第57話 確たる進歩


 今日一日ずっと雨が降り続け、どす黒い雨雲のせいで日が沈み始めている事に気づくのが遅くなった。

 夜、暗い森で、寝ない悪い子に化け物が襲い掛かるなんてことは無いが、夜の森はいろいろと危険があるのだ。それが雨となればなおさらのこと。

 昨日のように都合よく洞窟が見つかったりもせず、今日の寝床はどうしようかとエルラが不安に駆られている最中、ユーリルがある木の下で足を止めた。

「……今日はこのへんで休もうかな」

「え、もしかして木を屋根代わりにするつもり?だとしたらお断りよ。雨の夜の冷え込みを甘く見てはいけないわ」

 頭上の木は確かに周りと比べればいくらか大きい気もするが、雨が直接当たるのを防げればいいだけの話では無いのである。

 だがユーリルはエルラの言葉を無視するように、あるいは嘲笑うように左手を地面に置いた。

「〈アマイモン〉――【地暴者】」

 彼の左手首にあるブレスレットの宝石が淡く光り、辺りの地面に影響を及ぼす。

 ユーリルの半径一メートルくらいの地面が盛り上がり、雨に打たれていたとは思えない乾いた土が伸びる。それらは彼の思うがままに動き、人二人なら余裕で入れるかまくらのような半球と化した。

「ほらおいで」

 あっという間に出来上がってしまった土のかまくらに、エルラは言葉も出ず先輩に招かれるままに中に入った。

 かまくらのなかは意外と温かい。それもそうか、密度が高い土は外部の空気を遮断するのだ。ちゃっかり地面も乾いたものに変わっていて、ユーリルの気遣いを感じられる。

 エルラはユーリルの隣にちょこんと座り、魔法で浮かせていたリュックを二人の間に置いた。

「これはほんのお礼よ、別に申し訳なく思ったわけじゃないんだからね――〈ヒートブロウ〉」

 エルラがびしょ濡れになったユーリルのリュックに手をかざすと、手から熱風が吹き、水分を飛ばしていく。念動系魔法しかまともに使えないエルラがこの雨で体力を消費しているにも関わらず、他人の荷物を乾かすために熱魔法を使ったのだ。

 彼女も随分と優しくなったものである。

 ユーリルはエルラのセリフに、何ともわかりやすい、と心の中でツンデレのレッテルを彼女に張り、表面では気づいていないように感謝の言葉の伝えた。

「ありがとうエルラ」

「別に感謝なんて求めてないわよ。これは寝床を確保してくれた先輩に対するあたしからの礼よ」

「ふーん……」

「な、何よ?」

「別に」

 何か意味がありそうな視線を送られてエルラは怪訝な顔をして返すが、ユーリルはすぐに視線をリュックの方に落としてしまった。そしてリュックの中をごそごそと漁り、遠征ご愛嬌の、美味しくもない栄養価に極振りした携帯食を二人分取り出した。

 二人はそれを食べているという感覚をごまかすために以前湧き水から取ってきた水で流していく。そうしてさっさと食事を終え、今日の反省会を始めた。

「今日は特に何もなかったね」

「ホントよ。何もなさ過ぎて本当に進んでるのか不安になってくるほどだわ」

 本当に今日は何もなかった。ただただ雨の中森を歩いていただけ。敵に近づいているのではあろうが、生活の痕跡なども一切見当たっていない。雨で視界が悪くなっていただけかもしれないが。

 よって、話すこともあまりないのである。

「今日はもう寝よっか。最初はどっちが見張りする?」

「んー? じゃあ先輩よろしく」

 エルラは疲れが溜まっていることを自覚していたため、先輩に迷惑をかけないためにも先に体を休ませることにした。生き延びる上で一番大事なのは、無理をしないことだから。

 エルラは装備を外して毛布をかぶり、三時間という少ない時間の中で回復するために無理やりにでも目を閉じる。しかしいつまでたっても寝付けない事なんてなく、意外とあっさり彼女の意識は夢の世界へ旅立っていった。

「……」

 エルラが完全に寝て、ユーリルは無言でかまくら(土製)から出た。このかまくら、実はずっと権能を維持しているのである。かまくらをかまくら足し貯めるために、ずっと魔力を流し込んでいるのだ。とはいえ、今は戦闘中でも疲労がたまっているわけでも無いのでそこまで気にすることではないのだが。今の状況においては、自分の魔力を惜しむより、戦力となる後輩を守る方が大切なのである。

 ユーリルは木の幹に手を当て、辺りの景色を見渡した。

 雨雲が月明かりを遮り漆黒となった視界。でも暗い色をずっと見て来たからか、山の輪郭くらいなら把握できる。

 遠いところに大きな山があり、視線を少し下に向ければ、そこには一定の高さの針葉樹が無数に並んでいた。どうやら一山登っていたようである。ということは今いるここは山頂。特に明かりもない今はそこまで辺りを警戒する必要もない。もし襲撃を受けても地の利を利用すればどうとでもなる。

 ユーリルがこうして景色を眺めているのは、何かしら手がかりがないか探るためだ。南下している最中の山頂ともなれば、何かしら敵の居場所を示すヒントがあるかもしれない。――そうも思ってみたものの、結果は御覧の通り真っ暗。光一つない。

 一通り地形を確認してからユーリルはかまくらに戻った。まだ一時間ほどしか経っておらず、交替まであと二時間もある。どう時間を潰そうかぼんやりしていたら、不意にリュックからピロ~ンと能天気な音が鳴った。

 自分の端末は電源を切っているのに、と怪訝に思いながらリュックを漁ると、Σから渡された端末が、勝手に電源が切れていたのにも関わらず、画面からブルーライトを放射していた。 

 その画面には、『Δだよっ!』という名前で、メッセージが表示されていた。端末を操作し、トーク画面に移行すると、昨日のトーク内容はすべて削除されていて、新しく会話が切り出されていた。

『今日も一日お疲れ様。それにしてもすごい雨だね』

 現実だろうとネットだろうと変わらぬ定型文に、ユーリルは妥当な返しを送る。

『そちらも雨が降っているのですか?』

『いや? ナイトメアは快晴だよ?』

『失礼を承知で申し上げますが、Δ様はどのようにしてこちらの状況を把握しておられるのですか?』

 Δの言っていることの意味が分からなかったユーリルは、言葉を飾って手の内を明かせと要求した。すると、気づいていないのか、別に隠すようなことでもないのか、“これがわかれば後は自分で理解出来る”文章が送られてきた。

『魔眼移植計画の資料は見せたよね? ボクの配下に魔眼を持つものがいるってこと』

 ユーリルは寝ているエルラを気遣い再びかまくらの外に出て、ふーんと相槌を打った。『魔眼』という見たものをすべて主人にリアルタイムで送られる目の話は自分に衝撃を与えたことだったからよく覚えている。『魔眼』がどこで生まれて今どのくらいあるのかは知らないが、もしそれが一般採用されたらナイトメアの情報力は一気に跳ね上がる。ここまで『魔眼』興味がある彼だからこそ一つ疑問に思う。今近くに『魔眼』を持ったものがいるのか、と。

 直接“見たもの”を送る目なら、こちらが雨という情報を持っている時点でどこかに『魔眼』持ちがいることは確か。だが、かまくらで仮眠を取っているエルラ以外、人の気配がしない。雨で痕跡が消されているという可能性もあるが――とユーリルは以後気配というものにより一層気を配ろうと、ちょっとした興味を胸に思った。

 今はΔと会話中だったことを思い出し、ユーリルは画面に指を走らせた。

『それで、今日はどういった要件でしょうか?』

『そんなに畏まらなくていいよー、キミはボクの部下じゃないんだから!』

『いえいえ、Δ様はナイトメアには欠かせないお方。そう無下に扱えませんよ』

『ブー……えっとね』

 Δも特にこだわりはないようで、サクッと切り替えて本題に移る。

『特にこれといって凄いことがあったわけでも無いんだけどね。ボクからはこれだけ――敵との距離は着々と縮まってるよ』

『それはよかったです。痕跡一つ見つからず、少し焦っていましたから』

 ユーリルは平然と返したが、Δの言葉に結構驚いていた。「敵との距離が縮まっている」これだけなら、あーよかった、で片付けることもできだが、その言葉の意味をよく考えるとその異常さに気づく。

 「敵との距離」。それを断言するには、こちらの位置と敵の位置を長時間把握しておく必要がある。そしてΔの言うことが確かなのであれば、彼女はそれに成功しているということだ。

 ユーリルはとんでもないことをやってのける自分より年下の少女を思い浮かべ、メッセージを送る。

『情報提供ありがとうございます。出来るだけ日が経たない内に任務を完遂いたします』

『うんうん、頑張ってね!』

 これでトークは終わり、ユーリルが端末の電源を落とそうとした時、微かなバイブレーションが電源ボタンに進む指を止めた。

 まだ何かあるのだろうか?ユーリルは端末に目を落とすと、そこにはこう書かれていた。

『昨日のΣからの伝言。あれ何だったの?』

 ユーリルはその言葉に昨日受け取った実の主からの伝言の内容を思い出して、Δにこう返した。

『いくらΔ様であろうと、それを教えることはできません。どうかご理解いただきたく存じ上げます』

『それもそっか! それじゃあ改めて――任務頑張ってね!』

 最後に激励の言葉が送られてきて、端末はひとりでに電源を落とした。

 ユーリルは消えた画面を数秒見つめ、寒さ故に体が筋肉が縮みブルっと震えた。

 今この場には熱源も光源もない。あるのはお気持ち程度に外部の熱を遮断する、土製のかまくらだけ。

 『地』しか操れない僕と、理論上なんでもできるエルラとでは、どっちの方が各上なのかな? と自問し、答えが出そうで出ないことに多少の呆れを覚え、彼自身もかまくらの中に身を投じた。

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