世界の闇が動き出す⑤

 アルテミスはかつてない窮地に陥っていた。


 目の前には手練れの剣士らしき男と、醜悪で強大な力を魔族の二人が並ぶ。いくらアルテミスが次代の勇者ともてはやされようとも、現状、彼等を同時に相手して勝てるビジョンがまったく浮かばなかった。いや、例え相手が魔族一人でも勝てないだろう。魔族とはそういう手合いだ。


「おや? 部下から手紙が届きましたね」


 お互いに相手の出方を窺っていた三人だったが、不意に室内に魔法で作られた鳥が乱入してくる。足に手紙を持ったその鳥をローガンは右腕に招き、慣れた手付きで開封した。


「……なるほど。地上では随分と面白い事が起きているようだな」


 くしゃりと手紙を握り潰して捨てる。


「あん? ついに勇者が動き出したか?」


「いえ、別の何者かが我々の邪魔をしているようです。何人もの部下がやられました」


「何者か、だと?」


「手紙によると、複数の少女らしいですね。外見は仮面やコートで隠していますが、相当な手練れかと」


「ふはっ! 勇者でもねぇ奴らが俺等の妨害を? 面白れぇじゃねぇか!」


 魔族の鬼が生物としてありえない声量で笑う。思わずアルテミスとローガンは両耳を塞いだ。


「うるっ、さいわね!」


 骨を軋ませるような轟音に、たまらずアルテミスはキレた。


「あん? ハハッ。脆弱なお前ら人族には、ちとキツかったか?」


「脳味噌まで筋肉で出来たような魔族には、理解出来ないのね。品性に欠けるという事が」


「言うねぇ。お前には大して興味はなかったんだが……くはは。気の強い女は嫌いじゃない」


「あら? ありがとう。私は貴方の事なんて微塵も興味ないけどね?」


「なに、適度に痛めつけてやれば素直になるだろ? 脆弱な人族だからなぁ」


「その人族の勇者に負けたのは、どこの魔王様だったかしら?」


 買い言葉に売り言葉。


 アルテミスと謎の魔族との間に、ピリピリとした空気が流れる。


「分かっているとは思いますが、殺してはいけませんよ? 大切な素体ですから」


「わかってるよ。手加減して優しく揉んでやるさ」


「俺は部下の不始末を片付けてきます。それまでは好きに遊んでくださって構いませんよ。もちろん、計画を勝手に進めても、ね」


「くはは! いいのか? 最初は人為的に生命を創り出す算段だろ?」


「ええ。その方が早く人族や魔族を滅ぼせますからね。けど、別に並行して進めても構わないでしょう? どちらせよ、我々の利にはなりますから」


「ククク。だ、そうだ、次代の勇者よ。楽しい楽しい時間になりそうだなぁ」


 好戦的な表情から一転、下卑た下衆の顔に染まる。


「遠慮するわ。生憎と、貴方は私のタイプじゃないし。それに、待たせてる知り合いもいるのよ。さっさと倒して自宅へ帰るわ」


 体内を巡る魔力を、全身に纏わせるアルテミス。武器が無い以上、魔力の出し惜しみは無駄だ。あらん限りの身体強化にて魔族を破る。


「ふむふむ……。魔力量は流石の一言だな。人族にしては多い。ローガンよりも僅かに上……か?」


 アルテミスの臨戦態勢を見ても余裕を崩さない魔族。ジッとアルテミス見つめたままその場を動かない。


 これはチャンスだ。絶対的な魔力を持つ魔族は、基本的に人族を見下している。歴史が敗走だらけの結果を出しているからだ。


 しかし、今回に限っては助かる。


 同年代を軽く追い抜くアルテミスでも屈強な肉体を併せ持つ鬼にはどう足掻いても勝てない。故に、突く場所は決まっている。敵の油断だ。


 魔族の驕りを利用し、油断を誘い、狡猾に仕留める。


 特徴こそ異なるものの、魔族は人族と似た身体の作りをしているため、急所である心臓や頭部、首などを狙えば殺せるのだ。


 鋭い刃こそ無いが、魔力を纏わせれば十分素手でも相手を殺せる。それだけの魔力量がアルテミスにはあった。


「行くわよ?」


「ああ、来い。お前の抱く希望こと、この俺様が粉々に粉砕してやろう」


 死線を交わし、十分に魔力を纏わせたアルテミスはーー動いた。


 目にも止まらず高速移動。


 地を、壁を蹴り上げて魔族の背後を取った。


「油断したまま死になさい!」


 攻撃は単調だ。


 利き手による突き。


 東の大国では貫手と呼ばれる技である。本来なら、キチンと指先の鍛錬をしないと逆に怪我をするような攻撃だが、汎用性の高い魔力で肉体の強度を強めたアルテミスの手なら、人体程度は容易く貫ける。


 普通の、魔力の通っていない肉体、なら。


「違う違う。これは油断じゃなくて、余裕って言うんだぜ?」


「そんなっ!?」


 魔族の喉元へ放たれたアルテミスの強烈な貫手は、こちらを振り返る事すらせずに佇む敵の手で掴まれ止まる。


 完璧なタイミングで威力と勢いが殺された。


「お前、魔力は一級品だが、それを操作する能力はまだまだ未熟だな。それじゃあ、ローガンすら倒せねぇよ」


「くっ!」


 咄嗟に左手で二本貫手を行う。狙う場所はアルテミスの右手首を握る魔族の右手首……の血管。


 魔力で防御されたら貫く事は叶わないが、多少なりともダメージを受ければ拘束も緩むだろう。


 けれど、相手は百戦錬磨の魔族。


 人族より遥かに血生臭い戦場を乗り越えてきた化け物だ。アルテミスが行動に移すより早く、握った彼女の腕を腕力に任せて地面へ叩き付けた。当然、引っ張られた彼女の体は腕だけでなく全身が打ち付けられる。


 接触する直前に魔力で背中を守ったが、凄まじい衝撃全てを吸収する事は出来ず、盛大に口から血を吐き出した。


「ガッ!?」


「くくく。いい声が出たなぁ? 骨の一本くらいは折るつもりだったが……土壇場でいい魔力操作をしたな」


 口元を、胸元を鮮血で真っ赤に染めたアルテミスを見下ろし、魔族の鬼はゲラゲラと楽しそうに笑っていた。


「……」


 強い。


 悔しさと共に、全力を出しても尚届かない魔族の暴力に呆れた。


 武器を持っていればまだ戦えた?


 武器がないからまだ負けていない?


 本調子だったらもっとやれた?



 否だ。


 そういう問題じゃない。


 武器の良し悪しなんて関係ない程に、目の前の魔族は強かった。そもそも相手も背負った巨大な斧を使ってはいない。同じ条件で戦って負けた。それが、プライドの高いアルテミスに太い棘となって刺さる。


「どうした、もう終わりか?」


 魔族の言葉が遠くで聞こえる。


 地を這い蹲った体勢のまま、アルテミスは動けない。片や、彼女の攻撃などなかったかのような無傷を晒す魔族。


 実力差は歴然だ。


 全身を巡る激痛に意識を手放しそうになった。


 ――その直前、アルテミスと魔族は確かに聞いた。背後の扉の奥から響く微かな靴音を。


「誰だ?」


 魔族の男が首を傾げる。


 ローガンが帰ってきたのかと思ったが、ひり付くオーラが別人だと教えてくれる。


 謎の足音は一切のリズムを崩す事なく、順調に扉の前までやってきた。



 正体は、漆黒のロングコートを身に纏った……一人の男性。


 少なくともフードの隙間から覗く僅かな髪の長さは、少々長いとは言え女性のものとは思えなかった。直感的に、二人揃って目の前の乱入者を男性と仮定する。


「なんだよ、てめぇ。ローガンの回し者か?」


 漆黒の衣を纏う男は魔族の言葉に答えない。


 きょろきょろと室内を見渡したあと、じっと床に倒れ伏すアルテミスを見つめた。すると、今度は音も無く男の背後に銀色髪の女性が現れる。同じ髪色のアルテミスだからこそすぐにわかった。美しい艶のある髪。彼女も毎日の手入れを忘れたりはしないが、元のレベルが違う。こんな状況だと言うのに、素直に嫉妬してしまった。


「他の者にこの施設の位置を知らせました。十分をあれば全員が集合するかと」


「了解。じゃあみんなには施設の周りで待機してもらって。近づく人は追っ払ってね」


「畏まりました」


 それだけ言って、銀髪の女性は姿を消した。


 残されたのは三人。


 二人の男が、非常に険悪な雰囲気で向かい合う。


「俺様を無視するたぁ、いい度胸じゃねぇか、てめぇ!」


「ごめんごめん。他に確かめたい事があったんだ。そこで床に這い蹲ってる子が生きてるのかどうかを、ね」


「つーとなんだ、お前がローガンの言ってた邪魔者か」


「ローガン? 僕は知らないけど」


「嘘ついてんじゃねぇ! 俺の玩具を奪い返しにきたんだろぉ? いいぜぇ。正々堂々戦おうじゃねぇか!」


 魔族が吠える。


 骨身を軋ませる轟音が、再び室内でけたたましく響き渡った。


 しかし、二メートル程の距離感を保つ謎の男は、魔族の叫びに反応する様子もなくただ静かに佇んでいた。


「声、大きいね」


 加えて、動揺した様子もない。先程と変わらぬ声色で魔族に気さくに話しかける。


 何故か、そんな男の姿を見て、不意にアルテミスの胸中がざわついた。なんとなく相手が誰だかわかるような気がして。けれど、いくら頭を捻ったところでまったく思い出せない。まるで脳内に濃い霧でも掛かっているような。


「くくく。わかるぜ。てめぇ、中々につえぇな? 俺の雄叫びを完全に防ぐたぁ、久々に殺し甲斐のある相手だ!」


 心の底から楽しそうに、まずは魔族が動いた。


 全身に纏わせた膨大な魔力が魔族の身体能力を底上げし、ただでさえ凶悪な腕力がアルテミスに振るわれた時以上の威力をもって、眼前の漆黒の男へと迫る。


「様子見かな?」


「ぐっ!? こ、こいつ……!? 俺の拳を!」


「――――」


 アルテミスは、未だ痛む腹部に手を添えながら驚愕に目を見開いた。


 空気を切り裂き、未だかつてない衝撃を伴った魔族の拳を、驚くべき事に漆黒の男は同じく素手で止めた。掌ではない。魔力を収束させた……指だけで。


「こ、これ以上……動かせねぇ、だと!?」


「魔力を込めただけのパンチが、僕に当たると思ったの? 舐められたものだね」


 必死な形相で更なる力を加え、圧し潰そうとする魔族。だが、それを指の力のみで押し返す男は涼しい表情を浮かべていた。顔には特徴的な笑う道化のような仮面が付いていたが、発する声色で判断出来る。漆黒の男はまだまだ余裕を持っていると。


「ふざけ、やがって……!」


「ふざけているのは君の方だろう? その戦い方は違う。本来の力を振るい、全力で僕に挑みなよ。……それとも、背中の斧は飾りかな?」


「――――!!」


 ブチブチブチ!


 アルテミスも聞こえた、魔族の堪忍袋の緒が切れる音。


 顔色がみるみると赤みを帯びて、憎悪に歪んでいた。


「ころ、殺す! てめぇは、俺が、必ず殺してやるぅ!」


 二人の均衡が崩れた。


 ほぼ同時に後ろへ飛び、縮まった距離を戻す。


 そして、アルテミスには決して見せなかった背中の武器を握り締め、膨大な魔力の奔流が解放される。


「こ……こんなの……次元が……」


 アルテミスは絶句した。


 魔族の本気を直に浴びて、心が折れかけたのだ。自分と比較すればわかりやすい程の差だった。二倍や三倍ではすまない。下手をすれば姉の半分にも届くような……圧倒的な魔力量。


 これが魔族。


 勇者が沢山の仲間を失い、多くの血を流した敵の力。


 こんな掛け値なしの化け物を相手に、姉は戦い続けたのかと、死に際になって気付けた。まだまだ修行が、成長が足りなかった。


「後悔してもおせぇぞぉ! 無様に命乞いをしても殺す! お前の死体をぐちゃぐちゃにしたあとで食ってやるよおぉぉぉ!」


 魔力の塊。魔力の渦。魔力の暴風。それらが、一斉に牙を剥いて漆黒の男に襲い掛かる。一撃でもまともに受ければ即死は免れないような暴力の嵐を前に、男はゆっくりと剣を抜いた。


 次いで、目にも止まらぬ速さで振り下ろされた斧を受け止める。


 金属音が鳴った。


 そのとき。


 男は身体半分を右側へ移し、流れるような動作で剣の向きを斜めに逸らした。当たり前のように衝撃は床へ落ち、ほんの一瞬の隙が魔族に生まれる。


 這うような黒衣の男の剣が不規則な動きで魔族の身体を切り付け、跳躍と共に二人は交差する。


 短いやりとりだった。現にアルテミスには彼等の動きがまったく追えていない。掻き消えたと思った瞬間には、立ち位置が変わっていた。


 唯一理解出来たのは黒衣の男が無傷で、魔族の肉体には複数の切り傷が出来ていたという事。


「吹いた割には大して事なかったね。終わり?」


「き、きさ、ま……!」


 二人は揃って構え直す。


 勝負はまだついていない。言わば、これはまだ始まったばかりの様子見なのだ。


「認めてやる……。貴様は強い。小さな外見からは想像すら出来ぬ魔力と技量だ。俺様が今まで戦った誰よりも強者だと、認めてやる!」


「そりゃあどうも」


「だが! それでも勝つのは俺だ! 総合的な力では俺が勝っている! 貴様の攻撃では致命傷を与える事は出来まい」


「ご覧の通りで」


「ならば、必然的に有利な俺様が勝つ!」


 黒衣の男に傷一つ与えられなかった癖に、自信満々な顔と声で魔族は言った。吹き出しそうになるのを堪えるので黒衣の男は精一杯だった。


「故に、寛大な俺様が一つの提案をくれてやろう」


「……提案?」


「そうだ。貴様は強い。俺様に限りなく近い程にな」


 そう言って魔族の男はスッと黒衣の男に手を差し伸べた。荒々しい魔力もどこかへ引っ込む。


「本来ならば殺すつもりだったが、その強さに免じて、今回のみ貴様の無礼を許してやる。俺様の部下になれ。貴様となら、確実な覇道が歩めそうだ」


「僕が君の部下に、ね」


「心配するな。お前の仲間も一緒に引き取ってやるよ。無論、手は出さん。好きにすればいい」


「なるほどねぇ。悪い条件じゃない」


「そうだろう? これから先、信じられるのは人族の王でも魔族の王でもない。半魔を従えるこの俺様だ。否定なんて選択肢は、はなっからねぇよな!」


「うんうん、実に面白い話だ」


 黒衣の男は構えていた剣を僅かに床へ下げる。それを降参のポーズだと早合点した魔族へ、


「だが断る」


 バッサリと明白な拒否が告げられた。


「……なんだと? 悪いな、よく聞こえなかった」


「断る。僕は、君の部下にも仲間にもならない。ちんけな覇道は一人で歩んでくれ」


「貴様……! いいのか? チャンスはこれっきりだ。今を逃せば、お前には確実なる死が降り掛かるぞ」


「問題ないね。自分の未来くらいは、自分の力で切り開くさ。それに……君程度の力じゃあ、僕を殺す事は出来ないと思うよ?」


 言い終わるや否や、魔族が動いた。


 再び圧迫されるような魔力を放出して、身の丈程の巨大な斧で黒衣の男を薙ぎ払う。

 横から迫る一撃。当たれば即死は免れない。後出しで躱す事も不可能だと、たった一人の観戦者のアルテミスは思った。


 しかし、三度目の魔族による攻撃はやはり黒衣の男へは届かない。魔族の振るう武器と比べて明らかに小さいシンプルな直剣が、轟音を立てて相手の衝撃を完全に吸収しきったからだ。


 魔族も片手。黒衣の男も片手。魔力も拮抗しているように見えたが、結果は異なる。

 三メートル近い巨体の一振りを、一メートルちょっとしかない生物が、更に小さな獲物で軽々と受け止めてしまった。


 この事実は、少なくない動揺として魔族の脳裏を駆け巡った。


「何故だ……!? 何故、さっきから俺様の攻撃を防ぎきれる!? てめぇは……てめぇの魔力は、俺以上だって言いたいのか!?」


「そんな驚く程の事じゃない。魔力っていうのは、量も大切だけどそれを操る力はもっと大切なんだ。練り上げ、練り上げ、より強固に、より圧縮した小さな魔力が途轍もない威力を発揮する。覚えておくといい。魔力の道は広く、深く、遠いのだと」


 黒衣の男が、競り合っていた魔族の斧を容易く弾く。


 ショックと油断、微量な恐怖に彩られた魔族はその程度の衝撃でいとも簡単にノックバックしてしまう。


 距離が再び開いた。


 どう足掻いても縮める事の出来ない距離が。


「まあ、此処で死ぬ君には……縁の無い話しだったかな?」


 黒衣の男が言った。


 そして――世界が震える。


「なっ……なん……だ」


「あり……え、ない」


 魔族もアルテミスも等しく絶望した。


 それは海。


 それは大樹。


 それは大空。


 それは世界。


 黒衣の男が解き放った魔力の奔流が、二人の常識を、価値観を、人生を粉砕した。


「わ、わ、わた……しの……何倍? いえ……何十……」


 推定するのも馬鹿らしい魔力が、狭く閉ざされた室内で渦を巻く。


 本能が察した。


 本能が訴えた。


 本能が諦めた。


 これは勝てない。この力には及ばない。この力の前では、人族も魔族も平等に無価値なのだと、目の前の二人は悟った。


「安心していいよ。人払いは、終わってる。この施設の周りには……誰も人はいないから!」


 剣を構える。


 魔力がどんどん黒衣の男が持つ剣の刀身に収束していく。


「ありがとう魔族。ありがとうリリス達。 こうしてたまに魔力を発散しないと身体が鈍るんだ!」


 上機嫌に黒衣の男が叫ぶ。


 部屋の出口は黒衣の男の後ろにある。誰も逃げる事は出来ない。


 ゆっくりと、死神の鎌を携えた悪魔が魔族に近付いていく。


 どうしようもない焦燥感に、死の恐怖が魔族の動きを阻害した。震えた両足はまともに前へ進もうとはせず、刻一刻と迫る死刑宣告を待つだけの案山子と化す。


 額からびっしりと大粒の汗を流して、ついに黒衣の男と数セントの距離まで接近してしまった。


「ゆ、ゆるし……!」


「ダメだよ。ダメダメ。君みたいな悪を逃がしたら、いつまで経っても世界は平和にならない。慈悲を請うくらいなら、始めから大人しくしてるべきだったね」


 黒衣の男は剣を持った右腕を引く。突きの構えだ。


 薙ぎ払い、振り下ろしでは流石は周囲への被害が抑えられない。あくまで目の前の魔族を殺してアルテミスを救うのが目的だ。一般人を大量に虐殺する予定はない。


「い、嫌だ! 俺様は……まだ! まだ、死にたく……!!」


「来世で会おう。分不相応な夢を見た……」


 腰を下ろし、ありえない程の魔力が凝縮された剣で魔族の胸元目掛けて、


「哀れな魔族さん」


 突き穿つ。



 光が走った。


 アルテミスが監禁されていた室内だけではなく、まるで世界そのものを染め上げるような眩い光が、王都サンタマリアを明るく照らす。


 あらゆる音が衝撃に掻き消され、あらゆる国民の意識が、夜中にも関わらずそちらへ向けられた。


 次第に刺突で作られた光の柱は輝きを失い、一分もしない内に元の薄暗い世界へと戻る。


 幸いにも床に倒れていたアルテミスは無傷だ。


 言葉も思考も呼吸すら忘れて、万物を消滅させた美しい夜空を見上げていた。

 黒衣の男の姿は既に消えていた。その事にも気付かない程に、次代の勇者は見惚れてしまったのだ。



 生物としての頂点に。



 現勇者も次代の勇者も関係ない。


 最強も最弱も等しく葬り去り、無力にさせる力。


 たった一人の個が世界の常識を塗り替える。


 始まりとも終わりとも言える魔力。


 あれこそが本物だった。あれこそが、最強だったと無意識にアルテミスは憧れた。

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