この世は、
ohne Warum|
第1話
生活の基準としては 10年前の続きを演じています。首里城での被災者の話で『マシュマロのお化け』を聞きました。キャンプ場でピザが焼かれ、魚の串刺し、2メートルのマシュマロのお化けの話の終わりに 彼女は水の中で目を覚ます。水泳をしているので服は着ていない。マシュマロのお化けは何処かへ消えた。テレビやゆとり教育と共に。父の名曲「戦争を知らない〜、僕ら〜は、子供さ〜。」
街の人は永久にsnsが暴露療法施設であり、街や人が、父と母の投影と確認作業に終わり、始まるだけの虚無であること。それから人は文化にでは無く、音楽と絵画、それから水などの夢に投影することでしか、争いは止まないこと。さらに無価値と矛盾を生かすことで、不在は居場所を与えられたこと。鉱物の生命としての人体の流れ、植物的な1日の繰り返しと、円環に囚われた僕らの孤島収容所。赤ちゃんとご老人の同一、悲鳴は精神病島や、白痴にされた幼児の脱出願望のシーニュでしかないこと。小人を焼き鳥や唐揚げにすることで、人体を殺さずに済む代償殺戮は不要なのだということ。ただの連絡網であり、戦友たちしかいないことを。都合が悪いので見つめることができない。泉まくらとマトリョシュカを提示したところで、それは人がくれたものを縫い結んだに過ぎない。文化のコラージュを日常範囲に生かすこと。大学は幼稚園なのだと初めに提示した。忘れないでほしい。僕らの孤島は midsummer とジョン・ウィックとして描かれた。
夢遊せずに夢想すること。漂わずに直進させる。夢中にならずに 夢を遠くに捉えて生かす。確認作業としての 眠りの投影。その描写は「精神療法」によって安定する。一つの試験だ。箱の中の猫が 不在する。不在という 鉱物の生命としての円環に生きる 僕らの身体。この世は 安楽死に終わる。酔いに伴うこと無く。寄り添わず。暁けに歌わず 遠く母を見つめて 父を赦す。劇場に。シューベルトがブラームスへ。サティがドビュッシーに。メンデルスゾーンにグリーグ。allegretto, tristesse, morning mood, 悲しメ。cv. 上條君
この世は、 ohne Warum| @mir_ewig
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