第48話 魔側の男女

 上空がすっかり黒に染まり、星々はいつも通り光り輝く。街灯の光などが一切無い森ではなおのこと美しい。そんな夜空を見上げながら、焚火のそばに座っていたヴォルヴァが立ち上がった。

「ちょっと用を足してくる。ここは任せた」

「あいよ隊長」

 ヴォルヴァと共に焚火のそばに座っていたグラサンが反応し、姿が見えなくなるまで見送った後、一緒に見張りをしている金髪と眼帯と雑談を再開した。

 ヴォルヴァは野営地からある程度の距離を取ったところで、木に背中を預けその後ろにいる人物に声を掛けた。

「ようやくか、ちょっと遅くねぇか?」

「いや、連絡自体は早朝に入れましたよ? 届いていなかったようですが。それにあの少年が起きてるときに連絡できませんし」

「ま、それもそぉだな」

 ヴォルヴァは背後から聞こえる女性の声に肩を竦め首肯した。

 女は興味ありげな声音で本題を切り出した。

「で、どうでした? あの少年と行動を共にして」

「気味がワリィまでに普通だ。人物像もお前さんがくれた情報とほぼ一致。オレの〈トール〉のことを聞いてきたから脈ありかと思って一日炊事を任せてみたのに普通にうめぇもんを出してきた」

 女はフムフムと相槌を打ちながら手帳に何かを書き留めていく。

 次はヴォルヴァが女に質問した。

「で、お前さんの方は?」

「そうですねぇ。自分が調べてきた限り、少年の家に疑わしいものは無し。突如天空に現れた島との関係も今のところ見当たりません――ですが、ちょっと妙なことがありましてねぇ」

「……妙なこと、だと?」

 後ろにいる彼女からそんな単語を聞いたことが無いヴォルヴァは思わず問い返していた。

 対して女は、ヴォルヴァには見えないが神妙な面持ちで、自分が知る事実を告げた。

「まず少年の家にブラフマーたる妹は存在しません――それどころか、戸籍を洗ってみたところヴィーシュカルの性を持つ人間が、レイ・ヴィーシュカルという少年以外存在しませんでした」

「なぁっ⁉」

 ヴォルヴァは声を最大限押さえたが、その顔は驚愕を隠せていなかった。

「自分も知ったときは驚きましたよぉ。あの赤毛の少年はいったい誰なんでしょうねぇ」

「……様子見だな」

「はい。それが妥当かと……と、それよりも大事なことがありました」

 女はレイに関する話を打ち切り、ヴォルヴァにより衝撃を与える情報を提供した。

「先行隊と北側にいた二部隊、見事に全滅しましたね」

「マジかよ……。やっぱ朝に情報が得られなかったのは痛手だ」

「ああ、言葉が足りませんでした。今日の朝の時点では一番北の部隊が、二部隊目は今日の出来事です」

 思ったより深刻な状況にヴォルヴァは片手で目を覆い首を横に振った。

「敵勢力は? お前さんのことだからちゃんと調べて来たんだろ?」

「ええ、もちろん。敵勢力は二人、それも十六と十八の子供ですね」

「二人で計四十人を皆殺しにしたのはすげぇけど送り込んだヤツはちょっとイカれてやがんな」

「この二人を送り込んだのはナイトメアの中枢の一人、Δという人物です」

「Δ……! あのガキか」

 先日の天使が殺された夜、森の中にいたパーカーのフードを目深に被った少女を思い出しヴォルヴァは握った拳に力を入れた。あの時逃したからまたこうやって兵士を送り込み天の信者を二十人も殺した。そう考えるだけで怒りが沸き上がる。

 ヴォルヴァは兼愛なる信徒ではなく、天のために戦う軍人として今の状況を深刻に受け止め、これからの行軍方法を考える。

 Δという単語を聞いて、ヴォルヴァは一つ思い出したことがあった。

「新聞屋、ありとあらゆる情報を知っているお前さんに問いたいんだがいいか?」

「どうしました? 自分にこたえられることならなんでも教えしますよ? 何せ天を信仰する同志なのですから」

「じゃあ聞くぜ? ……あの夜Δとか言うガキが言ってたんだが、再来ってなんだ? 封印の破壊とか解放とかも言ってたが何か関係あんのか?」

「…………」

 女はすぐには答えず、何か考え込むように間を空けてから回答を口にした。

「申し訳ありませんが、再来? そのようなことは知りませんねぇ。潜入してるあっち側でもそのような単語は耳にしません。その時の状況を知りませんが、単なる時間稼ぎだったのでは?」

「そうか、なら別の質問がある。あの夜、オレは一人の魔の信者を殺した。そいつは酷い火傷に苛まれていて、〈メフィストフェレス〉とか言う魔性力を所有していた。あの森の一角が焼け焦げていたからあの少女と炎系の天性力を持った人間がぶつかり合ったことは確定――魔性力持ちにあんな火傷を負わせることが出来るのは天性力しかありえねぇからな。じゃあ、天使を殺したのは誰だ? 焼け跡の近くはただ木が薙ぎ倒れているだけの場所があった。なら、そこで戦闘してた人物は誰だ? お前さんは見たんだろ? 何せ――天使が殺されるのを写真に収めたんだからなぁ?」

 女は小さく笑い、この会話を楽しむように声を少し弾ませた。

「確かに写真に収めましたけど新聞の通り見事にピンボケしちゃいましてぇ。それに自分眼鏡じゃないですかー。あと、記事書くのに夢中でその時のことよく覚えていないんでよねぇ」

 女は申し訳なさそうに頭を掻きながら乾いた声で笑った。ヴォルヴァは視線の先にある部下たちが焚火を囲んで楽しくお喋りしている様子に微笑み、後ろにいる女に最後の会話を持ち掛ける。

「とりあえずお前さんが寄越した情報は有効に使わせてもらう」

「ぜひそうしてください。貴方たち同志が戦死するのは不本意です」

「なら他部隊に合流するよう伝えといてくれ。……それと、なあ新聞屋さんよぉ。同士であるお前さんを疑いたくはないんだが……」

 ヴォルヴァは木から背中を離し、背後にいる女に体を向けた。それにこたえるように女も木から離れ、ヴォルヴァの正面に立った。ブラウンのネイビースーツを適当に着崩した内側が赤い黒髪ショートの女は、その赤い瞳で同じ色のヴォルヴァの瞳をじっと見つめる。

「自分に何か疑わしい点でも?」

 スーツと同じ色のハンチング帽のつばを掴み、ヴォルヴァの真意を除くように女は眼光を鋭くした。ヴォルヴァは対抗するように相手の瞳を見つめ返し、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「お前さんに一つ聞きてぇんだが」

「ええ、何でも聞いてください」

「それじゃあ……お前さんは誰だ?」

 ヴォルヴァの問いの意味を正確に理解した女は、裏表のない笑みを浮かべてこう答えた。

「自分は新聞記者です。あと、アースガルドのスパイでもありますね。それだけです」

 女は最後まで自分のペースを崩さずヴォルヴァに背を向けた。そして去り際に一言、

「代わりと言っては何ですが、ちょっとしたことを教えてあげましょう。どす黒い雨雲がこちらに向かってきています。もしかしたら、明日から雷雨になるかもしれませんよ?」

 手をひらひらさせて去っていく背中を眺め、完全に姿が消えると同時にヴォルヴァは踵を返して部下のもとに足を進めた。彼の頭には、容量の得ない回答をよこした女よりも、彼女が最後に残した言葉が強く刻まれていた。

(雷雨、か……。ハッ! オレの〈トール〉と相性抜群じゃねぇか)

 相手が二人だろうと容赦しない。相手がどれだけの実力者だろうと必ず殺す。

 だって、この遠征で言う相手は魔の信者なのだから。



   #

「……一人」

 エルラは見晴らしのいい山の上で寝そべり、半透明のゴーグルで四〇〇メートル先の敵を捕らえていた。その手にあるのは、近未来的なデザインの短機関銃を直線に繋ぎ魔法石が埋まるグリップに取り付けた――狙撃銃モードの【珍銃・たまスケ】。引き金を引くと、念動系魔法が刻まれた魔法石によって銃口から魔力の塊が発射され、敵を貫く。

 エルラはゴーグル越しに白地の軍服を着た男に照準を合わせる。そして――何のためらいもなく引き金を引いた。

 瞬間。

 【珍銃・たまスケ】に衝撃が走り、こぶし大の魔力弾が空間を駆け抜ける。そしてそれは視覚限界を超えた速さで進み、男の頭に穴をあけた。銃自体にスコープがついているわけでは無いが、その弾はエルラが狙った箇所を正確に貫く。そもそも魔力弾は魔法石に刻まれた念動系魔法で発射される。よって、エルラの意志で多少の軌道は変えられるのだ。軌道を変えるには視認する必要があり魔力は目に見えないが、エルラが着けているゴーグルの機能である魔力探知であれば魔力の動きを見ることが出来る。要するに魔力の流れを見ることが出来ない限り、見る事すらできない不可視の弾。

 エルラはその特性を生かし次々と視界に映る敵を撃ち抜く。

「……二人」

 ゴーグルで視覚は拡大しているが聴覚や嗅覚はそのまま。断末魔や異臭はしないが視界に転がる死体。そこから溢れ出す真っ赤な液体がその場に混乱を招く。

「……三人」

 さっきまで隣を歩いていた仲間の死に動揺し思考が止まった者に未来はない。この森は天と魔を隔てる大森林。言い換えれば、明確な境が無いどちらの陣営も入り込める最前線。そこで決定的な隙を見せることは死を意味する。

 だが、ここにいる人間は戦いの訓練を受けた、戦闘を知る戦士。最初は不意を突かれても、状況を正しく理解しすぐに思考を切り替える。

「……四人」

 しかし敵襲だとわかっても居場所が分からなくては話にならない。【珍銃・たまスケ】は硝煙は出ないが弾を射出する時轟音を鳴らす。だがここの地形は凸凹さが激しく音などそこらじゅうで反響して当てにならない。

 古式拳銃を構える男が倒れた。銃というものを熟知しているからこそ、その危険性を考慮して先に潰す。戦闘は駆け引きだ。いかに自分の手札を温存して敵の手札を多く探るか。どれだけ強い手札があろうとそれを見せびらかすのは自殺行為だ。

「……五人」

 円を描くように展開した軍隊の、円の中にいた何か指示を出すように叫んでいた男が倒れた。集団において統率者がいることで一団となれる。そして上が有能であれば必然的に下もそれに従いより一層完成度が増す。でも、その統率者が最前線で目立っては元も子もない。敵がどこに潜んでいるかわからない状況ではなおさらだ。縦社会がいつも正しいとは限らない。

「もういいかしら。後は先輩がやってくれるでしょうし、あたしは休憩ね――〈シフォロギア〉」

 エルラはゴーグルを外し、【珍銃・たまスケ】を分解して体の箇所に携帯した。

 魔法によって体がふわりと浮き、彼女は先輩のもとに動きだした。

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