世界の闇が動き出す⑥+
悪しき魔族との争いから一週間が経った。
あのあと気絶したアルテミスは現場に駆け付けた姉エリスの手で救出され、数日間の療養が言い渡されたらしい。
本人曰く、あの程度の傷なら一日あれば完治するのに姉さんは心配性だとか言っていたが、普通に肋骨を何本も折られていました。元気な奴だな。
で、そんな攫われ癖のあるアルテミスだが、復帰早々に僕の事を屋上へと拉致していった。
「あのさ……僕も暇じゃないんだけど」
屋上の片隅に放り投げられ、あまりの理不尽さに憤る僕。
しかし、諸悪の根源たるアルテミスは悪びれた様子もなく言う。
「どうせ暇でしょう? 私以外に友達いないくせに」
「失敬な。僕にだって話し相手くらいは………………」
「出てこないのね。哀れに見えるからそれ以上はやめなさい?」
うるせぇ。
僕は王都に友達を作りに来た訳じゃないんだよ。
勇者と次代の勇者であるお前をわざわざ守りに来てやったんだ。少しは感謝しろ。
「なにその目。私が休んでいる間は一人ぼっちで可哀想だと思ってたのに、随分な対応ねぇ」
「お構いなく。僕は一人が好きなんだ」
「強がる子はあとから惨めになるわよ?」
「強がってない」
「お黙り」
「はい」
次代の勇者様の発言力は強力だ。
人族の中ではいち市民でしかない僕に逆らう術はなかった。
「取り合えず、まず言うべきは心配を掛けた事ね。誘拐された件は聞いているんでしょう?」
「一応は」
「なら、喜びなさい。無事帰ってきたわ。ただいま、シリウス」
「わーい、嬉しくなーい」
「やり直し」
「おかえりアルテミス。無事でよかったよ」
「ふふ、私もまた貴方を虐められて嬉しいわ。今日からよろしくね」
「断る」
「やり、直し」
「程々にお願いします」
「どうしようかしら? どうしてもと言うなら、聞いてあげない事もないわ」
くすくすと何がそんなに楽しいのか、愉快に笑うアルテミス。
ちなみに僕は全然楽しくないよ? さっさとどっか行ってくれないかな? 生きてさえいればあとはどうでもいいからさ。
「やっぱり、良いわねこういう関係……」
「ん? なんか言った?」
風の音で聞こえなかった。
「何でもないわ。昼食を食べましょう。早くしないとお昼休みが終わってしまうわ」
僅かに頬を赤く染めたアルテミスは、それだけ言ってそっぽを向いてしまった。
実に意味不明だ。
僕は彼女の目の前に腰を下ろし、購買で買った安物のパンを頬張る。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
王都サンタマリア第一魔術学院の休日。
人生で二度目の誘拐を味わったアルテミスの隣には、国民ならば誰もがその顔を知る桃色髪の美女が並んでいた。
「姉さん……別に買い物くらいは一人で大丈夫よ」
「いけません。貴方は二度も攫われたのですよ。姉として、しばらくの間見守るべきと判断します」
真顔で言ってしまえる実の姉にアルテミスは辟易していた。桃色髪の美女、エリスの言う通り、誘拐事件は終わったものの勇者に対する悪意が消えた訳じゃない。危険は常にアルテミスやエリスの傍にあるのだろう。
だが、それにしたって過保護過ぎる。真っ昼間の大通りで少女一人を誘拐しようとする犯罪者なんて流石にいない。目立つし、バレバレだ。路地裏や人気の少ない通りにさえ気を付けておけば大丈夫だとアルテミスは思う。
無論、そんな常識的な考えは家を出る前に伝えた。そしてあっけなく拒否された。
「そもそも、貴方はまだ十五歳。うら若き乙女なのですから、平和な日中であったとしても邪な視線に晒されるはずです。私は姉としてそういう輩からも守るべきだと……」
一人で淡々と語る姉をスルーしてアルテミスは近くの店に入った。
そこは清潔感の溢れる純白の装飾が施された雑貨屋だ。所狭しと様々な物が棚に置かれている。
「あ、アルテミス! お姉ちゃんを置いていかないでください! 私の話を聞いていましたか!?」
妹の不在に気付き、姉エリスが追いかけて来た。
「姉さんの話しは長いもの。退屈だわ。それに、ここはお店の中よ? 他のお客さんの迷惑になるから声を荒げちゃだめ」
「むぐッ……」
きょろきょろと周囲を見渡してエリスは口を塞ぐ。全身に突き刺さる苦笑いにぷるぷる震えていた。
「アルテミスは……意地悪です。お姉ちゃんはこんなに貴方の事を考えていると言うのに……」
「一体、私を幾つだと思ってるの? もう十五よ。自分の問題は自分で解決出来る」
「出来ていないから心配なんです! 仮に問題なくても心配してしまうのが姉妹というものなんです!」
「そう過保護だから妹に嫌われるのよ……」
棚の上に飾られていた銀色のネックレスを手にしながら、ジト目で姉を見つめる。
別にアルテミスだってエリスの事は嫌いじゃない。鬱陶しいとかウザいとかめんどくさいとかそういう感情は抱いているが、基本的に超善人の彼女の事を誇らしく思ってもいる。
けれど、それを差し引いても鬱陶しい。
勝手に買い物には付いてくるわ。
勝手に説教を始めるわ。
勝手に自己満足のルールを敷くわ。
幼い頃は無邪気な善意でそれらを受け止める事が出来た。笑顔で「お姉ちゃんありがとう!」と言えた。
今は無理だ。
羞恥心とかプライドとか、成長した心が阻む。
「うう……昔はあんなに可愛かったアルテミス……。いつからこんなに厳しい子になってしまったの?」
「過去の思い出を引き合いに出さないでください。殴りますよ」
「暴力はいけません! そんな事では嫁の貰い手にも苦心しますよ!」
「ご忠告ありがとう、姉さん。未だに仕事仕事と恋愛に縁遠い貴方には言われたくないわね。婚期を逃すわよ?」
そう。そうなのだ。
人族の英雄エリスは、二十代に足を突っ込んだにも関わらず、婚約者どころか彼氏の一人も存在しない。人生の大半を打倒魔王に費やしてしまった哀れな女である。ボソッと呟いたところを聞いたが、今まで特定の異性と付き合った事すらないらしい。なんて純情なんだろう。アルテミスは泣きたくなった。
「わ、私の事はいいんです! 今は貴方の話しでしょうアルテミス!」
「話しをすり替えないでください。ダメですよ姉さん。彼氏がいないのは貴方も同じ。しかも私以上に歳をとってる事も考慮すれば……」
「アルテミス? そこまでにしておきなさい? 姉さん、怒りますよ?」
「!?」
エリスの身体から、膨大な魔力の圧が放たれる。
まるで魔族を前にしているかのような圧迫感だ。額に大粒の汗を滲ませてアルテミスは素直に頭を下げた。
「ご、ごめんなさい姉さん……! お願いだから落ち着いて!」
「うふふ、わかればいいんです。わかれば」
エリスはアルテミスからの謝罪を受け取り放出していた魔力を引っ込める。
「いいですか? アルテミス。人の恥ずかしいところを責めるような言葉や行動は、お姉ちゃんダメだと思います。短所より長所を見つけられる人になってくださいね?」
「は、はい……」
どの口が言うんだ、とは思ったが逆立ちしても勝てない相手に口答えする程アルテミスは馬鹿じゃない。大人しくその場を頷いておいた。
再びアクセサリー選びに戻る。
先程手に取っていた銀のネックレスを元の場所へ戻し、隣に置いてある複数の指輪を手に取った。
「綺麗……」
職人の腕が良いのだろう。ネックレスと同じ銀で作られた番の指輪は、どれも形が異なるだけで美しいバランスを保っていた。
次代の勇者とはいえ、ほとんど一般人と感覚の変わらないアルテミスにとっては、十分過ぎる程に魅力的な一品だ。
「あら、素敵な指輪ね。夫婦や恋人用の物かしら」
「ですね。つい目を奪われてしまいました……」
「欲しいんですか?」
「そうですね。いらないと言えば嘘になりますが……どうでしょう。一緒に付けてくれるような相手も……いない……」
不意に、言葉の途中でアルテミスの脳裏に一人の少年が浮かんだ。名前はシリウス。同じ王都サンタマリア第一魔術学院に通う同級生の剣士だ。
天才肌のアルテミスと比べて平凡より多少はマシ程度の腕前だが、人生で唯一の友人とも言える存在。
彼と、シリウスと同じ指輪を嵌める。何故か、それが凄く嬉しいと思ってしまった。少年の事だから絶対に受け取らないとは思いつつ、無理やり渡してしまえばいいのではないか? と思考を巡らせて。
「アルテミス? どうかしたの? 一つ余るようなら、お姉ちゃんが特別に付けてあげますよ」
急に黙ってしまった妹の顔色を伺うエリス。
「いえ、それには及びません。姉さん以外にも付けてくれる男の子に心当たりがありますから」
「え!?」
エリスは絶句した。そんなまさか! と自らの耳と最愛の妹の言葉を疑う。
「だ、誰ですか……!? そ、その男の子というのは!」
「姉さんには関係ないわ。私と彼の話しでしょ?」
「か、彼ぇ!?」
ガーン!
落雷を喰らったかの如く強い衝撃に苛まれるエリス。自分は二十年もの間、孤独な時間を戦いという日々に費やしてきたのに、まさかまさかの妹に先を越されるとは。悔しいのやら寂しいのやら複雑な気持ちが胸中に宿った。
正気ではいられない。
「だ、ダメです! お姉ちゃんは許しません! 学生の内から恋愛に現を抜かすなんて言語道断です! ハレンチです!」
「でも先程は嫁の貰い手云々と言ってましたよね?」
「それとこれは別問題です! うらやま……じゃなくて、学生の本分は自らの強さを磨く事! 弁えてください!」
「恋愛は自由でしょう? 勇者の妹だからと言って禁止される言われはないわ」
「いいんです! お姉ちゃん権限です! 学生の間は絶対に認めません!」
「つまり学院を卒業したら恋愛でも結婚でも子作りでも自由にしろと?」
「こ、ここここ子づ……!?」
流石は恋愛経験ゼロの二十歳。動揺の仕方が半端じゃない。
「落ち着いてください姉さん。優秀な血筋を後世に残すのはれっきとした上に立つ者としての役割ですよ? 恥ずかしい事ではありません」
「し、しかし……こ、こここ……子作……なん、て……」
「あら? 聞こえなかったわ姉さん。もう一度、なんて言ったのか、正確に、大きな声で言ってくださらない?」
「こここここここ」
もはや鶏であった。
赤面するエリスを前に、さしものアルテミスもやり過ぎたと反省する。
「もういいわよ姉さん。ごめんなさい。からかい過ぎたわ」
「からかっていたのですか!? ひ、酷い……!」
それにすら気付かなかったとは……。
「本当にごめんなさい姉さん。この手の話題にそこまで弱いとは知らなかったわ。純情なのね……姉さんって」
「や、やめてください!? 本気で謝られると何故か無性に悲しくなってきます」
「いい相手が……見つかるといいわね」
ポン、とエリスの肩に手を乗せて慰めるアルテミス。
「だから止めてください! 私の恋愛事情はいいんです! 近い内に素敵な殿方が現れますから! それより貴方の話しですよ貴方の!」
彼女の脳内はお花畑だった。
「誰なんですか、指輪を渡したいと思える相手とは! 怒られたくなかったら素直に吐きなさい!」
「姉さんは乱暴ね。私を脅すんですか?」
「私としてもあまり手荒な手段は使いたくありません。ですが! 大切な妹の交際相手を確かめなくては夜も眠れないんです!」
大袈裟な、とアルテミスは思った。
だがエリスは本気だ。徐々に身体から魔力が漏れ出している。
「……しょうがないですね。わかりました。お答えします」
またあの膨大な魔力を開放されたら堪らない。深い溜息をついてアルテミスは大人しく薄情した。
「魔術学院に通ってる同級生ですよ。名前はシリウス。家庭環境などは不明ですが、本人はとても面白い性格をしています」
「面白い……?」
「はい。私は姉さんの妹として恥ずかしくないよう、普段から気を引き締めて優等生然とした振る舞いを心掛けています」
「私は気にしませんよ。アルテミスの自由な姿が一番です」
知っている。姉が妹に何かを強いる事はほとんどないのだから。それでも姉の顔に泥を被せないよう振る舞いたいのは、完全なるアルテミスの我が儘。勇者には輝かしい一面しか似合わないという姉想いな少女の願いなのだ。
「ありがとうございます姉さん。ですが、私は今のままで構いません。いずれ、時が来るまでは。……それで話を戻しますが、シリウスは学院で……いえ、この国で唯一私が素を晒せる他人なんです。あけすけな性格を知っても尚、離れはしない。とても、とても面白い子、なんですよ」
エリスは驚いた。
あの他人を信用する事を嫌う妹が、楽しそうに異性の話をするなんて。
浮かべた笑顔が、屈託のない笑顔が眩しかった。
同時に、そのシリウスという人物に小さな嫉妬を抱く。彼女が生まれた時からずっと共に道を歩むエリスにとって、ただの学友がそこまでアルテミスの心を開いたのかと思うと、僅かに冷静ではいられなかった。
「酷い子なんですよ? 私が何に誘っても嫌そうな顔はするし、生意気だし、態度も悪い。けど……心の底から私を理解してくれる。そういう奴なんです」
「……そう。貴方は、私と違っていい出会いに恵まれているのね」
「姉さん……」
急に空気がしんみりとしてしまった。
無理もない。アルテミスの姉エリスは、幼い頃から飛びぬけた才能を買われ、一国の兵士として戦場を駆けていた。
アルテミスなんて足元にも及ばないような明るい出会いも沢山あっただろう。心の底から笑い合えるような友達や親友が傍にいたのだろう。
魔王と、戦う前までは。
先代魔王との闘いは熾烈を極めたと言われている。
配下の魔族に多くの民や兵士が殺された。
争いは三日三晩にも及び、決着のついた荒野を彷徨っていたのは……屍の山を乗り越えたエリスただ一人。
これから先、沢山の思い出を作れるアルテミスとエリスは違う。彼女は既に多くの戦友を抱え、友を得た。そして、誰よりも多くの哀しみを背負った。
一人、孤独という闇に苛まれたエリスが精神的に壊れる事がなかったのは、ひとえに妹の存在があったから。
この世界でまだ、自分を慕い、想ってくれるアルテミスの存在が、残り少ない彼女の心を支えたのだ。
故に、アルテミスはエリスを裏切らない。面倒だと思っても見捨てない。姉が将来独身を貫くのなら、それを支えようとも思っているくらいだ。
この熱は、一時の激情じゃない。永遠に続く確かな炎であった。
「……ねえ、お願いがあるのだけど」
「? 何か欲しい物でもあったの?」
「この指輪、二つ買ってくれませんか」
「!? や、やっぱりシリウス君に……あわわわ」
「違うわよ。一つは私。もう一つは……姉さんの分」
「ッ! あ、アルテミス……」
「私達は姉妹だけど、そこいらの恋人や夫婦にも負けない絆があると思うの。別に、ペアだったら構わないでしょう?」
二つ指輪を両手で摘まみ、アルテミスは優しい微笑みを見せた。
エリスはどんよりとした雰囲気を一転させ、同じように笑った。
「そ、そうですね! 別に姉妹で指輪を付けても変じゃありません! 買いましょう! 今ならおまけでお揃いのコップも買ってあげますよ!」
「えぇ……それは遠慮しておくわ」
「ええ!? な、なんでですか!?」
「コップは足りてるし、ちょっと重いかなって……」
「急に冷静にならないでくださいよ!? お姉ちゃんが気まずいじゃないですか!」
「大丈夫よ。私はそんな姉さんでも構わないわ。それより、こっちのネックレス、似合うと思わない? 私の髪色と同じなのだけど」
ぎゃあぎゃあ騒ぎ出したエリスをスルーして、最初に眺めていたシンプルなネックレスを手に取る。
豪華な宝石も奇抜なデザインもあしらわれていない素朴な一品だが、元々平民の彼女達にとっては親しみやすい物だ。
「え? そ、そうですね……アルテミスは何でも似合うと思いますよ」
「ありがとう姉さん。でも私じゃないわ。姉さんによ」
「私ですか……? どうでしょう」
「似合うわよ。保証する。指輪の御礼に、これは私が姉さんにプレゼントするわね」
「!? い、いえ! 私は大丈夫ですよ! その気持ちだけで十分嬉しいですから!」
「ダーメ。可愛い妹からの好意を無碍にするなんて、姉失格」
「えぇ!?」
賑やかに、煌びやかに時間が過ぎていく。
お互い、同じ暖かな感情を抱いて。
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