1-2 黒い空

 その後、アップルパイどころかパンケーキも追加で注文した。

 財布は軽くなったが、追加の度にカウンターのお姉さんの視線が優しくなったので、それでよかったことにする。


 食べ終わると、容器をまとめてごみ箱に捨てる。

 ドアの前で後ろ手に待っていた女神様と合流する。


 まずはどうするか。女神様は尋ねてきた。

 ノープランなんですかと言うのは我慢した。


「今すぐ異世界にいくのだわ?」

「いえ、まずは用意しますよ。僕の家に――」


 ――行きましょう、そう言葉を出そうとしたが、違和感が邪魔をした。

 外に出た瞬間に頭にモヤっとした何かが乗っかってきた。手ではたいても何もない。でも、なんだろう、嫌な感じだけはある。

 なんがか頭がムズムズする。弱い力だけど、荷重がかかっているような気がする。

 頭の上? いや、なんかもっと上。


 空だ。


「なんか、いやーな感じなのだわ」


 女神様が指さした先。少し前まで太陽があったそこは、分厚い雲に覆われている。

 ついさっきまで晴れていたけど、雲の動きが速い。もしかしたらにわか雨が降るかもしれない。

 降られるのも面倒なんで、駆け足で道を行き、家に戻る。

 空の色はますます黒くなっている。


「ただいまー」


 ドアのカギを開けて中に入る。静寂が待っている。


「誰も居ないのだわ」

「はい、この家に住んでいるのは僕一人だけです」

「あ、ごめんなさいなのだわ」


 女神様を居間に通すと、準備をすると断りを入れて席を外す。

 階段を上がって二階。タンスから丈夫さだけが取り柄のズボンと上着、そしてサバイバルベストを取り出して着替える。

 何度も袖を通しているけれど、ゴワゴワした感触は慣れない。

 次に、押し入れからリュックを取り出す。必要な道具を詰めて一階へ。台所に常備している保存食を確認する。


「これでよし、と」


 背負いなおすと、ずっしりとした重さが肩にかかる。

 中身は当座の食料と水、燃料に野宿用の寝袋。ナイフなどの簡単な道具。とりあえず、暫くは困らないだろう。


「もっと必要ないの? 異世界に行くのにキャンプと同じくらいだわ」


 いつの間にか、女神様が後ろから見ていた。


「もうちょっと立派な体をしていたら色々と持ち込めたのですが」


 あいにくと、僕は肉体的には特別優れていると言う訳ではない。数十キロの装備を背負って数日間移動できるほどの体力はない。

 なら、最低限の道具だけを持って、足りないものを現地で調達するしかない。


「ところで、退屈だったんですか?」

「うん」


 そうですか。


「あまり待たせませんよ」


 準備はあと一つだけだから。

 いや、用意と言うのも違うか。自分の中の心構えなのだから。


「ちょっと、失礼しますね」


 女神様を通した居間に戻る。

 部屋の隅、仏壇の前に立つ。

 まだ少しだけ線香の香りが残っている。新しく線香をあげようかとも思ったけれど、これから留守にすることを考えると火は怖いかな。

 仕方ない、手を合わせるだけにしておこう。


「行ってきます」


 位牌と、その奥に置かれた写真に向けて挨拶をする。

 少しだけ日に焼けた写真。いつもと変わらない顔で、両親が行ってらっしゃいと言ってくれている――そう思っている。


「待つのだわ。女神も手は合わせるから」

「女神様もですか?」

「それはそうなのよ。女神の依頼を快く引き受けてくれた人の子。その親であれば、敬意を表するのは当たり前なのだわ」

「そうですか。ありがとうございます」


 拒む理由はない。場所を譲ると、女神様は真剣な顔で手を合わせてくれた。


 ――この人、さっきまであんなに大騒ぎしてたのになあ。


 突然やって来たミス・ワールドブレイク。慌て者で、自分でも認める新米女神。 

 だけど、女神様は女神様だ。仏壇に向かう真剣な顔は凛々しく、神々しさすらある。


「……どうしたの?」

 

 なんて考えていたら、女神様が僕を見ていた。

 なんとなく気恥ずかしくて、曖昧に笑って誤魔化してしまう。


「それじゃあ、転送を――」


 女神様がそう切り出した時だった――

 頭上から、何かの気配を感じた。女神様も異常を感じ取ったらしく、上を見上げている。

 天井には何もない。それに、嫌な気配はもっと遠く――空の方から!


「待ってください」


 慌ててガラス戸を開ける。

 先ほどまでは曇り空だった。けれど、今は違った。


「空の色が……」


 黒く、染まっていた。


「女神様、テレビをつけて!」

「え、うん。テレビってこれよね」


 居間に置かれたテレビのスイッチを入れる。映し出されたのは血相を変えたニュースキャスターの顔だった。


『――組の途中ですが、ただいま入って来た情報です。

 先程より空が変色をしていますが――』


 興奮した口調で伝えられた情報は、空の色が変色したこと。

 二本全国――いや、地球上の各地で、空が急に黒くなったらしい。

 今までに観測したことのない自然現象。原因は調査中である――

 だけど、僕には心当たりがある。目の前で冷や汗を顔に浮かべている女神様がいるから。


「皆様には――」


 そこで、さらに異変は重なる。

 テレビの映像が、完全に停止した。警告を伝えようとしたキャスターの口が、発言のままで固まっている。

 放送事故か? いや、違う。止まっているのは映像だけではない。

 音が消えている。

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