第53話 疑い
ザァー――――――――――。
遠征に来て初めての雨が訪れた。
「……」
レイは木を屋根代わりにして、自然を潤している天からの降水を眺めていた。
空は一面のどす黒い灰色に染まり、もちろん焚火なども出来はずがなく空気が重い。
ザァー――――――――――。
大粒の雨粒が木を、草を、地面を叩き、ノイズのような音を永久的に奏で続けている。
ブラフマーは、いかなる天候でも筋トレを止めないマッチョたちを軽蔑の眼差しで眺めていた。
「朝からとても気分が悪い。なんなのだあの生き物は」
「諦めろ。あいつらはそういう星のもとに生まれた全く別の生命体なんだ」
「……全く別の生命体、か」
二人の視線の先にいるのは、パンツ一丁で雨に打たれ豪快な雄叫びを上げている十九人のマッチョ。《筋肉は素晴らしい》の皆さんは(シャヴィを除く)木にぶら下がって片手で懸垂しながら朝食を食べたり、片手の小指一本で腕たりをしたり、組体操のようにポーズを取った二人のマッチョを背中で支えているマッチョが四つん這いで移動したりと、すごく頭を抱えたい衝動に駆られる光景をこれでもかと非筋トレ組に見せつけていた。
「いやはや、皆さんとでも元気ですね」
筋トレをしているマッチョたちの代わりに荷物の避難活動をしていたシャヴィが、レイの隣に立ってタオルで濡れた頭部を拭いている。今レイ達が立っている木陰には、ここ数日間使ってきた荷物たちがどっさり。食料などは使って消費したが、テントや調理器具などはかなりの荷物になる。燃料は湿気てしまったためここで捨てることにした。そうして取捨選択して荷物を減らしたものの、二十二人分ともなればまだまだ多い。まあ、それらは筋肉さんたちが率先して持ってくれるだろうからレイ達には何の影響もないのだが。
火が使えないので調理も出来ず、朝食はプロテイン入りの携帯食料だけだ。昨日までは暖かい飲み物などもあったのだが火が使えないのであれば仕方がない。
目の前の行き過ぎたマッチョたちが愛食しているプロテインを摂取するのはちょっと気が引けたが、これは今に始まったことではないのでレイは何もコメントせずに食事(?)をとった。なお、ブラフマーは意地でもこれは食べたくないと森に来てから一度も携帯食料を食べていない。そのせいで朝食のほとんどを抜いてることになり、日がたつにつれて少し元気がなくなっている気もする。
三十分くらい経ち、ようやく気が済んだのかマッチョたちは筋トレを終了して、白地の軍服を身に纏う。
「あー、お前さんたちに残念なお知らせがある」
着替えが終わり落ち着いたところで、ヴォルヴァが神妙な面持ちで話を切り出した。
「昨日の夜手に入れた情報なんだが、どうやらオレ達より北側の二部隊が全滅したらしい」
その言葉は此処にいる人間すべてに衝撃を与えた。
北側二部隊の全滅。それは、戦線の壊滅を意味する。この森に展開した五部隊は多少のばらつきはあるが、直線を描くように進軍していた。そんな状態で二個も穴が開けば、そこから天側に通り抜けることは容易い。
その危険性を理解してる軍人たちは慌てた様子で会話を交わすが、ヴォルヴァはそれを片手を挙げるだけで制した。
「まあ落ち着け。どうもこの森にいる魔側の人間はアースガルドに行く意思はないみてぇだ」
「それはどういうことで?」
その疑問はっもっともだと首肯して、ヴォルヴァは段を踏んで説明する。
「まず最初に先行隊がやられた。あれは中央を進んでいた隊だ。諜報員からの情報では、その後北側に向かったらしい。それで一番北の部隊を倒し、なぜかそのまま前進するんじゃなくて南下してきやがった。これでもうおかしいとおもわねぇか?」
周辺にさっきとは違う意味のざわめきが生じた。
その情報の通りに敵が動いているとならば、確かにおかしい。一部隊でも消せばそこからアースガルドに行けるし、わざわざ南下して次の部隊を狙う理由はない。それが敵勢力の全滅を目的としているなら話は別だが、敵本拠地までのルート確保の方が常識的に考えて効果的だ。それに一直線にアースガルドに向かえばこちらも戻らざるを得ない状況になり、こちらの目的である魔側の本拠地までのルート確保は断念するほかない。
……いや待て、そもそも何で中央にいた先行隊を倒した後北を目指した? その後何故南下した? もしかして、敵はこちらがそう軍を展開して、どう進軍しているかをすべて知っているとでもいうのか?
その答えにたどり着いた者はほぼ全員だった。
敵に情報が洩れていることが分かれば当然スパイの存在を疑い、容疑を掛けられるのは必然的に異端者となる。
《筋肉は素晴らしい》全員の視線がレイとブラフマーに向けられた。それも当然。彼らは長年行動と共にしてきた仲間であり、レイとブラフマーは誘われて来ただけなのだから。異端者だけになる時間もあった。それに対して他のメンツは、筋トレだの水浴びだの食事だの到底理解できない言動はあったが、いつも二人以上で行動していてアリバイがある。
一斉に疑いの視線を寄越され、レイは困惑気味だった。
(いやいや俺なんも知らねーぞ⁉)
「なんでみんなして俺たちのことを見つめるんだ?」
「その理由をいちいち言わなきゃなんねえほどお前はバカじゃねえだろ?」
「っ……」
そのどんな仕草でも見逃さんと鋭く射抜くような視線がレイの身動きを封じた。これに関してはレイ自身も何も知らないのだが、何か後ろめたいことがあるのは事実だ。もし自分たちの目的がばれたらと思うとつい身構えてしまう。ちなみにレイの横にいる金髪美少女ことブラフマーは見事なポーカーフェイスで無表情を貫いている。一言でいえば凄い。いつも怒るか煽るか呆れるかの彼女が無になっている。大スクープだ。
剣呑は雰囲気が漂う中、ヴォルヴァが二人の前に歩み出て《筋肉は素晴らしい》の代表としてレイにいくつか質問していく。
「お前さんは何のために戦う?」
その巨体を生かした上から威圧するような問いかけに、レイは対抗するように見上げて少し口角を上げて変異を返す。
「俺が定めた信念のためだ」
「その信念とはなんだ?」
「悪いがこればっかりは言えない……だが、お前たちに害がある事じゃねえ」
「……ほう、最後に一つ――お前さんが一番大切にしたいと思うものは何だ?」
「そんなの簡単だよ――人間だ」
レイとヴォルヴァは数秒視線を合わせ続け、フッと笑ったヴォルヴァが目を離した。
「悪かったな疑って。これからも仲良く出来る事を祈ってるぜ?」
最後にずっと無表情だったブラフマーを一瞥して、ヴォルヴァは部下たちに向き直った。
顔を上げ、腕を組み声を張る。
己の心情をすべて吐き出した。
「いいか! オレ達は全員で仲間だ! ここにいる奴らだけじゃねえ! 天を信仰する人間すべてが仲間だ‼だが、そんな同志たちがこの森でやられちまった。それも魔なんて下賤なものを信仰してる輩に、だ。そんなの許されるわけねぇだろ! だから! オレ達は何としても敵を討つ! 天の祝福を受けている我らならそんなことは容易いだろ? そして全員でアースガルドに帰る! いいな!」
『イエス・サー!』
ヴォルヴァの一喝に感銘を受けた一同はつま先をそ揃え切れのある動きで敬礼した。
レイとブラフマーもこれ以上疑われないよう不本意ながら敬礼をする。
しかし信仰がどうのこうのでここまで漲るとは、やはり人間にとって信仰というのはそれほどまでなのだろうか。確かに存在するとはいえ、滅多に姿を現さず、直接的に特定の人間を救ったことも無い存在にそこまで依存するのは何故だろか。此処にいる人間たちは生活に不自由して、祈ることしかできないような人間ではないはず。社会を学び、戦う力を得て、自分の力で何かを成し遂げられるほどに成長しているはずなのに。それでも、人間は信仰するという精神的行動を止めない。それは信仰という概念がこの世界の根底にあるからか。信仰しない人間を見たことが無いからか。それがこの世界の常識だからだろうか。
人間は周りとの協調を大事にする。自分が迫害されないように、周りと違うと思われたくないように。自分の居場所を守るためなら多少の違和感や疑問など見て見ぬふりをする。
レイは自分が信仰という概念から脱した正常者だと思っている。でも、この世界のルールにのっとるなら、レイこそが異端者だ。
個人が正しいと決め、それが実際に正しいことだとしても、多くの人間がそれは違うと言ったら正しかったことが間違いになる。正や悪を決めるのは個人じゃない。その行動を正しいと多くの人が言えばそれは正しいし、それは間違っていると言えばそれは間違いになる。
だから、今ヴォルヴァが言った「天が正義であり魔が悪だ。だから天を信仰している我らの行動はすべて正しい」という言葉が正義なのか、レイが決めた「天と魔が人間を利用しているから人ならざる者を信仰する人間を敵とみなす」事が正義なのか、そんなのは此処にいる人間では決められない。全てを平等に見分ける第三者。それこそ、何も感じず、何にも関与しないヤツが決める事なのだ。
ヴォルヴァの素晴らしい演説が終わり、いよいよ本格的に軍が動き出す。
「とはいえ二十人を容易く皆殺しにする連中だからな。これから他部隊と合流する。南東に向かうぞ」
(チッ……やっぱりレイの思惑が読み切れねぇ)
少し引き返す形で歩み始めた主力部隊を率いているヴォルヴァは、先頭を歩きながら思考を巡らせていた。
レイ達に疑いが向くようわざと少し情報を伏せて事を伝えたのだが、それは空振りに終わってしまった。天使が現れた夜にブラウンスーツを着崩した赤縁眼鏡の新聞記者に「レイらしき人間を目撃した」との報告を受けたから、何かあると思いこの遠征でそれを探ろうと思っていたのだが、怪しい動きが一切ない。学院の経歴なども漁ってみたが全て普通。唯一疑問に思ったのはヴィーシュカルの性を持った人間が彼しかいない事か。だかそれも彼の家族が籍を他国に移していれば説明できてしまう。
レイよりも怪しいのはブラフマーとかいう少女の方か。彼女はレイの妹だと言っていたが、そんな人間は存在しないとのことだったし、見た目の割には落ち着きすぎている気がする。そういう性格という可能性もあるが、そう考えるより、何かしらの秘密があると考えた方がしっくりくる。アースガルドにスパイが十七年も潜んでいた事実も発覚したし、あと何人かアースガルドに潜んでいてもおかしい話ではない。でも疑いを決定づける証拠がない。今は立った二人の少年少女でれっきとした軍人を大量に殺した敵もいるわけだし、ヴォルヴァとて人間であり一度にいろんなことに気をまわしている余裕もない。
ヴォルヴァは頭をブンブンと横に振り、レイとブラフマーに関する思考を投げ捨てた。さっきレイが言ってた言葉に嘘は感じなかったし、とりあえずこの遠征で何か行動に出ることは無いだろう。
それよりも今は魔の信者を殺すことが優先だ。
何せ――我らが天に敵対する許しがたい存在なのだから。
(クッソ……そろそろやばくなってきたか?)
残った三部隊と合流するべく動き出している主力部隊の最後尾を歩いているレイは、内心で舌打ちをしていた。レイとしてもこの状況はあまりよろしくない。ヴォルヴァはああは言ったがまだ警戒していることは目に見えて分かるし、はっきりと言葉にして言ったことで、他のメンバーからも今までとは違う視線が送られてくる。レイ自身まだ人を殺すことに決心がついていないという状況でさらに行動が制限させたのはかなり痛手だ。
横を歩いている宇宙の《創造者》たるブラフマーは何も言ってこない。否、あえて何も言わないのだ。初めて会った時、彼女は「決めるのは貴様だ」と言っていた。それは今選択を迫られている〝人ならざる者の力を持った人間を殺すか〟も含まれていた。
言ってしまえば人を殺した方が確実だ。人外の力を宿した石、天性力や魔性力――封印は条件が達成されれば所有者を乗っ取り、本来の姿と力を取り戻し、『再来』を果たす。そうなればその者たちは目的を達成するために人間を利用し、何のためらいもなく殺す。それを阻止するのに一番簡単な方法が、所有者を先に殺して封印が脆いうちに石を壊すことだ。宿主がいない封印は破壊されても『再来』を果たせず、その瞬間だけは簡単な物理攻撃でその存在を抹消できるのだ。でもそれは人を殺さなければならない。レイはあくまで『人ならざる者』を殺すことを目的としているだけで、ただ利用されているだけに過ぎない人間を殺す気にはなかなかなれない。だからといって『再来』を果たした後に『人ならざる者』だけを殺すのは至難の業。その超人的な力は人間などいともたやすく消し去ってしまう。以前戦った智天使ガブリエルもかなりの強敵であった。聞き取ることもできない高音波による攻撃は体内を破壊し、危うく死ぬところだった。
それに今回は魔側の人間もいるのだ。もし誰かが魔性力を所有でもしていたら、そっちも対処しなければならない。しかもヴォルヴァとは違って最初から敵と認識されるだろう。
やはり一番手っ取り早いのは所有者を殺す事だ。ブラフマーもその選択肢を一番最初に告げたし、レイもそれを理解している。
いつか決心がつく日が来るのだろうか。いや、この遠征で答えは出るだろう。
何でも、自分の魂がそう言っているのだから。
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