿。いずれも小説を読みながら欲しいと思っていた事柄であるのは事実だった。しかしこうして表立って欲しいかと問われると、現実味が無くて途方に暮れてしまった。


「ええと、私は――」


 言いかけたその時、裕司の尻ポケットから聞きなれた電子音が鳴り響いた。シェーブルが飛び上がらんばかりに驚き、侍従たちも眉を顰めたり伸び上がったりと忙しそうだ。

 異世界の住民たちには不慣れなこの電子音は、他ならぬ裕司の持つスマホの着信音に過ぎなかった。

 王女と王子の前であるという無礼を承知ながらも、裕司はスマホを確認していた。母からの電話だった。普段は息子に無関心であるというのに、どうしたわけか電話をよこしてきたのだ。


「あの……申し訳ないのですが」


 スマホを操作してからミシェルの方に向き直り、裕司はおずおずと口を開いた。


「願い事を申し上げるという話は、いったん保留にしていただけないでしょうか。皆様が仰る通り、僕はしがない異世界人です。それに、僕には僕で戻らねばならない場所がありまして……」


 流石にミシェルも裕司の申し出に驚いた素振りを見せていた。しかし侍従のうちの一人、いかにもベテランと言う雰囲気を漂わせるメイドが何か耳打ちをすると、ミシェルも納得したらしかった。


「そうですか。それならば仕方ないですね。帰るべき場所に戻らねばならないのは私たちとて同じ事です。またお見えになった時に、望む事を仰ってください」


 それからミシェルは密かな愁いを孕んだ眼差しをシェーブルに向けた。


「またお会いできると私は信じております。その時は、どうかシェーブルと仲良くしてほしいのです。これは私のワガママですね。王女としてではなく、シェーブルのきょうだいとしてのですが」


 かくして裕司は侍従らに送り出され、いったん王宮を後にする事となった。普段は自分を構わない母から連絡があった事、その母の連絡に律義に従おうとしている自分の心などに、いくばくの疑問はあるにはあったが。

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