第51話 後輩の想い
山越え谷越え川越えて。
魔側に属するエルラとユーリルは順調に森を南に進む。
道中ユーリルが、
「どうして魔法を僕たちにも使わないの? 魔力をほとんど消費しない魔法使えるならそっちの方が楽じゃない?」
と尋ねたところ、
「人間は大地を歩く生き物よ?ずっと浮くだなんてありえないわ」
訳の分からぬ回答で却下された。
別にずっと魔法を使えと言ってるわけでは無く、急な登り下りの時は浮いて移動した方が楽なのでは? という意味だったのだが、どうやら彼女のプライドが許さないようである。
この森に入ってから何度か浮いて移動しているのだが、それはあくまで任務上の都合であり仕方が無かったと疑惑の弁明。
二人にサバイバルスキルはあっても料理スキル何でものは無く、朝昼抜いて晩の食事は必然的に携帯食料へと移行。お湯を沸かしてコーヒーを入れるくらいの脳はあるので、飲料に関しては申し分ない。沸騰させることで自然と殺菌も出来るのでコーヒーは優秀という結論に至った。
「流石にこの食事飽きたわ……そもそも携帯食料食べて食事と言うのかしら?」
「食べられる分だけ文句いわない」
ぐちぐち文句を言いながら温かいコーヒーを口の中に注ぐエルラに対し、ユーリルはなれた様子で栄養価のことしか考えられてない、何味といえばいいのかわからないそもそも味がするのかどうかを検討するべき、口の中の水分をかっさらって行く栄養食を口の中に放り込む。唯一の救いは、保存用に味が濃くされた干し肉か(美味しいわけでは無い)。
一番最初に始末した北の部隊から次の部隊に奇襲を仕掛けたのは一日以上かかった。その事実がこの森の大きさを示し、たった二人でどうにかなるものなのかと思いとどまらせてしまう。でも二人は命令でここに来たわけであり、もとより選択肢など一つしかないのだが。
二人は雑談しながら夕食(?)を済ませ、焚火を挟んで向かい合って座り、明日の方針を話し合っておく。
今日の戦果は敵部隊一つを沈黙させたこと。でも発見に時間がかかりすぎたのが反省点だ。このだだっ広い森の中で二十人の集団を見つけるのは至難の業であり一日ちょっとで見つけられたのはいいペースだと思うのだが、彼らは即刻終わらせることを目指している。なんでも今回の標的は全部で一〇〇人。五分割しているとはいえ二部隊との連絡が取れなくなったら合流するのが普通であり、時間が経てば経つほど人数の少ないほうが不利になる。
それを理解しているエルラとユーリルは、少し深刻な表情で意見を交わす。
「これからどうするわけ?また今日見たく方角だけ合わせて適当に散策?」
「そうするのが妥当だけど、ちょっとそれだと時間がかかりすぎるね」
「そうなのよねぇ……」
二人と何か案がある様子でもなく、沈黙して揺らめく炎を眺めている。
一度後退して罠を張っても、この完全に把握するのは不可能なほどに大きな森で、ピンポイントに罠にかかってくれる可能性は無に等しい。そもそも敵の居場所すら不明なこの状況で待ちの体制など取ったらどんどん後手に回されてしまう。
何をするのが最善策なのかも分からず、エルラは思考を投げ出して大きく溜息を吐いた。
「もう無理っ! もう今日は終わりよ! 明日はとりあえず南に進めばいいわ!」
リュックから工具を取り出して、この任務で何人もの人間を撃ち抜いてきた【珍銃・たまスケ】のメンテナンスを始めた。進路などの参謀的思考はまるでだめだが、銃のことに関してなら彼女は優秀。メンテナンスを始めるなり、すぐ自分の世界に入ってしまった。
ユーリルが真剣な顔で銃をいじくり回す後輩を微笑ましく眺めていると、こちらの視線に気づいたのか、エルラが少し恥ずかしそうにジト目を向けてきた。
「な、何よ」
「いやぁ? 可愛い後輩だなーって思って」
「かかかかか可愛いっっ⁉ なにいきなりどうしたの先輩⁉」
その発言はあまりにも唐突過ぎた。二人にそういう関係は微塵もないのだが、こうも率直に言われるとかなり困惑する。でも、全てが疑問的な思考ではなく、エルラの中には、喜びという確かな感情があった。
「……一応あたしのこと一人の女の子として見てくれてるのね。それはちょっと嬉しいかも」
「?」
「え?」
頬を赤らめ少し目を逸らして発せられたエルラの言葉を、ユーリルは疑問符で返した。
二人の間に不穏な空気が生まれる。間に挟まれた焚火はまるで着火剤。口から出てくる爆弾。その爆弾は相手に届く前に焚火を通り、導火線に火をつける。
「えーっともう一度言うよ? ――可愛い後輩だね」
「う、うがぁぁああああああああッ‼」
栗色ツインテールは手に持っていたレンチを目の前にいる男に投げつける。
これは大失態だ。エルラとてピチピチ十六歳の一人の乙女。「可愛い」という単語につい見入ってしまった。そして自分の口からあらま何とも恥ずかしいことを。こういうのは二次元だけでやれとエルラは誰を恨めばいいのかわからなかったからとりあえずそのお恥ずかしい発言を引き出した緑三つ編みの先輩を恨んだ。
鉄の塊であるレンチが見事眉間に直撃したユーリルは額から血を流し、打たれた勢いのまま仰向けに倒れた。よほど衝撃が強かったのか当たりどころが悪かったのか、ユーリルは口を開けたまま白目をむいて意識を失っている。
エルラはその後もぐちぐち文句を言いながらも倒れた先輩の傷に処置を施し(エルラ自身がつけた傷ですもの)、毛布を掛けてそのまま寝かせた。どうせ夜は交替で見張りなのである。結果オーライと先ほどの出来事をすべて無かったことにして、再び【珍銃・たまスケ】のメンテナンスに没頭した。
メンテナンスはほんの三十分くらいで終わり、やることが無くなったエルラは毛布に包まって瞳に炎を写していた。
(なんかここも違うのよねえ……)
エルラは学校にいるのが嫌でここに来たのだが、ここ数日の活動は彼女が思っていたより愉快なものではなかった。
学校で《銃鬼》サマ《銃鬼》サマと恐れ戦かれるよりは、同じ境遇にあるユーリルと行動を共にしているほうがよほどましだ。人を殺すことの拒絶とかそんなことではない。むしろ魔に敵対している天の信者を倒すのは母国に貢献している証であり誇らしい気分になれる。でも――なぜか完全に乗り気になれない。その考えに至った理由は全く心当たりもないし、だからといってこの任務から降りようともしなかった。しかし何か明確な違和感を感じる。魔力を人一倍理解できるせいで周りと違う思考が身に着いたのかもしれない。魔というこの世界の派閥の一つ属する者としてじゃない、誰もに共通する、敵味方関係ない人間としての思考が。
この世界の人間は、天を信仰して魔を滅ぼさんとするか、魔を信仰して天を滅ぼさんとするかの二択しかない。エルラもそれ以外の思考を持つ人間を、自分含めてみたことが無い。でもこの数日間この森で暮らして少しずつ違和感を感じていた。人間同士で争い、命を取り合うことは本当にいいことなのかと。本当の戦うべき相手はもっと別にいるのではないか、と。
エルラは脳裏をよぎるその思考を無視していた。この森は戦場。戦場に余計な思考をもっていけばそれが命取りになることは理解している。だが、今日その思考は無視できなくなってしまった。それは、ユーリルの涙を見たからだ。今日倒した部隊にユーリルが情報を聞き出そうとしているとき、会話の内容は聞き取れなかったが、彼の頬を流れるたった少しの液体をエルラは見逃さなかった。うっすらとしか感じなかったが、その時彼の息と共に排出された魔力には、怒りと悲しみ、そして自分に対する案字のようなものが籠っていた。それが何だったのかはエルラには分からない。ただわかるのは一つ、そのような感情を抱いておきながら、ユーリルは一切エルラにそのことを話さなかったことだ。ただ単に言いたくないのか、言ったら巻き込むことになるのか巻き込むことを許されていないのか考えればいかように出てくるが、本人が言いださない以上エルラも迂闊に首を突っ込むことはできない。
エルラはポケットから端末を取り出した。魔力を原動力にしているこの精密機械は魔力があるところならどこでも動く。
可愛らしい飼い猫の写真が写った待ち受け画面には、日付や現在時刻が記されていた。
三月十五日 23:45
(もうすぐ終業式か……)
栄光学園ではもうすぐ一年度を終了し、エルラは二年生に進級することとなっている。ユーリルは数日前に卒業したことになる。任務中に学校を卒業する気分はどうなのだろう。
エルラとしては、二年に進級が果たされる四月五日までに任務を終え、ナイトメアに帰って軍人になったという理由で学校に退学届けを出したいところだ。
だが任務の標的はまだ六十人も余っており、それらが今どこで何をしているかもわかっていない。それに心の中で確実に大きくなっている謎の疑問も解決していない。
「はぁ……」
たくさんの思考がどっと重りのようにのしかかってきた十六歳の少女は、曇ったせいで星一つ見えない空を見上げて深く息を吐いた。
光り一つ差さないその空は、自分の心の中を表しているのかもしれない。
それから一時間くらいが経ち、ようやく目を覚ましたユーリルが見張りを変わった。
「おやすみなさい先輩……三時間たったら起こしてよね…………すぅ……………」
「うん。お休み、エルラ」
短い挨拶を交わし、ここ数日間繰り返してきた短時間の睡眠を代わりばんこで繰り返す。
よほど疲れがたまっていたのだろう。替わるなりすぐ小さな寝息をたて始めた後輩を、先輩であるユーリルは微笑んで眺めていた。彼女のそばにあるのは広げられた漆黒のマントの上に丁寧に置かれた彼女の愛銃【珍銃・たまスケ】。その周りにはたくさんの工具が散乱していて、ちょっと寝返りを打てば体に刺さってしまいそうだ。さらに焚火もいくらか火力が弱まっている。
「全くもう……少しは異性と一緒にいるってことを意識してみたらどうかな?」
女性がらみのことに全く無関心な彼には珍しい、思いやりのある優しい言葉をささやきながら、ユーリルは散乱した工具を片付け、焚火に薪をくべた。
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