第54話 偽善者

「ちょっと先輩急ぎ過ぎじゃない?」

 三時間の仮眠を取り終わるなりたたき起こされて森を歩まされているエルラは半眼で前方を歩いているユーリルに不満をぶつけていた。

 時間帯も今は深夜だ。いつもなら早朝から行動を開始するのに今日はすごく早い。それに、ユーリルはエルラの攻撃で意識を失ったのを抜けば一睡もしてないのだ。何か焦っている気がする。エルラは何か疑問を覚えたが、ユーリルは何も明かそうとしない。

「敵の位置に目途がついたからね。少しでも距離を詰めておかないと」

「いつの間にそんなの知ったのよ」

「君が寝てる間に」

「……そういうこと聞いてるんじゃないのよ」

 さっきからずっとこれだ。彼が知る必要が無いというのならそこまで食い下がるつもりもないが、ちょっとくらい信頼してくれてもいいじゃないと思わなくもなかったエルラである。

 辺りは真っ暗。唯一の光源である松明を頼りに警戒を怠らずに森を進む。



 行動を開始してから一時間ちょっと。

 ぽつぽつと空から大きめの水滴が降ってきた。次第に勢いを増していき、豪雨となって自然を潤し始めた。

「……さすがにこれは無理かな」

 何も映らない漆黒の空を見上げながらユーリルがため息交じりにそう呟いた。

「そういえばこの森に入ってから初めての雨ね……それが豪雨とかついてないわ」

 ユーリルが手に持っていた松明の火が消えて雨が来たことをより実感させる。

 二人は近くにあった洞窟に身を潜めた。雨が止むまでここで待つわけでは無いが、流石に深夜帯に行動するのは控えようという意見にまとまった。

 地面は冷たいし光もない。

「〈イルミネイト〉」

 エルラは光魔法を使ってせめて光源だけでも確保しようとした。だが、もともと念動系以外ロクに使えない上に寒さで集中力が途切れ、ぼんやりとした淡い光しか生み出せなかった。

「ごめんさなさい先輩。あたし今無能だわ」

 今の今までユーリルの言う通りに行動して、今のような非常時に明かりすら灯せないエルラは自分が惨めに思えてきて、手のひらで浮遊してる小さな光を見つめながら謝罪を口にした。

 対するユーリルは何も気にしてない様子で降り注ぐ豪雨を眺めていた。その瞳は、落ち込む後輩ではなくいつ殺し合いが始まるかわからない戦場を鮮明に映している。でも、思考はエルラの方にも向いていたようで、体勢はそのまま言葉だけをエルラに向ける。

「別にエルラは無能じゃないよ。銃に関して右に出る者はいないだろうし、こんな状況サバイバルじゃ日常茶飯事だよ」

 それでもエルラは納得いかないようだ。寒さゆえか、己の身を抱いて途切れ途切れに食い下がる。

「そりゃ銃に関する事ならだれにも負けないわ。……でも、あたしにはそれしかないじゃない。ここにきてあたしがやったことは敵に向かって引き金を引くことだけ。食と住が無い状況で今生きてるのは……先輩がいたからよ」

「だったら何?」

「……え?」

 その一言でエルラの思考は固まった。だったら何とは何だろうか?今エルラが言ったことは事実であり今生きているのは確実にユーリルのおかげだ。

(今の話を聞いたうえでまだ「無能じゃない」なんて言ったらぶっ飛ばすわよ。あたしは偽善者と一緒にいるつもりは無いわ)

 エルラは視線はそのまま意識だけを横にいる男に向けた。この男の次の言葉次第でこれから取る行動は変わる。そう身構えてユーリルの言葉を待つと、予想もしなかった言葉が返ってきた。

「無能でいいじゃないか」

「?」 

 エルラは思わず振り向いた。するとユーリルもこちらに振り向く。淡い光しかないが、目が合っているのはなんとなくわかる。ユーリルはエルラの瞳を見ながら続けた。

「完璧だからえらいんじゃない。何にでも対応できるからすごいんじゃない。何か欠陥があるからこそいいんだ。完璧な人間なんかじゃなくていい。だって僕らはロボットじゃないんだから。それでも完璧に近づきたいから人間は努力するんだ。僕がそうだったように、君がそうなように。……だからさ、君が自分を責めるなら責められないような人間になればいい。どれだけ時間がかかっても、最後に結果を出せばそれでいいんだから」

「……そう、アリガト」

 エルラは気恥ずかしそうに視線を元に戻した。こんな事言ってくれた人は初めてだ。周りの人間はいつもエルラのことをおだてるが、ユーリルは違った。やはり立場が違うと思うことも違うのか。

 手元で灯る淡い光を朱がさした顔で優しく眺めていると、不意に背中に温もりを感じた。疑問のままにそれを手に取ると、毛布だということがわかった。

 横ではユーリルがエルラの方を向いて微笑んでいた。

「エルラ、君が決めな」

「……そう、ね」

 彼の言葉にどんな意味が込められているのかわからないが、エルラは今自分がしたいことを自分で決めた。

「夜が明けたら起こしなさい、睡眠不足はお肌の大敵なんだから」

 手元に灯していた光を消して、ユーリルの肩に寄り掛かった。目を瞑り、導かれるままに意識を手放した。

 ――この毛布は、今までで一番温かい気がする。

「……」

 自分の肩に寄り掛かって眠りだしたエルラを、ユーリルは親のごとく温かい目で見守っていた。この少女を見て、わかったことが一つある。

(……僕は、偽善者だ)

 エルラはまともな子だ。ちょっとしたことで落ち込むし、そしてすぐ立ち直れた。ユーリルはあんなことを言ったが、彼自身が一番自分で物事に決心を付けられないでいた。

 家族に対する疑問。それを晴らそうとしても恐怖で動けなくなる。自分で決めることはしないし、最近はどうにかしようと努力もしてない。エルラに言ったことは完全な綺麗ごと。もしくは自分に言い聞かせていた暗示だ。先輩として、男として落ち込んでる女の子を励まそうと、自分が言ってはならないことを口にした。

 なんて愚かなんだろう。何もしてないくせに口だけは達者な自分が許せない。許してもらおうとも思わない。

 言われることをやればいいだけの存在というのはとても心地よかった。今のような誰かの下に着き、言われるがままに行動するのが一番楽だ。だから、自分がそこに居続けるためにも受けた命令は必ず果たさなければならない。それが、人の命を犠牲にするものだとしても。

 自ら睡眠を選んだ少女の意志を尊重して、ユーリルはこの夜一睡もしないで見張りを続けた。



#

 早朝に見せた不穏な空気は消し去り、レイ達一同は森を南東に進んでいた。

 人間たちの雰囲気は改善されても、降り注ぐ雨は一向に収まる様子を見せない。体を容赦なく叩きつける雨粒がどんどん体を重くしていく。何も手を付けられていない天然の大地は泥濘となり、歩く者の足元をかっさらおうとする。 

「うぅ……」

 レイの隣を歩いているブラフマーはいかにも気だるげな態度で唸っていた。

 雨水をたくさん吸った長い金髪が服やうなじにべっとりと張り付いている。水浴びとは違い常に動き回っているから汗や土で体中が汚れていく。

「頑張ってくださいお嬢さん。今は本格的にまずい状況なのです」

 レイ達と最後尾を歩くシャヴィの言う通り、この身体的アドバンテージが圧倒的の部隊ですら他部隊と合流を目指すほど今の状況は天側にとって好ましくない。何せ天側は先行隊も合わせて実に五十五人を失っている。それほどの人間を壊滅させた兵となればそれだけで侮れないし、どこからか詳しい情報を入手していてもおかしくないのだ。

「わかっている」

 たった一言で会話を断ち切りブラフマーは小さな体を動かして皆についていく。

「なあシャヴィ。お前は敵勢力がどれくらいの規模だと思う?」

 何も会話をしないのも気まずいのでレイは適当に問いを投げた。本来であれば、「どれくらいだと思う?」など曖昧な質問はしないで核心を射た問いをしたかったのだが、先の出来事があったがためにこう聞かざるを得なかった。

 せめて経験がある軍人の予想を聞こうと思った問いに、しっかりと答えが返ってきた。

「……そうですね。私個人の意見としては、そう多くないと思いますよ? この隊より少ないことは確実でしょう」

「そう思う根拠は?」

「……」

(やべっ、少し踏み込み過ぎたか⁉)

 視線を前に向けたまま口元を手にやるシャヴィを見て、疑いの種を撒いたかと内心焦るレイだったが、どうやらそれは杞憂だったようで、シャヴィはただレイに聞かれた理由を考えていただけだったようである。

「やはり進軍スピードからでしょうか? 中央の先行隊を潰してから北の二部隊を潰したとなると、それなりの機動力が必要になります。特に全面戦争を仕掛けるつもりがないならそうそう超エリート部隊は使わないはずですし、そう考えると特出した数人で行動していると考えた方が自然でしょう」

「ついでに具体的な数字を聞いてもいいか?」

「私の考察では……十人弱くらいかと」

「そんなに、か……」

 シャヴィの考えを参考にするにしてもそれはそれで恐ろしいことになる。何せ、敵部隊が倍以上いるにも関わらず壊滅させてみせたのだから。それも二部隊も。そうすると、敵勢力はほぼ脱落者無しと考えた方がいい。

「レイはどのくらいだと思うんですか?」

 シャヴィは会話を続行するために聞かれたことを問い返した。

「そうだな……敵もこっちと同じで大量の兵を分散してた、とかか? それでたまたま北側が先に接触して壊滅したっていうのが俺の予想だな」

 レイは無難な回答をしておく。ありきたり過ぎず現実的に。あえて違う回答をしておくことで思考の幅が広がるかもしれないから。

 レイの思惑はうまくいったようで、シャヴィは「そういう考え方もありですね」と心の中にとどめてくれた。疑いを掛けられている今、少しでも貢献して信頼を取り戻さなければならないのである。

「お三方。話もいいけどこれから下るぜ?」

 雨水に滴るマッチョがお喋りしている最後尾の三人(ブラフマーはさっきから言葉を発していない)の意識を豪雨が降り注ぐ森に引き戻した。

 マッチョの言う通り、目の前は結構角度が急な下りの斜面。先頭を歩いているヴォルヴァとその他マッチョはさすがに足元が危ないのか競争などせずにゆっくりと坂を下っている。

 レイもマッチョにならい、木などをうまく使ってゆっくりと確実に下る。

「わわっ!」

 レイの横で何かが滑るような音がした。そしてその音の正体は――シャヴィが泥濘に足を取られてすっころぶ音だった。

「わああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ‼」

 一度バランスを崩したら一巻の終わり。シャヴィはぐるんぐるんと高速横回転を披露しながら誰よりも早く坂を下りきった。

 太い木のおかげで回転が止まったシャヴィは、その場にうつ伏せになって目を回していた。途中で腰に差していた剣が抜けたらしく、彼の近くの地面に立って刺さっている。軍服も汚れに汚れ、その姿は戦死者のそれにしか見えない。

「おいシャヴィ……お前さんまたかよ……」

 このあまりにも間抜けな恰好に、さすがの隊長も苦笑い。他のマッチョたちもさして反応は変わらなかった。

 ――レイは、そのみすぼらしい死体(生命活動は続けている……たぶん)を遠い目で見て合掌した。

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