1-6 そのモノ、並ぶ者のない霊能力者也
自転車を降りて空を見上げる。
黒い空はもう、目の前にある。
「聞こえているか! 君を祓いに来た!」
空に向かって叫ぶ。返事はすぐに戻って来た。黒い粘液が降ってくる。
逃げる必要はない。胸を開いてただ受け止める。
そう、意思はそこに在ることを証明する!
「
不確かな黒い塊が固まっていく。重さはない。ただ、存在を認めていく。
それが僕の力。霊の存在を認識し、固定する能力。
「
両の腕に意識を集中する。教えてもらうだけだ、君たちがどんな意思を遺しているのか。
――死にたくない。
それは、子供の声だった。
まだ人生の半分も生きていない少年。夢を書いた書きかけのノートを握りしめて、紫色の海に沈んでいく。
――なんで、こうなってしまったの。
それは、自らの行いに後悔する女性の声。すでに息絶えた子供を抱きながら、荒野になった世界に溶けていく。
――成功するはずだったのだ。まだ諦めるわけには
それは、老人の声。
最期まで希望を捨てずに抗い続けた人の声は、死ぬことも出来ずに漂い続けている。
そこに在るのは死を迎えた生命の意思。死んだ世界で、死に損なった魂の叫び。
失われた命の声を聴くこともまた、僕の力。
ありとあらゆる人の声。それだけではない、動物や、竜のような幻想生物の声も混ざっている。
大丈夫だ、ちゃんと聞き届ける。
だから――そこに姿を見せてくれ!
「
その全てを形にする。
ビルの屋上、静止した空と大地の合間に、黒い正四面体が出現する。
本当はもっと生物的な形にしたかったけれど、混ざっているものが多すぎてこんな大雑把な形にしかできなかった。
僕には異能の力がある。死者の存在を明らかにし、死者の声を聴き、死者の妄念を形にする力がある。
浄化の力なんてその派生に過ぎない。『死』の形を変えて『生』にするだけなのだから。
死を死のまま形にするか、消してしまうかの違いでしかない。
そして、真に魂を鎮めるには、消すだけではだめだ。
生命は循環する。そこには記憶も含まれる。死んでしまった意思まで消してしまう訳はいかない。
残った妄念を浄化する必要がある。
その為に、形を与えたんだ。
『……な……ぜ……』
「声が、聞こえるのだわ」
黒い正四面体から声が聞こえる。男でも女でもない、すべての存在が混ざった、ノイズのような声。
それは、女神様にもちゃんと聞こえたみたいだから。
「ええ、そうしましたから」
『感謝……するぞ、異界の霊能力者よ。世界を捨てた女神に声を届ける機会を与えてくれたことを』
女神様の顔から表情が消える。生唾を飲み込む音が聞こえた。
「……女神様」
何か擁護するべきか迷った。けれど、僕は世界が死んだとしか事情を知らない。
それに、先程読み込んだ声は、無念の死の塊であった。感情的にも難しい。
「ごめんなさいなのだわ。返す言葉もないの」
深々と、頭を下げる。
「私は女神。世界を管理する存在であったけれど、力及ばず死を避けることが出来なかった。
貴方たちが私を恨むことは間違いではない」
『謝罪はいい。我らをどうすると言うのか?』
女神様は何も答えない。
沈黙の時間が流れる。
何を言うべきか、迷っているのかもしれない。
どうするか――それは、女神様と僕、両方に向けられた言葉なのだろうか。
なら、僕がやるべきことは決まっている。
「貴方の無念を悪だと言うつもりはありません。けれど、僕の住む世界に害を与えると言うのなら排除する必要があります」
存在自体を悪と言う訳にはいかない。けれど、害を与えてしまえば相対的に悪となる。
僕は、声を聴いた。
ただ訪れる死に逃げ惑う人の声を聴いた。
その方向が、少し歪んでしまったのだ。
全てを悪だと言うつもりはない。それでも行為そのものを見逃すことは出来ない。
「身勝手な物言いだと思いますが、せめて安らかに。貴方の世界は、必ず僕が鎮めます」
それだけは、絶対に保証する。僕にはそれだけの力があるし、女神様にはその義務がある。
強く胸を叩く。自分の心を奮い立たせるために。
女神様を見る。泣いてはいない。
『そうか……お前ほどの力の持ち主なら……あるいは……』
「信じていただけるのなら、必ず」
手の開き、正四面体に触れる。
温度はない、氷のような物体。死んでしまったのは熱も同じなんだろう。
『いいだろう。我らを祓うのだ』
覚悟を決めたと言うのなら、僕もそれに従うだけだ。
腕に意識を集中する。せめて安らかに――
「待つのだわ!」
けれど、女神様の強い声が僕の意思を引き留めた。
思わず手を離し、彼女を向き直る。
決意を込めた瞳が、僕たちをとらえた。
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