1-3 塩と水

 テレビの中だけではない。微かに聞こえていた町のざわめきも消えている。

 女神様の顔から表情が消えていた。何かがあった。それだけは分かった。


「女神様、これはどういう事か分かりますか?

 分かりますよね、顔に書いてありますから」

「聡いのも考え物なのよ」


 いつになく神妙な声で女神様は言う。


「時間が『死んだ』のよ」


 時間の死。その意味は分からない。けれど、女神様の険しい顔がけっして良い状況ではないと物語っている。


「異世界行きはちょっと待つのだわ」


 慌てて立ち上がると、女神様は居間を飛び出す。僕もすぐに追いかける。

 玄関から大きな音がする。ドアが乱暴に開け放たれ、女神様が外に出て――


「女神様、上!」

「はえ?」


 注意する間もなく、上から『何か』が降って来た。

 鉄? いや、もっと柔らかい。

 泥? いや、それよりも纏まっている。

 黒いゼラチン状の『何か』が女神様に降り注いだ。


「あわわわわわ、たすけてー!!」


 くそ、何だ。以前、異世界で見たスライムとかそういうモンスターに似ているけど、同じ物なのか。

 黒いスライムは全身から黒い禍々しい気配を放っている。

 それに――これは、生きているのか。


「ダメダメダメ、なんかすっごいうるさい何かが頭の中に入ってくる。そんなに言われても女神は何も言えないのだわよ」


 一瞬、耳鳴りが耳を貫いた。

 意味は通じない。感情は分かる。

 これは、恨みだ。それも、死んだ存在が持つような妄念。

 おそらく、死者の怨念が固まってスライムのようになっているんだ。


 となると、時間はかけられない。すぐに除去しないと。


「ごめん、女神様!」


 ジャケットの内ポケットから小包を取り出す。封を解いて解放する。

 白い結晶が宙に広がり、女神様と黒いスライムにかかる。


 ――やったか?


 効果はたちまちにあらわれた。結晶に触れたスライムは溶けるように存在を消していく。

 数秒で、完全に消え去った。


「うえ、しょっぱい。なにこれー」

「塩です。清めの塩で浄化しました」


 よかった。常に塩を常備しておいて。


「これも僕が持つ鎮めと祓いの力です。

 僕が力を籠めれば、ただの塩でもたちまち妄念に対する武器になる」


「え、それって日本人以外にも通じるの? 神道信じてなくても効果があるの?」

「なるんですよ」


 女神様が僕のことを万夫不当の霊能力者と言った。

 最初に言ったのは誰かは分からないけれど、僕には異能の力があり、その力は亡霊や妄念に対してまさしく必殺の効力を発揮する。

 死んだモノを必ず殺すってのも変な話だけど。


「僕が効果があるって信じてますから。僕の体に触れれば塩は魔除けの力を得るし、水は聖水になります」

「体の影響で聖水になるってエッチね」


 と言うかなんでそんなこと知ってるの。


「塩かけますか? 浄化しますよ」

「あーごめんなさいごめんなさい」


 さて、そんなことをしている余裕はない。見上げた空は黒。風は止まって僕たちが動く以外に音はない。

 どうなっているか、すぐに調べる必要がる。ともかく移動しよう。

 門のすぐそばに立てかけてあった自転車のカギを外す。


「行きますよ自転車に乗って」

「わ、わかったのだわ」


 女神様を後部に載せると一気にペダルをこぎ出す。それとほぼ同時に空から黒い塊が降ってくる。

 相手をしている余裕はない。女神様は何かを言っているけど、ともかく走り出す。

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