5-5 森の賢者


 ゴリラの顔から怒りが抜けたように、僕の身体からも力が抜けた。


「ねえ、ウホウホ言ってるのって絶対に翻訳のミスですよね」

『あーあー、聞こえない聞こえなーい。女神は何も分からなーい」


 なんだか、一気に空気が弛緩した。 


「ニンゲン。すまなかった。吠えれば頭も冷えるウホ。お前の頭を砕いても滅びは覆せないゴリ」

「いえ、こちらこそ眠りを覚ますようなことをしてすみません」


 ゴリラは頭をポリポリとかいた。

 さて、どうしたものか。

 マリは枯木を支えにしてなんとか立ち上がっている。手を貸す必要はないだろう。

 なら、会話を進めよう。気になることをも言っていたし。


「僕は、女神様の依頼によってこの世界に遺された意思――死にきれなかった魂を鎮めにやってきました」

「それは、このゴリラのようにかゴリか。ウホッホホオ、なるほどぉ、それは勝てないのも納得できるウホッホゥ」


 女神ィィィ!! 口調は紳士的なのに語尾で台無しだよ。

 

「ええと。先程滅びと言いましたが、君も世界が死んだことは認識しているんだね」

「ああ。この森は賢樹さまのおかげで滅びが僅かに遅れたウホ。だから、我々はそれを知っている」

「そうなの、女神様」

『んー、確かにこの世界には強烈な力を持った存在――まあ、魔法生物のようなものは居たみたいだけど』


 となると、僕たちよりも女神様に近い存在が世界の中に居て、状況を少しでも把握していたことになる。


「なんだ、女神なのに知らないウホか。この世界が滅びた原因ゴリを」

『うぐ、返す言葉もないのだわ」

「ハッ、神を自称していても人の形をしているだけあって頭も人並みだな」

『なによー! なんで女神に文句をいう時だけは誤訳が起こらないのよ!!』


 わめいている天の声を聞き流しながら、ゴリラと顔を合わせて溜息を吐く。


「すみません、こんなのでも立派な女神なんです」

『ムカつく! その適当なフォローが余計ムカつく!!』


 いや、もうどうしろと。


「ニンゲン。お前のような聖者が認めるのなら納得しておこウホ。ここにお前が居ると言うことは、責任を取る意思はあると思っているゴリ」


 それと。呟くと、ゴリラはまだ倒れているマリの方に顔を向ける。


「謝罪をしよう。我を失っていたとは言え、乱暴をした」


 黒い顔が深々と下がる。マリはあたふたと口を開けて僕を見ている。

 たぶん、マリにはウホウホとしか伝わってない。


「ゴリラ、謝ってるよ」

「えっとその、こちらこそ森に勝手入ってすみませんでした」


 恐る恐る立ち上がる。まだ警戒はしているけど、とりあえず敵対する意図はないことは理解していたようだ。


「そうか。その配慮に感謝する」


 森の賢者は改めて僕たちに礼をした。

 それが当たり前のように、僕たちも礼を返していた。


「ところで、聖者よ。君の力は死者に肉体と自我を取り戻すものと見受けたが」

「はい。生前の身体に強い意志が残った遺物――骨のようなものがあれば、そこから再生することが出来ます」


 ならば、とゴリラは顎で森の奥を示す。


「ついてきてくれ。蘇らせてほしい方が居る」

「分かった。マリも大丈夫?」

「う、うん」


 とりあえず、僕たちはゴリラに従って荒野を進んだ。


◆◆◆


 森は枯れ果てていた。

 数歩の間に目に入った枯木の数は両手では数えきれない程だ。

 世界が生きていた時は緑の天蓋に覆われていただろうこの地も、今は枯れ木と枯草、そして水を失った乾いた大地が広がるだけだった。

 

 ゴリラは、この森を見て何を思っているのだろう。

 先導するゴリラは振り返らない。のっしのっしと粛々と進んでいるだけ。顔は見えない。

 彼の記憶の中には、まだ生きていた森の景色はある筈だ。

 目覚めた時、その全てが消えていたのなら、その喪失感は筆舌に尽くしがたいだろう。


「マリは――」

「ん、どうしたの?」


 彼に聞こえないように、小さく聞く。


「目が覚めた時、全部が消えていた時どう思った?」

「んー難しいな……」


「なんと言うか、ある程度諦めはついてたのかな。変な話だけど、キミに呼び出された時に自分が『死んでいる』ってハッキリ認識できていたの。

 だから、ワンクッション置いていたと言うのかな。どうせロクな状況じゃないって思った」


 だけど。と彼女は黄昏の空を仰ぎ見る。


「アタシは、起きた時よりも、崩れた神殿を見た時の方がショックだったかな」

「そっか……やっぱり、生きていた世界が崩れているってショックだよね」


 時々、思う。

 僕の力は死者に再び肉体を与えるけれど、それによって苦しみをさらに増やすことになるんじゃないかと。

 いっそ、綺麗に消してしまった方がいい時もある。

 だけど、そう考えるのもやっぱり僕の傲慢で、いつだって答えはでない。


「ほら、そんな顔しないで。キミは悪くないんだから」


 はは、顔に悩みが出ちゃってたかな。

 余計な心配をかけてしまって、情けない。


「そうだ。むしろ感謝をしている」


 低い声が優しく肯定してくれた。


「二人とも、ありがとう」


 だから、今はその言葉に感謝をして、それでいいことにしよう。


「さて、話を遮って悪いが着いたぞ」


 ゴリラが指し示すように道を開ける。

 ちょうど、枯木が途切れた場所だった。

 おそらくは円形の広場。森の中で空を覗ける場所だったのだろう。

 その広場の中心に、朽ちた大樹がある。

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