花弁に交われば赤くなる

@yumesaki3019

第1話

 私が居る。教室にいる。外は紅く、星が瞬き、血痕の如く染められた満月から色が染みだしている。

 「うざいなぁ」

 赤は、嫌いだった。体内から流れ出る赤を見るたびに頭がかき乱された。自分が消失する。夕焼けの様に全てを台無しに、素晴らしい色の調和に突如割り込んでくる。


 「最近君とよく会うよね」


 【彼女】が居る。白い花びらが教室に舞う中、雪解けの様な薄い色をしていた。

 「私は、君が忘れられなくなっちゃったんだ」

 白い花びらの中に忌々しい赤色が混ざり、赤の花弁に目を塞がれて。

 「だから、君にも忘れない義務が、絆があるんだよ」

 その言葉を最後に、【彼女】の白は亡くなった。様に思えた。


 「あぁ…また嫌な夢を見たなぁ、めんどくせぇなぁ」

 私は白いベッドの中目を覚ました。最近はよく同じ夢を見る。それは構わないのだが。

「なんでよりにもよって赤なんだよ!!!」

 赤は、嫌いだった。全てを包み込む広大な青なら楽しい夢だっただろう。夢を思い返し、苛立ちを物に当たり散らかしながら、準備を整える。

 私の画材も気に入っている筆も。生徒に自慢するべき描き上げた最高のイラストも揃っている。さぁ、私の舞台に上がろうか。


 「おう、中々うまく表現できているんじゃないか!流石天才の私の生徒だな!!」


「家でデッサンをしてきたのか!?お前も天才だな!!後でこっそりジュース奢ってやる!」


 私はとある高校で美術を任されている。当然天才の私は幾つかのクラスを担当している。これは私の素晴らしい方針なのだが、できうる限り満遍に褒めに褒めて長所を伸ばしている。

 考えてみて欲しい。今の時代は私の学生時代よりも遥かに勉強道具が揃っている。つまり、若いうちから、濃ゆい美術経験ができるという事だ。きっと私を超える逸材もこの生徒たちから現れるに決まっている。その可能性を自信がないからと摘ませるのは残酷だ。君もそう思うだろう??


「……先生誰と話してるんですか。もう慣れましたけど、ドン引きする人もいるんですよ。」

「おほん、失礼。天才には天才の悩みがあるんだよ。」

「それより、もう終わったのか三河雪音さん」

 三河雪音。私が密かに誰よりも期待している生徒だ。図書委員でもあり、生徒会に所属していると聞いている。その時点で行動力に満ち溢れていると評価しているのだが。

「やっぱり凄いな。さぞかしシャーペンが踊ったのだろうな。短期間にここまでデッサンが上手くなるとは。何かしらしてたのか?」

「いえ、特には。」

「何もしてないのにか…三河雪音さん。君も美術部に入らないか?」

「お断りします。もう一杯一杯ですから。」

「あら、残念だ」

 私はオーバーにジェスチャーする。ガックシのポーズだ。何故かって?そっちのほうが【面白い】だろう?

「あの、先生、お願いがあるんですけど」

 会話は終わったと考えていたがまだ何か言い足りないらしい。私に文句があるなら幾らでも受け取るぞ。

「この後休み時間に相談したいことがあるんです」

「なるほど、それで?何のことだい?」

 三河雪音は私の耳元に迫り小声で話した。


「青山真って知ってますか?」


 授業終わりの休み時間。私は三河雪音さんに問いかける。

「青山真さんがどうしたんだよ?青山はいつも真面目に勉強に励んでいると聞いてるぞ」

「いやそれはそうなんですけど」

「おう」

 私は美術担当だ。だからか、はたまた何処かで癪に障ったのか、職員室では人が近寄ってこなかった。それでも、噂の上澄みくらいは知っているのだが。青山の活躍も耳に入っていた。そんな優等生に何かあるのだろうか。

「どうやっても聞く耳をもってくれないんです」

「僕がどれだけ対話しても、後輩と一緒に話しかけても、効果が薄いみたいで」

「なぁ、そもそも青山は何をしたんだ?あまり知らないんだが。撮影部に入って写真を撮ってるんだろう。美術部にも来てくれたぞ。元気ないい子じゃないか。」

「それが、青山の二面性なんですよ」

「そこが、皆に好かれるんですけど」

「うん?」

 二面性?何を言っているんだ。

「とにかく、僕は彼女を壊れる前に止めたい。何か助言はありませんか?」

「助言と言われてもなぁ」

 私は美術専門で美術にしか興味がない。青山という優等生の為にできる助言など持ち合わせていなかった。だが


「まぁ、なぁ。雪音の話を聞く限り、何かに狂信的に向かい合ってるんだろう。」


「悪いが私には青山を止める気にはならないな。私も美術に狂ってる人間なんで。」


 雪音の顔が青白く染まっている。夢でみた白とは全くもって違うな。この白は使い古されたキャンパスの上に最後に乗せられた白だ。とても絵に採用する気分にはなれない。

「ただ」

「狂いきって安定することもあるし、大人に適度に相談もしてるみたいだし、そこまで切羽詰まらなくてもいいんじゃないか。」

「そうですかね…」

「はぁー…。全く」

 私は雪音の整えられた短髪に手を添えた。そしてゆっくり、筆に色を馴染ませるように撫でる。

「雪音は抱え込みすぎなんだよ。駆橋未来を見ろ。あいつ何も考えてねーぞ」

「ちょっと何するんですか!?」

 雪音から手を叩き落とされる。

「ありゃりゃ、嫌だったかい。私の手が絵の具で汚れてるからなぁ」

「そういうことじゃありませんから。」

「未来がいつもな、私の授業中に友達の頭を撫でてんだよ。真似てみたんだが、やっぱり上手くいかないねぇ。」

 暫しの沈黙。雪音は耳を赤く染めながら、重い口を開いた。

「でも、ありがとうございます。少し気分が良くなりました。」

「おう、なら良かった。天才冥利に尽きる。」

 そして、私と雪音は別れた。生徒のメンタルケアも先生の役目なのだ。


 放課後、美術部の扉を開ける。誰も居ない。当たり前だ。今日は美術部はお休みなのだから。

 「さて、始めるとするかね」

 私は一枚のシートをイーゼルに置かれた、私の才能を表現するには小さすぎる純白の舞台。これから鮮やかに染まりきる白い空。あぁ、愛おしい。世界を染める筆、水彩絵の具を取り出す。私は魂をキャンバスに溢れさせた。


 どれくらい時間が経ったのだろう。キャンパスには色がぶちまけられた。衝動に任せ情動を魅せる花弁がキャンパスに咲いていた。そう、つい最近繰り返し見てしまう夢を表現したのだ。繊細な下絵に文句はない。しかし、心苦しいながらもぶちまけた赤の花弁が全てを台無しにしていた。


 そもそも、あの夢は最後視界が真っ赤に染まるのだ。その一部分を切り取れば陳腐な絵になってしまう。この絵が叫んでいる嘆きは、悲しみは表現しきれなかったあの少女のものに違いない。朝のベッドの上で目を覚ますあの瞬間の様な、他の色に塗りつぶされ消えてしまう白が、出し切れていない。

 違う、これは、私の作品に【相応しくない】。私は、夢中に、楽しく、ながらも悲しく、ぶつけた魂の舞台を、ひきさく……。


「先生待って!その作品はまだ出来る!!だから破らないで!!」


 突然私の世界に入り込んできた声に苛立つ。今の私は先生だ。生徒に当たる訳にはいかない。その生徒は確か、天才の頭脳を働かせる。しかしさっぱり思い出せなかった。まぁこの瞬間ぐらいしか関わらなそうだしいいか。

「どうしてそう思うんだい?赤に敷き詰められてもう手の付けようがないじゃないか」

「違います、赤を拭うんです。上から白く塗り上げるんです。」

「…はい?」

 上から塗りつぶす。確かに良い案だ。普段の私なら採用していただろう。

「だが却下だ。もう水を吸収しすぎて、これ以上は紙がもたない」

「なら明日すればいいじゃないですか」

「は…明日??」


 創作家にとって物語はその瞬間に書かねば表現しきれない魂がある。美術にも同じことがいえる。だから放課後の絵はその日のうちに仕上げ、【相応しくない】と突き刺さらなかった物は引き裂いて生きてきた。


「あのな、美術はな、その刹那の感情を表現するもんなんだよ。日にちを重ねちゃ意味がない、と私は考えている」

「それは先生の主観的論理じゃないですか。今まで試してみようと思わなかったんですか」

「あぁ、そうだ」

「…気に入らない絵は壊してきたんですか」

 悲しげな青々とした雰囲気を醸し出す彼女。私の名が学校中に轟いているとはいえ、自分の事のように悲しむ彼女に少し興味が湧いてきた。

「絵をどう使おうと私の勝手だろう?」

「でも」

「でも、絵が、美術道具達が可哀想ですよ」

 美術室の明かりのみが点き、外は真っ暗で星の瞬いていた。その中、美術室のドアの前で泣き出しそうな彼女と暗い廊下は深海の濃ゆく、深い誰も寄せ付けない綺麗な青に見えた。

「お願いです、その絵を破らないでください」

「まぁそこまで言うなら、求められちゃ断れないね」

 ついさっきまで終わらせようとしていた絵を再びイーゼルに立てかける。嫌いな赤が滲んだ絵は美術室の明かりのせいか輝いて見えた。

「んじゃ、絵も描き終えたことだし帰りますかー。君も早く帰りなよ」

 少女の居た廊下を確認する。しかし

「あれ、どこ行った?もう帰ったのか?」

 少女は忽然と姿を消していた。


「あぁ、これは夢だな」

 また私は夢を見ている。

 流石に数えきれないほど経験すると慣れるというものだ。相変わらず外は血の様に紅い。白い花弁がまき散らされる。ふと気づく。昨日夢見た時は机の上に花瓶なんて置いていなかった。白い花なんて刺されてなかった。その意味は当然知っていて。気味が悪い。また【彼女】が現れる。

「描いてくれてありがとう」

「また会えてうれしい」

 何故私がこの夢を題材に舞台を作り上げたのを知っていたのか。何故私がこの夢を何度も見るのか。何もかも分からない。今日もまた忌々しい赤の花弁に呪われ、目を潰される。花弁の隙間から見える【彼女】の笑顔は、相変わらず優しくも消えてしまいそうな朝日の様な白だった。

 

 放課後、私は再び美術室にいた。昨日の絵をどうにかするためにだ。美術室に置きっぱなしにしていたのだ。生徒たちに見られる可能性を考慮しておらず、授業前に四十人の生徒に晒された時はもう顔から火が出るかと思った。結局大絶賛だったから良かったものの。次があるとしたら絶対に隠しきろう。

 「しかし、こいつをどうするかね」

 手をこまねく。魂をぶつけた作品を上書きするなど考えたこともなかった。一点ものだからこそ絵は美しいのだ。瞬間の切り取りこそ絵の真骨頂。重ね塗りは油絵などしか使わないイメージだ。

 「でも、お客さんがいる以上やるしかないね。」直感で今日もあの彼女は来ると確信していた。というか。私の絵に魅了されていたんだ。見に来ない筈がない。それまでに仕上げて度肝を抜いてやろう。改めて気合を入れ、色鮮やかな舞台に筆を躍らせた。

 どれほどの時が経ったのだろう。周囲が黒く染まり星が瞬く中、私は飲食を忘れ熱狂していた。

「はは、この色じゃないな。赤に打ち勝つ色がない、かといって黒を使う訳にもいかない。紫にしようにも汚い紫じゃ夢のあの教室を再現しきれない。」

 どれだけ足掻いても、昨日筆を狂わせて描いた赤が邪魔になってしまう。上書き自体は出来るんだ。絵の隙間に赤が映り込む事が嫌で嫌で仕方ないんだ。天才の私がここまで狂わさせられるのはあの日以来だ。狂うほど熱中する。楽しい、楽しい、楽しい。

 高揚した中私はキャンパスの【赤】を、燃え上がる赤を見てしまった。瞬間頭に痛みを感じ、筆をキャンパスに落としてしまう。頭を抱えてうずくまる。少しだけ頭を押さえ込まれた気がする。そして、私は、忌々しいあの日のことを頭痛と共に思い出した。


 あの日、高校生だった私は当時から絵にのめり込んでいた。どんな作品を出しても必ず賞が貰える、それ程の逸材だった。私は知らなかった。嫉妬を向けられていることも、親友が快く思っていなかったことも知らなかった。自分の事ばかりで、周囲が見えてなかった。


 だから、それは起きた。美術室に置きっぱなしにしていた、毎日努力を積み重ねて描ききったイラスト達は、全て赤く染められていた。今まで賞を取っていた作品もだ。積み重ねを全て台無しにされた。   その後の事は覚えていない。絵を辞めなかったという事はそれなりになにかあったのだろう。謎は残るが、私はこうして、刹那を切り取り絵に描き魅せる、速筆の天才になったのだ。







「大丈夫、大丈夫ですか。」

 体を揺さぶられる。重い瞼を開けると昨日の彼女が倒れた私を覗き込んでいた。

「ありゃま、カッコ悪いところ見せちゃったね。大丈夫だよ」

 と瞬間思い出す。倒れる直前筆はキャンパスに伸びていたと。嫌な予感は的中した。一番大事な、白く笑う彼女の顔に赤がべっとり付いていたのだ。

「あぁ、終わった…」

「この程度なら問題ないですよ。」

「この程度って、あのね、この彼女の顔はね、儚くも美麗にしなきゃいけなかったんだ。こんなに汚らしく赤を付けちゃおしまいだ」

「ならまた上乗せすればいいじゃないですか。」

「はぁっ!?」

 彼女は何を言い出すんだ。これ以上上塗りすればますます色が混ざって黒く虚無になってしまう。本当は引き裂いて紙片にしてゴミに捨ててしまいたい。けれど

「まぁ、明日がありますよ。それじゃ、また明日」

「ちょっとまて!!」

 彼女にも聞きたいことばかりだ。一瞬目を離した間に彼女は居なくなっていた。

 またも失敗してしまった絵を見る。魂の重ね塗りをぶつけ直したからか、キャンパスも水にぬれてふやけてしまっている。ここまで来たんだ。もう止められない。こうなりゃ全力で挑んでやろう。



 次の日は休日だった。花弁の夢を見ることはなく爽快に目を覚ました。朝ご飯を食べ、弁当を作る。画材を、必要な道具を持ち出す。私は改めて兜の緒を締め、登校した。

 事情を説明すればすんなり学校に入れた。美術室に向かい鍵を差し込もうとする。が、ドアが緩く、開いている。疑問に感じながらも扉を開けた。

「先生遅かったね、寝坊した?」

 なんと彼女がそこにいた。

「なんで、ここにいるんだ」

「先生の考えることならお見通しなんだよね」

 彼女の事も気になるが、まずは絵だ。絵を仕上げてしまおう。


「ねぇ、先生」

「なんだ」

 彼女に声をかけられ、集中が途切れてしまう。

「私も絵の練習してるんだ」

「そうか」

「もう少し反応してくれても良くない!?」

「今集中してるんだ。少し待ってくれ。」

 暫しの沈黙。無音の中私の息遣いと筆の音だけが聞こえる。そうだ、この時が、一人で絵に熱中するこの瞬間が最高なんだ。

「先生」

 またも緊張が途切れる。

「なんだ、邪魔をしないでくれ」

「先生って、長大作な絵は描かないの?毎日積み重ねれば絶対凄いの出来るよ」

 筆が止まる。心が鉛色だ。今の私の顔は何色に染まっているだろうか。きっと黒だろう。

「途中で壊される可能性があるだろう!!!折角の作品を汚されるなんて御免だね!!!!!!」

 私の校舎中に響く叫ぶをさらりと躱す。

「信頼できる人に相談すればいいのに。独りぼっちなの」

「はっっ!!天才とは孤高なものなのさ!!」

「孤独なんだね」

 言葉が刺さる。違う、私はただ作品を守りたいだけで。信用していない訳ではない。決して強がっている訳ではない。断じて、違う。違うからな。

 

「仕方ない、孤独な先生の為に、わたしが人肌脱ぎますか」

「…何?」

「わたしが、先生の絵が汚されない様に守ってあげる。だからさ。今描いてる絵が、舞台が煌めき終えた後も、また同じ様に超大作描いてよ。」

「気が向いたらな。」はぐらかす。所詮約束を交わした所ですぐに忘れるだろう。そう考えている。そうあってくれ。邪魔でしかない。


 そして、その時はきたれり。




「ふははははっ!!!!」




 私はえびぞりになり高笑いする、あぁ最高の気分だ!



「出来た!?出来たんですか先生!!」






「行き詰まったぁ!!!」

「ええっ!?」

 そう、私はものの見事に行き詰まった。

「あと少し…あと少しなんだ」

 頭を抱える。後は例の淡い白が出すだけなのだ。しかし、色が調合出来ない。どれだけ混ぜようとあの白に出来ない。夢が、再現出来ない。


「一旦休んだらどうですか?時間はたっぷりあるんでしょ」


「違う、時間は有限なのだ。ここで止まっている訳にはいかない。」


「えっ?」


 私は彼女の前に立ち、肩に手をかけ揺さぶりながら問い詰める。


「良いか!?創作の天才達は、偉人達は、誰もがこの世から居なくなった後に評価された!!その筆捌きを、生き様を見知らぬ場所で認められたのだ!私はそう在りたくはない!もっともっと、認められるべきなのだ!そう、例え汚されようと跳ね除ける程の実力が!!必要なのだ!!汚した馬鹿どもを見返す程の実力がな!!!だからこそ、私はこの一瞬一瞬に全てを賭ける!!この刹那に産まれる色を、我が魂を、魂を分けた同胞を塗りたくる!!塗りたくって我が世界を創る!!そして見返すのだ!!!あいつらを!この世界を!!私色に染めてやるのだ!!その為には時間が足りない!!早く白を生み出さねばならないのだ!!良いか!!!私にはとにかく!時間が!!足りない!!」



「うっさいなぁ!馬鹿は先生の方でしょ!!」


 パチン


 私は今、何をされた?彼女の右手が私の頬につき、顔ごと右に逸らされた。頬が赤に染まる。手形がつく。なんだこれは、感じた事がない痛みだ。そういえば物語で聞いたことがある。女性が男性に対して反撃の手段の一つとして【ビンタ】とやらがある事を。まさか、私は、それを喰らったのか??




「はぁ…先生は、要は、汚されるのが怖いんでしょう」


「なっちがっ」


「引きずりすぎなんだよ、先生は」


「は!!!な訳」



「素直になりなよ」



「…はは、天才の私に説教なんて何様のつもりなんだろうな」


「だからぁ!!言ってるでしょ!先生が絵を描いて!!私がサポートする!!それで良いじゃない!!ね!?もう私決めたから!私は!!先生の補佐役になる!誰がなんと言おうと私はそうする!先生が嫌がっても知るもんか!先生が偉人レベルになるまで!付き合ってあげる!だから!私に!出来る事はない!?」


 怒りを表現しているのか、頬は、耳は収穫期のリンゴのごとく紅く染まっていた。私の嫌いな色だが。ふむ悪くない。絵の世界に採用出来そうだ。

「なんだ、それは」

 この人は、どこまで愚かしいのだろう。私の世界を乱すどころか、説教までしてきて。そして、私の補佐をするだと?



「ふふっあっはっはっはっはっ!!!!!!!!!!!!!」

 何故か、笑いが止まらない。




「そこまで天才の私に付いていこうとする人間は初めてだぞ!!!」



「良いだろう!!君も絵を描いてるらしいな!ならば君の筆捌きを見せてもらおうか!!」


 私は丁寧に、赤子を託す様に、筆を彼女に渡した。今となっては、何故素人の彼女に託したのか、不思議で仕方ない。しかし、私は感じたのだろう。私の世界に仲間入りする可能性が彼女にあると。私は、最後の、白くも淡い彼女の顔を、笑顔を託す事にした。



「先生…ありがとうございます!」

「ふふっそれでは見せてくれ。君の世界を」

 そして、彼女は、私の世界に筆を入れ込んだ。




「中々悪くない。」

 完成した絵は構想とは大きく外れたが、素晴らしい物になった。私の天才的な色使いに、素人の白が印象的に映えている。これならば、ダヴィンチの様な大天才に一矢報いる事も出来うるだろう。


「先生、色々とありがとうございました。」

「いや、私からも言わせてもらおう。ありがとう」

 なんやかんやあったが、この絵の完成には彼女が必要だったのだ。重ね塗りも最後の画竜点睛も、彼女が仕上げた。私の世界にぴったりハマったのだ。

「それで?まだ昼間だがこれからどうするんだ」

「どうするってどういう意味ですか?」

 何故私は尋ねたのだろう。

「私の絵は仕上がった。私はこれから帰宅するつもりだが、どこか遊びに行く気はないのか」

「その言い方…遊びに連れて行ってくれるんですか?」

 

 私と彼女の間に緊張が走る。違う。私は彼女を誘う気はなかった。そんなつもりはなかった。

「…な訳ないだろう。」

「ですよね、それじゃ帰りますね。」

「おう、それじゃあな」

 私の考え通り、彼女は美術室を出た途端、気配ごと何処かに消え去った。まるで最初から居なかったようにだ。私は、私の考えが合っているかどうか、調査する事にしていたのだ。


「この学校の都市伝説??えぇ、ありますけど」


 休日にも出勤していた実に勤勉な先生に尋ねる。やはり、存在していたか。


「ですが、貴方の期待する様な美術に関わる都市伝説はありませんよ」

「なんだと?違っていたのか。拍子抜けだな。」

「何かあったんですか?」

「いや別に、期待していただけだ。ありがとう」


 私は彼女を怪奇現象か何かだと睨んでいた。そうじゃなければ説明のしようがない。あまりにも摩訶不思議すぎるのだ。何かしら手品でもなければいけないのだ。しかし、当てが外れてしまった。


 いや、待てよ。私はふと思い出す。遠い昔、作品を赤に染められたあの時期に、神社に通っていた事があると。神社で絵を描いていたと。まさか、いや在り得る話かもしれない。まだ時間はある。訪ねてみる価値はあるかも知れない。


 私は一度身軽になる為、画材道具を家に置きにきていた。そして私服に着替える。やはり運動するにはこの姿に限る。さて行こうとしたその時、視界がぐらりと歪んだ。後ろに、ベッドに倒れ込んだ。考えてみれば当然だ。私はここ数日まともな食事を摂っていなかった。創作には体力がいる。身体を酷使し過ぎたのだ。

 私はまだ眠る訳にはいかない。身体を起こそうとする。しかし、何故だろう。何かしらの力が働いているのか全く動かない。力は入れているのに、だ。くそ、こんな所で足踏みするなんて。私は悔やみながら、瞼を下ろした。





 そして、私はここに居る。私は予想通り、赤に染まった教室に居た。所が、風景が普段とは真逆だ。赤の花弁ではなく、白の花弁で世界が包まれている。【彼女】は白くも美しく咲いている。満面の笑みを浮かべていた。

「ふふ、やっと描き終えてくれたんだね」


 【彼女】は初めて私に歩み寄ってきた。

「漸く話せる様だな。お前は、何者だ」

「あら、忘れちゃったの?悲しいなぁ」

 しょぼんという効果音が聞こえてきそうなほど彼女は肩を落とす。申し訳ない。

「すまないが、美術以外に興味はないものでね」

 悲しげな顔をしたのち、【彼女】は語り出す。

「私はね、君に思い出して欲しかったんだ」

「時間をかけて世界を生み出す楽しさをね」


「ふーん。なるほど、だから毎晩私に会いに来たと」

「だが、因果関係がさっぱり分からん」

「何故私が絵を描く事でお前が嬉しがるんだ」


「私が、君の絵の一番のファンだから」


「はは、私は天才だからな」


「そう、君は天才なの。だから、刹那を切り取る絵だけじゃなくて、積み重ねる絵も好んで描いて欲しかった。」


「赤の事も、好きになって欲しかった」


 私はなんとなく直感した。こいつと会うのもこの夢が最後になると。


「そこまで言ってもらえると嬉しい。そんなにファンなのなら」


「うん?何何??」

 手を耳に当て、私の声が聴こえる様に近づいてくる。私の伝えたい事を知っているかの様だ。


「現実にも現れれば良い。補佐は多い方が良いからな。その時は…その、なんだ。天才的な絵を多くの世界を見せてやろう」



「へー、良いの?」


 ある生徒に影響されたからだろうか。私の世界にこいつも混ぜてやっても良いと思えた。


「天才の私が許可してやってるんだ。必ず、現実にも来い。二人揃って面倒を見てやろう。ただし、邪魔するなら雑に扱ってやるからな。」


「ありがとう、ほんの少し丸くなったね」


「お前…達の所為だろう」


「でも笑ってるじゃん。美術以外でも笑える様になったんだね」


「なんだと」

 ふと顔を触る。気付いていなかったが、口角が上がり、眉毛が動いている様だ。心なしか声も高くなっている。いつのまに、笑っていたのだろう。


「まぁ、でも、現実でも来いと言われた以上、天才君に見初められた以上、頑張るしかないね!」


「おぉ、天才に追いつける様精進しろよ」


 ここで白い花弁が辺りを包む、赤ではなく視界が真っ白に染まる。花弁が目を塞ぐのではない。【彼女】の淡い白に包まれていく。


「絵を描く楽しさを思い出してくれてありがとうね」


 【彼女】のその言葉を最後に私の視界は白に染まった。




 目が覚めるともう夜だった。もう神社に行く気にはなれない。夜に行く訳にもいかないし、明日は学校だからだ。


「濃ゆい数日間だったな…」

 私は思い出す、元々私は単独行動が多かった。それ故に寂しさとは無縁だった。独りだろうと何も感じなかったのだ。天才という大義名分の影に隠れていた。しかし、だ。


「【彼女】と補佐役か…これからが忙しくなりそうだ。天才を振り回すなど言語道断だというのに」


 二人の正体が何だろうと関係ない。私が生まれ持った天才の様に、彼女達にも宿命があるのだろう。


「私の世界に混ざり込んだ以上、徹底的にこき下ろしてやろう。」


 私は静かに、口角を上げ、目尻を下げた。

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