第47話 救いに来たもの

 その後レイが兎肉を押し付けられることなど無く、年中食べ盛りの筋肉さんたちが綺麗に平らげた。

 使った食器を持ってきた水で洗い焚火を消して進軍再開。

 進軍再開してすぐ出会ったのは山あり谷ありの難関コース。

 登りでは、ブラフマーをロン毛に縛り付けた縄が大活躍。十九人のマッチョたちは当然のごとくひょいひょいと先に行ってしまうため、シャヴィに協力してもらって何とか角度が急な山を登る。その間、ブラフマーが縄に対してブツブツと文句を言っていた気がしたが、ちゃんとついてきているので聞かないことにした。

 下りも筋肉さんたちは競争だとか言って猛烈なスピードで、ほぼ崖と言ってもいいほどの角度の斜面を拘束ダッシュで駆け抜ける。その勝者は、途中で足を滑らせ真っ逆さまに転がって行ったシャヴィだった。相当転がって行ったのにケロッと立ち上がった彼の生命力は底知れない。もしかしたら十九人のマッチョより生存確率が高いのかもしれない。

 始まりはどこか知らないが急にレイの学院時代の話になった。主席ということは皆既に知っていたので、友好関係をぜひ詳しくと言われた。レイは投げられた問いに正直に答え、まず最初に卒業までに出来た友達は四人だけだと告白。それを聞いた大人たちはちょっと気まずくなり、友好関係の話を即座に断ち切った。

 その後も何個か質問され、それに答える度にちょっと憐れむ感じに見てくる《筋肉は素晴らしい》の隊員に疑問符を浮かべ、陰でニヤリと笑うブラフマーに恐怖を覚えた。

 昼食から三時間ほどして、小さな池を発見したので今日はそこで一夜を明かすことに。手際のいいマッチョたちが瞬く間にテントを組み立て環境を整えていく。空が黄金色に染まってきたので狩りの時間だ。夜は兎のような小動物ではなく、それなりの大物を獲るらしい。

 レイとブラフマーは完全に留守番。生を全うする筋肉を見るのも嫌だったし、向こうからも今回は邪魔だから野営地待ってろと言われたので好都合だ。今日一日料理当番であるレイは、何もせずただいるだけのブラフマーに冷めた視線を送りながら焚火を起こした。



   #

 狩りに赴いている五人のマッチョとあと一人。

「おっとあんなところにいいやつがいますぜ」

 グラサンが何か見つけたようで獲物の方を指差して隊長に報告した。

「おう、よくやった。……鹿か、いいじゃねぇか」

 およそ一〇〇メートル先にいるのは鹿の親子。父母と二頭の子供が揃って草をむしゃむしゃと食べている。

「小鹿は殺さねぇ。あの大きさならまだ母乳を飲むかもしれねぇから母親もなしだな。ってことで父鹿を今晩のおかずにする。いいな?」

 自然に優しい筋肉は生態系にも気を配れる。この森を守るためにも、食料の調達は必要最低限にしなければならないのだ。それはそうと今は己が生きるために一つの命を狙う。

 特にこれといって打ち合わせはしていないが、そんなものは必要ない。《筋肉は素晴らしい》の団結力は底知れず、六人はアイコンタクトだけで狩りの方針を決めた。

 お食事タイムの鹿を五人のマッチョが囲む。じりじりと距離を詰め――

「うおおおおおおォォォォォォォォ!」

 金髪が野生ゴリラに負けない雄叫びを上げて突っ込んだ。

 大音量と共に現れたマッチョに鹿たちは当然逃げる。しかし――それは捕食者の思うがまま。同じ方向に走り出した鹿にいろんな角度からマッチョが襲い掛かり、母子と父鹿を分断することに成功。そして保身のため一人で走る父鹿の前にいるのは――この中で一番まともな常人・シャヴィ。

「生を実らせた天に感謝して、いただきます」

 鹿とすれ違い様に腰に差していた剣を一閃――その軌跡は鹿の腱を可憐かつ正確に切った。

 足を見事にやられた鹿は、スライディングするように崩れ落ち、シャヴィの後方で動きを止めた。

 動けなくなろうとも必死に立ち上がろうとする鹿にシャヴィが歩み寄り、剣を心臓に一刺し。鹿はビクンと大きくはねたのち、力なくバタンと倒れた。

「よくやったなぁシャヴィ!」

「いえいえ、皆さんがうまく誘導してくれたおかげです」

「全くお前さんは謙虚だなぁ。もっと自分に誇りを持ってもいいんだぜ?」

 そんな会話を交わしながら、獲った鹿を棒に縛り付けて野営地へと向かう。



 狩りに逝った面々が返ってきて、大きな鹿を渡されたレイはここからが勝負だ。と言っても解体はブラフマーがやるとか言い出したのでレイの役目は完璧な火加減で焼くだけだ。

「はっはっはぁぁぁ! これ以外と楽しいなぁ人間!」

 ブラフマーが歓喜の声を上げながら鹿を各部位に捌いていく。その感想はいかがなものかとも思うが、所詮人間であるレイがどうこう言える訳がない。ブラフマーと出会ってから散々な目に合っているのでその程度のことでいちいち文句を言ったらどうなるかくらい理解しているのだ。

 鹿の解体が終わったので次は用意周到な調味料を取り出し、各部位にそれぞれ違う味付けをしていく。

 ロースはともも肉は塩と胡椒を付けてステーキに。焚火の上に鉄板を吊るしてその上で焼けば完成だ。ソースはバターと醤油だけで作ったがそれは勘弁してほしい。

 すね肉はとバラは煮込み料理を選択。野菜は豊富ではないのでほとんど肉になるが問題ない。でも調味料は豊富なので味は申し分ない……はず。本当は一晩寝かせればよりおいしくなるのだが、そういうわけにもいかないし素人のレイにそこまでの知識は無いので勘弁してほしい。

 残った部分は適当に焼いた。解体から初めて実に約一時間。鹿一匹を調理し終えたレイは、ちょっと料理に対する興味が沸いたかもしれないといった様子で目の前に広がる夕ご飯をどや顔で眺めていた。

 相変わらず空き時間に筋トレをしているマッチョたちを呼び、みんなでワイワイと夕餉の時間だ。

 レイの鹿料理は絶賛。筋肉増強料理ではないがこれはこれでとてもおいしい、となんかちょっとコメントしずらい称賛にレイはテレテレと頭を掻き、それを見たブラフマーが気色悪いと一蹴。その言葉によって、レイは浮かれ野郎からいつもの凡人に戻った。

 その後も小一時間ほど雑談を楽しみ、片付けはみんなで行った。でもブラフマーは最後まで何もしなかった。曰く――雑務は人間の仕事だと。

 心配されていた水場の確保も出来たため、一同は一日の汚れを清めに行った。レイは筋肉と一緒に水浴びするのが嫌だったので、何をしでかすかわからないブラフマーのこもりを口実に脱走。遠征が始まってから初めて二人きりの時間を作れた。

「貴様は、数日間一緒に過ごした人間たちをどう思う?」

 ブラフマーが揺らめく焚火を眺めながらそう言った。この少女がマッチョを一人の人間と認識していることに感動しつつ、レイは自分が感じたことを正直に口にした。

「仲間想いで協調性がある。見た目以外はいいやつ……かな」

「そうか。それ自体は私も同じだ……だが、あの中の一人、あの隊の隊長は天性力を持つ人間――いわば敵だ」

「わかってるさ……」

 ブラフマーの念押しな態度で言われてレイは焚火の中に枝を放り込んだ。そう、ヴォルヴァは敵。彼の天性力――〈トール〉が再来を果たす前に殺すべき人間。

 でもこの遠征の数日間、レイは一切行動に出なかった。ちょっとした情報収集くらいはしたが、それだけだ。今日なんか毒を盛るにはもってこいな炊事を担当したのに、そういう考えは見て見ぬふりをしていた――このだだっ広い森で毒物の採取など容易なのにも関わらず、だ。

 その理由はヴォルヴァが人間だからだ。レイが殺すと決めたのは天性力や魔性力――人ならざる者だ。再来が起きてから殺せば宿主は助かるが、その人を超えた力を振るう者と戦うのはリスクが高すぎる。ブラフマーにも再来が起こる前に所有者を殺せと言われた。確かにそれが安全策で一番現実味もある手段だ。でもレイは決めかねていた――本当に人間を殺してもいいものか、と。人ならざる者だけを殺すことは不可能ではない、と。

「貴様の言いたいことも分かる。だが、私は《創造者》であり人間ではない。貴様ら人間が何を躊躇し何に後悔しても同情のしようがないが、これだけは頭に止めておけ――私は個人を救いに来たのではない。この星そのものを救いに来たのだ」

「…………」

 レイは返す言葉が見つけられなかった。彼女の言うことは単なる事実であり好き勝手に弄れる思考とは違う。それでも人間という生き物は考え方をすぐ変えれるほど万能ではなく、感じた違和感をすぐ受け入れることはできない。

 レイの思考はどんどん渦巻き何をどうしたらいいのか分からなくなっていた。

 そうこうしている内に水浴びから二十人の軍人が帰ってきた。

「待たせたな。お前さんたちも暗くなってきたからさっさと行ってきな」

 ヴォルヴァの言う通り、空が少し暗くなっているのが分かる。地形が凸凹した森だから日が沈むのも早い。レイは言われるがままに立ち上がり、水場の方に歩き出した。

「私も行こう」

「ふぇ?」

 同タイミングで立ち上がり、隣を歩き始めたブラフマーにレイは思わず変な声が出てしまった。

「なに私も行こうって?」

「そのままの意味だが? 私も貴様と水浴びに行く」

「前は俺の事引っ叩いたのに?」

「あれはノリだ。許せ」

「ノリ⁉」

 先日のあれはただの殴られ損だったのかと天を仰ぎたくなったレイ。あれ結構痛かったんだぞ?と視線にのせておく。

 しかしまあ彼女の羞恥心はどこにあるのやら。もしかしたらないのかもしれいない。地上に現れたときも全裸だったわけで……。

(おっとイケナイ。これ以上考えてはダメだ。俺の命が危ない)

 レイはブラフマーの謎発言を飲み込み、直接見なければ大丈夫だろうと軽い気持ちで少女を連れて水場に向かった。



(うおぉっ! 甘く見てたぜぇ!)

 野営地のすぐそばにある水場にて、レイはこの光景に後悔の念を抱ていた。

 今のレイの格好は腰布一枚という街中で見つかれば一発アウトの極薄装備。だがそれ自体は特に問題はない。今はどこまで続いているかもわからない森に遠征中。己の体を清潔に保つために服を脱ぐのは当たり前のことだ。

 だがレイの後ろにいるヤツが完全にアウト。サラサラな金色の長髪に紅玉の瞳を持った非の打ちどころがない完璧美少女ことブラフマーは、男が近くにいるというのになにも隠そうとしない。手に持ったタオルは体を拭くために使い身を隠すために使わない。

「フム。自然界の水は意外と綺麗なものだな人間」 

 さらにはそんなこと言ってこちらによって来る始末。これはかなり心臓に悪い。ましてや彼女は妹設定にしてあるとは言えまだあって間もない間柄。それに身長がかなり低く、シルエットや顔つきも一言でいえば「幼い」。完全にイケナイコトをしている気分になったレイは若干過呼吸になりながら少女の進行を止めた。

「なあブラフマー。一個聞きたいんだけどいいか?」

「何だ? と言うか話をする時は相手の目くらい見ろ人間」

「――ッ!」

 ありのままの姿で己の視界に入り込もうとする少女にレイの本能は轟音で警報を鳴らし、手で制して体をブラフマーに対して一八〇度のところに持っていった。そして、生後一七年間の中で一番といっていいほどのの疑問を口にした。

「お前に羞恥心ってあるの?」

(ひいぃ! 言っちまった! 保身のために心に留めといた疑問を思わず言っちまった!)

 レイは数秒前の自分を恨み、これから来る衝撃に備えた――が、意外なことに拳ではなく言葉が返ってきた。

「私は羞恥心というものをいまいち理解していない」

「……え?」

 おいおい胸部衝撃吸収弾力性装甲が乏しいとか言ったら殴ってきたくせに……あれ? それって羞恥というよりはコンプレックス? レイは今一度それらの違いについて思考を巡らせた。

 羞恥は内側から湧き上がってくるような恥じらい。要するに裸を見られてその事実を脳で理解した途端「恥ずかしい」という感情が湧き出てくきて「キャー変態ー!」と近くにあった物をとりあえず投げる。

 対してコンプレックスは言わば感情の混合。現実の意識に対して反するものがそのまま保存されて無意識のうちに現実の意識に溶け込んでいる……。簡単に言えば「貧乳」という事実があり、本人はそれに反する感情を押さえつけ仮想の意志に作り変える。そしてその仮想はいつしか無意識の内に現実に混ざり、「貧乳」と事実を言われても「貧乳じゃない死ねカスまだ発展途上だしまだまだ成長期だなめんなバカー」と事実を否定して自前の拳と足で標的をボコボコにする……。

(ヒャッフォォォォッ……さっぱりわからん)

 レイは思考を投げ出した。そんな小難しいことは一般人ではなく学者がやるべきことなのである。

 そんなわけで、ブラフマーのその辺に関する疑問はダイアルと電子ロックと指紋照合が必要な気泡コンクリートで出来た箱に仕舞い、二度と取り出せないようブラックホールの中に投げ捨てた。

「……どうした人間?」

 さっきからおかしな行動をしている相方にブラフマーは本気で心配するような声音でレイの顔色を伺った。

 対して、レイは咳ばらいを一つしてからブラフマーにこう言った。

「そろそろタオルで体隠すか距離取ってくんない? 流石にこれはロリコン認定を免れないんだわ」

「――破ッ!」

 ブラフマーの拳が、蹴りが、無防備なレイの至ることろに打ち付けられる。そんな恰好で暴れたらアカンやろ……。レイはその思考を最後に意識を失い、目が覚めたのは五分経ってからだった。

 全裸かつ水の上で五分も意識を失っていたレイはがちがちに震えていた。これはやばい……風邪ひくかも……と絶望感を抱きながらテントに入った。

 ――ブラフマーの機嫌に関しては、スイーツを一個追加することで事なきを得た。もうこれは定めなのだろうか? レイはどんだけ注意を払っても制裁を受けることになる自分の口を恨み、無駄かもしれないが本当に気を付けようよ深く深く心の奥底に刻み込んだ。

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