バーチャル・リアリティ

凌雲ノシ

バーチャル・リアリティ

「ふぅ……」

重たいヘッドギアを周囲を見渡す。

地平線の遥か彼方まで広がる緑色は四畳半の小さな部屋へと早変わりしていた。この感覚にはいまだに慣れない。自分の見ている、感じているものの全てが嘘のように思えてくるからだ。


◇◆◇


バーチャル・リアリティ。

仮想現実とも呼ばれるそれは、地球の技術の進歩により一般市民にも普及することとなった。金持ちの嗜好品を経て毎日の暮らしを豊かにする日用品と化し、今や必需品として世に溶け込んでいる。かつての、数十年前のものとは比べものにならない程の進化を遂げ、私達の生活の一部となったのだ。いや、逆説的には仮想現実の一部になったのかもしれない。

何が進化したかと問われたら、いの一番に挙げられるのは質感だろう。旧式のバーチャル・リアリティにありがちな不自然な挙動やポリゴンの様相が消え失せた。加えて、最新のヘッドギアには脳内に電流を走らせて精神へ干渉する機能や贋の五感を再現する能力まで備わっている。第三者に知らされるまでこれが仮想現実であるとは気づくまい。


ゆえに、人間の社会は見事に凄まじく進化した。ひとつ前の社会を情報化社会とするならば現代は超スマート社会、というべきだろうか。隅から隅までが効率化・合理化された。会う必要のない集まりは仮想空間で行う。高いフレンチ料理を食べたい時は再現料理を味わう。映画も、映画館に行かずとも、いやむしろ映画館で見るよりも大迫力のものを見ることができる。大海原の上で舟に揺られながら昼寝をすることだって、美少女にお世話をしてもらうことだって、果てはスポーツの試合をすることだってできる。


「時代遅れ」と揶揄される一部の変態を除けばみなバーチャル・リアリティに夢中だ。持ちつ持たれつ持たれつ持たれつで生きている。無論、弊害が生じたこともある。運動不足で動かなくなったり、お風呂に入らず汚くなったり。しかしこれらは生体保護機能の搭載によりその全てが解決された。

お金の問題もない。まず第一に、普通の商品は必要ない。全て仮想空間で手に入れる事ができるからだ。どうしても必要なものがあるとすれば、強いて言えば食べ物だろうか。しかし、それも心配ご無用。人工知能は進化し、農耕牧畜は完全に自動化された。今では原子合成により、植物や動物を食べる必要もなくなった。つまるところ、現実世界で必要なものは全て人工知能が用意してくれるのだ。


そんな訳で、同じチェアから一歩たりとも動かずに一生を終える人間がほとんどとなった。自動出産システムを基に生まれた子供はロボットによって別室に分離、産声を上げる前に専用のヘッドギアを付けられる。母親の顔を始めて見るのも、もちろん仮想世界でだ。こうした流れ作業を行う施設が幾つもでき、しまいには全人類が類同の施設に収容されることとなった。

学校の授業(もちろん仮想空間の中である)ではこう教えられる。「世界は仮想現実により、昔の良さはそのままに、平和になり、豊かになり、皆幸せになった。これこそ先人が求めていた世界だ」と。

まさに究極化された社会。誰も苦しむ事のない社会である。


──といったことをヘッドギアを懐にしまいながら考える。私が今いるのはマイルームと呼ばれる、全人類が一人一つ平等に持っている部屋である。ドアを開け部屋の外に出ると何十層にもなった階層が有り余る空間をこれでもかと占めており、マイルームが見事にも等間隔で設置されているのがよく分かる。見る人は殆どいないだろうに、一丁前に床天井はガラス張りになっているのだな、とは私の言える精一杯の皮肉だ。

ロボットは忙しなく動き回っている。彼らはたった今生まれたばかりの人間と死んだばかりの人間を運んでいるだけなのに。こんな時代になって漸く今日死ぬ人間と生まれる人間の多さを知る。


ロボットにぶつからないよう注意しながら私が向かったのはあるマイルームだ。こうして定期的に彼に会いに行っているのだ。わざわざ足を運ばずとも、仮想空間であれば1秒足らずで会うこともできるのだが。


「よく来たね」


この「よく」というのは本当の意味での「よく」である。この広い世界の中、ヘッドギアを外しているのは私と彼、それから生まれたばかりの人間と死んだばかりの人間くらいしかいないのだから。彼以外の生身の人間を見たのは何十年前のことだったか。「時代遅れ」の者たちも集団心理には逆らえなかったのだろう、バーチャル・リアリティに忌避感を持つ者共は死ぬか改心するかして徐々に数を減らしていきついにコミュニティは私と彼の二人だけまでに縮小した。「人間らしさ」が失われると徒党を組んでデモをしていた彼らも今や仮想現実の中。なんとも言えない哀愁に駆り立てられる。


とまあ、歓迎を受けた私は床に座り込む。マイルームに椅子は一つしかないから仕方がない。


「時代遅れ」の私達は、ヘッドギアに頼らず生きてきた。高栄養価の人工食料ではなくパサパサとしたみみっちいパンを食べる。身体はロボットには触らせず、自ら拙い手を震わせながらこすり、洗う。1日に数kmほど走って、ない体力を保つ。施設には意地でも入るまいと原始人のような生活をしてきた。今思えば単なる天の邪鬼だったのかもしれない。人と違うことをして優越感を得て、そこに「人間らしさ」を見出していたのかもしれない。

しかし、そんな生活ももう限界を迎えた。原子合成が盛んになった今日、手作りの食事は提供されず、不要な風呂は排除された。この世界から施設以外の建物はなくなって、施設に入らざるを得なかった。つまり、もう私と彼だけではどうしようもなかった。少し月日が経てば私たちも他の人間と同じようになるだろう。


だが、それでは納得いかない。いや納得いかないというよりかは怖いという感情に近いのかもしれない。そこで考えたのだ。仮想現実では何でもできる。その中に、何でもできない仮想現実を作ろう、と。

言うなれば、仮想現実の中に仮想現実が生まれる前の世界と同じような世界を作るのだ。敢えて人間の出来る能力に制限をつけるのだ。

仕事をしなくても良いのに仕事をする。疲れなくても良いのに疲れる。過去の人類が聞いたら何故?と思うに違いない。けれども、これが「時代遅れ」の回らない頭で絞り出した最良の策であった。


今日は何でもできない世界へ赴く前の最後の日だ。数十年前からめっきり減ってしまった人間との対面、世界で行われるのもこれが最後かねと邪推する。




「世界との別れに、乾杯」


空っぽのグラスの擦れる音が、空虚な世界にこだました。


◇◆◇


「ついに……成功しました!」


我々は人類にとって比類なく大きな一歩を踏み出そうとしている。人は喧嘩し、商売は荒れ、世界では戦争が起こる。物騒な斯様な世界に真なる平穏をもたらすやもしれぬ、世紀の大発明がたった今完成したのだ。


「バーチャル・リアリティ、と命名する」


世界にバーチャル・リアリティが、誕生した。

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バーチャル・リアリティ 凌雲ノシ @ryoun_noshi

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