第33話 勝者に与えられしもの

 全身がだるい。ふわふわの羽根に全身を預けているようだ。この気持ちいい感覚のまま、ずっと眠っていたい――だが、それは叶わぬ願いだった。

〈さっさと起きろ人間〉

その言葉にはなぜか攻撃力があった。心臓を握られたように嫌な汗がブワッと溢れ出て、赤髪黒メッシュの少年――レイ・ヴィーシュカルは、ベットから体が跳ね上がるように起きた。

「はっ……!」

レイはベットから上半身のみを起こすなり周りの状況を確認した。

知らない間取りの部屋。今もなお自身が居座っているふかふかのベット。学院で扱った教科書やこの部屋の主が読んでいるであろう本たちが沢山並べられた本棚。壁に掛けられた学院の制服であるローブ。 

そしてレイの横に、机に頬杖えを突き、レイの後ろ、前回に開放された窓の外を虚ろな瞳で眺めている、ネクタイはしておらずブラウスとスカートのみ着たリタがいた。

漂う風に一つにまとめた髪が揺らされ尻尾のようになびいている。

レイがリタのところで視線を固定すると、数秒してリタは視線に気づきレイに目を合わせる。

「おはよーレイ。よく寝れた?」

「ああ……つかもう日が昇ってるじゃねえか。あれからもう一晩経ったのか……」

レイが窓から照らしてくる日光を眩しそうに目を細め睨んでいると、リタがキョトンと首をかしげてこう言ってきた。

「あの夜からもう二晩経ってるよ?」

「……?」

レイはリタの言葉をよく理解できなかった。ぐっすり寝たせいで頭が働いていないようだ。レイは頭の中でリタの言葉を復唱する。

(あの夜からもう二晩たってるよ。……っ!)

「はぁ⁉」

思わず叫んでしまった。でも無理もない。リタの言葉が正しければレイは丸一日寝ていたことになるのだから。

「えっとレイはどこまで覚えてる?」

「……クリスの救出を果たして、……そのあと急に眠気が来て……。そこまでか?」

リタはレイの記憶にフムフムと相槌を打って、レイが倒れた後の話を簡単に説明する。

「あの時レイが急に倒れて、全員で「このまま置いて行こう」って話になったね」

「おい!」

「あはは冗談。――で、レイが倒れてまずどこに連れて行こうかって話になったの。あんまり天使の騒動は広げたくないから誰かの家でーってなって、あの中で一番余裕のあった私が預かることにしたの。それでレイが二晩も、私のベットを占領したってわけ。わかった?」

「えっとその……なんか悪いことしたようで……、ごめんな?」

リタの嫌味の混ざった説明にレイはちょっと申し訳なく思った。まあ、二晩ベットを占領するのはさすがに迷惑だろう。レイは足だけ下ろし、ベットの縁に腰掛けて会話を続けた。

「クリスはどうなった?」

「んー? クリスはレイの予想通りになったよ。正直なんて声かければいいかわからないけど。ていうかあれどうやったの? 教えてくれない?」

リタはレイが寝ている間に見たクリスの姿を思い出しそう問う。

対するレイは苦笑するだけで回答を拒否した。

「それは言えない。秘匿事項ってやつだ。――それより二日経ったってことはお前らは今日他国に行くのか?」

「まあそうだね。なに? 寂しくなっちゃったの?」

リタがニヤニヤしながらレイの脇腹を突く。レイはそれを嫌がるようにリタの手をどけた。

「意外と別れの日ってあっさりしてるって思っただけだ」

「ふーん、まあいいや。それよりもレイ、今からちょっとついてきて欲しい所があるんだけど?」

リタはそう言ってネクタイを着け壁に掛けてあったローブに手を伸ばした。彼女の言葉には疑問符が付いていたが、どうやら拒否権は無いようである。

レイも特に断る理由がないのでベットから腰を上げた時、何かを思い出したように「あ」と間抜けな声を上げた。

「あのさリタ、すごく言いづらいんだけど……」

「何レイいきなりもじもじして結構キモいよ?」

リタのド直球な感想に少し固まるレイだがそれでもそのキモいと言われた行動をやめなかった。

足が小刻みに動き、手がシャツの皺を伸ばすようにあっちこっちを行き来する。そしてリタから視線を外し、決めつけに彼のお腹が良い音で鳴った。

「丸一日何も食べてないせいか、腹減っちまった。……なんか作って」

リタは呆気にとられて手に持っていたローブを床に落とす。そして数秒の沈黙の後、リタが腹を抱えて大声で笑った。

「あっははははははははははははははははははははははっ!」

「なんで笑うんだよ⁉」

「いやだってレイの挙動と言い発言と言いあまりにも面白すぎて…っ! ダメだ、笑いが……あはははははは!!」

リタはひとしきり笑った後、笑い過ぎたのか次はお腹をさすりだした。

「あー面白かった」

「あそこまで笑う必要ないだろ……」

レイが少し頬を染めて半眼を向けてきたので、リタは手をひらひらさせ「ごめんごめん」と謝る。

「それにしてもこんなに笑ったの随分と久しぶりな気がするよ」

リタの言葉にレイはそういえば、と得心。ここ最近、それも数年。リタは笑うことはあっても、ここまで声を上げることは無かった。――しかし、さっきのレイの取った行動にそこまでの効果はあったのだろうか……?

「やっぱりレイは凄いね」

「何がだ?」

「そのメンタルが。だって今回の騒動の原因はクリスの右目と私の復讐。レイはただ巻き込まれただけなんだよ?」

「あー」

レイは悟った。リタは今こう問うているのだ。――なぜ今もなお、自分に対して普通に接していられるのか、と。こっちの都合で勝手に死のリスクがある戦場に連れ出しているのになぜ文句や怒りの言葉一つないのか、と。

だがこの問いはレイには簡単すぎた。

「戦う理由が欲しいからだよ」

「戦う理由?」

「そう、俺に何もしないでぐーたらするって選択しはまずない。かと言って何の目的もなしに戦場に出るのもなんかヤダ。だから俺は常に戦う理由を求めてたんだよ。リタの復讐の手伝いクリスの救出。今回はこんな感じの理由か?」

リタはその言葉に、素直に関心した。自分みたいな一つの目的のために突っ走るのではなく、常にいろんな目的を求めている。何も持たないが故にどんなことにも挑戦できる。今までレイが何かとみんなのヒーローみたいに善人っぽい行動をしていた理由が分かった。

彼は合理的な思考を持ち合わせていながら戦を求める戦闘狂なのだ。だから今回の騒動にも進んで参加した。要するに、――リタやクリスの事情は正直どうでもよかったのだ。自身が戦うための真っ当な理由が欲しい。彼の行動理念はそこにあるのだろう。まあ、それを本人が自覚しているかはまた別の話だが。

リタはレイに対する心のもやもやが晴れて気分が良いのか、上機嫌に言った。

「頑張ったレイにはご褒美として私の手料理をご馳走になる権利を上げよう」

「はは、なんだよそれ」

「まあまあ、今から適当に何か作るから待ってて。食べ終わったらちょっと付き合ってほしいんだけど?」

「おう、わかった」

リタはそう言うなり部屋から姿を消した。レイはベットにかけてあったネクタイとローブを手に取りながらふと疑問に思った。

(あれ? 俺を起こした声ってなんだったんだ?……何かどこかで聞いたことがあるような?)

それに答える声は無かった。



#

 リタの作った朝食(もうすぐ正午)を食べ終えたレイはリタに付き合うことにしたのだが、そこで痛い目を見た。時間短縮とかいう理由で屋根の上の高速で走らされたのだ。食後、それも丸一日をベットの上で過ごしたレイにとってそれは拷問に等しい。しかも距離が遠いのだ。「後どのくらい?」を繰り返しても返ってくるのはもう少し、という曖昧な言葉と笑い声だけ。

 それでも、ぐちぐち文句を言いつつレイは、ちゃんとリタの背中についているのだが。

 そしてついには街を抜け、どこかの崖に到達した。街から離れたからか人は全く存在しておらず、鮮やかな緑の草原が広がっていた。崖の先のほうで、ようやくリタが足を止めた。

「ほらレイ。ここは絶景だよ?」

 レイは息を荒げているも、リタの言われるがままに隣に立つ。

「おおっ……!」

 レイはそれを見て息を呑んだ。高い崖から見えるのはこれでもかと存在を強調する世界樹。その世界樹の周りに建つ立派な建物たち。そして、さらにそれを囲うように広がる鋭角の屋根が特徴の無数の家。

 ここからはこの国の中心部全体が見渡せるのだ。レイは視界全体に広がる絶景の中に、何か不思議なものを見つけた。それは彼の足元、崖の先端から一メートルもない場所にあった。

「なあリタ。これって……」

 レイは足元にある花の添えられた二つの大きな石を見ながら言った。

 リタはすぐああ、と言ってその石の正体を明かす。

「それはお墓だよ。……私の両親の、ね」

 レイはなるほど、と納得した。確か彼女の話では両親の死は認められなかったらしい。それで葬式も執り行ってもらえず、この国を非難するようになったとか。

「お墓と言っても遺骨が埋めてあるわけじゃないんだけどね」

「え、どういうこと?」

「両親の死体は警備兵に回収されたの。「汚れた死体は我らが浄化する」とか言ってさ。それで何とか指輪だけ取り戻せたからここに埋めたの」

 リタはそう言って石の前にしゃがみ合掌した。レイもふうん、と相槌を打ってリタの真似をする。

 それから五秒ほどたって、リタは供えである花を拾って立ち上がった。そして後方から来た追い風に花を乗せ自由な空へと飛ばす。

「これでお前の用事は終わりか?」

 レイが飛んでいく花を目で追いながら言った。リタも花に視線をむけたまま答える。

「後は一つお願いがあるかな」

「お願い?」

「そう、お願い。たまにでいいからここに来て花を添えてくれないかな? ――私は当分ここに帰ってこれないから」

 まあそうだろう。リタはムスプルヘイムへ行き軍人として生きるのだ。公務である以上そう簡単にアースガルドには帰ってこれないだろう。生まれ育った故郷に両親の墓。リタの心情を悟り、レイは要望に応える。

「ああ、いいぜ」

 その言葉を聞いてリタはレイの方を向き、顔中に笑みを浮かべた。

「その言葉を聞けて安心したよ。……それじゃ、そろそろ戻ろっか。もうすぐ出国の時間だし」

「それはいいんだが……、もうすぐってことはまた走るのか?」

 レイはここまでの道のりを思い出し、少し顔を青くした。

 リタは笑顔のままレイに手を差し伸べる。

「私に付き合ってくれたお礼。王城まで連れてってあげる」

「お、おう……。ありがと、な?」

 レイは言葉の意味がよく理解できず、怪訝な顔をしながらもその手を取った。

 レイの手の感触をしっかりと感じたリタは、そのままレイと一緒に崖から落ちた。

「はぁぁああああああああ⁉」

 レイは今の状況を理解するなり叫んだ。この高さから落ちれば普通に死ぬ。レイの思考がだんだんと恐怖に支配されそうになるも、リタは笑顔を崩さなかった。

「あはは! 手を離さないでねレイ! 離したら間違いなく死ぬよ?」

「アホかテメェ! このままだと死ぬんだけど⁉」

 その必死の言葉にもリタは笑いで返し、背中に付けていた金と赤の杖〈ウリエル〉を取り出し権能を発動した。

「〈ウリエル〉――【神の炎】!」

 レイの落ちていくスピードがだんだんと遅くなり、やがて空中で停止した。体中に冷や汗をかき、生きているという事実を噛み締めたレイは視線を上に向ける。

 そこでレイは目を見開いた。何せ――リタの背中から、二枚の炎の翼が生えていたのだから。

「どうレイ。びっくりした?」

「びっくりしすぎて死ぬかと思ったわっ! ……まあいいや、それよりその翼は?」

 レイの諦めの混じった問いにリタは誇らしげに自慢した。

「一昨日の天使を見てちょっと試したくなってね。使ったのは今が初めてだけどうまくいってよかった!」

「何の安全確認もせずに人を巻き込むんじゃねえ!」

「ぐずぐず言わない! 結果良ければすべてよし!」

 あまりにも暴論だ。そう言った思い付き自体はいいと思うのだが、自分を巻き込まないでほしいと心底思うレイであった。

「ふむ……。リタその翼俺にもつけてくんね? 鳥と同じ境遇になるのは癪だが、ずっとお前の手を命綱にするのはちょっと不安なんだけど」

「え、〈ウリエル〉の炎に耐性のないレイがこれ付けたら間違いなく燃えるよ? それでもいい?」

「あ、やっぱやめときます……」

 そのままレイは宙ぶらりんの状態でいることを決心。

 全身丸焦げにされるよりは、リタを信じて手を握っていた方がまだましだ。

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