第46話 兎さん

 無事全員が崖を登り、進軍を再開した。

 ヴォルヴァが先導し、筋肉バカじゃない三人が最後尾を歩く。その光景はここ数日と一緒だ。ただちょっと違うのはブラフマーが常時ブチ切れモードに入っている事か。どうも筋肉に押し付けられたことをまだ根に持っているようである。そして筋肉の皆さんも相変わらずだ。暇さえあれば筋トレするし大荷物を背負って「前鋸筋が増してパンチが強くなったぜ」とか「大腿四頭筋と下腿三頭筋がなまっていい感じに跳べねえ」などとちょっと一般人には難しい単語が飛び交っているので話に入れない。レイにとってここはものすごく居心地が悪い場所になってしまった。

 それを打開するためにもブラフマーの機嫌を直さなくては。レイはいつも通りを装ってブラフマーに話しかける。

「なあブラフ――」

「死ね話しかけるな人間」

 即答だ。どうやら会話を望んでいないようである。

 それでもレイは諦めない。だってブラフマーが口をきいてくれなくなったらシャヴィと筋肉しか残らないから。

「俺が悪かったって。謝るからそろそろ期限直してくんない?」

「……」

「帰ったら何か好きなもの買ってやるから。何がいい? ――例えばスイーツとか」

 レイが試行錯誤するもブラフマーの態度は変わらなかった。もうこれは諦めて自然に収まってくれるのを待つしかないな、とレイが会話を断ち切ろうとした時、ブラフマーの口がぽそっと動いた。

「スイーツとは何だ?」

 その言葉にレイは驚きのあまりで返す言葉がすぐ出てこなかった。宇宙の《創造者》たる彼女でも一つの星の詳細までは把握してないようである。まあどこまで続いているかもわからないこの世を創ったのだ。いちいち把握してるわけがない。そして、これはレイにとって好都合であった。

「スイーツってのは甘い嗜好品のことだ。クレープとかケーキとか後はチョコレートとか。ちょっと値が弾むけどお前が欲しいなら買ってやらないことも無いけど?」

「言ったからな? 男に二言はない、いいな?」

「お、おう……」

 ブラフマーの見事な手のひら返しにレイは苦笑交じりに答えるしかなかった。これを見ると他国に旅立った親友を思い出す。レイの親友兼ライバルであるカロンもかなりの甘党だった。ケンカした時などはカフェに行ってケーキを奢ったのをよく覚えている。「甘い物を奢る」といった時の彼の反応速度は凄かった。そして今既視感しかない光景を目の当たりにして、レイは苦笑するしかなかったのである。

 とまあ、これでブラフマーの機嫌は直った。食べ物は人間じゃなくとも心を動かせる偉大なる存在なのだ。

 レイは頭の中にあるメモ帳、『暴君取り扱い説明書』に、以下の項目を書き留めた。

 ――甘いもので釣ることは可。



 地図を作りながらゆっくりと進み約四時間。

 そろそろ昼食の時間だ。早朝に犯した罪を償うため今日一日炊事係となったレイは二十二人分の食事を作らなくてはならない。

 食材は明らかにその辺に生えていたであろう名称不明の雑草と兎。レイは狩りを見学していたのだが、最早言葉が出てこなかった。猟銃のような武器は持っていないから罠でも仕掛けるのかと思ったのだが予想の斜め上を行く、まあ何とも彼らしい方法だった。

 その狩りは弱肉強食をよく理解させるもの。草をもしゃもしゃとか食している兎さんに輝く頭皮のツルテカマッチョが〈ボディチャージ〉――【レッグ】を使用し正面から捕獲にかかる。兎は当然のごとく迫りくる捕食者から逃れるため全力ダッシュに移行。実に時速八〇キロに達する逃げ足だったが――ツルテカマッチョはそれを超えた。どんどん兎との距離を詰めついに捕獲。それで、生きたままレイに差し出した。

 ――というわけで今レイの真下にいるのは両手足を縛られて命乞いの声を鳴く小さな命。潤った目でレイのことを見つめるその姿はとても保護欲を沸き立たせ、手に持っているナイフを落としてしまいそうだ。

(あれ?ほんとにナイフの重みが消えた)

 レイは右手にあった金属を持つ感触が無くなり視線を下にやり自身の右手を見る。そこにナイフは無かった。どうやら思考のままに落としてしまったのだろうか?レイはそう思い地面を見るがやはりそこにもナイフの影は無かった。怪奇現象にレイが少し動揺していると、その答えを示す声が前方から飛んできた。

「何だ人間? 貴様がやらんのなら私がやるぞ」

 兎を挟んで向こう側にいるブラフマーはしゃがんで兎の体をつんつんしていた。そしてよく見ると小動物を突いているのとは逆の手にレイがさっきまで持っていたナイフが握られていた。

「ちょっと待った――」

「この世は弱肉強食。貴様は強者の糧となるがいい」

「あ」

 特に理由もなく止めにかかろうとしたがすでに手遅れ。ブラフマーはナイフを振り下ろして兎の頸動脈をブスリ。小さな体から鮮血が吹き出て、甲高い断末魔を上げて可愛げしかないカワイ子ちゃんは生命活動を停止した。

「うさぎさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっん!」

 乾いた大地に垂らした水のように侵食していく赤い液体を眺めて何故か悲しい気分になったレイは膝をついてこの世を呪った。おお、主よ。どうして人はこんなにも醜いのですか、と。でも兎を殺したのはブラフマーという《創造者》で主は地上を乗っ取ろうとしているものなのだが。

 ブラフマーはレイのことを一瞥もせず兎に刃物を走らせていた。

「おい人間。毛皮は私が剥いでやるから湯でも沸かしてろ」

「くそっ、器用だなコンチクショウ……命のありがたみを痛感したよまったく……」

 レイはぼやきながらヴォルヴァが〈トール〉の雷で作った燃料を積み上げ火打石で火をつけた。そして枝を組み立てて物干しざおのようなものを作り、そこにマッチョがもってきた水を注いだ鍋を掛ける。しかしよくもまあいろいろと揃っているものである。ルックスは近寄りがたいが意外とマッチョは有用だということが判明。これは一家に一人欲しいところである。……ちなみにその便利筋肉さんたちは上半身裸で楽しそうに筋トレしている。

 大自然をフル活用した街じゃ味わえない新感覚だー! とか何とかいっていつも以上に生き生きしている。珍しくシャヴィも一緒になって、《筋肉は素晴らしい》全員で汗を流す姿はまさに青春。だがゴリゴリマッチョたちの青春などそっちの趣味がおありの方以外誰も求めてない。炊事担当という逃げ道があってホントに良かったと密かに胸を撫でおろすレイであった。

 沸騰したお湯が入っている鍋に兎肉を投入。そこに名称不明の雑草たちも適当に切り刻みダバーっと流し込む。ある程度火が通ったところでなぜか荷物の中に入ってた調味料を入れ、ぐつぐつと煮込んで完成。工程自体は簡単だったが二十二人分はとても大変だった。しかも流石に兎一匹じゃ足りないとブラフマーが凶器の笑みで言いだし、それを承諾したグラサン(もちろんのことブラフマーが直接ではなくシャヴィ経由である)が追加で二匹の兎を確保。またもやレイは目の前で兎の解体ショーを見学する羽目に。己が生きるためと割り切ってレイは目の前で行われる残虐な行為を最後まで見届け、感謝して頂こうと鍋に向かって合掌。せめての気持ちで、食材たちの毛皮は大切に扱うと切に誓った。

「おーい! ご飯できたぞ~!」

 ちゃんと味を確かめてからレイは筋トレに勤しんでいる軍人達に休憩の合図を送る。

 その声と微かに香る食事の匂いに《筋肉は素晴らしい》の皆さんは筋トレを中止、タオルで汗を拭きながらゾロゾロと鍋の方に歩き出した。

「お、このだし汁はコンソメか?」

 グラサンがにやりと笑ってレイに問う。

「それと唐辛子。つかなんで調味料まで完備してあんの? これ何日もかかる遠征のはずだよな?」

 炊事ようカバンの中に入っていたありとあらゆる調味料や調理器具が入っていたのでレイはキャンプか何かと間違えたのかと思った。

 しかしそれはやはり間違いだったと、モヒカンが証明した。

「おいおい少年、そりゃちと愚問が過ぎるぜぇ?」

「いやまあ食は生きていく上でとても大事だと思うよ? でもね、何で任務としてここに来たのにこんなに充実してんの?」

「それは簡単な話だぜ。生活を充実させるには道具が必要。さすれば必然的に荷物が増える。そしてそれは筋トレに持ってこいってことだぜ!ビッ!」

『ビッ!』

 モヒカンがどや顔で親指を立てると他の筋肉さんたちも同じように渾身のどや顔をレイに向けた。

 そうだった失念していた。こいつらはもともとこういう人種だったのだ。

 レイは諦め八割で納得し、棒読みで一言、

「あーソウデシタネー」



 ブラフマーが露出された筋肉に恐れをなしたのでレイはとりあえず服を着るよう促した。マッチョたちはぐちぐちと文句を言ってきたが、背後からの殺気が凄かったので縋るように懇願した。マッチョたちもレイの背中に顔を埋めている金髪少女の念を受けたのか、不承不承と軍服で身を隠した。

 何とか一難を乗り越え、みんなで鍋を囲み昼食をとる。入れ物はなぜか(いやもう疑問を持つのはやめよう)人数分あったのでみんな好き勝手鍋を突く。

 コンソメの香ばしい香りの後に唐辛子の刺激臭がいい感じにマッチして食欲をそそる。野菜たちはどこで採った何なのかは知らないが、とりあえず食べられることは確かだ。

 我ながら良い出来なんじゃないか、とレイは普段人並み程度にしか料理しない自分を褒め称え兎さんを口に運ぶ――

(……)

 もぐもぐ。もぐもぐもぐもぐ。

(あっれぇ? これ兎肉だよな……?)

 レイは今口の中にあるお肉の食感と味にちょっと違和感を覚えた。

 淡白でやたらと噛み応えのあるこの上品な味は……レイがやたらと敵視する、憎き鳥のそれと酷似していた。

「貴様……――!」

 隣にいたブラフマーがレイの何とも言えない顔を見て兎肉をパクリ。そしてすぐ、レイが浮かない顔をしている理由を理解した。       

「ハッ! 哀れな命はありがたく頂くんだろう? ――まさか、鶏肉に似ていたから捨てるなんてことはしないよなぁ?」

(ウッゼエェェぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!)

 ブラフマーのどこまでも上からな嘲笑にレイは心な中で激怒。それで、本格的にどうしようか悩んだ。鳥は大嫌いだしそれの肉体を摂取するなど言語道断。しかし今回は兎肉であり鶏肉ではない。でも食感が違うとは言わせてくれなかった。レイは苦難の末、トラウマより小さな命を優先した。器の中にある兎肉は全部で三つ。今口の中にいる兎肉を飲み込み、次なる敵と口の中で戦う。噛むたびに口中に広がる肉汁。兎のはずなのに鳥の味がするそれ。だし汁を注ぎ一気に飲み込む。それを繰り返し、レイは何とか器にある分の兎肉を食べ終えた。

「ごちそうさまでした……ふふ、兎さん……もう二度と食わねえかなら……」   

 ともかくこれでレイの死闘は終わり、後は他の皆さんが食べ終わるのを待つだけだ。横にいる少女に悪戯されないよう自分の使った器を早急に片付け、でも近くに居ないと文句を言われそうなので金髪少女の隣に座る。

「お前さんの料理中々じゃねぇか」

「そうか? あんま料理とかしないんだけど」

 ヴォルヴァから称賛の声を賜ったのでそれはありがたく受け取っておく。しっかしまあ、本当に中々の味で仕上がったものである。まさかここまでできるとは思っていなかったレイは、そっちの道を目指すのも悪くないかなーとか思わなかったことも無いのだが、検討の末やはりそれは無いと切り捨てた。そういうのはこの世界を元に戻してから考えよう。

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