第56話 ストレスの叫び
「起きて、おーきーてー………起きなさーい」
「ん……ぅ………」
肩を揺さぶられて、ようやく少女は意識を現実に引き戻した。
ここは洞窟。洞窟内に光源は無く、入り口から微かに入り込んでくる光だけなので辺りはとても暗い。
自分の身を覆っている一枚の毛布。己の体温が浸透し、目覚めたばかりの少女はそれを離そうとしない。
「ふぇ……あさ……?」
それでも目だけは働かせて外の状況を確認した。
洞窟の外は止む気配のない、凄まじい豪雨。空を灰色の雲が覆い、日光を極限まで遮る。
そのことを知っただけで、少女はがっくりとうなだれた。
また雨か、と。
昨日の夜から降り始めた雨は勢いを増していく一方。今では風も出てきて、より一層空気を重くする。
「ほら起きて、出来るだけ距離を稼がないと」
横で少年が早く起き上がるよう促してくる。その声は、優しいようで――感情が抜け落ちているようにも聞こえる。その声はここ数日ずっと聞いている。自分と同じ学校の先輩で、高校生にして軍人となり今まで命令をこなしてきた凄い人だ。その人の誘いで少女は今ここにいるのだ。
男のくせに緑色の髪を長く伸ばして三つ編みにして、誰にでも優しいようで本当は他人になど興味なくて、ここにいる間ずっと少女のことを助けてきた先輩の名前は、
ユーリル・ブランシェッ――――――――。
「ほら、さっさと起きる!」
「ひぇっぁあああ!」
包まっていた毛布を掻っ攫われて、少女は襲い掛かる寒波に全身の毛を逆立たせた。
季節的には春だろうと、朝の森は寒いのだ。
大切な熱源を取られた少女は、眼光を鋭くしつつも寒そうに体を抱いて犯人を睨む。
「ちょっと先輩! いきなり毛布取らないでよ! 寒いじゃない‼」
少女はさも自分は悪くないといった態度で言うが、今の行動は先輩の方が正しい。
「朝になったら起こしてって言ったのエルラでしょ? なのに揺さぶっても中々起きようとしないから強行突破させてもらっただけだよ?」
「う……で、でも! 乙女が使っていたものを掠め取る先輩も悪いわ!」
「はいはい分かったから。ほら、身だしなみ整える」
ユーリルは年上の余裕でかみつく後輩をあしらい、出発の準備をするよう促した。
エルラはツインテールをほどき、自分のリュックから端末を取り出し、内カメラと折り畳みの櫛で乱れた髪を整える。栗色のツインテールも、昨日の朝から結びっぱなしだし、シャンプーやらトリートメントやらもないので結構ゴワゴワしてきた。
おまけに外は雨なのだ。いくら丁寧に手入れしてもすぐ台無しになる。
その教訓から、エルラは手短に身支度を終え、再び髪をツインテールに縛り上げる。
「もういいわよ。さっさと行きましょう……さっさと終わらせて早く帰りたいし」
「そうだね。それじゃまたこの雨の中、長時間の移動を開始しよう」
「おー」
覇気のない掛け声とともに、魔側に属する二人は、敵勢力全滅のため再び豪雨の森を歩み始めた。
「まったく……敵はどこにいるのよ……」
この森にいる敵五部隊の内、二部隊目を撃破してからいくら南下しても人一人見当たらない。ユーリル曰く、敵もこちらの存在に気づいて、合流するべく行動しているとのことだったが、そんなことエルラには関係ない。早く終わらせて温かいシャワーを浴びて美味しいご飯が食べたい。彼女はそれだけなのだ。
「まあ、後二日もすればさすがに見つかると思うよ?」
「見つけたところで、でしょ? 合流されてたら六十人と殺り合うことになるんだから」
「まあ、ね。でも、その時は何とかするさ」
そもそもこちらの戦力が二人だけなのがおかしいのだ。まあ元々の任務は先行隊の排除と地図情報の確保だったからなのだが、追加任務を言い渡されてから、戦力追加の連絡は一切ない。
「何とかって……曖昧さは死を意味するわよ?」
「曖昧とアドリブは違うんだよー?」
「分かってるわよ!」
雑談するほどの余裕はある。肉体的状況も平常だが、この雨は無性に不安を沸き立たせる。
体と精神に重りを乗せるだけの雨に、エルラは魔法で浮かせたリュックを頭上に持っていき、愚痴を零した。
「なんで折り畳み傘も入ってないのよ……」
その言葉は実にその通りだというほかあるまい。
こんなに雨が降るとは思わなかった――という言い訳をする前に、大自然への遠出だというのになぜ準備しなかった、というツッコミが来るのは目に見えている。
生活用品を用意すると言ったのはユーリルであり、エルラは準備を怠った彼を恨む権利がある。
「そんなこと言ったって仕方ないじゃないか、こんなに雨が降るとは思わなかった――って! それ僕のリュック!」
後ろを振り返ったユーリルは、エルラの頭上に浮いているリュックを指さし、何をしとるかおのれぇ! と声を上げた。
いつも落ち着いている先輩の驚いた顔を見て、エルラは嘲笑うように顔を歪ませて、わざとらしく上品に笑って見せた。
「おほほほほ! 先輩が悪いのよ? 優秀な頭脳をお持ちなのに雨天に気を使わないからよ、悪く思わないでよね」
「いやいや、だからって僕のリュック傘代わりにしないでよ! その中に毛布とか入ってるんだからね!? ていうかエルラのリュックはどこ?」
「問題ないわ。防寒具は銃弾が減ったあたしのリュックに入れといたから。そしてあたしのリュクはここよ」
エルラは自慢顔で漆黒のマントをバサッと広げる。そこには、背中とマントの間に大きなリュックがぷかぷか浮いていた。彼女は、自分が使うもの以外ならどうなろうと関係ないようである。
ユーリルは雨に浸って、色が濃くなっていくリュックを悲しむように眺めていた。
「……ぴえん」
「――ッブ‼ ……え? ちょっと先輩?」
「どうしたのさ」
どうしたもこうしたも無いだろう。――まさか、彼からそんな言葉が出てくるとは。
完璧な不意打ちに、エルラは込み上げてくる笑いを必死に抑え込んで――いや、無理だった。
エルラはニマニマと表情を歪みに歪ませて、雨の音をかき消すくらい大きな声で笑った。
「いやいや、これは笑わないほうが失礼だわ。だって先輩よ? あの、学校ではひたすらノート取ってるか魔法部の校舎でひたすら魔性力の練習をしてるかの二択しかないって噂の先輩が、〝ぴえん〟とか言ったらそれはもう爆笑ものでしょ?」
「……いやまあ、学校ではその二つしかやってないよ?でも、僕だってネット用語知ってるしアニメくらい見るさ。特に戦闘系は戦略の幅を広げるのに役立つからね」
エルラが爆笑する理由がいまいちピンとこないユーリルは、とりあえず自分も流行には乗ることをちゃんと伝えておく。
エルラはユーリルの言葉を着た途端、表情も思考も一気に冷めた。
ころころ変わる急展開にユーリルは困惑の表情を浮かべ、エルラは歩きながら幻滅したとでも言わんばかりに冷めた瞳で先輩の目を見て文句を口にした。
「なによ戦闘系て。しかも戦術の参考⁉ 一周してアホなの⁉」
「え? え? 戦闘系のアニメって、そっち系の人間を教育するためにあるんじゃないの?」
何が何だか分からなくなったユーリルは大量の疑問符と共に、立ち止まっておどおどし始めた。
対するエルラは、はあ……わかってない、と呆れ交じりに首を横に振った。
「確かに娯楽を己の糧にするその威勢はとても素晴らしいともうわ。でもね――娯楽は娯楽よ‼ いい? 二次元は心の安らぎ。何にも縛られない、全てが頭の中で片付く理想郷。そんななんでもアリな世界の情報なんか参考にしても、虚しくなるだけよ⁉」
やたらと語るエルラの言葉はどこか説得力がある。経験談だろうか?
「いや別に人の捉え方にどうこう言うつもりは無いわよ? ただ二次元を過信しすぎないようにした方がいいってこと。……まあ、あたしから一つ言うなら――戦闘系じゃなくてラブコメよ、ラブコメ‼」
エルラはもう止まらない。どこかのネジが外れたようで、一人で語りは頭を抱え、雨を降らす空を仰ぐ。
「あたしたちは高校生よ、コーコーセー! ならふさわしい青い春を堪能しないでどうするのよ⁉ でも、現実はそんな甘くないのよ! 入試で本気出したら《銃鬼》なんて呼ばれ、そのせいで平凡な学園生活を失って! そんな状態で恋なんて出来ると思ってるわけ!? 答えはノーよ! みんな尊敬やらなんやら敬うように接してきやがって! おかげで一年目は友達なしで終わるわよっ! だからあたしは二次元に逃げたわ! あれはいいわよ、ほんとに。好きって気持ちに気づいてくれいな幼馴染。部活の全国大会の応援に行って、そこでかっこいい姿とヒロインだけに向ける満面の笑み! 「この大会で優勝したら聞いてほしいことがあるんだ」とか言って! 倦怠期のもやもやとか浮気疑惑のハラハラ感とか最高じゃない! そして、相手の気持ちにようやく気付いた主人公は夜道を全力疾走するのよ! ヒロインが最後に残した言葉の意味を理解して! 夜景が綺麗な展望台とか星空広がる浜辺で改めて告るのよ! それでうれし涙流して抱き合うのよ! っはあああああああああああ!いいじゃない、最高じゃない、ごちそうさまでしたぁああああああああ! ……なのに、現実ではこんな事語ることさえ許されない。恋バナとか同年代でしないで誰とするのよ! あたしの青春返しなさいコンチクショウめぇえええええええええええええええええええ‼」
「……う、うわぁ」
今の時間はまだ午前十時ごろだというのに、深夜テンション並みに突入したかのようにぶっ壊れたエルラを見て、ユーリルは思わずドン引きしていた。
まさか彼女がここまでだったとは。別にユーリルとて、恋愛ものを否定するつもりはない。現実では無理だからせめて二次元でも、というのも個人の自由だ。正直そこらへんはどうでもいい。
だが、一つ物申すなら――。
「僕の前で熱心に語らないで?」
そう、ラブコメたるものに興味がない自分に語られても困るのである。それに一つ付け加えれば――正直気持ち悪い。
ヲタクのように、やたらと早口で一方的に語る人種をユーリルは好かない。エルラは今だけぶっ壊れているだけで、普段は普通だから特に何とも思ってないが、やはり語られると反射的に拒絶してしまう。
「ふー……ふー……」
一通り吐き出して落ち着きを取り戻したのか、顔を少し紅く染めて肩から息を吐いていた。
コイツはもうだめだ、とユーリルはエルラに対する好感度を下方修正し、語る暇を与えないためにも止めていた足を動かす。
「ほら行くよ? ストレスが溜まってるのは分かったから、雨の森をそんな叫びながらだと体がもたないよ?」
「……はーい」
素直に返事をするエルラはリュックを顔の前に移動させて、恥じらいで紅く染まった顔を隠していた。
――やべぇ、異性の前でちょっとリミットブレイクしちまったわ、と。
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