関わってはいけない①

 僕が王都サンタマリア第一魔術学院に入学してから三ヵ月が経った。


 季節はすっかり真夏で、肌をチリチリと焼くような日差しが辛い。


 アルテミスの馬鹿が誘拐されて以降は、これと言って問題も起きていないし、世界は平和で満ちていた。


「姉さんが鬱陶しい……」


 いつものように傲慢で人の話を聞かないアルテミスに屋上へと拉致られた僕は、どんよりと曇った表情で愚痴を呟く彼女の身内話しを聞かされていた。


「大切な姉妹なんでしょ? もっと優しくしてあげれば?」


「してるわよ! してるから、めんどくさいんじゃない! 四六時中私に付き纏ってくるわ、護衛を他の騎士に頼むわ、心配性だわで……鬱陶しい!」


 今日の彼女は一段と荒れていた。


 見ている分には面白いな。付き合わされている身としては最悪だが。


「私はもう十五歳なのよ!? 立派な大人よ! いつまでも子供扱いして……!」


「学生だからね」


「でも私は強いわ。そこいらの教師にも遅れを取らないもの」


「強さで人の格は測れないと思うけど?」


「そういうのは強者が言うから説得力があるのよ?」


 さいですか。


 相変わらず一言多い奴だ。遠回しに僕を馬鹿にしてやがる。


「それに、魔王なんてけったいな奴がいる以上、この世界は力こそが全てでしょ。弱者のままじゃ生きにくいわ」


「まあ、ね」


 それは認める。


 僕だって魔王として生まれてなかったら既に死んでる自信があった。強かったから生き残れた。強かったから、誰かを守れた。強かったから、自由に生きられる。


「それにしたって姉さんは過保護すぎる! 確かに姉さんと比べればまだまだ未熟もいいところだけど、私だって……」


 次代の勇者様の悩みは尽きないらしい。


 ざまぁみろだ。ついでに僕からも離れてくれると助かる。


「しかも今月は学年別魔術トーナメントがあるのよ! 全然集中できないわ」


 うん?


 今、何やら聞き覚えの無い単語が聞こえてきた。


「なにその……学年別なんとかって」


 僕が聞き返す。


 アルテミスが呆れた様子で答えてくれる。


「知らないの? はぁ、田舎者ねぇ、貴方。学年別魔術トーナメントよ」


 田舎者で悪かったな。こちとら別の種族じゃい。


「簡単に言うと、夏と秋に行われる生徒同士の決闘よ。お互いの強さを他の生徒や教師に見せる舞台ね」


「へぇ……それはまた」


 凄いねぇ、くらいの拙い感想しか出てこなかった。


 出場する剣士はきっと名誉ある戦いを強いられるんだろう。


「何を他人事のように……貴方も出るのよ? 学年別魔術トーナメントに」


「……は?」


「決闘は全生徒が参加する決まりなの。卒業後の進路に関わる事だから、ちゃんと本気で挑みなさいよ」


「いやいやいや! 僕はそんなイベントに興味はない! 断固拒否する!」


「却下」


「お腹が痛くなってきた!」


「今から痛めてどうするの? トーナメントはまだ先よ」


「当日までに治るかな」


「貴方の頭よりは、マシな症状じゃない」


「酷いな」


「いいから出なさい。これは命令よ? 頑張ったら、私が特別にご褒美をあげるわ」


 いりません。いやほんとに。


 僕はその日、トーナメントとやらに絶対に参加しない事を心に決めた。


「当日は、私が迎えに行くわね。感謝しなさい?」


「……」


 どうやら、僕の運命は定まっているらしい。


 誰もが戦えと祝福していた。サイコウ。




 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 薄暗い地下の書斎にて、複数の男女が椅子に腰を下ろして数枚の資料に目を通していた。


「貴方は……これをどう見ますか?」


 訊ねられた男は、一度首を大きく捻ったあと、控えめな声で言った。


「そう、ですね……。ここに記載してある事が事実だとしても、全貌は明らかにはなっていません。おそらく、公開したところで誰も信じないでしょうね」


「では……」


「ええ。我々だけである程度の推測と仮定を立てる必要があります」


 途方もない提案だ。


 男は、自分が一体どんな無理難題を吹っ掛けているのか自覚していたが、こればっかりはどうにもならないと向かいの女性達もわかっている。


「この手の話しに詳しい人を知りませんか? 残念ながら、私は専門外です」


「俺もですね」


「私も……」


「僕もちょっと難しいです。興味はありますが……」


 誰もがハッキリとした自信を持てずにいた。


 手元にある資料へ視線を落とし、再びそこに記載されている内容を心の中で読み上げる。


 これは、少し前に起きた次代の勇者アルテミスの誘拐事件の折に手に入れた謎の極秘資料だ。


 半分以上が焼けてしまった以上、詳しい内容までは明らかになっていないが、やたらと半魔についての言及が多かったため、訝しんだ彼等は興味を抱いた。


 その内の一人が資料の見つけた張本人、勇者エリスであったのは当然と言える。


「戦争。半魔。軍勢……」


 度々文章の中に現れる単語は、どれも物騒なものばかりだった。


 アルテミスがどのような理由で囚われ、どのような意図があってこんな資料を残していたのか……塵一つ残らず殺されてしまった主犯格がいない今、国内でも有数の頭脳を持つ学者を集めたところでそれは判明しない。


 わかることはごく僅かだ。


 今回の誘拐犯は、魔族と結託して半魔を人為的に創り出そうとしていた。それには魔族と人族の遺伝子を組み合わせる方法と、無理やり両種族を交わらせる二つの方法があったと被害者のアルテミスからエリスは聞いた。


 ゾッとする話だ。


 思い出すだけでもエリスは煮え滾る怒りを抑えきれない。彼女が言っていた謎の剣士が助けてくれなかったら……と、度々考えてしまう。


「この世界で……何か、魔王とは違う脅威が……」


 敵の正体は掴めない。


 まず間違いなく味方でない事だけはわかるが、それだけだ。


 情報も少なく、誰が信用に値する仲間なのかも不明瞭。


 もしかすると、この場にいる学者の中にも敵が紛れ込んでいる可能性が……。


「エリス様? どうか致しましたか?」


「――!? い、いえ……なんでもありません。少し、考え事をしていました」


 脳内に巣食った不穏な影をエリスは振り払う。


「何か良案は浮かびましたかな?」


 幸いにも、隣の男は気にした様子もなく話を続けてくれた。


「申し訳ありません。やはり、戦う事しか出来ぬ私には荷が重い話しですね」


「そんな事はありませんよ。貴方は十分に聡明な方だ。……ですが、今回の件は確かに学者の手にすら余りますね……」


「半魔の研究をしている人がそもそも少ない、ですからね」


 決して正解から遠ざかっている訳でもないのに、答えを掴めないもどかしさにその場の全員が僅かに落ち込む。



 いっそ国王に話してしまおうかとすら思った。


 そのとき。


 おずおずと自己主張の小さな男の手が上がる。


「どうかしましたか?」


「い、いえ……その、提案……というか、些細な話しになるのですが……」


 ぼそぼそと小さな声で、だが男はハッキリと言ってみせた。


「わ、私の娘が、ですね。その……昔から半魔や魔族の事に詳しくて……色々と調べ事もしているようなので、もしかすると役に立つのでは……ないかと」


「そ、それは本当ですか!?」


「は、はい」


 エリスは喜んだ。


 光無き暗闇を歩くような気分で満たされた心に、明確な薄い光明が見えたのだから。


「是非、お願いします! 今は猫の手すらも借りたい状況。学生とて例外ではありません!」


「わ、わかりました! 娘の方には私から伝えておきます!」


「よろしくお願いします。残念ながらこちらの資料を書き移して持ち帰る事は許可出来ませんが、時間はいくらでも作ります! 貴方の娘さんにどうか、御足労の程お願い致しますね」


 エリスのその一言で本日の話し合いは終わった。


 それぞれが散り散りに帰路へ着く。


 中でもエリスの表情は、ようやく問題解決への糸口が微かにでも見えるかもしれないという期待でほんの少しだけ笑顔に戻っていた。


「必ず……私達が解き明かしてみせる……!」


 物悲しい夕陽が、決意に燃えるエリスの背中を精一杯照らしていた。




 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆




 一日の授業が全て終了した夕方。


 まばらに散った生徒達の中を、くたびれた様子の僕が歩く。


「はぁ……アルテミスの野郎……ずっと僕を追いかけてきやがって」


 盛大な溜息をつく。


 三十分前の事だ。


 最後の授業が終わり、荷物を纏めた僕が寮に戻ろうとした瞬間、自分の席を離れた彼女がやってきた。


 開口一番に「買い物に付き合いなさい」と言われ、当然のように拒否した僕へ「却下よ」と告げたあの悪魔から全力で逃げた。校舎内は走るなと教師に注意されても僕は全力で逃げ回った。


 気が付けばアルテミスの姿はなく、男子寮の前で待ち伏せされていたらたまらないので、こうして他の生徒に紛れて街の方へと向かっている。


「と言っても……特に欲しい物もないんだよなぁ」


 生活に必要な物はある程度寮の自室に揃っている。ご飯も専用の料理人が雇われているから自動で出てくるし……。


「まあ、たまにはこうして人族らしい暇潰しも悪くない、かな」


 発想を変えよう。


 アルテミスに捕まるよりはマシだと考えれば、ただ歩き回るだけでも幸せな時間だ。


 それに、今の人族の技術がどれだけ進歩しているのかも気になる。ずっと自室で寝たり勇者達を見守るのも飽きた。彼女達は滅茶苦茶強いし、こういうくだらない事に時間を消費しても文句は言われまい。


「そうと決まれば、雑貨屋にでも顔を出すか」


 前にアルテミスから聞いたおすすめの雑貨屋が近くにあるらしい。


 何度か一緒に行くよう誘われたが、宿題がー、予定がー、と巧みに躱してきたためまだ一度も訪れた事がない。


 少しだけワクワクする胸の高鳴りを抑えながら、僕は速くなる歩幅に合わせて思考を巡らせていく。


 雑貨屋のあとはどうするのか。


 雑貨屋では何を買おうか。


 帰りには何を買って食べ歩こうか……などと、気が済むまで。

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僕は魔王なので死んだフリをして自由になりたいのに、勇者サイドが問題だらけで全然やって来ないんだが?仕方ないのでサポートしてやろう 七咲 @nanasakiaoi

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