⑫異世界に逝ってみたい!(上) 副題:百花の誘惑

「はぁ……やっぱり丸鼠先生の作品は面白いなぁ。さすが、書籍化作品を八本も出しているだけあるなぁ」


 竹島裕司は、スマホの画面を相手に嘆息の声を漏らした。薄い液晶の先に写っているのは丸鼠と言う作家の小説である。

 ウェブ小説界隈に疎い人間のために解説すると、丸鼠とはヨモカコで活躍する今を時めくウェブ小説作家である。サムネイルの役割を果たしているような長文タイトルと、そのタイトルから想起されるような頭の悪い、もとい展開が読めてある意味安心感のある作品を垂れ流すのが彼の作風である。時々作風が変わったかのように純文学の界隈で目撃されるような作品を投稿する事があるが、そちらの作品は殆ど見向きされていないのが現状である。

 ちなみにヨモカコは過去に上位作に蔓延るテンプレ作品を一掃しようとエキセントリックな手法を取った事があり、それゆえに多大なる混乱をもたらしたのだがそれはまた別の話である。

 さて話を戻そう。裕司は先程まで丸鼠の作品を読みふけっていた。もちろん文学の薫りが漂う方ではない。爛熟した欲望と接待の腐臭が漂う、思考停止待ったなしの方の作品だ。思考停止系の作品などにきちんとした筋立てなどは絶無なのだが、それでも無理に作品のあらすじを説明するとならば、「冴えないニートがこっそり異世界に通じる道を探し出し、異世界と現世を行き来する間に垢ぬけたイケメンに変貌しウッハウハになる」と言う内容であろう。

 意味の解らぬレベルアップと女子たちの称賛とスキンシップとエキストラ群のよいしょにより構成されたブツである。作者及び読者の欲望と妄想をそのまま文章に押し込めて垂れ流したとしか言いようのない駄作中の駄作を裕司が楽しんでいたのは、先の発言からも解るとおりである。

 誠に残念ながら、裕司は作中の破綻やキャラクターの人間性の希薄さなどは問題視していなかった。彼はただ主人公を羨むか、自己投影と言う名の生産性のない現実逃避に堕していただけに過ぎないためだ。裕司もまた、作中の登場人物と同じくニートと呼ばれる輩である。違うのは、異世界への扉を見出せず、いまもなお風采の上がらぬアラサー男として鎮座している事であろう。


「……?」


 手にしていたスマホが震える。裕司は眼鏡の奥にある瞳を細めた。妹からの通知だった。社会人である妹は親許から離れて暮らしているのだが、今日は思うところがあったらしく、戻って来るらしい。

 裕司はその通知を一瞥し、ため息をついた。妹と顔を合わせるのが今から憂鬱に感じていたのだ。出会い頭に喧嘩するほど険悪な間柄ではない。しかしながら、立派に働いている妹に対しての負い目があるのも事実だった。


「ただいまぁ。泊まっていくからこの子たちも連れてきちゃったぁ」


 戻ってきた妹の美春は前に会った時とほとんど変わっていなかった。変わっているのは、彼女が下げている鳥籠の中身だけだろう。小鳥好きの妹がメスの白文鳥を一羽飼っている事は知っている。しかし籠の中に納まっているのは二羽の文鳥だった。桜文鳥の方は白文鳥よりも一回り大きいからオスであろう。彼らは仲が良いらしく、胸と胸がくっつくほどに密着したり、くちばしで相手の羽毛を梳いたりしている。


「……増えたんだな、文鳥」

「うん。こっちの桜文鳥はピー太って言うの。用心深い子だったけど、チーコと仲良くなってくれたのよね」

「チーコの事は手乗りとして面倒を見ていたんじゃないのかい? オスなんぞと一緒にしたら、文鳥同士でくっついて、もう美春の事なんて見向きもしなくなっちまうぜ」

「そうかもしれないけど、チーコとピー太がラブラブな所を見るのって面白いのよぉ。可愛いし和むのよね」


 兄妹の鳥問答を行っている間にも、チーコとピー太はナチュラルにいちゃついていた。くちばしとくちばしを突き合わせていわゆるキスを行っている。

 ガチのリア充を目の当たりにした裕司であったが、リア充爆発しろなどと言う物騒な考えは浮かばなかった。恋人とは縁遠い裕司であるが、小鳥を愛する気持ちは妹と変わらない。現に彼も、実家でセキセイインコを飼育している所であるし。

 

 


「あーあ……俺も異世界に行く事が出来ればなぁ……」


 黒光りするクマゼミたちの鳴き声をバックグラウンドに、裕司はぼやいた。八月の日差しはきつく、アスファルトで舗装された道の向こう側は空気が揺らいでいるのが見えた。

 炎天下の外を裕司がわざわざ歩いているのは買い出しのためだ。しかも自分の為ではなくて母からの依頼である。母は裕司が家でぐうたらと過ごしているのだと思っており、時々それがおのれの責務だと言わんばかりの態度で買い出しを依頼するのだ。裕司としても色々と思うところはあるにはあるが、唯々諾々と従っているのが現状である。

 近場だから熱中症にはならないだろう。裕司はそんな事を思った。それでも吹き出す汗の雫でアスファルトを濡らしながら、数分先には到着するであろうスーパーへと歩を進めていた。


 スーパーに入店してから十数分後。裕司はレジ袋を片手に提げてスーパーから出てきた。昼時なので混み合ってはいたものの、目当ての品を購入する事はできている。

 あとは帰宅するだけなのだが、裕司はまっすぐ元来た道を進みはしなかった。行きしなよりも日差しは強まり、アスファルトからの照り返しと熱気も強まっている。涼しいところ、日陰を選んで歩こうと思ったのだ。場合によっては涼を取り、身体を冷やしても構わないとさえ思っていた。

 そのような考えがあったから、裕司はこの時公園に続く道を進むという判断を下したのである。剪定業者が仕事をさぼっているとしか考えられないほど繁茂した草木たちを見ていると、他の場所よりも何やら涼しげであるように見えるわけだし。


「ん…………?」


 カップルやチンピラ小僧が書き込んだ雑な落書きで埋め尽くされているあずまやに近付いた裕司は、異様な光景を目の当たりにし、片方の眉を吊り上げた。

 三人の若い男が一人の娘を取り囲んでいたのだ。娘は髪の長い、ミドルティーンからハイティーンほどの少女だ。露出はそう多くないが、鮮やかな原色のワンピースはぴったりと身体の輪郭を浮き上がらせており、それはそれで扇情的である。若い男の方は、ムキムキもガリガリもモヤシ野郎もいたがいずれにしても下卑た連中である事には違いなかった。分別ある紳士ならば。三人がかりで若い娘をあずまやの隅に追い詰め、あまつさえよだれを垂らさんばかりの表情など浮かべはしないだろうから。


「いーじゃねーかよ、おねぇちゃん。ちょっとは僕らの遊びと付き合ってほしーなー」

「こんな暑い所でブラブラやってるのも嫌でしょ? 俺たちと一緒に涼もうよ」

「てか、君って結構美人さんだからさ、モデルとか女優とかイケるんじゃね? 僕さ、カメラマンの才能あるから可愛く撮ってあげるよ?」

「…………」

 

 軽いめまいを感じたのは、暑気あたりのせいではなかろう。怯えて声も出ない少女を前にして、男たちは恐るべき事を口にしているではないか。

 白昼の公園だから、厳密には直截的な事は何も言ってはいない。しかし彼らが何を言わんとしているか、裕司にははっきりと解っていた。解ってしまっていた。

――一体どうすれば良いんだ……?

 恐怖とも困惑ともつかぬ感情が脳内を支配する中、それでも裕司は男たちの輪に近付いていた。何としても少女を助けなければならない。その思いが裕司を突き動かしていた。いや厳密には、おのれの動きに多少なりとも疑問は抱いていた。こんな引きこもりモドキのアラサーのオッサンなど若くてマッチョでウェイウェイ啼いているような輩に敵うはずはないだろう、と。それでも裕司の歩みは止まらない。おのれの意思であるはずなのに、何かに操られているような感覚でもあった。

 気が付けば裕司は歩みを止めていた。それとともに、男たちは少女に絡むのを中断してもいる。それは、彼らが唐突に出現した裕司に関心を移行させた事を意味していた。


「おい、ちょ……一体何なんだおっさん」

「レジ袋提げて買い物帰りにごくろーさーん。まさか、ケーサツ呼ぶわけじゃあないよねぇ?」

「まぁまぁまぁ、早まんなよおっさん。別に僕ら、女の子に声をかけていただけだし。早とちって変な事をして恥をかくのはおっさんの方だよ」


 はてどうしたものか。裕司の挙動について一番思い悩んでいたのは他ならぬ裕司自身だった。少女を助けるという意思を持って(?)ここまでやって来たわけであるが、何をどうすれば良いのか解らない。警察を呼んでも彼らの言う通りまだ何もやっていないのなら無駄なのかもしれない。さりとて、彼らを腕力で退ける事など不可能だ。

 裕司はちらと少女を見やった。彼女は滑らかな肌にうっすらと汗をにじませながら、しかし小動物のように小刻みに震えていた。遠目からは気付かなかったが、色鮮やかなワンピースの首周りは、フワフワとした赤褐色の羽毛があしらわれている。


「あ、まぁ、ええと……」


 四対の視線を受ける裕司の口から漏れたのは、何とも歯切れの悪い言葉であった。


「君たちと、そこのお嬢さんがどのような関係か僕には解らないんだ。だけど見た限り、その娘は君らを警戒し怖がっているように僕には見えたんだけど……」


 嗚呼、俺が知っているアニメの主人公ならば、ここはもっとカッコよく啖呵を切るのだろうな。それで後先考えず無頼漢をぶちのめすほどの爽やかな展開になるだろうに……いかにも礼儀正しい文言を口にしながら、裕司は内心でそんな事を思っていた。

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