きみの物語になりたい

糸花てと

第1話

 麦茶に溶けた氷がグラスに当たり、からんと鳴った。

 開けた窓、入り込んだ風を受け、カーテンは膨らむ。


日向ひなた、あとどれくらいで出来そう?」

「今まで書いたことないキャラで、台詞に詰まってるんだけど」

「原稿をそのままで良いって言ってるじゃない」

「せっかくの物語、良いものにしたいし。このキャラに乗り移れればなー」


 日向のタイピングの手が止まる。ノートパソコンの画面、ユーザー名には互いの名前を組み合わせてある。姓は日向、名は佳珠葉と読めるように。


「じゃあさ、演じてみない? 丁度、登場人物ふたりだけだし」

佳珠葉かずはと私で?」


 主に佳珠葉は漫画。日向は小説を書いていた。元を辿ればどちらも同じ、というわけで創作に励んでいる。

 机に向かい作業中の日向。ちょこんと肩同士をくっつけた佳珠葉は、人差し指で互いを示した。


「百合って、具体的に何をするの?」

「具体的って……、改めて聞かれると笑っちゃうなぁ、これは。女の子同士で、好きなんだよ。まぁその好きには、恋愛を多く含んでるけど」

「キスもありなんだよね?」

「そりゃあね、あるよ」


 日向は机のグラスを取る。麦茶をゴクゴク流し込んだ。太陽が空高くから照らし、気温は上がっていく。


「……一緒に居られるのは嬉しいし、楽しい……でも私たちは友達で、大好きで、だけどこの好きは、友達以上の感情……」


 入り込もうとしている日向に気付き、佳珠葉も台詞を口にする。


「貴女のことを解りたいし、私自身を知りたい」


 日向は立ち上がる。汗でしっとりとした肌、髪を耳に掛けた。吐息に混じり、日向は続ける。


「きみの物語になりたい」


 風を受け流れる髪を、手で押さえる。佳珠葉は徐に眼を閉じた。日向の息が当たる。佳珠葉はもう片方で人差し指を立てると、自分の唇につけた。日向の唇が、人差し指に触れる。


「あー、びっくりした、指か」

「日向は知らない方がいい。知らなくていい。女の子同士の恋愛なんて」

「相手を思える素敵な感情なんだし、否定する必要ないよ。同性であってもさ」

「日向だから言えることだよ。大切にしたいからこそ、その一線は越えないで欲しいとも思う」


 日向は指を動かす。迷いのないタイピングに佳珠葉は質問を投げた。


「出来そう?」

「きみの物語になりたい、か……、佳珠葉が見ている世界を見てみたいな。この話、佳珠葉自身のことなんだね」

「気付いて欲しいけど、やっぱ怖くてね。好きは良いことなのに、同性で感じた思いも好きでいいのか怖かった。小説を書いてるだけあるねー、分かっちゃう?」

「リアルに表現されてるとね。身近に居るか、自分自身のどちらかになる。──…私は、佳珠葉のこと、好きだよ」


 佳珠葉は少し俯く。日向の両手を握ると、顔を左右に振った。


「あたしの気持ちを肯定してくれるだけで充分だから。ありがとう、大好き」

「ほっぺにさ……、ちゅー、くらいは覚悟出来てるよ?」

「震える声で言わないで、罪悪感ヤバいから」


 佳珠葉はマウスを握り、公開をクリックした。一瞬だった。何かが頬に触れた、それだけが頭に残る。


「私がされる側なの? やだな~、する側だよ」


 日向の首元、襟を触る。佳珠葉はするん、と制服のリボンを外した。ゆっくりと押して日向を椅子に座らせる。佳珠葉は日向の唇の縁を親指でなぞった。


「しないように必死だったのに。日向が悪いんだからね」


 陽によって作られた影。二つの影は静かな部屋で重なる。



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