2-3 営みの思い出

『え、生存者はいない筈なのよ』

「いえ、記憶の気配です。建物全体にしみこんだ匂いって言ってもいいかもしれません。」

 

 この建物――と言うか、この場所には多くの人が訪れたのだろう。


「人が多く訪れた場所には、それだけ人の思い出が染み込みます。霊とはまた違う、思念だけが残っているような状態です」


 両手を開いて意識を集中する。


展開オープン


 合図に合わせてうっすらとした光が店内に浮かび上がる。例えるなら、蛍が飛んでいるようだった。

 壁から、床から舞い上がった光はテーブルやカウンターの上を飛び回る。


読心リード


 声を聴く。うっすらとした声はたくさんの人の曖昧な意思が重なっている。

 少し前に聞いた死の声よりもずっと曖昧で、まるで雑踏の傍で世間話に耳を傾けるようだった。


 そこに在るのは他愛もない話。都で流行っている歌や踊りのこと。明日の予定や今日の愚痴。恋の話やケンカの事。

 泣いていた女が居た。神妙な顔つきで店に入った女は強い酒を注文した。

 最初はあおる様に酒を飲んでいたのに、気が付けばカウンターで泣き崩れている。


 マスターは、酒ではなくて料理を作った。ポテトとチーズで作った料理。

 あまり美味しくないと女は言う。じゃあ、次は上手く作るよ、とマスターは言った。

 きっと、美味しく感じられるようになったのなら、君は笑っているだろう、と。


『何か分かったのだわ?』


 まあ、そんなことをしていたら女神様に現実に引き戻されたのだが。


「うーん、そうですね」


 気が付いたら苦笑いしていた。あんまりにもタイミングが悪いもんですね。

 でも、いつまでも記憶に溺れている訳にはいかない。


「とりあえず、この町にはあまり強い魂は残っていないみたいですね」


 歩いてみて感じたことは、この町には魂の気配がほとんど残っていない。ここで蛍のように飛び交う残留思念も、空を黒く塗りつぶした死の妄念と濃さを比べれば雲泥の差だ。光が人の形にもならないのは、それだけ存在が薄まっている証だ。


『辺境の町だから、あまり人口も多くないのだわね』

「数も多くない。そして、既にある程度納得している」


 声が聞こえる。

 ――ああ、楽しみだな――


「きっと、少しだけ寂しかっただけだと思います」


 カウンターの上には文字のボケた新聞。調理台の上には干からびた食材たち。

 ――この前の客に出した料理、改良したから食べて欲しい――

 ――まずいと文句を言われたけど、今度は――


 頷くと、カウンターの中に入る。右から3番目の棚を開くと、古いレシピ帳が出て来た。


『材料はどうするのだわ?』


 女神様からのもっともな指摘。確かに、この町には食べられる食材は残っていない。

 だけど、僕には特別な力がある。


「まあ、任せてください」


 カウンターの裏にある棚を開ける。記憶が確かなら――


「やっぱり、残ってた」


 干からびて匂いも残っていない食材があった。


『え、それを食べるのは無理なのだわ』

「まあまあ、ちょっと見てて」


 箱から取り出して、調理台の上に並べる。

 改めて、ずっと放置されてきた材料たちに振れる。乾いた感触が掌に広がる。

 潤いのないミイラ。これは既に死んでいるかもしれない。だけど、存在の残滓はここにある。


再生リライズ!!!」


 力が手のひらに広がっていく。白い光がわき上がり部屋を包んだ。

 数秒の後、光が落ち着いた頃には調理台の上には瑞々しい食材が蘇っていた。


『やや、これってどういうこと?』

「復元です。記憶を再現して生きている状態に戻しただけです」


 思念だけでは曖昧な形にしか再生できない。だけど、骨のような確かな形が残っているのなら、そこから生前の状態を再現できる。

 まあ、あくまで再現するだけで完全に生き返ったわけじゃない。成長もしないで再現した状態で固定されてしまう。

 言い方は悪いが、綺麗なゾンビを作り出しているようなものだ。


『それ、食べられるの?』

「問題ないですよ。味もちゃんとあります」

『いや~、女神的に腐肉を通り越してミイラになった肉はちょっと無理だわ~』

「死ぬよりマシです。前に呼び出された世界だと食うものがなくて本当に困ったんですから」


 とまあ、無駄話をしていても仕方ない。

 ついでに調理器具を再生する。フライパンや鍋、それにコンロのようなもの。


「これ、燃料はなんだろう」


 ガスじゃない。少なくとも、僕の世界には存在しない。


『あー、たぶん魔法みたいなものだと思うのだわ。この世界はエイキチの世界と違って、魔法が実在していたのだから」

「うーん、とりあえず使い方は分かるからいいか」


 ガスみたいに爆発しないといいけど。不安になりすぎても仕方ないか。


 ともかく、あとはレシピ帳に従って料理を作るだけだ。食材を斬って味付けをして、そして焼く。

 出来上がったのは根菜とチーズのグラタン。ついさっきまで埃の匂いが充満していた室内に、焼けたチーズの香りが溢れる。

 蛍のような残留思念が躍る。喜んでいるようだった。


「それじゃあ、いただきます」

『あー、いいのだわ。女神もご飯食べてくるのだわ』


 なんか女神様の声に合わせてドタドタと走る音が聞こえた。席を外したな。

 まあ、危機管理上の不安はあるけど、無補給で仕事を続ける訳にもいかないし仕方ないかな。

 ともあれ、僕も食事にしよう。温かいうちに食べないともったいない。


 スプーンで料理をすくうと、トロトロのチーズが少しだけ零れた。火の通った根菜はホクホクで、湯気がのぼっている。

 息で少しだけ冷まして口にの中へ。ミルクとチーズの淡白な香りと味わいが口の中に広がっている。


 ――美味しいかい――


「ええ、美味しいですよ」

 胸を張って応える。

 返事はなかった。代わりに、店の中の光が少しづつ消えていった。


◆◆◆


 食べ終わったころ、女神様の声が戻って来た。


『ややや、なんか店の中にあった残留思念が消えてる!?』


 飛び交っていた光は消えて、元の静かな店内に戻っていた。


「女神様が居ない間に、みんな満足してしまったみたいです」

『そうなの……ああ、見送りが出来なかったのだわ』


 心の底から残念そうだ。

 迂闊ではあるけど、やっぱりこの女神様は基本的に善良な人なんだろう。

 

 さて、どうしよう。

 ちょうどいいし、時間を確認しよう。

 時計を見る。この世界に来てから十八時間は経過しているかな。


 それなら、今日はここで休んだ方がいいだろう。


『もちろんなのだわ』


 女神様に確認すると、快く了解してくれた。


 寝床は二階にあった。ベッドと机くらいしかないシンプルな部屋。

 窓の外を見る。空は黄昏のままで、いくら時間が経過しても、空の色は変わっていない。


「周りは、どうなっているんだろう」


 えっと、北の方は僕が歩いてきた荒野かな。西の方は町の外が既に黄昏に飲み込まれている。

 道がありそうなのは……町の東の方だ。

 大きな建物がる。そこからずっと南に向かって、鉄道が伸びている。黄昏の海に、鉄で出来た道がずっと伸びている。


「……たぶん、あの先だ」


 半分は理屈で、半分は感情でそう思う。

 人が作った文明の残滓は、人の意思が残りやすい。そりゃあ、自分が作ったものだからだ。

 きっと、文明の足跡を追って行けば、今日みたいに残っている残留思念を見つけられる。

 もう半分は、まるで『行け』と誰かに背中を押されたような気がしたからだ。


「ともかく、続きは明日だ」


 再生したベッドに倒れ込む。

 先は長いんだ、無理をしないようにしよう。

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