第36話 魔の国ナイトメア

 立ち並ぶ高層建築。緑豊かとはいえないが、それを補うまでに整備された綺麗な街路。アスファルトで敷き詰められた道路を金属の塊が高速で移動している。

 此処は、魔王や悪魔と言った魔の者を信仰する国、ナイトメア。国名が「悪夢」だとは何かの皮肉だろうか。まあ、それはこの国の上層部、それもこの国を統べる王様に聞かないとわからない。

 そんな発展した国に、魔導軍付属栄光学園と言う高等学校がある。その名の通りこの国の軍が併合しているこの学校は、普通科と魔導科の二つの学科の内一つを選ぶことが出来る。普通であれば軍人の教育機関と普通科の高校は分かれているのだが、この栄光学園だけはちょっと特殊な事情があるのだ。なんでもこの学校の設立者がかなり戦力を欲しているらしい。それで卒業後効率的に自軍を増やせるようにこの学校が建てられたのだと。

 栄光学園、魔導科校舎。

 生徒たちが戦い方を身をもって学ぶ競技場。その中でも一際大きい校舎から、乾いた発砲音が連続で鳴り響く。

「ふぅ……。これでパーフェクトね」

 溜息を吐いてヘッドセットを外す一人の少女。栄光学園の制服を纏い、長い栗色の髪を二つに結んでいる。その瞳の先にあるのは綺麗に眉間と心臓を撃ち抜かれた等身大の人形が十数個。少女は手に持った拳銃の硝煙に息を吹きかけ、横に立てかけてあった巨大なケースを担いでその場を後にする。

 彼女の演習を観戦していた野次馬たちは歓喜の声を上げながら少女の道を開けた。

 この校舎は魔導科銃器部。魔法ではなく銃火器をメインとして戦う軍人の育成機関だ。

 そしてさっき的を十数人殺して去って行った少女は、古式拳銃から最新型スナイパーライフルまで、銃とつく物ならなんでもござれ。栄光学園一年、魔導科銃器部所属、エルラ・ライズ。入試の際、現役の軍人をゴム弾でハチの巣にした結果、入学早々注目を浴び、今では銃器部のエースとも呼ばれている。入学からもうすぐで一年が経とうとしているのに彼女をに関する話題は尽きない。エルラのことを「人間がなせる業じゃない」「別の星で生まれた生みたい」などと恐怖するくせに尊敬の眼差しで崇める。それは彼女にとって望ましいものではなかった。本来であれば三年間かけてゆっくり名を上げてくつもりだったのである。でも教師の目には留まるよう入試で本気を出したらこの始末。

 彼女の入試を見ていた生徒が発端で付けられてた二つ名が《銃鬼》。

 うまいこと言いやがってふざけんな。これがこの二つ名を聞いた時のエルラの率直な感想であった。

 そんなこんなですっかり有名人になったエルラはこの学校の居心地が少し悪い。よって今日も演習が終わるなり即行で引き上げてきた次第である。

(何よどいつもこいつも《銃鬼》サマ《銃鬼》サマって。あたしは人間なんだけど)

 エルラはそう心の中で悪態をつきながら学園の敷地から出た。ポケットから手のひらサイズの薄い板――電話やら地図やらいろいろできる――携帯端末を取り出しイヤホンを着けて音楽を流した。特にこれと言って好きなアーティストがいるわけでも無いのだが、今はやりの曲や個人的に好きな楽曲をこうして登下校の際に聞いているのだ。

 さっさと帰ってこれを開けよう。エルラは担いでいる巨大なアタッシュケースを大事そうになでながら歩いていると、不意に肩を叩かれた。

「何? ――って、ユーリル先輩じゃないですか」

 エルラが後ろを振り向くと、そこにいたのは、栄光学園の男子制服。三つ編みのライトグリーンの髪に翡翠色の瞳をした、中世的な顔立ちの少年――栄光学園三年、魔導科魔法部所属、ユーリル・ブランシェットがそこにいた。彼は栄光学園じゃ一番と言っていいほどの実力者で、在学中に軍からスカウトが来るほどの超人である。それに彼は魔王や悪魔の力――魔性力を獲得し、今もなお戦場で活躍しているのだ。

 そんなエリートがどうしてあたしに?エルラは疑問の眼差しを向けてユーリルに問う。

「在学軍人の先輩があたしに何か用ですか?これから帰るところなんですけど」

「ん? あーいや、ちょっと君についてきてほしくてね」

「ついてきてほしい……?」

 どちらもある程度名が知れ渡っているとは言え、特に面向かって会話したことは無い。それでいきなりついてこいなんて言われても困る。エルラが少し顔をしかめると、ユーリルは自分が何を言ったのかを思い出し、苦笑しながら話した。

「ごめんごめん。急すぎたね。さっき上司から連絡があってさ、任務の相方を一人連れてこいって言われたんだよ」

「それであたしを?」

「うん。君ほどの銃使いなら適任だと思ってね。どう? 受け入れれば君も軍人だよ?」

「…………」

 この話は確かにおいしい。軍人として戦え、自身の銃がどこまで通用するか試せる。それに――この居心地の悪い学園からも去れるのだ。目の前にいる彼が在学中なのが特殊なだけで、軍に入れば退学できる。

 エルラは即行で答えた。

「あたしでよければお供させてください」

 それを聞いてユーリルは満足そうに笑って手を差し出す。

「ありがとう。これからよろしくね、エルラ」

「ええ、こちらこそよろしくお願いします。先輩」

 エルラは差し出された手を握る。

「それじゃ行こうか。ちょっと離れた場所に行くからちゃんとついてきてね」

「いやいやあたしもう十六なんですけど。今更迷子とかありえませんって」

 先を行くユーリルに苦笑で返して、エルラは彼の後を追った。



   #

 ユーリルの案内で来たのは、そこそこの高さがあるマンションだった。電車で約三十分くらいだろうか。すっかりこの国の中心部に来てしまった気がする。まあ、直属の上司のところとなるとそれも当然か。

 マンションの最上階の一番奥、何とも存在感の薄い扉の前でユーリルは止まった。

「これから会うのが僕の上司だけど、決して驚かないでね?いや――せめて、声は上げないで」

「え……あ、はい」

 なんだか深刻そうな表情で言ってくるものだからエルラは少し身構えた。これから会う上司、それもユーリルが所属している軍の長だ。彼がそこまで言うならよっぽどなのだろう。

「それじゃ、行くよ」

 ユーリルは左手に五芒星の描かれた手袋を着けてからドアの隣にあるインターホンを押した。

ピーンポーン。ごく普通の音がして、数秒後に女性の声が聞こえてきた。

『はい。どちら様でしょう?』

 上品な声で必要最低限の言葉にユーリルはいつも通りの返しをする。

「ユーリル・ブランシェット。主の命により参上いたしました」

 その完璧な佇まいにエルラは名乗るタイミングを失ってしまった。いつもはラフな彼がここまでかしこまった姿は見たことが無い。

 ユーリルの名乗りが終わってすぐ目の前のドアが開き、一人の女性が顔を出した。真紅の長髪に深紅の瞳。紅を基調にしたメイド服を着た、何とも赤い女性だ。

「よく来たわねユーリル。それと、貴方は……」

 ユーリルに一礼した後、赤い女性はエルラの目を覗き込んだ。その深紅の瞳に凝視されて、エルラは緊張しながら自己紹介をした。

「え、えっと……あたしはエルラ・ライズと言います……。その……先輩にスカウトされて来ました……」

 視線が落ち着かないエルラを数秒眺めて、赤い女性はふっと上品な笑顔を作りエルラに一礼した。

「ふふっ。これからよろしくお願いするわね、エルラ。私はフェクスと言うわ。用があれば私に声をかけてちょうだい」

 そう言って赤い女性――改め、フェクスは二人を部屋の中に招き入れた。



   #

 一つの軍隊の長がいるであろうこの部屋は、驚くほどにごく普通だった。大きさはそこそこあるがインテリアは一般家庭と何ら変わらない。大きなテレビにテーブルとL字型のソファア。ちょっと広めのキッチン。見栄えを良くするための観葉植物。全ての部屋を見たわけでは無いが、今視界に映る景色にさっきユーリルが言ってた驚く要素はどこにもなかった。

 フェクスは二人をソファアに座るよう促し、二人の前に紅茶の入ったティーカップを置いた。そこから漂う香りだけで分かる。――これは高級品だ。テーブルの上にあるだけで伝わる香ばしい茶葉の香り。口に含めばそこからは未知の領域。エルラは紅茶を一口飲んで目を見開いた。

「なにこれめっちゃうまいんだけど!」

 思わず声を上げてしまうくらいに美味しかったらしい。大声を出したことに気づいたエルラはすぐに顔を赤めてティーカップを置いた。

「まあわかるよその気持ちは。……僕も初めて飲んだ時は驚いたからね」

 でも君みたいに声は上げなかったけどね。と付け足してユーリルは苦笑した。

 エルラはむすっとした顔を向けるが、意外と恥ずかしかったらしく、もう声を出すことは無かった。フェクスは嬉しそうにふふっと微笑んだ後、二人の右側――大きなふすまを勢いよく開けた。

「いい加減出てきてくださいお二方。ブランシェット様とライズ様がお見えになりましたよ」

 ふすまの奥の光景を見て、ユーリルは力なく笑い、エルラは目を見開いた。

 こっちとはまるで違う暗い部屋、大きなモニターの周りに取り付けられた計八つの小さなモニター。乱雑したコード類が畳を侵食し、最早足の置き場もない。その部屋に、椅子にまたがり大きなモニターを凝視してる人物が二人いた。

「ヒャッハァ‼ さっさと死にやがれェ!」

 何とも粗暴な言葉を吐くグレー髪の男。くすんだ瞳に機能性を重視した万能服――ジャージを着ている。背丈的にもう成人は果たしているだろう。

「アハハ! このボクにゲームで勝とうなんて一〇〇年早いよ!」

 ジャージの男の横で楽しそうな声を上げるのは、紫色の短髪に何よりも暗い漆黒の瞳。パーカーを着た明らかにエルラより年下の少女。声と連動しているかのように頭のてっぺんの毛が動いている。

 二人が叫びながら手に持ったコントローラーを操作すると、モニターに映っている鳥人間と、九つの尾をもったキツネらしき生物がバチバチと殴り合う。

 画面から排出される轟音。さっきまで聞こえてこなかったということは、このふすまはかなりの防音性を秘めているのだろう。

「え、ゲームしてるのこの二人?」

 エルラは気づけばそう零していた。なるほど、これがユーリルの言ってた「驚かないでね」の内容か。確かにこれが軍を率いる者だとするならば相当やばいだろう。幸いエルラは声を上げることは無かったが、内心では思わず叫びたくなるほど驚いていた。

「聞いていますか? 遊びは終わりにして仕事してください」

「あーもうそんな時間? りょーかい!」

 フェクスの言葉にようやく気付いたのか、パーカー少女が椅子から降りてソファアの方に歩み、深々と腰を下ろした。そしてフェクスの入れた紅茶を美味しそうに飲んでいる。

 ――それに対してジャージの男は、

「おいまだ勝負は終わってねェぞ!」

 体力ゲージが両者真ん中の画面を見てから椅子にふんぞり返ってゲーム続行を提案していた。その言葉を少女は無視して紅茶を一口。その光景にユーリルは少女同様紅茶を口に含み、エルラの顔は引きつっていた。

 そこで行動に出たのは紅いメイド服のフェクス。溜息を一つ吐いて喚くジャージの男に話しかける。

「こちらから呼び出しておいて何なんですかご主人様。さっさとこっちに来てください」

「あ? うるっせーな。俺はアイツと決着をつけなきゃなんねんだよ!」

 ぶっきらぼうな口調で突っかかるジャージの男。フェクスは一切表情を変えず、従者として完璧な対応をする。

「あ、そうですか。ご主人様、まだゲームをすると言うなら二度と使えなくしますね」

 そう言ってフェクスは床を侵食するコードを一本拾い上げ、両手に力を入れて引きちぎろうとする。それに対する男の行動は速かった。

「あああああああ! やめろ! マジで止めろ! 電源引っこ抜くならまだしもコード引きちぎったら俺の機材全部死ぬからホントやめろ!」

「……では、仕事の時間ですよ?」

「わかったわかった! わかったから‼ だからその手を放せ!」

 スカートにしがみついて懇願してくる主に、フェクスは呆れたように肩を落として手に持っていたコードを放した。

 無事機材を守り抜いたジャージの男はこれ以上の自己中心的な行動を慎み画面の電源を落とし、パーカー少女の隣に腰掛けた。フェクスがその後ろに控えたのを合図にジャージの男が話を切り出した。

「さてユーリル。今回の任務だが、コイツの支持のもと動いてほしい」

 さっきまでの元気な雰囲気は消し飛び、いかにもだるそうな半眼でジャージの男は隣のパーカー少女を指さして言う。

「ちょっとΣー? ボクは「コイツ」じゃなくてΔなんだけど?」

 パーカー少女が唇を尖らせながら不満げに言う。どうやらジャージの男がΣ、パーカー少女の方はΔと言うらしい。そしてユーリルの上司は男のほう――Σということか。

 エルラはこの会話に驚愕した。ΔとΣ。この二人の名は知っている。と言うかこの国に居て知らないほうがおかしい。魔の国――ナイトメアの中枢も中枢。この国に欠かせない人物だと言っていいだろう。そんな人間が二人、目の前にいるのだ。あまりにも重大な情報に、エルラの脳は完全に機能停止していた。

 ――エルラをほったらかして話は進む。

「Δ様の指示、ですか?」

 ユーリルは訝し気に問う。

「ああ、どうもコイツが俺の兵――お前を使いたいってうるさくてな。どうもお前の力が必要なんだと」

「僕の力――それは、これのことですか?」

 ユーリルは自分の左手首にある、宝石のついたブレスレットをΣに見せながら言った。それに肯定を示したのはΣではなく、今ちょうど紅茶を飲みほしたΔであった。頭のてっぺんの毛がピコピコ動きながら声を出す彼女の姿は何とも可愛らしい。

「そうそう! キミの魔性力がとっても役に立つんだよね!」

「……なるほど。いいですよ? 僕がお役に泣てるなら」

 ユーリルは任務の内容も聞かずに、平然と了承の意を示した。

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