第30話 新たな選択肢

 ――〈智天使〉ガブリエル。

 突如として現れた天使を見たのは何もレイ達だけではない。この森は深くに行くほど山のように地形が高くなっているのだ。

 その高くなった森の一角、見晴らしの良い木の上に、黒いパーカーにフードを目深にかぶっていて、パーカーが長いのかズボンが短いのか太ももが大きく露出し、なおかつ下に着ているはずの洋服が見えない、というあまり外出に向いていない服装の少女が立っていた。

「アハハ! もしかしてあれが天使ってヤツなのかな? だとするとボクかなりラッキーじゃない?」

 少女は興味深そうに天使を見ている。

「それにしても天使の再来が見れるなんてね、ノエルマジファインプレーだよ! アハハ! あの天使すっごい欲しいけど今回は無理かな? とりあえず優秀で可愛い部下を慰めに行こっと」

 少女は名残惜しそうに天使を眺めてから、暗闇に姿を消した。



   #

 この国の真ん中に鎮座する世界樹――その内部、濁った色の鉱石に囲まれた空間の真ん中に存在するは名も知らぬただ始祖と呼ばれている存在。始祖が埋まっている鉱石の塊から性別も年齢も分からない不思議な声が反響していた。

『フフ、フフフ、フハハハハハ。そうか、そうか、ついに初めての再来が起こったか』

 その声は心底楽しそうな声音で言う。

『再来の条件は所有者が生きた状態で天性力を破壊する事か。あの敵兵には良いことを教えてもらった』

 始祖は周りにあった画面全てを消し天使の映る画面のみにした。

『ああ、思い出した。ガブリエルの本質は〝力〟ではなく〝音〟、祝福の天使だったな』

 始祖の声が懐かしむようにこの空間に反響する。

 始祖の声が不気味に響く。顔と認識出来る物は見当たらなかったが、雰囲気だけで分かる。

 ――始祖は笑っている。

 それは、久しく会っていない同胞を目にした時のように。

 それは、昔から決めていた計画の算段が立った時のように。

 それは――この世界全てを事に巻き込む狂者の笑みだ。

『さあ、音を鳴らせ! 地上に天の再来という祝福の音を響かせろ! 我々の計画の開始を宣言するのだ!』

 始祖の声があちこちで反射し、世界樹を揺らした。



   #

「天使、だと……」

 目の前に現れた天使にカロンは信じられないと言った感じに呟いた。それもそのはず、天使とはあくまで信仰対象であり、その力の一端を天性力として使用しているにすぎないのだ。

 もうこの場に常識は通用しない。今必要なのは論理的な思考では無く、この状況に対して如何に順応的に物事を考えられるかどうかである。

「あれってクリスなのか? ……それとも、本当に天使が現れたのか?」

「いやいやあの翼を見ればわかるでしょ。あれはまぎれもない天使。私も実際に見るのは初めてだけど納得するしかないよ。……あの存在感は絶対に人間じゃない」

 レイの天使はクリスだと言う説をリタははっきりと否定した。リタの言う通り空中に浮遊している天使は圧倒的な存在感を放っている。無視しようにも無視できない。無意識に視線が天使の方へと向いてしまう。そして何より決定的なのが、その背中から生えた二対四枚の翼だろう。羽ばたくなどの行動はしてないが輝かしいまでの純白であるその翼は到底作りものだとは思えない。

 しかもクリスの背中から何の前触れもなく、突如として生えたのだ。疑いの余地もない。

「だとしてもどうすんの? あの天使止まったままだし、俺らに出来る事あるのか?」

「そんなの私に聞かないでよ! 私だって初めて見たって言ったでしょ⁉」

「なんでお前がキレんだよ⁉」

 リタが急にキレ気味になりレイがなぜか逆ギレした。おそらく戦闘の疲れが出て気が緩んでいるのだろう。しかしまあこんな時に喧嘩とは、随分と二人の頭は平和そうだ。

「別にキレてないし! 両腕怪我したレイが使い物にならないと思っただけだよ!」

「はぁ? 勝手に決めつけん――ッ、痛ァ! おい何すんだイテーだろうが!」

 リタが杖でレイの腕を小突くだけで、レイがその場に転げ回る。

「ハッ! やっぱり怪我してるじゃん。負傷者は足手まといだから引っ込んでて!」

「だから勝手に決めつけんなって言ってんだ――」

「黙れ、お前ら!」

 仲良く喧嘩している二人にカロンの怒号が飛ぶ。

 普段聞かない怒鳴り声にレイとリタは肩を縮め早急に口を閉じた。

「お前たちは今がどういう状況か理解していないのか?」

 カロンの若干殺意のこもった視線にレイは泣きそうにビクビクしながら答えた。

「い、いえ! もちろんわかっていますとも! 急にクリスの背中から翼が生えて天使になった! ほら分かってるだろ⁉」

「あはは……。ちょっと色々ありすぎて気が動転してたかも……?」

 二人が思考を改めた(おそらく)ので、カロンは溜息一つで許した。

 ――と、その時。カロンを謎の衝撃波が襲った。

「ゲホッ……」

 体内を直接潰すように襲ってきた衝撃にカロンは膝をつき口から血の塊を吐いた。耳からは血が垂れている。

「カロン‼」

 レイが駆け寄ってくるがカロンはそれを手で制す。そして宙に浮かぶ天使を指さしこう言った。

「気を付けろ……。これはあの天使の攻撃だ。おそらく音。俺達には感知できないほどの音波で攻撃して来た……ゲホッ、ゴフッ」

 再び血の塊を吐き出す。よほど体内に強い圧がかかっているのだろう。

 カロンの指につられるように視線を送り、レイは見た。

 純白の天使、そのちょうど頭の上に、円錐のような細長い物が面積の広いほうをこちらに向け浮いていた。まるで複雑な構造をすべて捨てた、渦巻きを一直線に伸ばしたトランペットのようだ。

 レイがそう認識するとほぼ同タイミングでそのラッパが増えた。天使の周りに、五、十、二十と、次第に増えていく。

 そして、そのラッパ一つ一つから、

【―――――――――――――――――――――――――――――】

 カロンが言っていた、聞き取ることすら不可能な超高域の音波が迸った。

 どさっ。レイの横でリタが血を吐いて倒れた。穴と言う穴から血が出ている。口がパクパクと開閉しているから生きているとは思うがとても苦しそうだ。

 二度目の攻撃を受けたカロンは満身創痍だ。彼なりのプライドか意地かは知らないが決して倒れることは無かった。剣を地面に突き刺し杖代わりにして、血を吐くも奥歯を噛み締め体内を駆け回る痛みを耐える。

(あれ? なんで俺だけ無傷?)

 天使の攻撃に悶える二人に対してレイはこれと言ってダメージは無かった。

 カロンが言っていた超高域の音波も、カロンが必死に耐えてる痛みも、レイ自身が怪我している両手以外全く感じなかったのだ。

 天使はそれを見て、レイを敵視したのか大量のラッパをすべてレイに向ける。

「あ、ちょっと……」

 自身にダメージは無かったとはいえ、友を一撃で沈めた兵器を向けられればそれはもう恐怖だ。レイは冷や汗を浮かべながら後ずさる。天使が再び攻撃を行おうとした瞬間、森の中から予想もしなかった人物が現れた。

「クリス!」

 カロンに留守番を任され、カレンと一緒にいたはずのセレジアだった。

 セレジアの声に天使が反応した。そして、レイに向けていたラッパをすべてセレジアに向ける。

「セレジア‼」

 レイはそれを見るなりセレジアのもとへと走り出した。行ったところで無駄なのは分かっているのに体が勝手に動いた。それは、彼女と交わした約束があるからだろうか。

 レイはほぼやけくそ気味にセレジアの前に立ち盾代わりになる。さっきみたいに無傷でいれる確証はないが、もしかしたらに期待して身構えた。そして、

【―――――――――――――――――――――――――――――】

 天使のラッパから無慈悲な音波が飛んだ。その音は高すぎて聞こえない。だからいつ到達するかもわからない。レイは認識できない事の恐怖をその身に実感させながら覚悟を決めた。

「〈ミカエル〉――【守護天使】!」

 セレジアの前に立つレイの前にカロンが立ち剣を地面に突き刺した。さっきまで膝をついて必死に生にしがみついていたというのによくもまあ動けたものだ。人間を導くため神が人間にゆけた天使の守護。剣からレイ達を覆うように膜が現れ音を遮断した。

 そう、音波による攻撃であれば音が伝わらない空間を作ればいいのだ。ちなみにこの空間にリタもいる。カロンがこちらに来るとき一緒に掴んで持ってきたようだ。

「――――、―――――! ――――――――――!」

 カロンがセレジアに向かって一生懸命叫ぶが音のない空間で声は出ない。カロンもそれは承知の上だ。だからあえて大きく口を開けて叫ぶように言ったのだ。

 セレジアもカロンの意図に気づき早速行動に移す。セレジアが胸の前で指を絡ませたと同時にカロンは膜を解除した。

「〈ラファエル〉――【神は癒される】」

 セレジアの指輪に光が灯る。そしてその光はレイの両腕、カロンとリタに対しては全身を覆った。数秒経って光は消えた。すると、光に覆われていた部分の怪我がキレイに治っていた。

「おおっ! 腕が痛まない! サンキューなセレジア!」

「ふぅ……。すまない、恩に着る」

「はぁっ……、はぁっ……。私、生きてる……?」

 三者三様にセレジアに感謝の言葉を告げる。面で言われてもじもじしながらセレジアは言った。

「別にいいですわよ。仲間を助けるのは当然ですわ。……それよりわたくしの方こそカロンさんのご厚意に感謝いたしますわ」

「? ご厚意?」

「? セレジアに戦力外通告した後留守番させたよね……」

 二人の訝し気な視線から目をそらしカロンはぼそっと呟いた。

「……カレンが安全ならこっちに来て良いと言っただけだ。ああ、勘違いするなよ。こういった状況も見越して回復役を呼んだまでだ」

 レイとリタの顔がにんまりと歪む。今はそう言う状況じゃないから口には出さなかったが二人の思考は一致していた。

 ――なんだシスコンにツンデレもプラスしたのか、と。

 まあ本当に今はそんなことで盛り上がれる状況ではなくかなりピリピリしていた。

 ――特にさっき来たばかりのセレジアが。

【――――――――――――――――――――――――――――】

 天使は空気を読むと言う行動は一切しない。目の前にいる生物を消し去ろうとまたもや超高域の音波を放ってくる。

「さっきから厄介な。〈ミカエル〉――【守護天使】」

 こちらもまたもやカロンの出番だ。地面に突き刺した剣の柄を握り権能を発動する。怪我が治り調子がいいのか、カロンは権能をちょっと弄った。具体的に言うと音の遮断を一方通行にしたのだ。

 これによって防御壁に覆われた状態でも音でコミュニケーションが取れる。

「なぜクリスは宙に浮いて翼を生やしているんですの?」

 セレジアの問いにカロンが答える。

「あれは最早クリスではない。《智天使》ガブリエルだ。……カレンは今どこにいる?」

「天性力がクリスを乗っ取って現れたとでも言うんですの⁉ ……カレンさんならわたくしの家に預けてきましたわ。あそこなら絶対に安全ですもの」

「そうか、なら安心だな」

「ちょっと妹の話で終わらせないでよ。今はあの天使の対処でしょ」

 カロンのシスコン度が高すぎるのでリタが会話に割り込む。そのあとも色々と天使について話をしていたが、この中で唯一レイだけは全く違うことを考えていた。

(天使ってよく見たら鳥じゃね⁉)

 そう考えるだけで全身に鳥肌が立った。――鳥(本当は天使)だけに。

 しかしそれは怪我が治ったり新たな増援が来たりで精神的にも余裕が出来た結果だ。決して悪いことではない。

 流石にレイも自重して、カロンたちの会話に参加しようと思考を切り替える。――どうせ天使を鳥だと言っても相手にされないのだから。

〈天使を鳥だとは安保か貴様〉

 意外なことに返しがあった。それも、レイの頭に直接。

「えっ」

 聞いたことも無い声にレイは素っ頓狂な声が出た。(レイとは違い)真面目に相談をしていた三人が「何だコイツ」みたいな視線を向けてくる。

 レイは慌てて咳払いをしてごまかし、さっきの声に問いかけてみる。

(えっと……、その声はどこから?)

〈……はぁ〉

 なぜかその声は呆れているようだった。レイその理由は分からない。

〈貴様はあの天使をどうしたい〉

(どうしたいって……。そりゃあの天使の体はクリスなんだから助けたいと思うけど?)

〈なるほど、そのクリスと言うやつがお前たち人間を攻撃したのに助けると言うのか?〉

(友達を助けるのは当然だろ?)

 レイは即答した。何と言われようと最初から答えは決まっているのである。声は何か考え事をしているかのように少し間を開けてから喋りだした。

〈あれは『再来』だ〉

(『再来』?)

〈人間、あの小娘の持つ天性力が破壊されなかったか?〉

(確かにクリスの首にあった印が破壊された)

 レイはノエルが使った権能にクリスが倒れたときのことを思い出しながら言った。

〈天性力が破壊されることによって、その破壊された力が所有者を乗っ取り本来の姿を取り戻す。これが再来だ〉

(なッ……!)

 その言葉にレイは息を詰まらせた。

 信仰対象であり自分たちに恩恵をもたらす天上に住む者が、兼愛たる信徒を乗っ取ると言うのだから。

(乗っ取られたってことはもう元には戻らないのか⁉)

〈そう言うわけでも無い。人間、あの天使をよく観察しろ。貴様が見てきたものがあるはずだ〉

 レイは言わるままに宙に浮かぶ天使を凝視した。

 銀色に輝く長い髪、白百合で繋ぎ合わされた白一色のぺプロス。天使の象徴である二対四枚の純白の翼。そして、首からぶら下がっている銀色の十字架、と天人の証である、――〈ガブリエル〉の印が刻まれた金のプレート。

(! ……見つけた。首にかかってる天人の証に〈ガブリエル〉の印があった)

〈ならばそれがガブリエルの核だ。それを破壊すれば今いる天使は消え、体は元の所有者に還元される〉

(よし! そうと決まればカロンたちを容赦なく巻き込もう! どうせ助けようと思ってるだろうし!)

〈ああ、ちょっと待て人間〉

 レイがカロンに声を掛けようとしたところで待ったを掛けられた。

〈天使の宿主をちゃんとした形で助けたいのならもうひと手間必要だ。貴様にかなりの負担がかかるがそれでもやるか?〉

(何度も言わせんなよ)

 レイはニッと笑い答える。友を救う覚悟はとっくに決まっているのだ。

(俺はクリスを救う。そう約束したからな)

〈よく言う。そうだな、――――――――〉

 レイの強い意志の籠った言葉に少し笑ったような声音で最後のひと手間の内容を話した。

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