5-8 朝を告げるのは歌
歌が聞こえた。
誰かが呼んでいる気がした。
形のない呼び声が、起きろと呼んでいるような気がした。
声は僕の意識を掴む。水底から引き上げるられるように、意識が覚醒していく。
「ん……」
ぼやけた視界が晴れてくる。
ここは客間。窓の外は黄昏。
いつもは重たい目覚め。だけど、今日は違う。
スッキリと目が覚めたような気がする。
「この歌は……マリ?」
微かに、誰かの歌声が聞こえた。朗らかな歌声は、すぐに旅の仲間の顔に繋がった。
そう言えば、マリが居ない。どうしたんだろう。
姿を求めて外に出る。すると、鉄の路に座り、空に向かって歌う巫女が居た。
おかしいな、思わず目をこする。
空は黄昏で、変わらないはずだ。だけど、彼女の周囲には朝陽が差し込んでいるように見えた。
「あ、おはよう、エイキチ」
「うん、おはよう」
まだ寝ぼけ眼の僕と違って、マリの髪の毛はちゃんとセットされている。
結構前から起きていたのかな。
「この歌は?」
この歌のおかげで、なんだかいつもよりハッキリと起きれた気がする。
「聖典に書いてあった歌と、森から教えてもらったリズムを組み合わせたんだ。どう?」
「うん、毎朝聞きたいくらいだよ」
大きくガッツポーズをすると、マリは続きを歌い始める。
目を閉じて、歌に耳を傾ける。
そこに在るのは大地の鼓動。大樹の声。風の囁き。
朝陽がのぼる、大地のリズムが残っていた。
◆◆◆
眠って起きて、それを繰り返して三日間。
なんとか僕は、森を元の姿に戻すことが出来た。
と言っても、見た目だけだ。鳥も虫もいない森。意思が残っているのは、せいぜいゴリラと賢樹だけだ。
だけど――ゴリラは深々と僕に頭を下げた。
「改めて、感謝するウホ」
もう、何度目かも分からない感謝の言葉を聞いた。
「ゴリラさんは、ここに残るんだよね」
さりげなく、僕たちと一緒に行くつもりはないかと聞いた。
けれど、ゴリラはここに残ると言った。
もしかしたら、今すぐ消えるかもしれないこの地に残ると言った。
「さあな、消えるのは明日かもしれない。次に目を閉じた時かもしれない。
だけど、この森の最期を見届ける権利を誰も譲らない。人間如きには任せられんゴリ」
ニヤリと黒い唇の端が持ち上がる。
「人間、命は人だけに宿らない。魂も同じだ。
貴様たちの勝手で世界を滅ぼしたことは許せん物も多いウホ」
そう、それはもう変えられない事実。
僕も女神様も、否定はしない。
「けれど、自然の営みを歌にして遺してくれたことを感謝する。
すべての命は消える。誰かの勝手であっても、自分たちの内から滅ぼすモノであっても、いつか消えるウホ」
汽車の方から、歌声が聞こえる。
マリが、この森で教えてもらった歌っている。
「それに逆らうように覚えているお前たちは、羨ましい」
それは、少し悔しそうで。
だけど、とても優しい声だった。
「その、さ、腕を出して」
「こちらか?」
「いや、逆」
ゴリラの腕――あの日、僕が砕いた腕。
危険性はないと分かっていても、もしも――を考えると治すことをためらっていた。
だけど、そんなことはもう必要ないだろう。
ある筈のない腕の形を思い出す。
黒くて、太くて、優しい森の賢者の腕をイメージする。
何も難しくない。修復は一瞬で終わった。
「ほら、戻ったよね」
「ああ、感謝する」
その日、僕たちは汽車に乗って旅立った。
賢樹が言うには、次に列車が辿り着くのは、融合の中心地であると言う。
そこで、世界に残った意思――死にきれなかった魂を殺した時に、女神様の再生を阻害する存在は無くなると言う。
風を切って走る列車。振り返った先で、ゴリラはずっと手を振っていた。
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