第58話 発見
レイ達計二十二人はいつも通り早朝から行動を開始し、まだ止まぬ雨の中、重い足を無理やり動かしていた。といっても、体力的に参っているのはブラフマーのみで、他の人たちは何ら変わらぬ様子で歩いている。
「なんなのだ……貴様ら本当に人間か?」
そしてこの疑問である。どうやら彼女は人間の体になって初めて体力というものを経験したようで、普段苦悩を味わっていない彼女に長時間数日歩くのはきつかったようだ。
だからといって少女に救いの手を差し伸べるのもは居なかった。表面上は平然としているが、ここにいるのは皆人間、疲れるものは疲れるのである。
まあ、レイ・ヴィーシュカルという人間だけは、他とは違う理由で少女の隣を歩いているのだが。
「ほらどうした? 日がたつにつれて歩調が遅くなってるぞ?」
字面からすれば日に日に弱っていく少女を心配しているように聞こえるが、その言葉を掛ける少年の顔は、煽りと嘲笑に満ちていた。四六時中威張りやがって、少しは痛い目見やがれ、と。
「……チッ」
返しに皮肉を言うことさえ憚られるほどに消耗している少女は、舌打ち一つ出で返して、足を動かすことに全身全霊を尽くす。
ここ数日ずっと降り続けている雨は、ついに雷雨と化した。一瞬の閃光の後に雷鳴が鳴り響き、時には雷が落ちることもあった。
ヴォルヴァは、今日中にでも他部隊と合流できると言っていた。そう断言できるということは何かしらの情報交換を行っていることは確かだが、彼はその仕方を明かさなかった。先日レイが蹴飛ばしたカラスは以後見かけていない。
情報元を知らないのは、敵の疑いを掛けられたレイとブラフマーだけではなく、くそったれ筋肉野郎どもと唯一の常識人シャヴィも知らないようだったので、レイも、教えてくれと食い下がる気はなかった。
「あ――」
突然、ブラフマーが泥濘に足を取られて体だけが前に進み転びそうになった。だんだんと視界に地下ついてくる泥を眺めながら察しの声を上げて――、
「っと。お前ほんとに大丈夫か?」
少女が予想した未来がたどり着く前に、レイがその小さな体を支えた。さっきまでブラフマーのことを笑っていたが、今の彼の言葉には、嘘偽りない少女を案じる心が籠っていた。
「……むぅ」
そんな彼の気持ちに気づいたブラフマーは、嫌がるように手を払いのけ、次またこういうことにならないよう己の行動に細心の注意を払う。だが、あのやさしさは悪くない、とも思ったのは彼女の中だけの話である。ちなみに、レイが支えた場所はブラフマーの胸だったのだが、彼はそれに気づかなかった。なぜなら――いや、やめておこう。そんなことを言おうものなら、金髪少女に鉄拳制裁が下されるのは目に見えているのである。
時刻は正午を回ったころだろうか、隊の先頭を歩いているヴォルヴァが、前方で何かを見つけたようだ。そう言われてレイも目を凝らすが――雨による視界不良で特に何も見えなかった。
筋肉どもは敵の可能性を考えて警戒を強めたが、近づいてみると、それは同じく合流を目指していた仲間たちだった。人数は四十人。どうやら、南側の二部隊はすでに合流していたようである。ともかく、これでこの森にいるアースガルドの軍人は集合したことになり、軍の総司令官であるヴォルヴァが指揮を執る流れとなった。
「良いかお前さんたち! よくきけぇ‼」
ヴォルヴァが整列した全員の前に出て、雨にも負けず劣らぬ声量で演説を始めた。
「皆知っての通り、今この森には敵がいる! それも、魔を信仰する人であって人である事を辞めた愚か者どもだ!」
天を信仰する者は言う。我らが信仰しているものを信仰しないヤツは人に非ず、と。
「そんな輩に、我らの同胞が、実に五十五人も殺られた! そんなことが許されるか? いいや許されるわけがねぇ!」
天を信仰する者は言う。汚れし者に殺された魂は、汚れて天国に登れない、と。
「だったら! オレ達が救われない魂のために、魔を討ち滅ぼすべきだ! この世界のためにも!」
天を信仰する者は言う。世界が美しくなるには、この世から魔という存在が消える他ない、と。
「故に、オレ達はこれから適の本拠地を目指す! 天のために戦う軍人である前に、天を信仰する兼愛なる信徒であるがために!」
『はっ‼』
天を信仰する者は言う。我らは天のために戦う、それ以外の理由など捨て置け、と。
酔狂者達は賛同する。彼の言う通り、魔を討ち滅ぼすべきだ。それ以外に求めるものは何もない、と。
何も信仰しないものは思う。こいつらは何をそこまで天にこだわるのだろう。天にそこまでの価値はあるのだろうか、と。
そもそも人間ではない者は思う。人間とはなんと愚かな。自分の力で何もせず祈りで戦うとは何事か、と。
そうして、総勢六十二人は歩き出した。合流のための横移動ではない、敵の国がある西へ一直線に。
#
「いつもより歩調が速いわよ?」
「出来るだけ早くたどり着きたいからね」
人数が少ないゆえに高機動で動ける二人は、いつもよりペースを上げて森の中を歩いていた。今になって足を速めたのは、何か確信したことがあるからだろうか。二回ほど見張りを交替してからずっと森を南東に進んでいる。
何の迷いもなくまっすぐ進むユーリルを、エルラは魔法で荷物を浮かせてついていくしかなかった。
それでも、やはり数日間ずっと雨に打たれていてからだろうか、心なしか二人とも足元がおぼつかない一瞬を見せることもあった。それでも、二人は一切口に出さなかった。雷雨と化したこの豪雨の中、一度でも立ち止まれば、もう進めなくなると思ったからだ。
ユーリル曰く、後丸一日しないうちに敵を目視できるらしい。それを断言するならば、どこかに情報網があるはずだ。エルラがそれを聞いてもユーリルは答えなかった。彼の言い分では、まだ正式な軍人じゃない君に全てを明かすわけにはいかない、とのこと。
だったら在学軍人のアンタはどうなのよ? こんな反論が脳裏をよぎったが、それは発せられることなく喉のあたりで留まった。実際彼は栄光学園だけでなく、戦場に立つ軍人としても先輩であり、先輩の意見を尊重するのは後輩の務めなのだから。
エルラはそんな数年早く生まれただけで上下を区別されるくそったれな人間関係とそれに従っている自分自身につばを吐き、数メートル先を行く黒い軍服を着た先輩の後を追う。
それから一時間くらいたったころだろうか。
相変わらず容赦なく体を叩きつける雨の中、明らかにユーリルの調子がおかしくなっていた。歩調はだいぶ遅くなったし、結構な頻度で木に手をついて何とか姿勢を整えている。
「ちょっと先輩!」
さすがに違和感に気づいたエルラは、ユーリルのもとに駆け寄って彼の腕を肩に回す。
「あっつ――!」
明らかに正常の人間がもつものではない高温の体温。息も荒く、この寒さなのに体が火照っている。意識が朦朧としているのか、こちらの声に気づく様子もなく、ただ深く呼吸をしている。
その症状からわかることはただ一つ、
「先輩もしかして風邪ひいたわけ⁉」
「……はは、ちょっと疲れただけだよ……」
隣で体を支えてくれているエルラにようやく気付いたユーリルは、にこやかに微笑むだけだった。心配しなくていいと、後輩に迷惑を掛けないと、そんな思いが含まれていた。
「いやいや流石にごまかせないわよ⁉」
「………」
「先輩?」
エルラの叫びを、彼女から腕を離すことで制して、やはりユーリルは微笑んだ。
「大丈夫。僕のことは僕自身が一番よく知っているから。別にエルラが心配することじゃない。今だってちょっと足を滑らせただけだから」
「――‼」
エルラは何も言えなかった。今ここで引き返せと、別に焦ることじゃない、と。
先輩のあの顔には、自分に対する嘘以上に、命より優先される使命感の面影があった。それは、命令をこなすことか、この森にいる天の信者に対する憎悪か、それさえも聞けなかった。否、聞かせてくれなかった、聞こうと思わせてくれなかった。
それほどまでに、彼の目は止まるという選択しが無かった。よろめきながら、木を支えにして、一歩一歩しっかりと進んでいく。
「あーもう! 見るに堪えないわ!」
エルラは彼に対する〝諦めさせる〟という思考を投げ出して、心配だから止めるのではなく、心配だからこそ、満足いくまでそばにいることに決めた。
「〈シフォロギア〉……これで体は軽くなったはずよ。でも、これはあくまで一時的なものだからあまり無理はしない事。いいわね?」
ユーリルに肩を貸して、魔法で彼の体を少し上に浮かせる。完全に浮かせないのは、彼のことを重んじてだ。ただ浮いているだけの状態にしてしまえば、今生きているという感覚すら忘れてしまいかねない。だから、ちょっとした補助だけだ。これでも不調なようなら、その時は全力で止める。
「ふふ、ありがと、エルラ。帰ったら何かお礼しなくちゃね」
「べ、別にそんなもの求めてないわよ。帰り道に病人抱えて一人で帰りたくなかっただけ」
「あれ、要らないの? 好きな銃買ってあげようと思ったのに」
「………頂くわ」
そっぽを向いて、小さく呟いた。
そんな後輩の姿を見て、ユーリルはやさしさに満ちた表情で微笑んだ。
いまだに止まぬ雷雨。時折雷鳴を轟かせ一瞬の閃光を放つ雷。
不安と寒波が漂うその森に、小さな小さな温もりが宿っていた。
いまこの瞬間が、二人の間の一番の幸せかもしれない。
時間はさらに約三時間ほどが進んだ。
時刻にして十五時くらいだろうか。端末の電源を切っているので確認のしようがない。と言うか、今は端末を取り出す作業すら困難な状況にある。
「はぁー……はぁー……」
度重なる疲労と薄い酸素濃度、体を叩く雨が行動一つ一つに重りを乗せてくる。
もう指の感覚などほとんどない。視覚情報があるから何を触っているのかわかるが、もし目を閉じたものなら、自分はどこにいて何をしていたかもわからなくなってしまいそうだ。
それでも動き続ける足は、最早勝手に動いている。今は前に歩かなくてなならない。その固定概念があるが故にこの足はまだ動き続ける。
このままでは体がもたない。
そんな絶望感に飲まれながら――
「ほら、もうちょっとだから頑張ってー!」
「うっさい! 大体何でまた山なのよ!」
エルラ・ライズという栗色の髪をツインテールに結い、学校指定の制服の上から漆黒のマントを羽織った一人の少女が、死に物狂いでぬかるんだ山を登っていた。
といっても山はこれで何度目かもわからないくらい登っているので、彼女の叫びは完全に愚痴文句である。
エルラから数メートル先では、数時間補助を受けたおかげでだいぶ余力を取り戻したユーリルが、こちらに向かって手を振り、急かしてくる。
病人のくせに何たる体力だ。今この瞬間も高熱を発しているはずなのにも関わらず、すいすいと先を行く先輩に疑惑的な視線を送りながら、エルラは気を支えに山を登る。だが、山頂はいまだに見えず、ゴールがはっきりしないことに多少萎えないことも無い。
「ほらほら! 山頂に着いたら休憩にするんだから頑張って!」
自分が頑張っている中、自分より体調の優れない先輩にこんなことを言われるのだから随分ともどかしい。でも、彼の言動は、これ以上後輩に心配を掛けないよう思ってのことだから、エルラもどうこう言うつもりもなく黙々と足を動かしていた。
それに、ユーリルの補助として使っている魔法も、少し威力を上げているのだ。彼が今普通に動けているのもそのおかげ、戦闘になればアドレナリンやらなんやらでどうにかなるだろうが、移動の際はずっとエルラの補助を受けていたのだ。ユーリルは、魔法の効果が強くなっていることに気づいていない。彼は、自分の体調が回復してきていると勘違いしているのだ。そう前向きな精神でいるのが重要。心情が高騰の良し悪しを左右するなど、さほど珍しい話でもないのである。
「はひー……」
やっとの思いで山を踏破し、山頂の木の根に腰を下ろして休憩をとる。
一つの目的を達成した後の水分は体によくしみる。数少なく味も決して褒められたものではない干し肉だが、なんだろう。今は、この一口一口がやたらと美味しく感じる。
「ふー」
さすがに使えたのか、ユーリルもエルラの隣に腰掛けて、大きく息を吐いた。
いきなり隣に座られて驚くエルラだったが、横にいるのは病人だということを思い出して、表立って驚くようなことはせず、彼から顔を背けて、朱がさした頬を隠した。
そんなあたふたしているエルラに気づく様子もなく、ユーリルは目を閉じたままゆっくりと口を開いた。
「あのさ、エルラ」
「なによ」
エルラは手に持っていた干し肉を千切って、まだ口を付けていないほうを先輩に差し出した。
「休憩しようとかい言っといて何だけど……山の下――いや、崖の下をそっと覗いてみて」
どこか申し訳なさそうに言うユーリルに怪訝な顔を向けて、エルラは言われた通りに動く。
ここは崖だったのか。下に何かあるのだろうか?予想しても答えは出ず、ならば確認するまで、と崖から広がる景色をそっと覗き――、
「――ッ!?」
目にした光景を頭が正確に理解した途端、エルラはユーリルのもとに駆け寄り声を上げた。
「ちょっと先輩! まさか、え⁉」
「……そのまさかだよ」
ユーリルは二つの意味で迫りくるエルラを手を挙げて制して、我らに果たされた使命を告げる。
「あそこにいる大勢の人間、これからそのすべてを殺す」
「……っ、分かったわ。それで、作戦はどうするの?」
エルラは一瞬の内に思考を切り替え、ナイトメアの軍人としての表情に変わった。
さっき見た、崖の下には、広大な草原が広がっていて、そこに白の軍服を纏った人間が何十人といた。その軍服は、先日二人が倒した天側の人間だとみて間違いない。中に赤い軍服の人間が二人ほどいた気がしたが、特に気にすることは無いだろう。そして、あの人数で行動しているとなると、残った全部隊が合流したとみていいだろう。
その事実が二人の優位性をかけらもなく砕ききった。
もう、出来るだけ早く叩こうとかそんな希望は持てない。二人で、精密な作戦をミス一つなく行わなくては、六十対二という圧倒的な戦力差を覆すことはできない。
「そうだね、じゃあ――」
ユーリルはエルラの顔を見てニヤリと笑い、敵を一人残らず殲滅するための方法を告げた。
――――――
――――
――
「それ、本気?」
「もちろん。これが君と僕の二人だけで出来る最良の策だよ」
先輩の口から発せられた言葉を聞き、エルラは訝しむと同時に、彼のことを心配していた。ユーリルが言ったことは、実現不可能とは言わないが、それに対する代償が大きい。それも、万全の状態とは言い難い彼の体ならなおのこと、だ。
魔性力の使用に対する反動がどのようなものかは知らないが、学校では『生半可な人間がもつものじゃない』と常識のように頭に埋め込まれた。その言葉にどのような意味があるにせよ、何かしらの代償があるということに関して、エルラはユーリルのことが心配でたまらなかった。
だからといって反対しようにも、言ったところで無駄だということは、彼の目を見ればすぐわかる。一度決めたことは絶対に曲げないと言う意志。それが僕に与えられた役目だから、という強い覚悟。そして何より、心の底から楽しむような屈託のない笑み。それに没頭することで、外界を遮断するための儀式。
この時を、今、この瞬間を、これから行われる戦闘に、全ての生きがいを感じて、ユーリル・ブランシェットという一つの人格は、崖の下にある草原を戦場にすると宣言した。
「僕は、ここで全てを終わらせる。あそこにいる六十人を皆殺しにして、与えられた任務を非の打ちどころのないまでに完ぺきにこなす。だから、共に戦ってくれないかい? 同じナイトメアに住む人間として、互いに優れた才能を持った、友達として」
「……」
その疑問形でありながら、一切の否定を受け受けないと語るその姿に、エルラは開いた口が塞がらなかった。しかしそれは決して悪い意味ではなく、ただ単に驚いていただけだ。
彼がここまで熱弁したのを初めてみた。その言葉自体は短いが、そこに込められた思いの重さが桁違いだ。決心というよりかは、義務のような、こなさなければならない使命感を感じた。
エルラとて特に拒否する理由もない。
『友達』として。栄光学園に入学してからそう呼べる人間とは一切会ったことが無い。でも、同じような境遇にいる彼は、エルラのことを友達と認識した。それは、単なる傷のなめ合いか。それでも、そう思ってくれていることにエルラは喜びを覚えた。それに、彼になら安心して背中を預けられる。
エルラは立ち上がって、差し出されたユーリルの手を取った。この戦場で共に戦うために、もうこれ以上『友達』に負担をかけさせないために。
「いいわ、やってやろうじゃない」
「ありがとう。それじゃあ改めて――よろしくね、エルラ」
「ええ、こちらこそ先輩――いえ、ユーリル」
互いに戦意に満ちた顔で笑みを交わす。
「帰ったら覚悟しときなさい。口座をズタボロにしてあげるんだから」
「僕の通帳をなめちゃいけないよ? 銃一丁くらいで破綻するほど薄くはないからね」
手を離し、それぞれが持ち場に移動する。
言葉の端々に、二人は共通する願いを込めていた。
……二人で一緒に帰ろう、と。
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