ライフルとSNS

竹尾 錬二

第1話 ライフルとSNS

 私が彼女について想いを巡らせる時、その笑顔より先に、特徴的な彼女のtwitterアカウントのアイコンを想起する。私は幼い頃から他人の相貌の分別が苦手であり、誰もがマスクが着用しているここ最近は、親兄弟の顔さえ見間違えるような有様だ。写真一枚残さなかった彼女の相貌も、私の記憶の中で日々鮮明さを失っていく。この機会に当時の事を少し回想してみようと思う。プライパシー保護のため、彼女の個人情報に該当にする部分には若干のフェイクを混ぜる事は、ご了承されたい。


 私と彼女は、twitterの相互フォロワーだった。出会いだって、同じコンテンツを愛する同好の士だったという、ごくごくありきたりなものである。当時熱狂していたコンテンツはかなりマイナーな部類で、私達は語り合う相手を求めていた。私が開いたチャットルームに真っ先に入室し、熱を籠めて語ってくれたのも彼女だった。SNSの付き合いではありがちな話だが、私は彼女が女性という認識すら持たず、同性の友人であると長らく思いこんでいた。そのコンテンツのファンは男性ばかりだろうと思っていた先入観も私の目を曇らせていた一因だろうし、彼女が猥褻なジョークに対してもノリが良かった事も原因かもしれない。

 私達は、次第にtwitterのダイレクトメールで会話する機会が増えていった。彼女が女性だと認識したのもその頃だ。彼女はアクアリウムが趣味で、私はビバリウムが趣味。お互いミニギャラリーが好きだったり、小説の執筆をしていたり。私と彼女の間には、十年来の友人でもそうそう無いぐらい程に趣味の共通点が多く、私は内心を開示できる友人が出来たことを喜ばしく思っていた。

 ある時、私は彼女が挑戦して書いた成人向けボーイズラブ小説を試読する機会を得た。彼女の執筆した小説の男性同士の性的な描写には、男性の性的機能に対する決定的な誤認が無ければ斯くの如き間違いは犯さないだろうという、深刻な瑕疵が存在した。

 私は、笑いながら彼女にそれを告げた。互いの性別を知らない頃から、散々卑猥なジョークを交わしてきた仲だ。遠慮は無かった。

 暫し、彼女の返信が止まった。


『実は、男性と交際した経験が無いので、全然知りませんでした(;^ω^)』


 そんな返信に、またしても私はモニター越しに大笑した。


 私と彼女は、次第にプライベートに立ち入った話もDMで行うようになった。彼女が、元女性自衛官だったことや、軽いADHDの気質があり、規律的な自衛官生活に堪えられなくなって退官したこと。その後一時期鬱に陥り通院したこと。

 そして、男性と交際経験が無く、一般的な――そう彼女が想像する――女性とは違う青春時代を過ごしてきたために、異性に興味があっても、どのようなアプローチをすれば分からず、自分の未来に不安を持っていること。

 何時の間にか、私達は単なるtwitterの相互フォロワーというには、余りにも互いのプライベートに立ち入り過ぎた関係になっていた。

 ブラウザ越しに行う会話の端々から、彼女からの好意めいたものを感じることも増えた。彼女に好かれているかもしれない、という思いが私を高揚させ、それは私の自惚れや思い上がりなのかもしれないという恐懼が私を正気へと引き戻した。

 男の「アイツは俺の事を好きかもしれない」という妄想程手に負えぬものはなく、世に数多あるネットストーカーの事例を挙げるまでもなく、自身の過去の失恋経験から私は己の直観を恃むことを避けた。

 しかし、私達は『機会があれば一緒に趣味の小旅行をしてみたい』という話題が出る程度には親密な仲であり、なるだけセクシャルな色を薄め、私は彼女を誘った。


『なら一度、旅行ついでに私とデートしてみましょうよ! 軽くでもデートをしたという経験があれば、喪女脱却の最初の一歩になるんじゃないですか?』


 喪女とは、もてない女性を指すネットスラングである。

 その後彼女は、そう誘ってくれるのを待っていた、と私に語った。


 ◆


 私と彼女との間には、SNSを介してしか会話した事がないという感情的な距離は勿論の事、私の住居は九州、彼女の住居は東海地方という、物理的の距離が長く横たわっていた。

 私は、最初のデートコースとして、京都を提案した。弟が関西に居を構えている関係で、京都には多少の土地勘があり、エスコートするには丁度良いように思えた。また、物理的な距離も私達の中間に近く、互いに気負わない小さな旅には丁度良かろうと考えたからだ。彼女も、京都には行ってみたい名刹やアンティークショップが多いとそれを肯んじた。

 彼女が心理的な拘束をストレスと感じることは、今までの会話で何となく掴めていた。予定は出来る限り緩く、ノープラン寄りで。顔を合わせて気の向くままにという方向で話は進んだ。

 女性と遊んだ経験も、オフ会の経験も幾度もあった。しかし、SNSを通じて出会った女性と二人きりで会うのは、私としても初めての経験だった。

 服装はかなり迷った。私自身は芯の無い人間であるが、SNS上では割と硬派なキャラクターを作っていたし、彼女にとっては折角の初デートだ。良い思い出になったと思って貰いたいし、私自身の見栄もあった。カジュアル過ぎず、萎縮させないようにドレスに傾かず。白のパンツとネイビーの薄手のジャケットに、ボーダーのニットタイを合わせた落ち着いた感じのジャケパンスタイルに決めた。

 日取りは、五月の連休。

 会話の端々から、彼女の緊張が感じ取れた。

 待ち合わせは、京都タワーに近い一角。目印はグレイのハットと黒い扇子に。

 果たして、彼女は来た。

 デニムのハーフパンツと、ミリタリー系のジャケット。薄いメイク。彼女にとって、自衛官だった経験は、アイデンティティを支える一つになっているという話は聞いていた。艶を見せないカジュアルな彼女の服装は、彼女もまた私に対する距離感を測りかねていることの証左のように見えた。

 軽い挨拶。互いのハンドルネームを確かめ合い、どちらともなく本名を告げ合った。

 SNSでの奔放な発言が嘘のように、彼女は緊張した面持ちを見せていた。私は趣味の分野に関しては彼女を知り尽くした十年来の友人のように感じていたが、肉を持つ目の前の彼女は、言葉を交わす度に現実での解像度が上がっていき、SNS上で自己キャラクター化した彼女ではなく、血の通った一人の女性としての存在感も増していった。

 私達は京都の洛中から洛東を当所なく歩いた。

 今日の買い物は全部私が持つ、ぐらいのつもりで予算は用意してきたが、彼女はどんな小さな事に対しても、割り勘をするのに拘った。年齢差、性別差――彼女は、私との間に金銭的な権力勾配が発生するのを嫌っているような節があり、それはいかにも彼女らしいと感じた。

 ショップを覗き込み、 伏見稲荷の千本鳥居を潜り、その梺では鶉の焼き鳥を食べた。変わった物を食すのが好みの私は雀を食べてみたかったのだが、生憎そちらは売り切れていた。


「また、一緒に来て、次は雀を食べたいですね」


 彼女はそう笑った。

 京都での彼女とのデートは、趣味が合う友人と歩く旅行の楽しさと、異性と歩く緊張が奇妙に同居していた。過去に女性と歩いた時には、自己の薄暗い部分を隠しておきたいという思いを拭い去れなかったが、彼女にはSNS上で己の嗜好を晒しきっているという、奇妙な安心感もあった。

 鴨川沿いを歩いていたとき、不意に彼女は足の痛みを訴えた。聞けば、彼女は足に靴擦れを起こしてしまっていた。彼女が履いていたのはローファーだったし、元自なら歩きまわるのは平気だろうと思っていたが、どうやら慣れない靴を履いていたらしい。

 半日のデートを通して私達はかなり打ち解け、男友達と歩くような気安ささえ覚えていたが、彼女に対して配慮が足りなかったのは、間違いなく私の不徳であり、私は己の至らなさを深く羞じた。

 少しふらつきながら立ち上がる彼女に手を差し出すと、驚く程強い力で握り返してきた。

 その後、京都植物園などのゆっくりできるスポットで彼女の足を休めながら、日没を待った。

 

 夕食は、花見小路に面した小さな料亭でとった。

 川沿いの桜はとうに終わり、瑞々しい青葉を繁らせている頃合いである。

 食事を終えて店を出ると、京都の夜はすっかり暮れていて、夜闇に浮遊する赤提灯が石畳と、数えきれない観光客を照らし出していた。

 ――これから、どうする?

 日中は初めてデートをする中学生のような初々しい顔を見せていた彼女だったが、この問いかけの意味が分からないような子供では勿論ない。

 

「してみたい」


 指を絡めた掌が、じっとりと汗ばんでいた。



  ◆


 彼女は、SNSでの会話の中で、性的好奇心は旺盛であると自己言及する事が度々あった。彼女はキッチュな言動を行う事が多かったのでその一環だったのか――あるいは、私だけに打ち明けた本音だったのか、今でも判じかねている。

 彼女がこのデートに、そんな行為が含まれるのか言外に尋ねてきた事も幾度かあったので、意識していたのは間違いないだろう。


「可愛い下着を選んでいて良かったです」


 ホテルで、彼女はそうはにかんだ。

 選択権を彼女に委ねたのは、彼女の意思を尊重したようでいて、彼女を誘いきれない私の心の弱さの裏返しでもあった。

 結論から言えば、彼女の初体験は成功しなかった。

 痛がった彼女に、私は行為を中断せざるを得なかったからだ。

 欲に任せて力ずくで貫いて奪うことも出来たのかも知れないが、彼女のピュアな側面を一日見てきた私には躊躇われた。

 

 言葉にできない気まずい雰囲気が私達の間に流れた。

 私は、ホテルの部屋の自販機で、性具を買って動かして見せた。

 彼女は、こんな物アダルトビデオでしか見た事がないと、蠕動する性具をつついて笑った。

 文字通りの、大人のおもちゃだった。

 

  ◆


 それから、私達は幾度か小旅行を共にした。

 私達のコミュニケーションインフラは、twitterからLINEへと変わっていた。

 九州と東海の距離は遠く隔たっていたが、互いにスケジュールを合わせて、名古屋の爬虫類イベントや、古武術演武会、ホラー居酒屋、ミニギャラリーでの展示会など、互いの趣味に合うものを巡って歩いた。変わったものも多かったが、過去これ程に趣味に合う女性と付き合った経験はなく、刺激的で鮮やかな体験ばかりだった。

 面白かったのが、空気銃の射的の店に入った時の事だった。彼女は、私のライフルの構え方が間違っていると、ストックを肩に強く押し当てるように命じ、姿勢から厳しく矯正した。それは、彼女にとって譲れない拘りのようだった。

 私達はデートを重ねはしたが、関係性は「試しにデート」のあの日のままで、互いの感情を口にする事は頑なに避けていた。

 彼女を拘束したくない――というのは私にとって都合の良い建前だろう。私達は、共に逃げ道を用意していたし、踏み込み過ぎて傷つくことも傷つけることも避けていた。言葉を交わし、ハレの日の享楽を共にしてきてはいたが、私と彼女は本質的に痛みを分かち合った経験がなく、関係の礎の脆弱さは常は感じていた。

 SNSで会話する時は意識した事もなかったが、私と彼女の間には十近い年齢差があり、若く可能性に溢れる彼女を、自分のような人間に付き合わせていいのかという苦悩もあった。私は彼女に、本当に好きな人が出来れば、私なんかに遠慮する事はないからね、とまで告げていた。束縛しないことをエクスキューズとしたその言葉の本質は、弱気で無責任の私の頼りなさの発露に違いなかった。

 

 ◆


 彼女と再び夜を共にしたのは、初めて出会ってから、丁度一年になる五月の連休だった。私達は二ヶ月前から予約が必要な西芳寺の苔庭園を堪能し、美術館の春画の展覧会を、手を握り合って眺めた。

 ――その晩、全てを遂げた後、彼女は「すき」と短く告げた。

 それは、曖昧なままで済ませてきた私達の関係を、先に進めようという彼女の決意に他ならなかった。

 だが、私は彼女のその言葉に応える事は出来なかった。

 SNSと、現実、両面で彼女と付き合ってきて、薄々と感じ取った事がある。

 私達は、心の似たような部分に歪みを抱えていて、惹かれ合っていた部分は確実にあった。だが、私と彼女の歪み方は決定的に異なっていて、添おうとするなら罅が入り、砕けてしまうような予感があったのだ。

 今思えば、どちらかが砕けて決定的な破局が訪れるまで、彼女と共に沿う道もあったのではないか――そんな悔悟が時折胸を刺す。

 彼女は下着を付けながら、薄く笑った。


「一年に一回ぐらい会って、遊んでセックスする仲もいいですよね」


 彼女は、単なるセックスフレンドと呼ぶには、余りに体を重ねた回数が少なく、情が移り過ぎていた。


   ◆


 その後も、私と彼女のSNSの付き合いは変わらなかった。

 互いの撮った写真を見せ合ったり、取り止めの無い話をしたり、ソシャゲのガチャで一喜一憂したり。

 だが、それも終りは訪れた。

 久々の休みに、彼女を旅行に誘った際、こんな言葉が帰ってきたのだ。


『ごめんなさい、地元で恋人が出来たので、今までのように遊ぶことはできません』


 私は、彼女を祝福した。

 彼女の恋人となった男に、軽い嫉妬も覚えたが、私がそれを口に出すのが許されない事ぐらい、弁えていた。

 私と彼女の関係は、こうして原点に戻った。

 SNSも相互フォロワーという関係が続いている。

 だが、私達が熱狂していたコンテンツも時を同じくして最終回を迎えてしまい、twitterで私達が言及する内容は徐々に離れていき、彼女のタイムラインを目にする回数も減っていった。

 一度、何かの折に彼女の呟きの一部が流れてきた事がある。

 彼氏が事あるごとに数人の元カノのエピソードを持ち出してマウントを取ってくるので、こちらも一人の元カレのエピソードを持ち出して、掣肘を加えている、という内容だった。

 彼女が語る元カレは、私の事に違いなかった。

 内心『おいおい、それはあんまりロクな男じゃないぞ、』とも思ったが、口が裂けても私が言える義理はない。私こそ、彼女の人生にとってのロクでもない男の筆頭だろう。

 それでも、彼氏にマウントを取る為に私の話を持ち出せるなら、私の存在は忌むべき過去ではなく、少しは楽しい思い出として残っているのだろうか?

 そう考えると、ちょっとだけ嬉しい。

 私は、彼女と付き合っていたとき、ずっとこの奇妙な関係を言葉で定義しかねていた。

 だが、彼女が私を元カレと呼ぶなら、私も彼女を元カノと呼んでも許されるだろうか。


 私は、twitterのアカウントを作成してから、十年以上アイコンを変えていない。

 元カノよ。SNSで語り明かした友よ。君のtwitterのアイコンは、今もあの時のままだろうか?

 個性的で、悩み多く、繊細な感性を持った貴方が、遠き東海の地で彼氏と一緒に幸せな日々を送っていることを、私は時折、九州の彼方から祈っている。


 

 

 

 

 


 

 

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ライフルとSNS 竹尾 錬二 @orange-kinoko

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