第39話 筋肉兄弟

「ようやく行ったか」

 ブラフマーが安堵の混じった声でそう言った。どうやらレイと同じで彼女に危機感を覚えていたらしい。そう言うことなら大目に見よう。レイはさっきの頭のおかしい発言達を水に流すことにした。

「というわけで人間。飯をよこせ」

「どういう訳かは知らんが何にするんだ?」

「あれだ」

 ブラフマーがビッ、と指差したのは肉料理の屋台だった。なるほど肉か、初めての食事に肉を選ぶとはこの少女は分かっている。レイはブラフマーの選択に共感を持ちつつ、彼女が指差した屋台に足を運ぶ。

「へいらっしゃい! 最強肉屋『筋肉は強い』にようこそ――って、なんだ俺様の筋肉に勝利したヤツじゃねえか」

 大きな鉄板の前に立ち、腕を組んで鼓膜に響く声を上げるのは、高身長で大柄な体躯。褐色の肌に熱い意志の籠った赤い瞳。そして――全身を覆う筋肉と日光を反射する輝かしい頭皮。そう、学院の最終試験で戦った相手、アンソン・バーンズがそこにいた。

「確か……アンソン? だったか。お前軍じゃなくて店やってんの?」

 その筋肉をもってして軍を選択しなかったことを疑問に思って聞いてみた。

 それを聞いたアンソンは自分の胸に拳を当てて誇らしげに答えた。

「俺様は筋肉で学院を踏破できなかったからな。一流の筋肉に仕上げるために一からやり直しさ。ま、今は兄貴の店を任されているわけだ」

 なるほどなるほど。君の筋肉で一流じゃないのは全く意味が分からない。

 だが今のレイは、そんな感想よりもアンソンのセリフの中の一単語に強い衝撃を受けていた。

「あ、兄貴⁉」

 そう。この単語である。

(兄貴、兄貴ねぇ。こいつの兄貴。アンソン・バーンズの兄貴。筋肉の塊の兄貴……ハハッ)

 もう笑いしか出てこない。口角を引きつらせているレイなど気にも留めずアンソンは接客を果たす。

「で、今日は何しに来たんだ?冷やかしなら帰れよ」

「ん? ああ違う違う。俺たちは客だ」

「まいど! おすすめは高タンパクで低脂質!豚と唐辛子の南蛮漬けだぜ!」

「ほう。なら「ドネルケバブ」というやつを貰おう」

 ブラフマーがレイの後ろから吊るされたメニューの一つを指さした。目の前にいる筋肉を警戒してか、その声音はいつもより低い。筋肉は時に脅威になるらしい。

「じゃあ俺もそれで」

 レイも昼食をとるために注文した。

「はいよ」

 アンソンはそう言うなり早速調理を開始した。一本の串に纏わりつく肉塊をナイフでそぎ落とし、平たい円形のパンに肉と野菜を挟んでいく。

 レイが「この店の名前『筋肉は強い』とか終わってんだろ。こいつの兄貴も確定で脳筋だな」などと心の中で呟いている内に注文の品は出来上がった。

「ほらよ。ドネルケバブ二つな」

 レイは代金を支払い紙に包まれた注文の品を受け取った。早速咀嚼。

「お肉あったかいし野菜新鮮でシャキシャキだし。ふつうにおいしい」

「ほう。美味いではないか」

 ブラフマーからは好評のようだ。食を知らない彼女が美味いと言うのだからこれは美味いのだろう。

 しかしあの極太腕部からこんな品が出てくるとは反則だ。その筋肉を捨てればモテるのではないだろうか?

 二人が昼食に勤しんでいると、アンソンの後方から彼に似た声が聞き取れた。

「よぉ弟よ。やってるか?」

「おう兄貴。繁盛しているぜ」

 屋台に姿を現したのは、アンソンまでとはいかないが筋肉質の大柄な体躯。黒髪オールバックに赤い瞳。白地に金刺繍の軍服に右腕に着けた金属製の手袋。そして――首にかけてある十字架の刻まれた金のプレート。

「天人……!」

 軍服を纏ったアンソン兄が持つ金のプレートは天人の証。この世界を正すためにレイとブラフマーが殺すと決めた人ならざる者の力を使う人。よって今目の前にいる男には細心の注意を払わなければならない。

「ん?」

 レイの呟きを聞いてアンソン兄がレイの方に視線を向ける。レイはその赤い瞳を正面から見返した。ちなみにブラフマーは新たな筋肉の襲来に早々とレイの背中に身を隠している。

「お前さんは……確か学院の主席じゃねぇか? なんで軍服着てるのに軍に志願してねぇんだ?」

「軍に志願するならこいつと一緒がいいなーって」

 もうこの際ブラフマーは妹と言うことにしておこう。レイは不本意ながらもブラフマーの肩に手を置いて答えた。

 対してアンソン兄は、感心感心と首肯を繰り返していた。

「妹想いなお兄ちゃんだな。そっちは今何歳だ?」

 アンソン兄がレイの背中に隠れている金髪少女に向かって質問を投げた。アンソン兄の言葉にブラフマーはレイの背中に顔を埋めて一切表情を読み取れないようにして、レイの服を掴んだ。この行動は迫りくる筋肉におびえるというよりは、なんて答えたらいいかわからない、という思念が籠っていた。確かにそうだろう。ここで適当な年齢を言ったら即行で詰みかねない。だからこそブラフマーは自分よりこの国に詳しいレイに回答権を渡したのだ。

 背後からの思念を受け取ったレイは思考を巡らせる。

(ブラフマーの年齢か、難しいな。学院に属してるってのは言えない。確認取られたらお終いだからな。だからと言って一般人も無理そうだな。軍にあこがれてるなら学院に入学してないとおかしいし、俺が学院に行ってたからブラフマーだけ行けてないのも不自然だ。……となると、学院に入学できないギリギリの――)

「――こいつは今年で十一歳だ。来年から学院に入れるーっていつもいってるぜ」

(はぁ⁉ 十一歳⁉)

 自分で言った言葉に驚愕するレイ。だがそれも無理はないか。「今年で十一歳」つまり今現在は十歳ということだ。そして二人は血が繋がってるどころか、そもそもの種族から違う。それに背丈から考えても十四、十五が最適だ。十七歳と十歳。これだけ年が離れたただの異性が一つ屋根の下で暮らしているんだ。

 恐らく《創造者》に年齢などないと思うのだが(そう思いたい)、こうして数字にしてみるとどうしても意識してしまう。レイには見えている――警備兵に掴まって地下牢に吊るされている自分の姿が。

 当のブラフマーが後ろで微動だにしないし目の前の筋肉たちも無言だしでレイは体中に嫌な汗を掻いていると、正面からある提案が飛んできた。

「どぉだ、お前さんたち。オレ達と一緒に遠征に行かねぇか?」

「……?」

「遠征とはなんだ?」

 アンソン兄の言葉にようやくブラフマーがレイの背中から顔を放した(立ち位置はそのまま)。

「遠征ってのは遠くに征伐しに行くことだ」

 ブラフマーの疑問にアンソン兄は簡潔に答えた。その言葉を聞いて次はレイが言葉を発する。

「征伐ってことは何かあったのか?」

「お前さんの持ってる新聞に全て書いてあるだろ?」

 アンソン兄が訝しむように首をかしげてそう言った。

 レイは片手に持った食料を口の中に放り込み、もう片方の手に持っていた新聞を開いた。

「アースガルド軍総隊長ヴォルヴァ・バーンズが声明した全面交戦……バーンズ?」

 新聞に書かれた名前を読み返すごとにレイの顔が引きつっていく。ヴォルヴァ・バーンズ。バーンズ……アンソン・バーンズ……総隊長⁉

 レイは一気に顔を上にあげ、目の前にいる筋肉マッチョの黒髪オールバックに視線を固定する。

 その驚愕した表情を見て、アンソン兄――改め、ヴォルヴァはレイの思考を読み取ったかのように銀製の手袋を着けた右手で自身の左胸を叩いた。

「おうよ! ボリュームは劣るが可憐な筋肉! この滑るようなオールバック! そんなオレを着飾る完璧な軍服! このオレこそが! アースガルド軍総隊長! 《雷帝》ヴォルヴァ・バーンズだ!」

 弟と何一つ変わらず一切ぶれない自己紹介にレイは苦笑いを浮かべ後ずさり。同種のアンソンは自分のことかのように腕を組み深く頷く。――ブラフマーは、強調された筋肉に怯え再びレイの背中に顔を埋めた。

「で、お前さん方はどうする?征伐って言っても、先行隊が証拠を掴まねぇ限りは地図の更新と拡大だけになるぜ?」

 ヴォルヴァの言葉に、レイとブラフマーは顔を見合わせ、視線で会話を交わす。

「(どうする? 俺としては行くべきだと思うが)」

「(同感だ。この国最強の天人だとすると尚更目を離せん。いつ再来が起こるかもわからないからな)」

「(でも数日筋肉と行動を共にすることになるぜ?)」

「(……うっ。ま、まあいい。あの筋肉に手を下すのは貴様だし、近づかなくても目の届く範囲に居ればいいだけだからな)」

「(じゃあ決まりだな)」

 ブラフマーの視線が強張っていた気もしなくはなかったが、肯定と見なしヴォルヴァの提案を受け入れた。

「お言葉に甘えて参加させてもらうとするよ。俺とこいつは常に行動を共にするってことだけ頭に入れといてくれ」

「おう。了解した。それじゃぁ、一時間後に西の森に来な。あ、生活必需品はこっちで用意しといてやる。他に何か持ってきたいものあったら持ってきな。安心しな。お前さんたちは荷物チェックなんてしねぇから」

 ヴォルヴァはその言葉を最後に屋台にあった肉料理を一つ掴み背を向け去って行った。

 レイは軍と共に行動できることに心中で小さくガッツポーズをとった。遠征チームの中にいる天人を探し出し、人ならざる者を殺す。少なくともヴォルヴァ・バーンズという男は天人だ。遠征が空振りに終わることは無い。

「行くぞブラフマー。俺たちの第一歩だ」

「わたふぃにめいれいしゅるなにんへん」

 活気良く商店街から歩き出したレイの後ろに、いまだに手に持っていた食料を美味しそうに頬張りながらブラフマーがついていく。

「おいおい。俺様だけ留守番かよ……。っと、立ち寄ってかないか! 我が『筋肉は強い』に! おすすめは高タンパクで低脂質!筋肉のための豚と唐辛子の南蛮漬けだぜ!」

 兄と二人の客が居なくなった屋台に、八割以上の人間が引くであろう筋肉を纏い光り輝く頭皮を持った漢の熱い声が響く。

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