4-5 信仰は心に宿る


 その日、僕は神殿内の拝礼者向け宿泊所で眠りについた。

 マリは、ずっと神像に向かって祈っていた。何を考えているかは分からないけれど、キツク結ばれた瞳は真剣そのもので、僕はかける言葉が見つからなかった。


『ねえ、エイキチ。女神はあの子に対して何を言うべきかしら』


 眠りに落ちる前、女神様が僕に言っていた。

 硬い声には後悔を滲ませていた。


 夢の中で、記憶を見た。

 再現するときに詳細にかみ砕かなかった記憶が絵物語のように僕の前に広がっている。


 最初は一人の人間がいた。

 神様の姿を考えて、人に伝えた。

 どうやればもっとよく生きられるか――それを教えてして人々に伝えた。

 最初は小さかった神殿。少なかった信者は少しずつ増えていき、町になった。

 文明が発展し、鉄道が生まれて世界は複雑になっていく。

 だけど、神殿の中で語られる教えの根底は変わっていない。

 ――より善く生きましょう――


◆◆◆


 8時間程睡眠をとったあと、軽く掃除をして礼拝堂へと戻る。

 マリはもう、祈るのを終えていた。

僕の姿を見つけると、手を振って歩いてきた。


「おはよう、よく眠れた?」

「うん。君はどうだった?」


 首を横に振る。顔にはクマが浮かんでいて、瞳も赤い。


「大丈夫。アタシは元気だし、少しだけ吹っ切れたから」

『歌と踊りの神様が、お告げをくれたのかしら?』


 また、彼女は首を横に振る。


「神様の声、神像からは聞こえなかった」


 だけど、声にも顔にも残念さなんて微塵も感じられなくて。


「だけど、心の中から聞こえた。

 神様はきっと答えをくれなかった。くらなかったのなら、アタシはどうしたい。

 決まってる。まだ歌いたいし、踊りたい」


 ハツラツとした声には、確かな希望が溢れていた。


「アタシさ、住んでいた村では一番歌も踊りも上手だったんだ。

 だけど、遠くの町から来たアイドルはずっと上手かった。アタシの小さなプライドなんて一瞬で吹き飛ばすくらいに上手だったの」


 たぶん、良くある話だと思う。

 小さな世界では一番技量があったとしても、一歩外に踏み出すと通用しないなんてことは。


「お父さんもお母さんも言っていたんだ。どうせ趣味でしかないのなら、気にするなって。

 でも、アタシは悔しかった。悔しいけど、半端なアタシはこのままでいいのかも分からなかった」

「だから、神様に聞きに来たんだ」

「うん。でも、必要なかったかな」

『あら、そんなことは無いのだわ。『神』は内なる信仰に宿り、『神』と対話すると言うことは己自信と向き合う事でもあるのよ』


 穏やかな声が僕たちを降り注ぐ。

 頷くと、マリは服の降りを大きく踊らせて、空に向かって両手を伸ばす。

 そのまま、長い髪を一本に結ぶ。


「うん、きっと女神様の言うとおりだと思う。だから、メアノ=ズメウ様もそう言うと思う」


 そして、緩やかにステップを踏み始めた。


「聞いて、アタシの歌を。見て、アタシの舞を。きっと、前よりもずっと上手く踊れるはずだから」


 真白の石の床を、硬い靴底が叩く。

 ここには音響装置なんて無いけれど、コツコツと叩かれる岩の音がリズムを刻む。

 降りを大きく振りかぶり、少女が舞い、そして歌う。


 残念ながら、僕に芸術の才能はない。技術的なことは上手く言えない。

 だけど――笑顔で踊る彼女の姿は、眩しかった。


 そうして、歌い終えると彼女は神像に向かって一礼をする。

 顔を上げた時、そこには笑顔があった。

 額には汗が浮かぶ。上気した体は大きく息をしている。


「ね、どうだった?」

『いい歌だったのだわ』

「うん。まるで目の前に青々とした大地が広がっているみたいだった」


 歌っている時、幻を見たような気がする。

 どこまでも広がる大地に葉と実をつける木々。風は穏やかで、日差しは世界を包み込む。

 きっと、死ぬ前の世界にはそんな景色が広がっていたのだろう。


 ただ――


「でも……なんか、アイドルソングと言うより」

『讃美歌だわ』


 アイドルと聞いた時は、もっと俗っぽい歌詞になるかと思ってた。それこそ、惚れた好いたを歌うと思っていたのに、リズムも歌詞も自然や大地を称えるモノだ。


「? 別におかしくないでしょ、アイドルが神と自然に感謝するなんて普通の事なんだから」


 結ばれた髪の毛が揺れる。心底納得できないのか、本当に首を傾げている。


「だって、アイドルは神に仕えるモノでしょう。季節ごとのお祭りで歌と踊りを奉納するのがお仕事なんだし」


 神に仕える――

 あ、なるほど。それでピンと来た。


「あー、わかった。翻訳の都合ですね。たぶん。

 たぶん、巫女みたいなものだと思います。アイドルなんて随分俗っぽい訳し方になるんですね」

『め、女神たちの翻訳魔法も完璧ではないのだわ』


 僕が当たり前のように異世界の人間とコミュニケーションを取れたり、駅の名前を読めるのには理由がある。

 この世界へと転送されるとき、同時に翻訳魔法をかけてもらっているのだ。

 ただまあ、その精度は術者によってマチマチで、『私が有利だ』を『地の利を得たぞ』と聞こえてしまうことがある。

 巫女――と言うか神職関係は結構面倒らしくて、酷い時はスモウレスラーと訳すこともあった。


「変なの」


 間の抜けた僕の顔を見て、彼女は笑う。


『まったく、笑い話なのだわ』


 空からも女神様の笑い声が聞こえてくる。

 気が付いたら、僕も笑っていた。

 それにつられるように、建物が微かに揺れる。

 地震じゃない。光の粒が白い壁から溢れて揺れている。本当に、笑っているかのように。

 この地に宿った『意思』の気配が薄れていく。役目を終えたかのように、満足したかのように、消えていく。


 ――伝統と誇りをもって、我らはこの神殿を守って来た――


 たくさんの人の声が混ざり合って聞こえてくる。


 ――最後に、迷い子に道を示す助けとなれたのなら、悔いはない――


 あふれ出た光の粒子は女神像へと集まっていく。

 動くはずのない石像の顔は、笑っているようだった。

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