⑪TSして美少女になりたい!(下) 副題:乙女たちの内側
「あ、だけどね、アカエリ野郎はボクの結界を打ち破って不法侵入しちゃう可能性もあるから、それだけ気を付けないといけないかもね」
アカエリ野郎が気を付けるべき存在なのだなと、美琴はぼんやりと思った。シートン動物記の主人公のような何とも牧歌的な名前だ。しかしその名を口にするアーティの表情は異様なほどに険しかった。
「あいつはヘナチョコな父親に似て野心も何もかなぐり捨てて隠遁生活を送っているんだけどね、ボクらの先祖、……・ソ……ス様の力を中途半端に受け継いでいるんだ。だから奴がその気になったら……」
妙な事を口走りつつ周囲を警戒する素振りを見せていたアーティだが、急にその顔に安堵とねちっこい笑みが舞い戻った。
「ま、大丈夫みたいだね。ちょっと気配を探ってみたけれど、あいつが近くにいる感じもないし。さてさて、キミとボクの間柄だし、積もる話もあるだろうから色々近況報告とかやってみてよ」
「近況報告ってほど大層なものではないけれど……」
アーティの視線を受けながら、美琴は今までの事を面白おかしい調子で語ってのけた。彼の指摘通り素の自分に戻ったため、男口調である事は言うまでもない。
「あー良かった良かった。慣れない暮らしだからキミが戸惑っていないかってボクもちょーっぴり心配だったからさ、新生活を満喫しきっているって知って、ボクも安心したよ」
「確かに、慣れるまでにはちょっと戸惑いとかはあったけれど……慣れたら本当に楽しいんだよな、美少女生活って」
美琴は可憐な面には似合わぬ醜怪な笑みを浮かべ、歌うように続ける。
「この完璧な美少女の姿をどれだけ眺めて触ってみても何も問題ないし、それどころか他の美少女たちとの過剰なスキンシップも出来るんだぜ。元の身体じゃあどだい無理な事ばかりだったんだ。それが楽しくなくて、何が楽しいって言うのさ」
「キミはヘテロセクシャルの男の子だったもんねぇ。女の子の事を深く知りたいって思うのは、そりゃあ当然の事だとボクも思うよ」
それにね、とアーティは意味深な笑みを浮かべて言い足した。
「キミはきっと、これからどんどん女の子たちの事について深く知る事が出来るとボクは思うよ」
「…………?」
美琴が首をかしげると、アーティはひらひらと手を振った。
「いやまぁ、とにかく元に戻りたいとかって言ってなくて良かったよ。まぁ、キミの元の身体も元気にやってるから、戻してほしいって言われても今なら戻す事は出来るんだけどね」
「え、俺の身体って無事だったの……?」
元の肉体に戻る。思いがけぬ言葉に目を白黒させていると、アーティはこともなげに解説を行ってくれた。
「キミの肉体には、今君が宿っている女の子の魂を代わりに入れておいたんだ。知っての通り、その肉体の持ち主は若くて前途あるお嬢さんでしょ? そのままだったら死んじゃうしキミだって心変わりがあるかもしれないと思って、あの娘の魂をキミの元の肉体に詰め込んでおいたのさ。リサイクル、循環型社会ってやつさ!」
アーティは高らかな声で説明を終えると、すっと立ち上がった。手元にはいつ取り出してきたのか、プラチナシルバーの鎖で繋がれた懐中時計が握られている。
「それじゃ、ボクは忙しいからそろそろお暇するね。だけど何かあれば、すぐにボクを呼んでごらん。ピンチの時には駆けつけるからさ――」
アーティの姿は数歩と歩み切らぬうちにふっと掻き消えた。それとともに、周囲の空気が一変するのを感じた。汗が噴出するような暑さと鼓膜を震わせる物音たちが、周囲に巡らされた結界の消失を教えてくれた。
※
女の子たちの事について深く知る。アーティが何気なくはなったはずのその言葉が、美琴の心の中に引っかかっていた。自身も美少女となり、さらには若干直截的なスキンシップさえできるようになっている身分である。女の子がどんな身体つきなのか、どれだけ愛らしくてフワフワしているのか、大体把握していると美琴は思っていた。或いは、男とは異なるホルモンバランスのサイクルだとか、そのような事についての話なのだろうか?
――アーティはあれでも人間とは違う変わった奴だったもんな。彼の言葉は気まぐれだったに違いない。
一応はあれこれと思案してみた美琴だったが、結局はそのように結論付けて、深く考える事を放棄した。それで、少女たちと触れ合っているから、自分はもう大体少女の事を知っていると思い込んでしまったのだ。
それはある放課後の事だった。部活もなく友人たち(もちろん美少女たちである)とだべりながら歩いていると、その進路をふさぐように男たちが立ちはだかったのである。
男たちの数は三人。いずれも十代後半から二十代前半位の若者たち――もっとも、若いと言っても美琴達よりは年上だろうが――だった。
若者と言っても初々しさや爽やかさとは無縁の存在なのは、頭髪の傷みを度外視して奇抜に染め上げられた短髪や、卑屈な猛獣のような眼差しを見れば明らかだった。
絡みつくような三対の視線を受けて、美琴はただただすくみ上るしかなかった。男たちは良くてチンピラ小僧、悪くて半グレ野郎に違いない。理屈ではなく本能がそう鋭く訴えかけていた。しかも連中は、あろうことか美琴に関心を持っているではないか。
「おうおう、中々の上玉じゃねぇか、お嬢さんよお」
センターにいた金髪ピアスが舌なめずりをして一歩近づいた。一昔前のドラマでも陳腐だとされる台詞を放ったわけであるが、それを真正面から笑い飛ばし、あるいはツッコミを入れる余裕など今の美琴には無かった。美琴の内面は熊谷郁夫と呼ばれた男である。しかしおのれを捕食しようと構える男を前にして、皮肉にも可憐な少女のような心境に陥っていたのだ。
「怖がらなくても大丈夫でちゅよ~。こう見えて、俺らやさしーからさ。暴れなかったら痛い想いはしないって」
「ああ、でもプルプルしちゃって可愛いなぁ。美人でドスケベレズ野郎だって聞いていたけれど、案外そそるなぁ……」
金髪ピアスの腰ぎんちゃくと思しき赤毛と巻き毛も思った事を口々に言い合っている。おのれの身に何が降りかかろうとしているのか。美琴はもう大体把握してしまった。彼女は一歩下がり、半ば反射的に後ろに視線を向けた。ケダモノどもを前にして、彼らから視線を逸らす事が悪手である事は美琴にも何となく解る。しかしどうしても、後方は確認せねばならなかった――一緒に歩いていたクラスメイトの少女たちが、無頼漢たちを前に怯えているであろうと思ったためだ。
「大丈夫、ふた……」
問いかけようとしたところで美琴はとんでもない事に気付いてしまった。連れの少女たちは、怯えも驚きすらもしていない事を悟った。彼女らは美琴に視線を向けているが、むしろ落ち着き払い、いっそ冷笑的でもあった。
「すっかり色ボケになったと思ったけれど、お友達の身を案じるようなマトモさは残ってたんだね、み・こ・と」
友達という言葉には、痛烈な皮肉が込められている事を美琴はひしひしと感じた。
「うちらは大丈夫だよ。だって、こいつらを呼んだのはうちらだもん。美琴、あんた最近調子に乗り過ぎだったんじゃないの? あんたはスキンシップだとか友達だからいいじゃんとか言ってたけどさ、セクハラだって陰で泣いていた娘だって出始めてるんだよ? あんたのお粗末な脳みそでも解るように、そこのメンズたちに色々教えて貰った方が良いなって思ったのよね、私たち」
友人だと思っていた彼女らの美琴に向ける眼差しは、完全に侮蔑と嘲笑で彩られていた。おお、やっぱり女の子は怖いねー。巻き毛がわざとらしく、気の抜けたような声で呟いているのが聞こえる。
「……ともあれ、君らはそのまま引き返した方が良いんじゃないかね?」
赤毛は愕然とする美琴を無視し、連れの少女二人に提案している。先程の下卑た気配は幾分マシになっていた。
「俺らが何をどうするか見届けたいのかもしれないけれど、それだと君らが首謀者だって足がついてしまうだろう。君らは被害者で、俺らに驚いてこの娘を放って逃げてしまった。先公やケーサツに尋ねられても、先にずらかっていた方がその弁は通ると思うんだ」
「どうしよっか……私は記念撮影も行いたかったんだけど」
「いや、こんなアホのせいで内申に疵が着くのも癪だし。行こっか」
女子二人は短い相談を終えると、そのまま美琴や男たちに背を向け、元来た道を歩き始めた。戸惑いの気配がない事は後ろ姿からも明らかだった。
「さぁ―て、お楽しみの始まりだな」
少女たちの姿が見えなくなったところで、リーダー格の金髪ピアスがにやりと笑った。美琴はカバンを取り落とし、その場にへたり込んだ。逃れる術は見当たらない。そもそも極度の緊張と恐怖で身体が思うように動かない。
男たちの節くれだった手指が近づいてくる。美琴は本物の少女のように叫んでいた。その叫びは悲鳴ではなく、くしくも途中から、ある青年の名を呼ぶものになっていた。
「はぁーい、どぅもぉ~~」
気抜けした声が周囲に響いたのは、金髪ピアスが美琴の肩に手をかけた丁度その時だった。唐突なる闖入者の存在に、召喚者たる美琴のみならず、美琴を襲おうとした男たちも呆然としている。
美琴にやや近い位置に立っているのは、アーティと名乗る青年その人だった。今日も今日とて純白のワイシャツに黒いスラックス、そして金の鎖でつないだ七つの珠のアクセサリーで身を固めている。
「な、なんだお前は」
「初めましておにーさんたち」
アーティは丁寧なのか軽いノリなのか判然とつかぬ口調で挨拶を返す。怯える美琴も殺気立つ男たちも気にしないと言った表情で、緋色の唇から言葉を紡ぎだした。
「ボクは通りがかりの該当調査員さ。仕事内容とかいろいろ語っていると原稿用紙六百九十七枚分になるだろうから今回は省略するね。
結論だけ言おっか。おにーさん。そこのおねーさんはボクのオトモダチなんだ。ヘテロ君たちが女の子に興味があるのはボクも結婚した事があるから解るけど、見逃してやってくれないかな?」
アーティの、筋が通っているのかどうかさえも怪しい文言に、男たちは顔を見合わせ目をしばたたかせている。ややあってから、金髪ピアスは正面からアーティを睨みつける。美琴を前にした時以上の殺気と獰猛さがその眼差しその顔つきから放たれていた。
「勝手にしゃしゃり出てきて何を言っているんだ坊主。お前に俺たちの行動を指図するいわれなんてねぇんだよ!」
美琴はアーティを見ながらじりじりと男たちから距離を取っていた。音もなく唐突に姿を現したアーティに不気味さを感じていないと言えば嘘になる。しかし彼の登場によりわずかに勇気づけられたのも事実だ。
だからこそ、頃合いを見計らって逃げようという算段も考える事が出来た。
気付けば男たちが取り囲む標的は美琴からアーティにすり替わっている。金髪ピアスが勿体ぶった様子で腰のあたりをまさぐる。他の赤毛や巻き毛も同じだ。
金髪ピアスが掲げる物を前に、美琴は目を見開くほかなかった。彼は臆せずナイフを取り出していたのだ。台所で見かける果物ナイフなどではない。サバイバルナイフの類だった。しかも恐ろしい事に、その武器を携えているのは赤毛も巻き毛も同じだ。
「見逃してやるって何様のつもりだ小僧? そんなお上品ななりをして、後で泣きわめいて許しを乞うてもそん時は遅いからな!」
「そうだぞ。ここは変にカッコつけて後で恥をかくよりも、大人しく見て見ぬふりをしてしまえ。それか俺らに加担すれば、お楽しみに参加させてやっても良いぜ」
「そもそも三対一で何ができるって言うんだい」
「そうだねぇ……ボク一人でもそんなオモチャで満足している君らなんてどうとでもなるけれど、助っ人を呼んでみるね」
アーティは不可解な事を口にしたかと思うと、左手をすっと挙げ、何もない空間を撫でつけるような動作を取った。ただ単なるジェスチャー未満の動きに見えたが、美琴には何故か、その場の空間を切り拓いているように感じられた。
次の瞬間、アーティの傍らには一人の少年がさも当然のように佇立している。アーティよりも若い、せいぜい十六、七くらいの少年だった。線の細そうな感じがした――その手に握る、赤黒い粘液を滴らせる鉈を無視すれば。
「……お久しぶりです、『道ヲ開ケル者』のみ使い、ヤツガシラ様」
「相変わらずキミは真面目だねぇ、祥平君。あ、だけど今のボクはアーティって名乗ってるからさ、そこんトコロよろしく」
「申し訳ありません……」
「解ればいいよ」
祥平と呼ばれた少年の、サバイバルナイフ以上に物騒な武器には全く言及せずにアーティは全く気軽な様子で彼に話しかけている。
「――それではアーティ様。僕はあれらを狩れば良いんですね?」
「んー。どうだろうねぇ……別に三下の咬ませ犬っぽいから、力を見せるだけでも良いんじゃないかな? どうせ色々とキメてるだろうから、この前の陰キャと違って肉質も悪そうだし」
表面上は和やかに進められる会話を聞きながら、美琴は一人震えていた。アーティにしろ祥平にしろ、下手を打てば自分を襲おうとした金髪ピアス共以上に物騒な存在であると悟ってしまった。
「ま、三対二ならキミたちもヤル気になってくれるかな」
アーティはずいと前に進み出て、金髪ピアスたちに問いかけた。彼と祥平の異様さは金髪ピアス共も感じ取っているらしく、獰猛そうな表情には困惑の色が滲み始めている。
「だいじょーぶ。祥平君は戦闘よりもお料理とその前の下ごしらえの方が得意だし、ボクももう長らく武器は握ってないんだ」
進み出たアーティはよく見れば丸腰ではなかった。身長よりもやや長い柄の先に、三日月状の刃物がつけられた得物を両手で握り、刃の先を今や金髪ピアスの眼球に向けている。
「この月牙鏟を前に振るったのが何百年前だったか忘れちゃったよ……最近は運動不足だから、手許が狂っちゃうかもね」
そのような事を言いつつも、重たげな月牙鏟をアーティは苦も無く振るっている。金髪ピアスたちは悲鳴を押し殺しながらじりじりと後ずさる。アーティの射程範囲から外れた所で、三人で寄り集まり情けない声をあげながらそのまま逃げ去ってしまった。
※
「大丈夫かな、お嬢さん」
アーティの差し伸べた手を取り、美琴は半ばよろめきつつも立ち上がった。何をどう言えば良いのか解らない。友の裏切り、暴漢悪漢たちの襲来、そしてアーティの恐るべき連れ……どれをとっても衝撃的な内容だというのに、数十分にも満たぬ短いスパンで、これらの全てが美琴の身に降りかかってきたのだ。オロオロするのは致し方ない事だ。
「女の子の本性という物が、これで解ったんじゃあないかな」
「…………」
にこやかに語るアーティを、美琴はきっと睨みつけた。前会った時に、キミはまだ女の子の事を深くは知らないと言っていたのを思い出したのだ。だがそれにしても、少女らが抱える醜い内心を知りたいなどと思った事は一度もないというのに。
「そんな顔をしなくてもいーじゃないか、お嬢さん」
上辺だけの困り顔でアーティは続ける。
「欲望のままに蠢くっていうのはさ、往々にして嫌われてしまう事だってあるんだよ。これを機に勉強して、真の愛されガールになれば良いんだからさ」
「愛されガールなんてこりごりだ」
美琴はため息とともに言い捨てると、縋るような眼差しをアーティに向けた。
「なぁアーティよ。望めば俺を元の身体に戻せると言ったよな。それは……」
「もう無理、だよ」
美琴が完全に言い切るのを待たずに、アーティは言い放つ。
「あの娘はキミの身体での暮らしに順応して、君以上に成功しているみたいだからね。今更君の境遇と状況を話したとて、誘いになんて応じてくれないだろうね。
ま、キミもその身体に宿ったんだし、そのまま頑張ってくれたまえ」
「え、ちょっと、待って……」
美琴はアーティを呼び止めようと手を伸ばした。しかしアーティも連れの祥平という少年も、美琴の声など聞こえないかのように背を向け、何の未練もないと言わんばかりん足取りで遠ざかってしまった。
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