第32話 敗者に下る判決

 今は収まったが天使が再来を果たしたアースガルド西の森。その中を、ピンクと黒の魔法少女のような衣装を身に纏い、左手に五芒星の描かれた手袋を着け、大鎌を引きずる一人の少女、魔の信者ノエルが歩いていた。

 息を荒げながら歩く彼女は酷い火傷に蝕まれていた。リタの炎に包まれた時、ノエルは足元に落ちていた、破られたローブを見つけたのだ。それは彼女の同僚ティミナが羽織っていたローブだった。そのローブは特殊繊維で出来ていて、空気中の魔力を吸収して防護の役割を果たすのだ。それは炎とて例外じゃない。

 ノエルはとっさにローブを掴み体の要所を覆った。破られていたため全身を覆えずローブからはみ出た部分は高温で炙られ今の状況に至る。しかしそれは好都合でもあった。もし全身を覆っていれば、まだ生きていると感づかれ三対一になっていたのだから。

 それで天使の騒動に紛れて逃げてきた次第である。

「はぁ……はぁ……クソっ。何としてでもΔ様に報告しなきゃ……じゃないと、ノエルの、ノエルの――」

「――お疲れ様、ノエル」

 突然ノエルの目の前に一人の人物が上から落ちてきた。

「……! Δ様っ」

 ノエルの目の前に現れたのは、パーカーでフードを目深に被り、パーカーが長いのかズボンが短いのか太ももが大きく露出し、かつ下に履いているズボンが見えないと言う何とも外出には向いていない服装。ノエルの上司、Δその人だった。Δの身長はノエルより低く、十四、十五くらいの声の高さで楽しそうにノエルに話しかけた。

「良い働きっぷりだったよノエル! ボク感動しちゃった! それに天使の再来がこの目で見れたのは紛れもなくノエル、キミのおかげだよ?」

「でも、ノエルは命令を守れませんでした」

 ノエルは俯き声を絞り出した。それでもΔは声音一つ変えずに笑った。

「そんなの関係ないよ? キミはボクを満足させてくれた。それだけで命令を達成できなかったこくらいは帳消しにできる」

 ノエルはこの言葉に希望を持った。これだけ上機嫌なら、もしかしたら――。

「それで、報酬に関してなんだけど――」

 ノエルが一番聞きたかった内容をΔが喋ろうとした時――空から雷が舞い降りた。

「ガ―――――あああぁぁぁぁぁぁッ!」

 高電圧の雷がノエルの体内を駆け回り、火傷した皮膚をさらに炙り、体を強制的に地面に縛り付ける。

 それに対してΔは、

「体が少ししびれたんだけど、どうしてくれるの? ――アースガルド総隊長、《雷帝》ヴォルヴァ・バーンズ」

 自身に雷が落ちるも平然とその場に二本の足で立ち、森の一角を、眼光を鋭くして睨む。

 そんなΔの視線に観念したように暗闇から一人の男が出てきた。

 高身長で大柄な体躯。褐色の肌にオールバックの黒髪、そして熱い意志の籠った赤い瞳をしていた。白地に金刺繍の軍服に、首から下げられた銀の十字架と天人の証である十字架が彫られた金のプレート。そして右腕に銀製の手袋を着け、真っ赤に発熱した柄の短い鎚を握っている。

「チッ、その服は特殊繊維か。それとオレのことを知っているとは随分と情報収集に熱心みてぇだな。お前さんは?」

「うーん、そうだね。ボクのことはΔって呼んで」

「Δ? なんだコードネームかなんかか?」

 ヴォルヴァの問いをΔは無視して話を進めた。

「で、アースガルド最強さんが何の用かな?」

「そんなの聞かなくても情報通のお前さんのことだ。とうに見当ついてんじゃねーのか?」

 Δは不思議そうな顔をして首を傾げた。

「うーん。〝天の国に忍び込んだ悪の化身を排除しに来た〟とか?」

「やっぱ分かってんじゃねーか。なら話は早ぇ。さっさと死にな」

 ヴォルヴァが鎚を構えると再び真っ赤に発熱する。

Δはヴォルヴァの言葉を、笑って拒否した。

「悪いけど、ボクはこの辺で帰らせてもらうよ」

「させると思うか?」

「いいや、せざるを得ない。何せ、ここにはノエルがいるからね」

「……へ?」

 いきなり振られて困惑に目を見開くノエル。まさか満身創痍の状態である自分に足止めでもさせようとでもいうのか?

 だが、そのあとに続いたΔの言葉は、ノエルに死以上の絶望を与えることとなった。

「ある伝説を話そう」

 Δはそう切り出した。

「昔々、ゲオルク・ファウストという人物がいました。錬金術師でもあり降霊術師でもあった彼は己の魂と引き換えにメフィストフェレスと言う悪魔を召喚し、自己の尽きぬ欲望を満たそうとしたのです。これをきっかけに、メフィストフェレスはこの世におけるファウストの望みを叶える代わりにその魂をもらうと言う契約を交わすのでした」

「メフィストフェレスは契約に忠実な様子を見せる一方、巧みな弁舌でファウストを操作しようとしたのです。その結果は色々あり、メフィストフェレスが自身の目的を達成する場合もあれば、逆にファウストの魂を手に入れられないこともありました」

 Δはそこまで言い切って、元の口調に戻り楽しそうに笑う。

「そして今回、メフィストフェレスが望むのは間違いなく自身の再来を果たすこと。そしてこの子の名前はノエル・ファウスト。更に今回のファウストの望みは既に叶っている。――これで分かってくれたな?」

 Δの話が本当であれば、これからノエルは魂を、今引きずっている大鎌に持っていかれ死ぬことを意味する。

 だがノエルが食いついたのはそこではなかった。その後Δが補足した言葉、「ファウストの望みは既に叶っている」のところだ。

「Δ様それってつまり……!」

 ノエルは体が動かないので視線のみで期待と希望を訴える。Δはそれに答えるようにパーカーのポケットから手のひらサイズの薄い端末を取り出し、画面を操作しノエルに見せた。

 それを見て、ノエルは目を見開いた。

「ほら、ノエルの言ってた「両親の解放」はやったよ?まあ、間に「魂」がつくけどね!」

 ノエルが見たのは一枚の写真だった。そこにはノエルの両親が写っていた。手をつなぎ、おしゃれな服を着てこっちを向いている。

 ――ただし、その部屋と服は血にまみれ、二人とも、頭部が膝の上に転がっている。

「う、うあ、……ああああぁぁああああああああああああ‼」

 ノエルは泣き叫んだ。大きな声を上げるたびに自分という存在を失っていく気がした。もう契約は果たされているのか。

「アハハ! これはさっきの天使みたいな封印の破壊じゃない。正規のルートを通った封印の解除。あの天使とは比較にならない本物の悪魔が出てくるよ?」

「チッ」

 このヴォルヴァの下討ちは、Δを見逃すと言う意思表示でもあった。

 Δはそれを正しく受け取り、高笑いを残して暗闇へと消えていく。

「雷……あ! いい事思いついちゃった! 覚悟しててね《雷帝》さん! アッハハハハハハハハハハハハハ‼」

 Δがいなくなってもこの森は静かにならなかった。ノエルが体を震わせ、ずっと何かブツブツと呟いているのである。

 ヴォルヴァははぁ、と息を吐いて悔しそうに頭をぼりぼりかいてから、ノエルを威圧するように告げる。

「さて、お前さんはどうする。必死こいて逃げるか、オレに一矢報いるか。好きな方を選べ」

 ヴォルヴァの言葉にノエルは肩をビクンと跳ね上がらせたのち、ヴォルヴァの上げた選択肢を、選ばなかった。

「ノエルを助けてぇ!」

 ノエルは顔を液体でぐしゃぐしゃにしながら全力で命乞いを始めた。

「ノエルは脅されてたのぉ!この〈メフィストフェレス〉を掴まないと両親を殺すって!命令に従わなくても両親を殺すって!」

「……」

 ノエルの叫びにヴォルヴァは一切答えず言葉が終わるまで待つ。

 ノエルの声が荒れるたびに体がビキビキと嫌な音を立てる。まるでその体が悪魔に乗っ取られていくように。

「だからノエルはやるしかなかった!この国の情報を集めて報告して!時には人さえ殺して!でも仕方がないよね?だってノエルの両親が死んじゃうんだもん!」

ノエルの背中から一枚蝙蝠のような翼が生えた。それと同時に大鎌に亀裂が走る。

「ノエルだってこんなことしたくなかった! もっと子供として友達と遊びたかった! 学校にも通いたかった! でもΔ、いいやあのガキがそうさせてくれなかった! この大鎌が、〈メフィストフェレス〉がノエルを縛り付けた!」

 ノエルの右腕がゴツゴツした硬質なものに変わる。手が一回り大きくなりその辺の木など簡単に切り裂けそうな鋭く長い爪が生える。大鎌に再び亀裂が走る。

「ノエルが働いている内は、両親は無事だって言ったのに……嘘をつく上司なんてホントにゴミっ!」

「ノエルは悪くない!」

「悪いのは魔だ!」

「ノエルは魔なんて信仰しない!」

「ノエルは―――――」

 ノエルの命乞いは続き、彼女の言葉が途切れるころには、もう彼女を人間とは言えなかった。

 全身を覆う真っ赤でゴツゴツした皮膚。大きな手に鋭い爪。お尻から赤い尻尾、背中から生える二枚の蝙蝠のような翼。そしてその異質な容姿を隠すように羽織っている赤いマント。大鎌の方もヒビだらけでちょっと触ったくらいで崩れ落ちそうだ。

 ノエルの意識はまだあるようだが、その顔も半分が赤く染まっていた。

「だから……ノエ、ルを……助け……て……?」

 言葉は途切れ途切れで眼球も震えていた。あと一回でも変化が起これば完全にノエルの体はメフィストフェレスのものとなるだろう。

 そしてようやく、ノエルの命乞いに沈黙を貫いていたヴォルヴァが口を開いた。

「お前さん、かわいそうになあ……」

 その憐れむような声にノエルは縋るように手を伸ばす。しかし、ヴォルヴァの言葉には続きがあった。

「ここまで酔っちまって、さぞかし生きるのが辛いだろう」

 ヴォルヴァは右手に持つ柄の短い鎚を強く握った。すると鎚が赤く発熱して、人の上半身くらいに大きくなった。

「ねぇ……その、ハンマーで……なに……を、する……のぉ?」

 ノエルは自分に向けられている巨大な鎚を見上げて振るえた笑みを浮かべる。

「お前さんを両親の元へと送ってやるよ」

 ヴォルヴァはその言葉を無視して鎚を縦に振り下ろす。強い圧と衝撃がノエルの体を二つに分けた。

 断面から鮮血が洪水のように溢れ出て、生命機能が停止したその体はバタンと崩れた。

 そしてその横に転がっている大鎌が光を放ち灰色の宝石のような形をした石へと変貌した。

 ヴォルヴァはそれを何の躊躇いもなく砕く。粉々になった石が風に煽られ粒子となって霧散する。それに倣うように悪魔へと変貌していたノエルの体と、涙の痕が残っている首も、最後まで人間であり続けた半分以外がこの世から消え去った。

 完全にノエルが居なくなってヴォルヴァははぁ、とため息を吐いた。

「この国に忍び込んでから約十七年、か……。まったく何で気づかなかったんだ」

 ヴォルヴァは自分、あるいはこの国の情報部を責めるように言う。

「まあ、あの黒幕みてぇな子供とも面会できたし、何より魔を殺せたから良しとしようじゃねぇの。――これが天の復活に役立つんだろ?なぁ、我らに加護を授けてくれる天上のみなさん」

 世界樹を見上げて言ったヴォルヴァの呟きが、彼の信仰心をより強固なものにした。

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